4 強者の姿
2014年3月11日改稿。
国王専用の書斎室にて、やたらと真剣な顔での話し合いがなされたその翌日には、すでに事態は動いていた。というのも……
『――王国の北にあるとある森で、最近その森には存在するはずのない強力な魔物が居座っており、近隣の村人たちが怖がっている。
しかし、どうやらその森に居座っているのは魔物たちだけではないようで、数人の村人たちが、森へと入っていくあやしげな魔法使いを数人、見かけたらしい。
本来は魔物の脅威から考えても、騎士団一つをまるまる動かして調査をしなければならないところだが、幸運にも今この王城には、かの名高き《賢者》がいるではないか。
いくら騎士団といえども、強力な魔物との戦闘では犠牲者の数は少なくはないであろう……ものはためし、と宰相が相談をもちかけ、なんと《賢者》はそれに協力しようと言ってくださった。
かくして、数名の守護騎士と共に、《賢者》は王国の北へと向けて、出発したのであった――』
そう、後で貴族たち語る“説明”通りに、クロスがことを運んだから、である。
当然の如く、“説明”という名の、実際は今抱えている二つの問題を一石二鳥で解決しようという腹黒宰相の“筋書き”を聞かされたイズレンディアは、無言でいつもの微笑みをうかべた。
昨日のうちに口を挟んでおけば良かったと思う一方で、まぁ魔物退治ならいつもしていることだから……と考え、結局は何も言わずに、おとなしく彼の掌の上を歩くことにしたのである。
気をつけてくださいね、お師匠様! というルーミルの声にうなずいたイズレンディアは、青いマントをはためかせる守護騎士が囲む馬車へと、相変わらず緊張感のない様子で乗り込んだのだった。
馬車にゆられて三日。
イズレンディアがたどり着いたところは、多くの樹木がしげる、深い森であった。
「……」
近隣の村に馬車をあずかってもらい、ゆったりとした歩みでここまでやってきたイズレンディアと五人の守護騎士は、眼前にあるその森に確かな違和感をいだき、無言のままそろって眉をしかめた。
「《賢者》様……」
イズレンディアの後方にひかえる守護騎士の一人が、緊張した声音で彼を呼ぶ。それに、微笑みをごく自然に美貌へと戻したイズレンディアは、静かに彼らへと向きなおり、言葉を紡いだ。
「えぇ。――確かに、ここで何かが起きているようですね」
そう語る彼の姿は、一見、やはり今までと変わりなくのほほんとしているように見える。が、守護を専門とし、必然他者の動きを観察することに長けた熟練の騎士たちは、さすがに変化に気付いたようであった。
今、彼らの目の前に立つ、その姿。
そこに、一切の隙がないのだ。
今ならば、たとえ後方や上方から無音で襲撃されたとしても、あっさりと魔法で防ぎ、あるいは迎撃してみせることだろう。
魔法にはあまり詳しくない騎士たちにさえそう思わせるほど、この“戦場”に立つイズレンディア姿には、洗練されたものがあった。
思わず、無言で視線だけ交し合う彼らに、その意味を察したイズレンディアは、英知が宿る瞳を細め、珍しくも、どこか挑発的な笑みをうかべて言った。
「私は《賢者》である前に、長き時を生きる魔法使いです。“戦場”でなら、そう簡単にはやられません。……その点は、安心してもらってもかまいませんよ?」
最後にはきっちりといつもの柔らかな笑みに戻すあたり、やはり彼の本来の姿はそちらなのだろうが、直接先ほどの言葉をむけられた守護騎士たちにとってはむしろ、いつもの姿のほうが偽っているもののように感じられた。
「はっ! 我ら守護騎士一同、せめて足かせにはならぬよう、励む次第にございます!」
見事にそろって直立不動の姿勢を示し、そう声を上げるその兜に隠された顔には、ぬぐうことのできない冷や汗がうかんでいた。
――誰だ、この方を《賢者》なのか? などと疑った不届き者は! どう考えてもそれ以外の何者でもないだろう!?
そう叫びたい衝動を抱えているのが一人ではないあたり、相当なものであった。
……最も、それほどに普段の時との差があるということは、逆に言えば、普段はそれだけ気を抜いている、ということでもあるのだが……。
しかし、れっきとした《賢者》足りうる姿を目の前にしている彼らでは、そこまでの発想にいたる余裕はなく、そして、その時間も与えられはしなかった。
「!」
いまだに固まったままでいる守護騎士たちに、一転して優しげな微笑みをうかべていたイズレンディアが、突如、その深い緑の瞳を見開き、次いで勢いよく後方を振り返った。
次の瞬間――ざわり、と森の木々が不自然にざわめき始める。
それは、まるで森の木々たちそのものが、何かを恐れているかのように……あるいは、こちらへと警告をうながすかのように、規則正しい音を響かせ続ける。
「これは……!」
素早く盾を構え、臨戦態勢をとった守護騎士に対し、エルフたる証であるその長い耳をぴくりとゆらしたイズレンディアは、この場では彼にだけ聞こえる“隣人たち”の声に、そっと問いを重ねた。
「――教えてください、隣人たち。貴方たちを恐れさせる存在は、どこにいるのです?」
途端に音の鳴り方が変わる。
それは、驚くほど近くの木々の葉がざわめいた次の瞬間には、少しだけ遠いところの木々の葉がゆれ、次はまたもう少し遠く……と、その声がきこえない守護騎士たちでさえ、イズレンディアの言葉に応えた木々たちが、場所を示してくれているのだと分かるものであった。
「ありがとうございます。――行きましょう」
くれぐれも、私より前には出ないでくださいね、と念をおすイズレンディアの言葉に、一応といえども、本来はイズレンディアを護るためにと同行した守護騎士たちはしかし、そろって深くうなずいた。
元々、ここにいるという魔物は騎士団をそのまま一つ動かさなければ倒せないような相手である。元より無理をすることは、『正直私でも何をしでかしてくださるか全く想像がつかないので』という理由によって“監視”という意味合いも含めた同行を彼らにさせることにしたクロスからも、禁止されていたのだ。ここは素直に従うべきであった。
それを見たイズレンディアが小さくうなずきを返してから足を進めるのに、言われたとおり彼の後ろへと従う騎士たち。
すぐに突入した森の中は、思った以上に暗く、しかし彼ら植物の隣人であるエルフが先頭にいるためか、不思議と足場は悪くない。
一行は順調に歩を進め、とある場所でふと、その足を止めた。
「……音が止まった?」
守護騎士の一人が小さくこぼした言葉に、その他の守護騎士たちが現状の意味を理解した。
――つまり、到着、である。
「――」
誰もが無言のまま周囲の様子をうかがい、守護騎士たちがなるべく音を立てないようにゆるい半円形へと立ち位置を変え、盾を構えた、その時。
「っ!?」
守護騎士たちの目では、出てくる瞬間さえとらえることの出来なかった漆黒の巨体が、それぞれ六人の眼前で、六人を包み込むようにして展開された水色の結界によって動きを止められていた。
息をつめた守護騎士たちの思考が、今の状態――つまり、例の魔物たちが襲ってきた瞬間に、イズレンディアが無詠唱で結界魔法を張り、全員ことなきを得た――ということを理解した次の瞬間には、その巨大な、人のように立ち上がった狼の魔物たちが結界から飛びのき、こちらを囲うようにして戦闘体勢を整えていた。
その動きはまさに、邪神によって生み出されし魔物のもの。
速さだけを考えたとしても、正直騎士団一つで片がつくとは、到底思えないと守護騎士たちは感じた。
仮に一つの騎士団のみで片をつけなければならなかったとするならば、出てこなければならないのは間違いなく彼ら守護騎士団ではなく、騎士団の中では特殊な存在とされる魔法特化の騎士、魔法騎士団であろう。そのほとんどが剣も使える魔法使いで構成される、黒いマントを背に流し、騎士たちの中では最も軽装の鎧をまとう彼らならば、あるいは、この魔物たちを足止めし、仲間たちの身を守りながら、最後には倒せるのかもしれない……。
と、イズレンディアと魔物たちが互いを静かに観察する中、予想外の魔物の強さに思わず若干思考が別の方向へと飛んでいた守護騎士たちは、しかし唐突に発せられたイズレンディアの言葉によって、現実へと引き戻された。
「――やはり、この魔物たち自身が“黒幕”と言うわけではないようですね」
「……? どういうことですか?」
魔物へと向けたその深い緑の視線をそのままに、納得したような声で語られたその言葉に対し、守護騎士の一人が反射的に問いかけた。
いまだにこちら側の様子をうかがったままその場を動かない魔物たちの動きをしっかりと視界に納めつつ、ゆっくりと後退し、イズレンディアへと身を寄せてきた守護騎士たちに、一つうなずいたイズレンディアは、この状況でさえ崩れない微笑みをたたえたまま、その疑問に答えた。
「近隣の村人さんたちが言っていましたよね? この森には、魔物だけではなく、あやしげな魔法使いもいる、と。おそらくその方たちが、この魔物たちを動かしているんですよ」
まぁ、正しくは魔法でむりやりこの地にとどめているだけであって、従えているわけではなさそうですが……と続いた言葉には、魔法使いではないからよく分からないと首をかしげた守護騎士たちであったが、前半の言葉には、やはりあやしげな魔法使い達が関与していたのか、と苦い顔をした。
「ならば、今回の調査ではその魔法使い達のことを調べなければなりませんね」
静かに、確認の意を宿して告げた守護騎士の言葉に、ゆるりとうなずいたイズレンディアは、しかし、と言葉を続けた。
「仮にも魔法使いであるならば、簡単には捕まってくれないでしょうね。私も、残念ながら調査関係の魔法はあまり得意ではありませんし……」
ですので、とさらに続く言葉を耳にした守護騎士たちは、確かに、その身に一瞬冷たいものが走ったことを、感じずにはいられなかった。
「今回は、この確かな脅威となる魔物たちを、きっちりと倒した、ということで……納得してもらいましょう」
その言葉を発した次の瞬間、イズレンディアはいっそう鮮やかな笑みをうかべて、すっと右手を胸元へとかかげた。
刹那、彼らと魔物との間にある空間に、淡い紫色を放つ円と、同色の文字によって構成された魔法陣が、次々と展開される。
「!?」
突然の魔法陣の出現に、敵味方共に息をのむ中、ただ一人、それを体現させた魔法使いだけが、静かに内なる魔力を開放して行く――。
それは、酷く幻想的なさまであった。
まるで自らを世界へと体現してみせた魔法使いの、その魔力の高まりに合わせるかのように、徐々にその色を濃くしてゆく魔法陣に囲まれ、風のないこの場にてその鮮やかな明るい緑の髪とまとう服をうかせる、美貌のエルフ。
魔物でさえも、思わず見とれるかのように動きを止め、視線を固定する。
――が、しかし、その美しさの本質に気付いた瞬間、それらは文字通り、目にもとまらぬ速さで、脱兎のごとくその場から駆け出した。
……それらは本能的に知っていたのだ。強力な魔法ほど、その姿は美しいものであるのだと。
だが、この魔法を体現させた魔法使い相手では、少しばかり、気付くのが遅すぎた。
「な!? しまっ」
驚愕と共に、思わずその後を追いかけようとした守護騎士たちは、生まれて初めて、“魔法”と呼ばれるものの、その真髄を垣間見た。
「大丈夫ですよ」
その言葉と共に、さっとふるったイズレンディアの腕の動きに合わせ、まばゆく輝く魔法陣から、一斉に魔法が放たれ――紫に見えたその細長い光が飛んでゆくのを見送った瞬間には、騎士たちの耳に、魔物の断末魔が届いた。
イズレンディアが発動した、強力な魔法。それは、雷の上級魔法であった。
紫に輝く魔法陣から放たれたのは、紫電。自然の驚異たる落雷を、思いのままにあやつるその魔法から逃げられる者など、そうはいまい。
「ほら、きちんと当たったでしょう?」
ほわほわとした雰囲気と笑顔をうかべてそう語るイズレンディアの言葉に、守護騎士一同はどこかぼうぜんとした様子で、首を縦にふった。
――理解は出来ても、納得が出来ない。
彼らの心境は非常に複雑で、しかし、今自らの目の前にいる存在が《賢者》足りうる存在だということだけは、嫌というほど納得してしまっていた。
もし、イズレンディアが常時この“戦場”にいるときのように、穏やかでも、油断も隙もない完成された雰囲気をまとっていたのならば、彼らの心境もすんなりとまとまったであろうに……。
いずれにせよ、やるべきことは果たした。
今回の最大の目的は、正しく、強力な魔物という脅威を取り除くことであったのだから。
しかし、最大の目的は果たせたものの、この件に正式に片をつけるには、魔物たちを森へとどめていた“黒幕”であろうあやしげな魔法使いたちを見つけねばならず……。
これよりさらに二日をかけて森を捜索したものの、先のイズレンディア自身の言葉通り、彼の魔法をもってしても、魔法使いたちを見つけることは、ついにかなわなかった。
これ以上は時間の問題もあり、仕方なく調査を切り上げ、再び三日をかけて王城へと戻ってきたイズレンディアと五人の守護騎士たちの報告に、クロスは若干その水色の視線の冷たさを増させた。
結局のところ、本当に実力ある魔法使いであることがわかっただけで、森の件の完全な解決にはいたらず、かつ、それに並行するように《賢者》問題の件の改善もまた、あまりみこめそうにないという結果に終わったのだった。




