― 店長さんと私 ― happiness is there
「いらっしゃいませ、こんにちは。」
―今日も優しい笑顔。店長はいつも変わらない…。
「久しぶり、ですね。今日は何にしますか?」
―目じりを下げてちょっと寂しそうに笑う顔も私には効き目があるってわかっててやってるんだろうか。
「…そんなわけないか。」
「え?」
「あ、いえ。…チーズタルトとコーヒーでお願いします。」
そう告げると店長は笑顔でキッチンの方へと歩いて行った。
その後ろ姿を見つめて思う。
―好き、だと。
早く告げてしまえばいいのに、なかなか告げられない。
臆病な私。
私だって、沙良みたいに勇気を出さなきゃいけないのに…。
私が好きな人はここ喫茶店ボヌールの店長さん。
20代後半で優しい雰囲気の笑うとたれ目になる大人な男の人だ。
それに比べて私は高校3年生の子供だ。
相手にしてくれるはずなんてない。
少しずつ気がつかないうちに好きになっていた。
友達とだけではなく一人でも来るようになるほど
ケーキにも、店長にもはまっていた。
「お待たせしました。ケーキセットのチーズタルトとコーヒーです。」
「…いい匂い。美味しそう。」
コーヒーの香ばしい香りがして思わず顔がほころんだ。
「ありがとうございます。今日はおひとりですか?」
「はい、沙良は最近忙しくてなかなか私と遊んでくれないんですよ。」
「忙しい、とは。もしかして、彼氏でも出来ましたか?」
「はい。…幸せそうで私まで嬉しくなっちゃいますよ。」
「そうでしたか。」
親友の沙良はつい最近好きな人と結ばれた。相手の人はちょっとわけありだったから付き合うまでが大変だった。高校を卒業するまでは付き合っていることを公には出来ないし、いろいろ二人を阻むものはある。それでも、沙良は幸せそうなのだ。
隣に入れるだけで十分だと。
「…ですか?」
「え?すみません聞き取れなくて…」
「…紫苑さんも、あまり来てくれなくなりましたよね?」
「そう、ですか?」
「ええ以前よりも。お忙しいですか…?」
「そんなことないですよ…。」
忘れたかった。ここに来なければ会わないから忘れられると思っていた。
でも忘れられなかった。
笑顔が、声が、浮かんできて。
日に日に想いは増すだけだった。
結局、私はこの人を好きなままだった。
だから諦めようと思った今回で最後にしようと。
全て終わらせようと。
「あの、私…」
「紫苑さん」
私の言葉を遮るように店長さんは言う。
「また来てください。待ってますから。僕は。…いつでもあなたを。」
曇りのない目で、まっすぐな言葉を私に告げた。
「店長、さん?」
「僕はあなたと他愛もない話で過ごす時間がとても好きです。楽しくて穏やかで。紫苑さんが来てくれると嬉しく思います。
…だから、離れて行かないで」
「っ………」
この人は何を言っているんだろう。
まるで、これじゃまるで…
「それって…私、それじゃ勘違いしてしまいそう、です。」
声が震えそうになる。
「…あなたの感じたままでいいんです。僕の言っていることはずるいかもしれません。…でも、これが僕の気持ちです。」
私はただただ見つめることしか出来ない。
けれどもそれじゃ駄目だと店長さんの目が伝えてくる。
答えを、私の気持ちを、求められている。
「好き…好き、なんですっ…会わない間も店長さんのことばかり考えて、苦しくなって、忘れたくてっ。なのにっ…
どうしようもなく、あなたが、好きなんです…ずっと、ずっと」
こんなつたない言葉でしか告げられない。
今の私の精一杯の気持ち。
「ありがとう…。そしてこんな形でしか君を繋ぎとめれないずるい大人でごめん。僕は君より年上なのにずっとずっと臆病だ…」
「そんな、こと…」
「いつか君がここへは来なくなるんじゃないかってずっと思っていた。君はまだ若いから…。たくさん行くところが、たくさんの道が。君が来ない間、僕は君のことばかり考えていたよ。どうやって繋ぎとめればいいのか。もう一度、君がここへ来てくれないかと。」
「君のことが好きだ。…君を幸せにしたい。」
この人と幸せになりたい。
ただ純粋にそう思った。
目を閉じれば幸せな未来を描ける気がするから。
その名の通りの喫茶店、ボヌール。
ここで私はたくさんの幸せをもらった。
そしてこれからも…
たくさんの幸せをもらうことだろう。
笑顔の素敵なこの人から。