007 奇怪な機械
長い沈黙がコメット達と少女の間に生じた。ベルクとボーラスは周囲への警戒を維持しているが、視線が僅かに二階の少女へと向けられる。
「……救世主……だと?」
沈黙を最初に破ったのはコメットだった。銃口を向けたまま、先程の少女の発言を復唱する。
「そう、救世主。知らない?救う者のことをそう呼ぶの」
「言葉の意味は理解している。それより質問に答えろ。貴様は何者で、ここで何をしている?」
「私の名前はシオン、あなた達を救うために来たの」
体制を維持しながら、シオンと名乗った少女は、先程とあまり変わらない答えを返す。少女の正体と目的は不明のままだが、敵意は感じられないのは確かだ。
だが、状況はあまり芳しくない。例え相手に敵意が無くとも、正体が不明な以上、一旦拘束する必要がある。だが彼女は二階で、階段は崩壊している。近づく方法が無いのだ。ここから立ち去る選択肢もあるが、謎の存在を背後に置いたまま離れるのは愚策である。だからと言って、二階に上がる手段を探す為に時間を浪費するのも得策ではない。この建物に他の存在がいるかもしれないのだから。
判断しかねて沈黙していると、少女が動いた。
「このままじゃ落ち着かないから、一旦そっちに行く。ちゃんと受け止めてね」
「待て!動くな!」
動き出した少女に対してコメットが叫ぶ。だが、シオンは気にせずそのまま二階からその身を投げ、コメットに向かって落下した。
そのまま避けて落下させても大きな怪我をするような高さではないが、コメットは銃から手を放し彼女を受け止めた。
抱きしめる形で受け止められたシオンはコメットの首に手を回し、まじまじとマスク越しに顔を観察する。
「へー、君はちゃんと受け止めてくれるんだね」
言われたことに対し疑問が浮かぶが、コメットは直ぐに次の行動へ移る。
「いたた、ちょっと!あまり乱暴にしないで、私は逃げも隠れもしないよ?」
彼女を下し、うつ伏せにした状態で両腕を後ろに回し、拘束具で固定する。まさか汚染された可能性のある味方に対する拘束具が人間に使われるとは思わなかった。
「洗いざらい吐いてもらうぞ」
シオンは特に抵抗の意思を見せず、素直に連行される。
・・・
コメット達がシオンと遭遇する同時刻、ある建物の一室で一人の男が目を覚ます。
「うっ、気絶していたのか……何が――ぐっ!」
ダイスは立ち上がろうとすると体に耐えがたい痛みが走り、呻き声を漏らす。腕は椅子の後ろに自分達が持ってきた拘束具で縛られ、動けない状態だ。唯一動く頭で回りを見るが、暗闇に目が慣れてないせいか、自分がどこかの部屋の中にいるという事以外の情報が掴めない。
部屋には窓一つ無く、湿気臭い。どこからか水滴の落ちる音が部屋に鳴り響く。
「ここはどこだ?何故俺はこんな所に……?」
質問に答える者はこの部屋にいない。記憶も少し混乱しているようで、自分が何をしていたか思い出せないでいる。
(俺のチームは確かコメット隊長に命令されてチャーリの援護に向かい、そして――)
順を追って自分の置かれた状況を思い出そうとすると、大きな音を立てて部屋の扉が乱暴に開かれる。明りの点いてる廊下に、逆光で見えないが、何かを引きずる小さなシルエットがそこに立っていた。急な光に顔を顰めるが、そのシルエットには人間には無い尖った耳が頭にあり、揺れる尻尾が後ろから生えているのが見て取れた。
何者かと問う為に口を開こうとしたが、それより相手が話しかける方が早かった。
「んにゃ?眠り姫のお目覚めかな?」
その声を聞いた瞬間、全身の血が凍りついたかとダイスは思った。公園での記憶が蘇り、全身が震え始める。
沈黙をどう受け取ったのか、彼女は無言で部屋に入り、後ろ足で扉を閉める。すると扉の横にあったスイッチを弾き、部屋の明かりが点く。
ダイスが囚われている部屋は見た目から推測するに、何らかの制御施設だ。周囲は重量感のある機械で埋め尽くされていた。幾つものパイプが機械からあちらこちらへと伸びている。全てが起動していれば耳鳴りが止まない程の音で囲まれるだろうが、今は全てが単なる鉄の塊となっていた。一つのパイプからは水が漏れ、床に小さな水たまりを作っていた。
少女の引きずっているものに目を向けると、見覚えのある軍服とマスクを付けた男がいた。誰かは外見から判別できないが、あの時一緒に襲撃された仲間だろう。彼女より大きな体を持つ仲間は軽々しく横へ放り投げられる。仲間の体は機械に衝突し、鉄板をひしゃげ、ゆっくりと床に滑り落ちる。仮にも彼が生きていれば、今の衝撃で息絶えただろう。
「さて、と。何から始めようか」
目の前にいる化け物は腰に手を当て、顔をダイスに近づける。
「一応初めまして、で良いかな?あたしは名前何て無いけど、それじゃ不便だからあたしの事はニーニャンで良いよん」
「……」
何も答えず、ダイスは成るべく視線を合わさないように顔を伏せる。何がおかしいのか、それを見た彼女は小さく笑いながら首を振る。
「にしし、不愛想だねー。冗談を流されると冗談にならないじゃない」
一体今のどこが冗談か分からなかったが、ダイスは沈黙を維持する。すると、途端に先程の明るい雰囲気が彼女から消え、ダイスは言葉にはできない恐怖を覚える。
「ふーん、そういう態度取るんだ。ま、別にいいけどね。あたしの名前はニーナ。短い付き合いになるだろうから覚えなくてもいいけど……。それじゃ、準備してくるから大人しく待っててね」
ニーナと名乗った化け物は踵を返し部屋を出て行くが、直ぐに廊下から顔を出す、そこには先程の明るい雰囲気が戻っていた。
「あ、そうそう。ここから逃げ出しても汚染された空気で死んじゃうから、気を付けるにゃー」
まるで子供に注意するかのように言い残すと、彼女は扉を閉める。足音が離れていくのを聞くと、ダイスは早速逃げだそうと動き出す。過酷な運命が待ち受ける状況で大人しくそれを待つ者はいない。
腕を縛る拘束具は頑丈で、引きちぎる事はできない。ならばとダイスは部屋の機械を観察し、目当てのものを見つける。部屋の端に破損した機械からは尖った鉄板が飛び出していた。それを使って何とか拘束具を切る算段だ。一体どのくらいあの化け物が戻ってくるか分からない以上、急ぐ必要があった。
何とか椅子を揺すり、機械へと近づく。揺する度に骨に刺さるような痛みが全身に走る。もしかしたらどこか骨折している可能性があるが、歯を食いしばり、痛みに耐える。焦りの為、何度かこけそうになるが、何とか機械の側に辿り着く。
丁度拘束具の位置する高さにある尖った鉄板を押し当て、切る作業に入る。
どれ程時間が経ったか分からないが、ダイスは何とか拘束を解く事に成功する。未だにあの化け物が戻ってくる様子はない。足の拘束は椅子の足に巻き付けられていて、椅子を持ち上げれば、拘束具は足に付いたままだが、簡単に自由になった。
相変わらず動く度に全身に痛みが走るが、体の傷はここを抜け出してから考えれば良いと判断する。
自分の状態を確認すると、持ち物の殆どが無くなっている事に気づく。銃器にリュック、無線機まで外されていた。マスクは外されていないが……フィルターがなくなっていた。これでは例えここを脱出しても外で息が持たず、途中で朽ち果てる未来は容易に想像できる。
そこでダイスは部屋にいるもう一つの存在を思い出す。ニーナが連れてきた仲間の死体だ。彼のマスクを見るとフィルターが着いたままだ。ひしゃげた機械にもたれ掛かる死体に近づき、マスクを外さずにフィルターだけを取り外した。
「……使わせてもらうぞ。ん……?」
自分のマスクに取り付けた際、仲間の死体に違和感を覚える。仲間は腹に穴を空け息絶えているが、その穴からは臓物ではなく、細かなワイヤーや機械がはみ出ていた。
「これは一体……?ロボ――」
見た物を理解しきる前に廊下から足音が響く。間違いなくあの化け物が戻ってきたのだろう。逃げなければならないが、部屋の出口は廊下への扉一つ。今出ていけば化け物と鉢合わせになる。例えそこで全速力で走ったとしてもミュータントの速力に勝てる訳がない。着々と近づく足音に対し、ダイスは必死に思考を巡らせる。この狭い部屋で隠れられる場所は――。
足音が扉の前で止まり、ゆっくりと扉が開く。
「たっだいまー、大人しくしてたかにゃー?ありゃ?」
ニーナは大きな袋を担ぎながら入出する。部屋には男を拘束していた椅子が機械の側で倒れていた。男の姿は見当たらない。
横に投げたもう一体の死体へ目を向けると用意していたフィルターが無くなってる事に気づく。思わず笑い出しそうになるのを必死に堪えながら死体に近づき、しゃがみ込む。特に興味がある訳でもない死体に向かって話しかける、この部屋にいる男に聞こえるように。
「ありゃー、やっぱ逃げられちゃったか。大体みんな逃げちゃうんだよねー、何でかにゃ?せっかくプレゼントを持ってきたのに」
手元にある袋を見ながら至極残念そうな顔を作る。扉の後ろに隠れていた男が息を殺して動く気配を感じ取りながら。
男が去るのを確認すると袋から手を放し、付いてもいない汚れを払う仕草をする。
「さってと。彼はどこまで行けるかな?」
ニーナは見通し良い屋上を目指して部屋を退出した、ガムという名の男の死体を部屋に残して。
コメットがシオンを抱き止めたりしている時に、ダイスもニーナに抱きしめられていれば……死にそう。
次回は第8話「塔への帰還」