2.「書道」って?
ところで、「書道」と聞いて皆様は何をイメージされますか?
敷居が高い感じがする。
「習字」と何が違うの?
習字教室に通っていた。
小学校の時に書初を書いた。
高校生が書道パフォーマンスをしていた。
写経ならする。
掛け軸とか見ても何が書いてあるか分からない。
墨をする。
服が汚れる。
等でしょうか?
私が習字をはじめたのは、小学校一年生の時です。
それからずっと続けています。
なので、単純に歴だけで言ったら二十◯年です。
しかし、それまで私がしていたのは先生の手本を真似て書く、書写と呼ばれるものです。
書写は真似をして書くので、書道の基本の基本ですね。
大抵の日本の義務教育を受けている人は、小学校の書写の授業で筆を使って文字を書いていると思います。
絵や華なんかもそうですが、真似をすることから始めます。
ちなみに、名跡や名筆とよばれる手本をじっくり観察して、手本の字形、筆勢、用筆の技法など、さまざまな書道的技術を探りながら、真似て書くことを「臨書」といいます。
そこから発展した、芸術としての書を本格的に書くようになったのは、今から六年前のことです。
二十数年間、ただ基礎だけを練習していたことになります。
芸術としての書を書く時、基礎の技術力はもちろん大切なのですが、これが弊害となることもあります。
芸術というのは、自己表現でもあります。
基礎を発展させて、自分らしさを出し、芸術性のある作品でなければ、評価されないのです。
ただ綺麗に整っているだけの文字、畏まった文字では、書作品としては、「つまらない」と言われて、見向きもされません。
かといって、あまり奇抜な作品を書くと、「何を書いているんだ! こんなものは『書』ではない」と、言われてしまいます。
こんな時に考えることがあります。
一体何のために書いているのだろう? と。
そして、いつも辿り着く答えが、「自分のため」です。
この道を極めた先の景色が見てみたい。
ただそれだけです。
それ以上でもそれ以下でもありません。
自分の技術力、表現力の限界に挑戦しているだけです。
そして今の限界を知り、自分の未熟さに絶望し、それでもその先に伸びしろがある可能性を信じて、一歩一歩この道を踏みしめています。
独りよがりの作品にならないように、先生方に意見を求めます。
しかし、先生の意見すべてを聞いていると自分の表現したかったものが失われて、自分の作品ではなくなってしまいます。
この二つのバランス、兼ね合いがとても難しいのです。
だからこそ、一筋縄ではいかなくて面白いのですが……。
それこそが「書」の一番の魅力かもしれません。
「たかが字、されど字」といったところです。
書道も他の芸と同じで、自分を高めるためのもの、自分を表現するためのものだと思っています。
お読み下さり、有難うございます。