005 絶対セーフハウス
セーフハウスは持ち主を表すと言われている。避難所として物資の数やそれ以外に大切な物を持ち込むことが多いからだ。
唯々効率を求め、食料と水を集めただけでは滞在者の精神が徐々に疲労してしまう。人間とは娯楽や精神の支えとなる物が無ければ、長期間狭い空間で生きていけない生物なのだから。
例えば、滞在者が富豪や地位のある者ならば、今までの生活水準を維持する傾向にある。必要以上に内装に拘り、高価な家具やグルメな食料、かなり贅沢な生活がセーフハウスの状況から分かる。
中には楽観的な持ち主も存在する。明らかに生活には必要が無く、ただ暇な時間を過ごすための娯楽が多い場合だ。滞在時間が不明にも関わらず食料の浪費、大量の賞味期限の短い食料。兎に角計画性に乏しく、長期的に自分で自分の首を絞めるような物資が大半を占める。
他にも外敵から身を守るために要塞化しているセーフハウスも発見されている。銃器や弾、防弾チョッキ等、一度も使われずに丁重に保管されている事が多い。これらは塔の人間も使える物資が多く、有効活用されている。
ではコメットのチームが訪れたこのセーフハウスの持ち主は一体どんな人物だったのか。
「かなりの研究馬鹿がここに住んでたみたいっすね」
誰もがハリスの発言に頷かざるをえなかった。
セーフハウスの中は大きく二つの空間に分かれていた。手前が生活の間となっていて、ベッドや家具が置かれ、それなりの生活ができる設備が一通り揃っていた。
部屋の中間となる部分には端から端まで届くカーテンで区切られ、その奥の空間が研究馬鹿とハリスが呼ぶ理由になった設備の数々があった。複数の端末に、謎の液体が入ったガラスの入れ物が至る所に置かれている。何より一番目を引くのが、ありとあらゆる場所に散乱した大量の資料だ。
端末の前には白骨化した研究者らしき白衣を着た死体が机に突っ伏している。その手には拳銃が握られていた、それが研究者の死因だったと推測できる。
「頭蓋骨に穴があります、間違いなく自殺でしょうな」
ベルクが白衣の研究者を観察し、首を振りながら告げる。家族を追っての自殺か、先の見えない状況に絶望してか、それとも……。
コメットはベッドの上に横たわる二つの白骨化した死体へ視線を向ける。
片方はまだ小さく、外見から十代の少女と思われる。小さな死体は丁寧に手を胸の上で交差されている。もう片方の大きな死体は子供を抱きしめるように横たわっていた。服装からして机にいるのが父親で、ベッドにいるのが母親だろう。
親はお互い白衣を着用していて、このセーフハウスの持ち主で間違いない。
「よし、これより確認作業に入る。まずは電力と空気、それからガスだ」
皆が頷き、それぞれ部屋の状況確認に移る。
一通り確認したが特に危険な物や破損は見つからず、安全と判断したコメットは命令を飛ばす。
「電力に問題は無く、ガス漏れも無いようだ。ハリス明りをつけてくれ。皆、暗視ゴーグルを外せ」
了解っす、と短い返事と共にハリスは目を閉じ、入り口の横にあった壁のスイッチを弾く。
すると少し間を置いて瞼の裏に蛍光灯の明りが赤く映る。ゆっくりと目を開けると、まだ慣れきってない眩しさに顔を顰める。暗視ゴーグルを付けている時は分からなかったが、部屋はかなり無骨だった。床や壁には一切飾り気が無く、コンクリートが剥き出しの状態で、如何に研究を中心に作られたが強調されていた。
「さて後はここの空気が正常かどうかだが……」
その瞬間、部屋にいる全員の顔に緊張が走った気がした。そう、セーフハウスでは汚染されていない空気があるか確認する必要がある。厳密に言うと必須ではないが、今回の任務ではなるべくフィルターを温存する必要がある。
どんな優れたセーフハウスであれ、長い年月の間に空気清浄機が破損する可能性は高い。最悪の場合、汚染が濃すぎるとマスクを外した者を始末しなければならない。ここはかなり設備が整っていて、少なくとも最悪の事態は避けられるだろうが、そんな生贄のような役割を進んで行う者はいない。
誰もが決断できず硬直していると、ボーラスが無造作にマスクを外した。
「おわ、ボーラス早まるな――って、うえー?!」
「えーー?!」
あまりにも躊躇無くマスクを外した為、声を上げたと思われたハリスだったが、ボーラスの姿にコメットもつられて声を上げてしまう。
彼は――いや、彼女は首を傾げ、短い黒髪を揺らし、こちらに驚きの表情を向ける。
「あ、いや、な、女?!」
思わぬ事実の発覚に、ハリスの普段良く回る口が珍しく混乱している。
「何を驚いているんだ、ボーラスは最初から女だ。まさか貴様、自分のチームの性別すら知らないのか!」
冷汗が全身から湧き出るのを感じながら、コメットは先程の失言に対して口を押え、横を向いてしまう。
(し、知らなかった。いや、確かに思い返せば部隊全員の資料の中に書いてあったが……そんな事よりも頭を悩ませる案件があったんだよ!)
ベルクがハリスに仲間意識が足りないと小言を並べている間に、脳内で悶絶しているコメットの前にいつの間にかボーラスが無言で顔を覗いていた。非難するような謎のプレッシャーがそこにあると、忘れていた罪悪感のせいでコメットは感じていた。
「あ、いや。もちろん俺は把握していたぞ。ほ、本当だぞ……?」
しどろもどろな言葉に対して返ってきたのは無言に見つめる茶色の瞳。じゃあさっきは何で驚いていたの、とでも聞きそうな表情。
「う……ご、ごめんなさい。色々あって失念してました」
彼女は特に何も言わず傾げていた首をさらに傾げるだけだった。すると満足したのか、はたまた興味を失くしたのか、研究資料を漁り始めた。
一気に疲労を感じながらハリスの方を見ると、しょんぼりとした顔でベルクの小言を聞いていた。
「――だからお前はもうちょっと周囲に注意を払ってだな」
「もうその辺にしとけベルク、まだ寝る前に調べる物は沢山ある。彼だってきっと……そう、ちょっと忘れていただけだろう。これから気を付ければいいさ」
「むぅ、隊長がそういうなら仕方ありません。隊長の度量の広さに感謝するんだな」
自分の事を棚に上げ、ハリスに助け舟を出した事に軽く自己嫌悪。何も知らないハリスは小さく頭を下げ、謝罪と感謝を言ってから作業し始める。ちくちくと心に罪悪感が刺さるが、気にせずマスクを取り、部屋の細かい調査に移ることにした。
「そういえば、何でボーラスはあんなに軽くマスクを外したんだ?」
しばらく黙々と個々が作業し始めると、コメットは先程の出来事を思い出し、ボーラスに問いかける。誰だって死ぬかもしれないのに、軽い気持ちでマスクを取るはずがない。何か確信でもあったのだろうか?
ボーラスは資料から顔を上げると何かを探し始めた。すると、目的の物が見つかったのか部屋の隅を指す。その先へと視線を向けると黒い虫、一般的に言うゴキブリが素早く動き回っていた 。
「ひっ!ななな、何すか、あれ?!」
「ただのゴキブリだ、そのくらいで取り乱すな!それでも誇り高き塔の人間か貴様は!」
「生で見たの差すは初めてで……うわ、気持ち悪!」
大きく取り乱し、かなり情けない声を上げるハリスは無視して、コメットは再度ボーラスに問いかける。
「あれがどうかしたのか?」
「……生きてる」
それだけ言うとボーラスはまた資料へと視線を向ける。
少し考え込むと、コメットに納得の表情が浮かぶ。
「そうか、あいつらも正常な空気が無ければ死んでしまうからか。昔、鉱山ではカナリアを使って毒ガス検知をしたと聞いているが……それの応用か」
「こんな黒光りしたカナリアは御免っす!うわーっ!こっちに飛んできた!」
後ろでハリスが騒いでる間にコメットは端末の調査を始めていた。電源を入れようとすると予想より軽く、本体がそのまま押され転倒してしまう。あまりの軽さに疑問を覚え、端末を拾い上げ、後ろから中身を確認する。
空っぽだった。
まるで最初からそこに何もなかったかのように綺麗さっぱり中身が抜かれていたのだ。他の端末も確認したが全てが同じ状況だった。情報の漏洩を恐れ、隠蔽、もしくは破棄したのだろう。ならば例え見つかったとしてもデータの回収は不可能と軽く予測できる。
仕方なく大量の資料から何らかの情報を得るしかないと判断したコメットは、手あたり次第に資料を読み漁る。資料の殆どが理解できない図や数式で埋め尽くされている。中にはお世辞にも丁寧とは言えない走り書きまであった。
あまり有用な情報は得られず数式に嫌気がさし始めた頃、ベルクが隣に来る。
「隊長、これを見てください」
差し出された資料の標題に目を通す。
【レッドラストの人体に与える影響】
コメットの手は僅かに震える。レッドラストに関してはバシリア塔で散々研究され、資料の細かな内容には驚かされるようなものは無い。しかし、このような情報が塔の外にある事がそもそもありえないのだ。これほど詳細に、そして正確にレッドラストの研究を少数で行うのは不可能に等しい。
そう、二百年以上前に他国から予兆も無く襲撃された当時では。
次回いよいよあの子が登場!?
第6話「救世主現る」