すっぴんの方が可愛い←本当?
農業体験に行った時のことである。
「化粧なんてしなくたってかわいい!なんならあんなことしない方が可愛い」
1人の言葉ではない。その場にいた地元の人が、下は40代から上は80代まで口々にそういった。
私はその時、日焼け止め以外何もしていなかった。化粧に抵抗感があるからではない。
朝がめっちゃ早かったからである。
確かに、お手伝いをしていた場所は山に囲まれた空気の美味しいところで、みんな汗だくになりながら無心で作業して、区切りがついたら採れたて野菜で作った美味しい料理を囲むようなところで、ここで「化粧をする意味」はないかもな、と思った。
私にとって化粧は「武装」である。初対面の人やすれ違う他者に少しでも好感を持ってもらい、よくしてもらうための身だしなみ。実際に効果測定をしたわけじゃないから声を大にしていうことはできないけれど、体感としては「違う」とだけいっておこう。
だから、少し衝撃だった。化粧をすることで自他ともに利益が生じると思っていたから、こんなにも嫌がる人がいるとは思わなかったのだ。
同時に、眩しかった。正直、化粧を毎朝するのは面倒だし、自分に合う化粧を学び、毎月のように新しい化粧品を買うのはコストが大きい。しなくていいならしたくないと思っている自分がいることに気づいた。
大阪に帰ってきた。
今、私はファンデーションを塗り、チークをつけ、アイラインを引き、口紅を塗っている。
まだ都会ですっぴんを晒す勇気が出ないのだ。すっぴんの日はマスクをし、帽子を被ったり眼鏡をかける。
一度だけ、すっぴんで何もつけずに梅田に行ってみた。すごく怖かった。
誰かに意地悪をされたとかそういうことではない。都会の他人は干渉してこない。
そうではなく、素顔を晒していると、都会に溢れる「目的」に対してあまりにも無防備な気持ちになったのだ。道に所狭しと並ぶ看板や広告が視覚的キャッチを仕掛けてくる。
お姉さーん、今日は何する?ショッピング?映画?もしかしてご飯?この先に美味しいところあるよ〜!
何食べたい?カレー、中華、定食、あ、もしかして昼呑み探してる?まじで運いいよ〜、今ならハッピーアワーでレモンサワー半額!空席もあるから、ほらこっちこっち!
誠にうるさい。化粧をしているときは目鼻立ちが強調されて意思が強そうな顔になれる。でもすっぴんの時の私は世間知らずの中学生である。睨みつけても全く怖さがない。カラフルで刺激の強い景色に、自分の輪郭が溶けていくのを感じていた。
ただ、化粧をしていれば自分に自信が持てるとか、なりたい私に慣れているという自己肯定感に繋がるとか、そういう話とは少し違う。私にとって化粧はあくまで、プールで水着を着たり、登山で登山靴を履くのと同じ、「装備」なのである。
だから、「すっぴんの方が可愛い」という言葉にも大きく頷くことはできない。それは普段の洋服よりも水着の方が可愛いとか、登山靴の方がいけてる、とかと同じに聞こえるからである。時と場合によりすぎている。
化粧とすっぴんについての私なりの見解をお伝えした上で、最近驚いたドラマ作品を二つ紹介したい。
まず一つ目、みなさんは「Tシャツが乾くまで」をご覧になっただろうか。味わい深い物語、ありえないのにありえなさすぎて逆にいるかもと思わせる設定、美しい色彩構成、語ることは多くあるが、私が終始驚いていたことが一つある。嫌な気持ちになる人もいるかもしれないが、よく前提を踏まえて聞いてほしい。
蒼井優さんほぼすっぴんなのに都会に埋もれないってどういうこと?
綺麗である。それはもちろんなのだが、海辺にいた時も、東京の職場にいても景色に違和感が生じず、「ここに、こういう人、いるかもな」と思わせる説得力がある。なんで?わかる人いたら教えてください。
次に二つ目。最近Netflixで中国ドラマを見るのにハマっている。そのうち「逐玉」という作品がある。ご覧になっただろうか。すごく大雑把なあらすじとしては、農村に年の離れた妹と2人、肉屋を家業として暮らしている超絶美人が帰宅途中に超絶イケメンを拾い看病をする中で恋仲になる話である。舞台は随が出てくるぐらいの古代中国。当然今とは化粧の概念が違う。しかし!主人公の女優さんはえげつないくらい美人でえげつないくらい現代の化粧が施されている。ビューラーのない時代なのに、まつ毛は清々しいくらい天を向き、唇はゼリーくらいプルプルで内側が濃く外側が薄くなるようなグラデーション付き、眉毛はサッカーグラウンドの芝生並みに整えられ、アイシャドウもバッチリである。この女優さん(ティエン・シーウェイさん)が笑ったり困ったりするだけで国家予算が動きそうなぐらい、綺麗である。ただ、肌も髪型も整いすぎて、絶対当時の農村にはこのヘアメイクをできる人いないだろ!という面白さがたまにやってくる。気になりすぎて当時の化粧を調べてみた。変面師のお面であったような気がする顔だった。
二つの作品を通して、私は化粧を装備として捉える他に、環境に馴染むことをすごく大切にしているんだなと気づいた。目立つような美しさのためではなく、どうすればその場にいて「バレないか」である。スパイみたいな発想だが、一番的確な表現である。
景色に馴染みつつ、自分の意思も保つ。
その微妙なバランスを保つという意味で、化粧は私を助けてくれている。




