1.「書」との出会い
始まりは単純です。
姉や周りの子供の多くが習字教室に通っていたから。
それが当たり前だと思っていたから。
そんな感じで、小学校入学と同時に習字教室に通い始めました。
私は、周りの子達と比べて特別上手なわけではありませんでした。
とはいえ、下手でもなく、普通なレベルだったと思います。
本当に、中の中。
それに比べて、姉は上手でした。
子供の頃の私は、兎に角負けず嫌いでした。
特に、姉にコンプレックスを持っていました。
可愛気のない私は、よく姉と引っ掻き合いの激しい喧嘩をしたものです。
そんな負けん気が、習字でも発揮されました。
兎に角、自分が納得するものが書けるまで、紙の無駄遣いなど気にせず、何枚も何十枚も、他の子達が帰り、最後まで残っても書いていました。
学校のテストでも、字が気に入らなくて、答案用紙を何度も消して書き直し、時間内に終わることは殆どありませんでした。
もちろんこれは、小学生までの話です。
中学校受験をしたなら確実に落ちていたでしょう。
ただ、この当時は、公立以外の学校の存在を知らなかったので、中学校受験など微塵も考えませんでした。
高校受験をしなければならない、成績のほうが優先される中学生になってからは、字の綺麗さよりも回答の方を優先しました。
ですが、ここまででわかる様に、私は偏屈で融通の利かない扱いにくい子供でした。
その頑固さが、継続という副産物を生み出したのですが、後々この一度始めたことを辞めることができない、辞めることに著しく罪悪感を覚え、鬱になるという弊害も生み出します。
書の話に戻りますが、継続していた結果、技術も向上し、今は指導する立場になりました。
しかし、書だけではありませんが、芸の道は険しいものです。
いくら指導する立場になったとはいえ、まだまだ未熟で、日々精進、試行錯誤しています。
八十を超えた大先生でさえ「まだまだだ」と言っておられるのを聞いて、天狗になれるわけがありません。
だからといって、人様に教えている身としては素人とも言えないので、習字をしている人をタマゴだとすると、タマゴを指導している私は、ヒヨコと言ったところだと思っています。
私は書道の学校を出たわけではありません。
先生に師事してずっと続けてきただけなので、知識に関しては不足していると自認しています。
もちろん指導する立場として、今現在も知識不足を補うための勉強は、専門書を読んだり、展示会に行ったりと独学でしています。
その他にも、勉強会などに参加して他の先生方の業を学び、技術力の向上にも努めます。
今は仕事としている書ですが、私にとっては一番の心の拠り所です。
自分に自信のない私にとって、目に見えて自分の成長を感じることが出来る書は、安心感を与えてくれます。
努力すればするほど上達する。
これほど素晴らしいものはありません。
もちろんスランプはありますが、それを超えると格段に技術が向上します。
そんなわけで、話が色々と脱線しましたが、書との出会いは必然でした。
地元に書道の先生がいて、習字教室をしておられた。
そのおかげで書と出会うことが出来たわけですから、先生には本当に感謝しています。
そして、教室に通わせてくれた両親、祖母にも本当に感謝しています。
お読み下さり、有難うございます。
タイトルがちょっと渋い気がしますが、建物でも焼き物でも着物でも渋いものが好きなんです。
伝統工芸品とか大好物です。