居酒屋スレイプニル
ユズルナから解放され、リオの作った食事をたいらげると、再び店には客が押し寄せて来ていた。
俺はカウンターで仕事の内容を聞き、料金の説明をする。リオは待っている他のお客さんにお茶を出したり、話をして賑やかしてくれていた。客にしても自分の娘の様な年頃の女の子との会話を楽しんでいるようで、店の雰囲気は混んでいる店にあるような殺伐とした感じではなく、和やかな物だった。
しかし、今日は何でこんなにお客が来るのだろう。見た限りこのスレイプニルがある商店街の店主達のほとんどが顔を見せているような気がする。
小口の仕事ばかりではあるが、いままでは全く仕事がなかったのだから嬉しい状況ではある。それにこの仕事をきちんと遂行することによって信頼を勝ち取り、より大きな仕事を貰えるチャンスにもなるかもしれない。リオがお客さんの相手をしてくれているのは、とてもありがたかった。
昼食後に三人目のお客さんとの仕事の話が終わったところで、店内に動揺が訪れた。
店の裏からユズルナが現れたのだ。
彼女は俺がお勧めした清潔感のある白いフリルのついたシャツに、桃色のスカートをはいていた。シンプルな櫛を髪に刺し、薄く化粧をしているようだった。
普段の無骨な表情とは違い、薄く笑みを浮かべていた。
「今日はご来店ありがとうございます」
ユズルナは店内にいるお客さんに向かって、スカートの裾を軽くつまんでお辞儀をした。その仕草はまるでどこかのご令嬢の様であり、自分を含め店内に居るものは彼女に目を奪われる。
ユズルナはリオがテーブルに置いたままにしていたポットを持つと、一人一人の待っている席に向かいお茶を注いでいく。ユズルナはお茶を注ぐときにニコッとお客さんに笑顔を振りまいていた。ユズルナに微笑みかけられたお客さんはまるで天にも昇るようなポワッとした顔をしている。
すべての客にお茶を注ぎ終わったユズルナは、最初入って来たときの様にスカートを軽くつまんでお辞儀をする。
「それではごゆっくりしていってください」
それだけを言い残してユズルナは店の奥に引っ込んでいった。
彼女の去った店内は先程とは一変していた。
リオが話題を振りまき賑やかだった店内は静まり返り、皆その顔を良い物が見れたと言うように恍惚とさせていたのだ。
俺自身もさっきのあれがユズルナだとは到底信じられなかった。それくらい彼女はとても綺麗だった。
ただ店内で一人別のオーラを発している者がいた。リオだ。
彼女は歯噛みをして悔しそうな顔をユズルナの消えていった店の奥に向けていた。
「お兄ちゃん!!」
「はい?」
リオは俺に向かって声をかけた。その声は少し怒っているようだった。
「あたしちょっと出かけてくるね」
そう言ってリオは店を飛び出していったのだった。
リオが出て行って結構な時間が経っていた。日はもう少しもすれば沈むことだろう。
店内にはまだそれなりの人数のお客さんが残ってはいたが、商談待ちという訳ではなかった。
リオが居なくなった後、商談を終えたお客さんは空いている席に着きただ黙って待っていたのだ。
どうやらそれは再びユズルナが出てくるのを期待しているようだった。
あらかた仕事の話を終えた俺は、二階のユズルナの部屋に向かってみる。
扉をノックすると「入れ」と無愛想なユズルナの声が返ってきた。
部屋の中に入ると、彼女はさっき着ていたままの恰好のままベッドに腰を掛けている。
「なんの用だ?」
「あ、いや。なんかお客さん達がもう一回ユズルナに出て来てほしそうな感じなんだ。もう一回下に降りて来てくれないかな」
「ふん。あの小娘はどうした?」
「いや、リオは出かけてくると言ってまだ帰ってきてはないんだが」
「そういう事を言っているのではない。あの小娘はどんな感じだった?」
「あ~、なんか凄く悔しそうな顔をしていたな」
俺のその言葉にユズルナは満面の笑みを浮かべる。
「そうかそうか。あの小娘も自分の矮小さに気が付いたという事か。誰を相手にしていたのかこれでやっと理解したかな。ふふふ」
「しかし、お前ってあんな仕草も出来たんだな。つい俺も見とれてしまったよ」
「な……」
俺の言葉にユズルナは少し顔を赤らめた。
ん……、俺今変な事いったかな?
軽く咳払いすると、ユズルナはこう続けた。
「前に貴族の家に雇われていたと言っただろう。そこの娘の真似をしただけだ。あんなものなら誰にだってできる」
「ふうん、そんなもんか……」
ユズルナはそう言ってはいたが、俺にはそうは思えなかった。
確かに仕草は真似できるだろうが、その場に漂う雰囲気と言うものはなかなか作り出せるものではない。
例えばリオが同じような事したとしても、愛らしさは出せるかもしれないがさっきのユズルナの様にはならないと思う。さっきのユズルナには気品の良いオーラと言うのが溢れていた。
「それよりもさ、もう一度お客さんの前に顔を出してくれないか。お前が来てくれないと帰りそうにないんだ」
「ふん、断る」
ユズルナは俺の頼みをあっさりと拒否した。
「なんで……」
「あんな恥ずかしい真似なんか二度とできるか。適当に追い出せばいいだろう」
随分無茶な事を言ってくる。しかしユズルナが嫌がっていることを無理やりさせることはできない。
そんな感じで俺が頭を悩ませていると、一階の店の方がなにやら騒がしくなってきた。
急いで下に降りてみる。ユズルナも気になったらしく俺の後ろに着いて来ていた。
店の区画に入るとそこはさっきまでの雰囲気とは一変していた。
残っていたお客さんは手に手にグラスを持ち、その中身をおいしそうに飲んでいた。
手に持ったグラスを他の者のグラスと打ち合わせる者。楽しそうに談笑する者。歌を歌う者。その中心にはリオが居た。
彼女はさっきまであまり女の子が着るような物ではないシンプルな衣服を身に着けていたが、今は露出の多い踊り子の様な服を着ていた。
まだ幼い彼女には女性的な魅力は感じられないが、その恰好は彼女の健康的な肉体を際立たせるにはちょうど良いものにも思える。
彼女はお酌をして回っていた。周りの人たちの様子を見ればわかるが、彼女の持っているのはお酒だ。
俺達の今立っているカウンターの裏には、そのお酒のビンが詰めこまれたケースが置かれていた。
「なんだ……これは」
俺が何かを言うより先に、ユズルナが驚愕の言葉を吐いていた。
俺達に気付いたリオは、一瞬こちらに視線を向ける。いやこれはユズルナに向けたものか。そして自分の勝ちとでも言わんばかりに口の端を釣り上げた。
「むむむ……」
ユズルナはリオのその仕草に何やら思うところがあるらしく、拳を握りしめていた。
一瞬迷った挙句、ユズルナは足元のケースからビンを一本取り出すと、リオと同じくお酌をして回ることになった。
ユズルナの登場にお客さん達がワッと盛り上がった。
こうして運送屋スレイプニルは、一夜限り居酒屋スレイプニルになったのだった。




