32 水と油
王都にあるガスタード辺境伯の屋敷に、朝早くにリリーナ・フィオレンス子爵令嬢と老執事がやって来た。
朝早くからガスタード辺境伯の屋敷を窺っていたことから、何かあることをレインは感じていたが、セバサはそれらの事情を知っているようだった。
セバサから話さない以上、詮索したとしても回答が得られないことを知っていたレインは、セバサと一緒に二人を客間へ案内することになった。
それから暫らくして朝食の準備が整ったことにより、皆で食堂へと足を運んでいたのだが……。
誰から見てもリーザリアはリリーナを警戒していた。
リーザリアが何故ここまでリリーナを警戒するのか? それは二人の邂逅にあった。
客室に通されて早々、リリーナが口を開いた。
「案内ありがとう御座いました。ところで、ガスタード辺境伯様と本日面会することは可能でしょうか?」
「旦那様は領地で仕事がありますから、こちらへはいらっしゃっておりません」
「そうなんですね……リーザリア様を溺愛していると聞いていたものですから、てっきりいらっしゃるとばかり……」
「残念ですが……何かお急ぎの用でも?」
「いえ、リーザリア様の学友及び警護に就くことで、我が領に援助していただけることになりましたので、そのお礼をと……」
リリーナは御家事情を隠すつもりがないらしく、はっきりとそう告げた。
「その必要はないかと思われます。対価を得てお互いの利益になればと、旦那様は考えられておいでのようですから」
「そうなんですの……それなら現在この屋敷で一番偉いのはリーザリア様でいらっしゃいますの?」
「いえ、リーザリア様の母君で在られるマリーナ様です」
「それならマリーナ様に是非お会いしたいわ」
「リリーナ様、急に押し掛けてあれこれ口にするのは非礼になりますのでお止めください。特に上位貴族家では、働かれている皆さまの心象がそのまま御当主の心象となることもあるのですから……」
「……私……申し訳ありません」
「いえ、謝罪は不要です」
セバサがそう口にした時、レインはリリーナが一瞬だけ微笑んだ気がした。
レインはそれを見ながら、リリーナの纏っているのほほんとした雰囲気は擬態である可能性が高いと感じていた。
(頭がいいのか? それとも計算高いのか? これがただの自分本位の人間だったらそれなりに対処の仕方もあるのだが、護衛としてリーザリア様の側に付くのは些か危険だな)
そういえばと、レインはケイオスの姿を探したが、どこにもいなかった。
二人を客間へ案内している隙に面倒になって逃げ出したようだった。
そんないつの間にか姿を消したケイオスを気にすることもなく、レインはセバサから一つ命令を受けることになった。
「レイン、マリーナ様の準備が整ったら呼びに来る。それまでお客様のもてなしを任せる」
レインにだけ聞こえるようにセバサが囁くと、客人であるリリーナと老執事に挨拶をしてから部屋を出ていった。
レインはいきなりのことで少しだけ焦ったが、相手は学友ではあるが同じ護衛とその付き添いの執事だ。
何も慌てることはないと判断し、とりあえず二人にお茶を提供することにした。
「馬車の中で過ごされていたとしても、朝はまだ冷えたのではないですか? 直ぐにお茶を入れさせていただきます」
レインはセバサから、リーザリアが学院でお茶を飲みたくなったら直ぐに用意が出来るように、肩掛けタイプの魔法の鞄を譲り受けていた。
この魔法の鞄は見た目よりもかなりの物量が入るしくみになっている。
時間が停止したり、生き物が入れられないような制限はあるものの、とても便利であることには間違いなかった。
ただ中に入っているのは各種茶葉と茶請け、ティーセットなので、レインが望む使い方が出来ていないのが現状だ。
何にせよレインは魔法を使って空中の水分を集め、次に沸騰させ、適温になるよう除々に温度を下げていき、ある程度空気が入るようにイメージを固めた。
そしてティーポットで茶葉がきちんとジャンピングするように、魔法で出来たお湯を注いでいった。
渋みが出てしまわないように茶葉を観察しながら、最高の瞬間にティーカップへと注いでいく。
そしてリリーナと老執事にレイン流のお茶を茶請けとともに提供した。
リリーナも老執事もレインの魔法制御に驚愕しながらも、淹れてもらった茶を口に含んだ。
「「美味しい……」」
二人の声が重なった。
「お口にあったのなら幸いです」
レインはその言葉を聞いて微笑むと、少し頭を下げてお礼を口にしたのだ。
「レイン君って言ったよね? 平民なんでしょ? ライバード王国学院を卒業したら、執事兼騎士として私に仕えてくれない。ねっねっ」
レインは擦り寄ってくるリリーナに困り老執事に顔を向けるが逸らされてしまう。
「申し訳ありませんが、ライバード王国学院を卒業するまで先のことは考えないようにしています」
レインは角を立てないようにやんわりと断ることにした。
「それなら私の提案もチャンスがあるってことだよね?」
しかし全く人の話を聞く気がないのか、それともポジティブなのか、諦めるという言葉を知らないようだった。
リリーナに腕を引っ張られながら早速面倒ごとに巻き込まれたと思った瞬間、客間の扉がノックもなく開いた。
そこに現れたのがリーザリアだった。
「……レインに何をしているのかしら?」
そして第一声から怒っていることが分かった。
「あら、もしかしてリーザリア様でいらっしゃいますか? 私はリリーナ・フィオレンスと申します。学院ではリーザリア様のお側でリーザリア様のサポートをさせていただきます」
リリーナは全く意に返さずに淡々と自己紹介を済ませた。
「……必要ないわ。レインがいれば十分だもの。それよりレインのことを引き抜こうとしていたのかしら?」
レインは女子寮には入れないことを伝えようか迷い、そのことを言うのは控えた。
きっと火に油を注ぐ結果になることが分かっていたからだ。
「はい。とても有能みたいなのですし、ガスタード辺境伯も完全には取り込んでいないご様子なので、ライバード王国学院を卒業後に来ていただこうかと」
「そんなことはさせないわ。レインは私の従者でライバルだもの。何処にも行かないわ」
「それはライバード王国学院の生活次第ではないですか」
二人の間に何故か火花が見えているのを、レインは錯覚だと思いたかった。
「あらあらリーザ、お客様を連れてくるじゃなかったの? 貴女がリリーナ・フィオレンスね。この娘の母でマリーナ・ガスタードよ。挨拶も兼ねてご一緒に朝食でもいかかしら」
リーザリアの母であるマリーナが二人の間に入り、レインを巡る攻防は一旦終息を見せた。
マリーナはリーザリアが人見知りをしてしまうのではないかと思っていた。
しかし蓋を開ければレインのことがきっかけで、自分の考えていることを伝えることが出来る相手と巡り会えたことに安堵するのだった。
そして冒頭まで戻り、リーザリアはリリーナを警戒しているのだった。
「リーザ、食事の前にリリーナさんに自己紹介をしなさい」
「……リーザリア・ガスタードよ。趣味は読書とレインの外のお話を聞くことよ。学友としてよろしくお願いするわ。でもレインにちょっかいを出すのは許さないわ」
「リーザリア様、よろしくお願い致しますわ。ですが、ちょっかいとは人聞きの悪い。人材確保、スカウトですわ。優秀なガスタード辺境伯と違い、私の代で頑張らなければ、フィオレンス家は存続出来なくなる虞があるのですから」
水と油のような二人には、性格以前に格差による反発があるように感じていたが、セバサはレインに全て丸投げするつもりらしく、一つの命を下す。
「明日の入学式までにお二人の関係を良好なものへと変え、マリーナ様が安心してリーザリア様を学院へ送り出せるようにするのだ」
そのあまりに難題にレインは頭を抱えるが、とりあえず細かいことは考えないで、やけ食いすることにした。
食事が始まった時は笑顔を浮かべるリリーナだったが、食事が進むにつれ口数が少なくなり、笑顔が消えていった。
そしてリーザリアにレインのスカウトの撤回を告げることになった。
「リーザリア様、レイン君をスカウトしていた件ですが、誠に勝手ですが諦めることにします」
「急にどうしたのかしら?」
「……あれだけの量を毎食食されるのであれば、うちはさらに財政難へと陥ってしまいますわ」
「そう。それなら仲良く出来そうだわ」
「……もし良かったら、他の人材を紹介していただけませんか?」
「家のことは分からないけど、学院を卒業したらセバサに聞いてあげるわ」
「ありがとうございます」
リリーナの盲点はレインが自分で狩りをしているので、実はそこまで食費が掛からないこと、そして魔獣を狩れる実力があり、本来は経済的に潤す存在だということを知らなかったことだ。
もう少ししっかりとレインのことを調べていれば、きっと話は変わっただろう。
リーザリアがそれをわざわざ説明する訳もなく、レインの知らぬところで、いつの間にか水と油が混ざっていることにレインが気づくのは食事が終わってのことだった。
リーザリアとリリーナは良好な関係を築けそうな雰囲気となり、王国学院に入学した後のことや特技について話すようになり、マリーナもそれを微笑みながら見守ることになった。
そしていよいよレイン達の学院生活が幕を開けることになる。
お読みいただきありがとうございます。




