ファボリム
外はもう夜中だった。
森の中で光は乏しかったが、俺が転送した巨大な石が木々をなぎ倒していたおかげで、月明かりが差し込んでくる。
慌てて三人を探すと、三人とも地面に貼り付けになったように倒れていた。
彼らを押さえつけているのはなんだ?何かブヨブヨした黒い物体が、三人の背中に乗っかっているように見える。
「アキ!!避けろ」
地面から首だけをこちらに向けていたユズルナが俺に警告を与える。
俺が反応したのは奇跡に近かった。
自己転送を行ったばかりで同じ魔法を使うのに再度集中力を高める必要がなかったからかもしれないし、ここ数日に起きた出来事で俺自身の危機に対する能力が上がっているのかもしれない。
咄嗟に自分を転送した俺は、さっきまで俺が立っていた場所に、三人を押さえつけているのと同じ黒いブヨブヨが飛び込んで来たのを見た。
そしてそれが飛んできた方向から声がかかる。
「ふん、転送士か。ならば案ずることはないか」
そこにいたのは、肩から二つの首を生やした人型の生き物だった。
途中から姿が見えなくなっていた魔神ファボリムだ。
「お前……まだいたのか」
「ふふふ。人の理の世に召喚されたのだ、我らが同胞を呼び出しこの世を暗黒に染めるのも一興だろう」
落ち着いた感じに右肩の首がそう言っていた。それに対して左肩の首はヒヒヒと気味悪く笑っていた。
「思えば早くにこうしたかったのだが、あ奴の術は人にしてはなかなか強力だった。お前たちのおかげで自由になれた」
右肩の首はそう言いながら、親指で自分の額を指差していた。
俺達がファボリムを自由にした?確かにこの魔神は博士の最後の時、その命令に応じることなく博士を助けに現れなかった。
しかし俺はアルマーレの召喚の印は転送術によって解呪していたが、ファボリムの印を解呪した覚えはない。
「くっ」
ユズルナはファボリムの言った事に思い当たることがあるのか、悔しそうに顔を歪めた。
「そうか……私が首を落としたから……」
「えっ?」
「おそらく奴の契約の印は額に描かれるものと決まっていたのだろう。対象者の行動を操る事の出来る魔法と考えれば、肉体の命令を司る頭に印を描くのは妥当だ。それを私が切り離してしまったから……」
左肩の首は、ユズルナの言っていることが正解であるかのように、愉快そうに笑っている。
「感謝の念を込めて、お前達の魂は私が主に捧げてやろう」
左右の首が初めて同時に喋っていた。それは冷徹な響きをはらんでおり、俺の心は警告の早鐘を鳴らす。
今まで戦ってくれていた三人には頼れない状態だ。ここは俺が何とかするしかないのだ。先手必勝とばかりに俺は足元にあった枝を拾い、ファボリムの体の中に埋め込むように転送する。
ユズルナの剣で充分にダメージを与えられる相手なのだ。有効な手段であるはずだった。
だが俺の転送した枝はファボリムの脇に現れると、そのまま地面に落下する。
ファボリムが避けたわけではない。奴は全く動いてはいないのだ。
続けざまに枝や小石を足元から拾うと、今度こそは確実にファボリムの中心に向かって転送を試みる。
どれもファボリムにはダメージを与えることはなく、関係ない所に転送されていった。
「そんな……」
俺の落胆を見て左肩の首が声を殺して笑っているように見えた。
今日は随分と大変な事ばかりだった。俺自身気が付いていないだけで疲れているのか?しかしこんな事は初めてだった……。
ファボリムは俺が転送した枝を拾い上げると俺の方に一瞥くれた。
やばい。
奴も転送士である。
転送士同志の戦いは一瞬で決まる。
「アルマーレ!!」
危険を察知したのか、地面につっぷしながらもユズルナが召喚を行った。
ファボリムがいる場所が月明かりから影になる。上空に真っ赤な山が現れた。
ドスンと地面を揺らした伝説のドラゴンは、優美な動作で首を持ち上げた。
(随分乱暴な召喚だな……)
状況を理解していないアルマーレの思考は呑気な感じだった。
アルマーレが気を抜いていたその一瞬が命取りとなっていた。
ファボリムは転送士だ。不意を打ったユズルナの起死回生の一撃だったが、頭上からの直線的な攻撃では自己転送によって簡単に回避されるだろう。
俺はその懸念が正しかった事を確信する。
余裕のある声が、聴きなれない呪文を詠唱しているのが聞こえる。
次の瞬間アルマーレの体はユズルナ達を拘束しているのと同じ物体で包まれていた。
アルマーレの言葉に出来ない怒りの激情が伝わってくる。
首や羽根、尻尾を完全に押さえつけられているアルマーレは悲しそうな瞳をこちらに向けていた。
(まだ……奴が残っていたか……。不覚……)
「神々と共に戦いし古代竜か。神に使役され、人に操られた後だと言うのにまた人に従うのか。愚かなものよ」
右首がアルマーレを罵倒すると、左首もそれに合わせて笑っていた。
アルマーレは僅かに動く首を必死に動かし魔神に一矢報いようとしていたが、体を動かせば動かすほど黒い物体はその覆う範囲を広げていき顔がわずかに出る位になっている。
どう見ても戦う事は不可能だろう。
そして俺の心も折れかけていた。
戦闘力の高いユズルナ、リオ、ギャメル、そして伝説の火竜王アルマーレは拘束され、転送術しか持たない俺は、その照準が大きく狂っている。
この状態で魔神に勝つことなどは不可能だろう。
俺だけでも転送術で逃げるか?
王国まで逃げれば奴も早々追ってはこないだろう。応援を呼んで来れば……。
ダメだ……、応援を呼べたとしても俺の転送術では一度に多くの人間は運ぶことは出来ないし、個別に転送すれば奴の餌食になるだけだろう。奴は生贄を欲していると言っていた。それに協力するわけにはいけない。
第一こんな時間に王国に戻ったとしても、俺には協力を仰げる者などいないし、仲間を置いて俺だけ逃げるなんてもっての他だ。
また俺の思考は自分には出来る事のない、関係ないことをグルグルと考えていた。危機に直面すると俺はどうも現実から目を逸らしたがるのではないか。
俺が考えなければいけないのは、今どうするかなのだ。今何が出来るかなのだ。
折れかけた心を何とかつなぎとめる。
俺が奴を倒すために何が出来るのか……。
物を魔神に向かって召喚しても、その照準が狂ってしまっていて当てることが出来ない。
しかしさっき俺は自己転送は思い道理に行う事が出来ていた。
対象を自分に限ったものであればまだ何とかなるのかもしれない。
見ればユズルナは剣を握っていた。地下でファボリムの首を落とした剣だ。
ファボリムは未だに中傷するような笑いを続けていた。俺の事など眼中にないのだろう。
だがそれでいい。だからこそ俺の攻撃は効果を発揮するはずなのだから。
地下から脱出するときに溜め込んだ魔力がまだ残っている。
俺は集中力を高めると瞬時にユズルナの所に移動する。
「ユズルナ、借りるぞ!!」
「あっ……」
ユズルナが何か言いかけていたが、それを無視してユズルナの剣を握りこみ再度転送を行う。同じ種類の転送を続けて行うのでスムーズだ。
ユズルナの文句は後で聞こう。今は魔神を倒すのが先だ。
笑っている魔神の前に瞬間移動すると、剣を拾うときの姿勢のまま屈みこんでいた体勢から、体ごと剣を振り上げようとする。
ファボリムとしても転送士の俺がこんな特攻をかけてくるとは想像していなかったようで、その顔が驚愕に代わっており笑いも消えていた。
行ける!!俺はそう確信していた。
今まで剣を扱ったことなどなかった俺の繰り出した斬撃はユズルナのそれと比べるまでもなかった。
それにユズルナは軽く扱っていたが、思っていたよりも随分と重い。
魔神は不意を突かれた形だったが、俺の斬撃をゆっくりと観察するといつの間にか持っていた三又の槍で俺の剣を止める。
そしてユズルナの時とは逆に、三又の部分で俺の剣を挟み込むとそれを捻り上げる。見る間に剣は俺の手を離れていった。
ファボリムは剣を失った俺を蹴り飛ばす。戦う力を失った俺は横に倒され、膝を付き起き上がろうとするがそれ以上の気力が湧いてこない。
ファボリムの勝ち誇ったような高笑いが耳障りだ。
(何故……何故力を使わない)
アルマーレの思考が流れ込んでくる。アルマーレに聞こえるか分からないくらいに俺は呟く。
「転送術か?それはもう使えない。自分を転送するくらいしかまともに使えないんだ……」
(転送術を奴に使ったのか?)
聞こえるとは思っていなかったのだが、アルマーレの聴覚は特別なようだ。
(魔法の理がある……。転送術は召喚士には効かん……)
アルマーレが何を言っているのか最初はよく解らなかった。いや正確にはアルマーレは喋ってはいないのだが。
召喚士と言ったか?確かに召喚士と俺の頭の中に流れ込んできた。
「ファボリムは……転送士ではないのか?確かに奴は転送術を何度か使っていた」
俺の声は大きくなっていた。
(あの魔神は召喚士だ……。魔族にはもともと瞬間移動の能力を持っている者がいる。奴はそれを利用し自らを転送士の様に装っていたのだ)
「そんな……」
(魔法の理は神の造り出した理だ……。それを揺るがすことは神以外には不可能……)
「それならば俺の力はあの魔神には通用しないという事じゃないか。どこまで俺は役立たずなんだ!ユズルナやリオにまかせっきりで、俺は何もしてない」
(我が与えた力があるはずだ。神自ら造りし理を自ら歪めた力……)
「自ら歪めた?」
(遥か昔……この世界は神や魔族が住んでいた。神と魔族は互いに争っていたが、神は戦いを優位に進めるために新たな魔法を造り出した……。それが召喚術だ……。神はこの世界に住む様々な生き物を自らの軍勢に加えるべく召喚をした。その結果魔族を異界に払う事に成功したのだが、召喚され使役された者たちの中には神のその行いを咎める者が居たのだ……。)
「神に対抗した?」
(うむ……。神の造りだした召喚術は生き物達に強制を強いた。それに反発した者達は神を倒すべく召喚術の魔力の中から似て非なる力を見つけたのだ。それが転送術だ。転送術を恐れた神は理を造りだした。もともと魔力の構成が似ていた召喚術と転送術。転送の魔力が召喚の魔力に振れると中和されるようにしたのだ……)
「それが転送術が召喚術者に通用しない理由なのか……。全ては神の我がままから始まっているのか」
(これで話が終わりであれば、今この世に神が存在しているはずではないか?この世界に神はいるのか?)
「いや……、信仰する者や宗教は存在しているが、神を目撃したって話は聞いたことがない……」
(神は去ったのだ。始めは一部だった神に反抗する者達もその数を次第に増やしていった。この世界の生き物たちに自分は必要とされていない事を悟った神は、自らが造りだした理の例外を造られた。そしてそれを転送術を編み出した生き物である……人間に授け、その力でこの世界を去って行かれた……)
「転送術を造りだしたのは……人間?」
(本来……召喚術は神の力。転送術は人間の力……。今では人間であれ、魔族であれ多種多様な魔法を使う事が出来るが、本来の召喚術……すべての生き物と契約を交わしていたのは神のみである)
「全ての生き物……」
(神が人に授けし理の例外。我が人から受け継いだ知識。転送士であるそなたに渡した力があるはずだ……。神殺しとも召喚殺しとも言われる力……)
召喚殺し!?どこかで聞いたことがあるような気がする。
「渡された物って言うのはこの前の魔法陣の事か?地面に展開してみたが何も起きなかった……」
(あの力は特定の媒体を必要とはしない……、思うが儘に魔力を解放させるのみ……)
頭の中に歪な形をした魔法陣を思い浮かべる。普通の魔法陣は正円の中に色々な呪文が描かれているものだが、あの魔方陣は縦に細長く描かれている呪文も解らない物が多かった。
俺は立ち上がると魔法の粉を手の中に握りこんだ。丁度最後の一回分だ。
ファボリムは俺の方などは気にしないで大きな魔法陣を展開していた。
さっき召喚の生贄とか言っていた。召喚術を使うつもりなのだろうか。
奴が俺の事を無視してくれているのならチャンスだ。
俺は目をつむると、体に残った魔力を魔法の粉を握った手に集中させ、出来る限りはっきりとアルマーレからもらった記憶を思い描く。
俺は何も魔法を発動してはいない。魔法陣をイメージしているだけだ。それなのに体に魔力がみなぎってきているような気がする。
目を開くと俺は剣を握っていた。いや、よく見るとそれは魔法陣なのだが、細長く描かれた魔法陣はまるで剣の様だった。
軽く腕を振るってみる。陣はやはり剣のように俺の腕についてくる。
そしてこの魔方陣は、魔力供給の陣と同じように俺に魔力を与えてくれているようだった。
その力は俺が今まで感じたことのないほどに強力な物の様だ。
さっきまで俺を無視して熱心に魔法を唱えていたファボリムも、異変を感じたのかこちらを振り返っていた。
「まさか……召喚殺しを……貴様のような者が……」
右肩の首が驚愕したようにそう言うと、左肩の首は悲鳴を上げているようだ。
ファボリムはそれでも戦意をすぐに取戻し、何処からともなく現れた三又の槍を構えると俺に向かって突撃してくる。
俺はファボリムを迎撃するために、さきほどユズルナの剣でやったように低い姿勢から剣を振り上げた。
ファボリムがニヤリと笑ったような気がする。槍を両手でしっかりと構えると、俺の攻撃を受け止めようとしっかりと足を踏ん張る。
まるでさっきの再現だった。
だが俺の剣はユズルナの物とは違い重さを全く感じない。それどころか力がみなぎってきている。
意識したままの鋭さで振るわれた俺の剣は、ファボリムの槍と衝突する。重い感触が腕に伝わってくるのを待っていたが、いつまでもそれは訪れない。
なぜなら、まるで手ごたえがなくファボリムの槍を断ち切っていたからだ。
「ばかな……魔界の金属を鍛えて造りだした槍がこうも簡単に……ぐばっ!!」
俺の剣は槍を切ると同時に右肩の頭も、肩口から縦断していたようだ。言葉を発している途中に半分に切断された。
残された左肩の頭は完全に狂乱していた。
叫び声とも悲鳴とも判断付かない声を上げながら、二つに切断された槍を投げ捨てる。
空手になった両手を俺に向けると、短く呪文を呟いた。
皆を束縛している黒い物体が召喚され飛び出してくる。
とっさに反応した俺は、剣を横に一閃。やはり手ごたえはなく黒い物体はあっさりと上下に切断された。
「キィィィィィィ」
同じ姿勢のまま更に別の呪文を唱えたようだ。
両腕から黒い炎が噴き出してくる。
俺は剣から溢れてくる魔力を左腕に集中させると、炎に手を突っ込んだ。
重さのない炎を剣で切ったとしても、その脅威から逃れることは出来ないと判断した俺は、炎自体を転送しようと思ったのだ。
その判断は正しかったようだ。
炎に手が触れると熱さを感じる前に炎が掻き消えた。
普段の俺ならこんなことは考えなかったであろうが、今の魔力がみなぎっている状態ならば出来るような気がした。
ファボリムはこの状況を予想していなかったようで、完全に無防備だ。
俺は剣を中段に構えながら、ファボリムに向かって行く。
ユズルナがファボリムの最初の首を跳ね飛ばしたときを思い出す。
俺とユズルナでは剣の技量は天と地ほど差があるだろうが、剣を扱ったことのない俺は身近な人間の真似をするしかない。
ひらりと体を回転させながら、残された左肩の首を狙う。
やはり手ごたえがなさ過ぎて俺は失敗したと思った。
「ギ……ギ……ギ」
切れ味が鋭すぎる一撃は、首を跳ね飛ばすことはなく、体の上に首を乗っけたままにしていた。
力なくファボリムの体が倒れていく。倒れた後にファボリムの残された頭はボールの様に転がっていった。