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汚物

作者: 水戸屋虜
掲載日:2026/03/07

諸君らは、大便期のフチについた尿飛沫に、どういう感情を抱くだろうか。


男子トイレには、小便器と大便器があるが、女子トイレには大便器だけが設置されている。

そして、これは男子トイレでも有り得ることかもしれないが、大便期のフチに、たまに、誰か私の前にこの大便器で用を足したであろう女の、尿飛沫がついていることがある。この大便期のフチについた尿であると思われる液体の水滴を、尿飛沫と言うのが正しいのかも分からないが、私の中では尿飛沫という呼び方がなんだかしっくりくるので、そういう呼び方をすることにする。この尿飛沫は、いったいどうやってこの便器のフチについたのだろうか。用を足してる時に、水面から跳ね上がってついたのだろうか。はたまた、用を足し終わって立ち上がった時に、まだ股についていた尿が雫となってフチについたのだろうか。こんなことを真面目に考えている私はおかしいだろうか。変態だろうか。変態だと思う人もいておかしくないだろう。私は変態と言われて、少し嬉しく感じる。


冒頭の質問に戻ろう。諸君らは、この尿飛沫にどういう感情を抱くのだ。汚い。しょうがない事だから、なんとも思わない。拭いてから出て欲しい。色々、あることと思う。私もできれば、自ら尿飛沫を大便期のフチにつけたことに気づき、拭いてから出て欲しい。言い忘れていたが、ここでの大便器は洋式トイレとさせていただく。ただ、私はあまり、この尿飛沫に関して、汚いという感情を持たない。たしかに、汚いものだとは思う。他人の尿と思われる液体を綺麗なものだとは思っていない。だが、尿飛沫を見てもなんの感情もわかず、ただ黙ってトイレットペーパーで尿飛沫を拭き取り、その大便器に座り、自分もその大便器で用を足すことができる。諸君らもこういう風にしているのだろうか。そもそも、諸君らは尿飛沫と言われて、ピンとくるのだろうか。

少し違うかもしれないが、たまに、流し忘れに遭遇することもあるだろう。商業施設の女子トイレではたまに、すごく混み合う時がある。そういう時は列を作り、空いたところに最前の人が入るという感じになるのだが、たまに、あれ、あそこ誰も入ってない個室なのに、最前の人並んだままだな、という時がある。なぜその個室が空いたままなのか見に行くと、大抵、前の人が自分のを流し忘れている。そして、そういう時に限って、大きい方を流し忘れていることが多い。私は、前の人が流してないからといってその大便器を使わない意味がわからない。自分が流してあげて、その後に自分もその大便器で用を足せばいい話だと思う。他人の流し忘れを異様に警戒し、その大便器をそのままにして、誰が得するというのだ。いや、損得の話ではないのか。きっと損得の話ではないな。潔癖の人は、いやだと感じるのだろうか。私はまったく、潔癖ではない。部屋も、ものすごく汚い。

なるほど、たしかに、私は自分を綺麗な人間だとは思っていない。だからなのかもしれない。他人の尿飛沫を見ても、他人の流し忘れた大便を見ても、何も思わないのはそれらと自分を同等とはいかずとも、自分を汚い人間だと思っているからなのかもしれない。

だが、自分を綺麗だと思う人間はいるのだろうか。私は、私が自分を綺麗と思わないから、わからない。潔癖の人間たちは自分のことを綺麗崇高だと思うから、周りを汚いと思うのだろうか。わからないが、私が自分を汚いと思うのには理由がいくつかある。

まずは、あまり風呂に入らないという点だ。汚いと思った諸君ら、失礼な。失礼極まりないぞ。私はJKだぞ。清潔感はあるはずだ。友達にも、いわゆる風呂キャンを指摘されたことはない。まぁ、バレないからいいわけでないが。周りが不快になるほど、臭い匂いを撒き散らしてもいないはずだ。もしそうだったら、周りからいじめと捉えてもおかしくないいじりをされていることだろう。ワキガでもないし。だが、清潔ではないことは確かだ。流行っているらしいが、風呂キャンセルというのはあまりいいものだとは思っていない。風呂には入るべきだ。だが、風呂に入るというのは非常にめんどうくさい。風呂は好きだ。だが、入る前の準備と、入った後の髪を乾かしたりだののもろもろが、非常に、極めて、めんどうくさい。だから、私は風呂にたまに入らない。入らないといっても、たまにだぞ。夜入らなかったら朝に入る時もある。朝入りそびれて、そのまま登校することもあるが。基本的には、風呂キャンではなく、風呂スキップである。それでも、汚いとは思う。

次に、性格等の面だ。性格も清らかなものではないと思っている。純粋で無垢な人を見ると心底羨ましく感じ、自分が嫌になる。自己嫌悪というやつだ。難しい言葉や四字熟語を使いたがり、頭良いふりをするのも汚い部分だと思う。性格の良い悪いは、家庭環境や、育った環境、育ての親、思春期に関わった人々、などによって左右されると思っている。性格が良い=綺麗、性格が悪い=汚い、という訳では無いとも思うが、世の中はそういうものだろう。良いものが綺麗で、悪いものは汚い。私の父親は不倫をしている。私の父は汚い。汚い父の精巣から出てきた私は、きっと汚いだろう。綺麗な母の中を経由しても、きっと出処が汚いせいで、私はきっと汚いだろう。そう思う。不倫は悪い事だと思う。思うと同時に、私にはいわゆるサレ妻の母の血が半分と、不倫をする父の血が半分ずつ流れている。そう思うと、私には、将来、不倫される確率が半分と、自らが不倫する確率が半分ずつあることになる。もちろん、不倫する気など微塵もない。こんなに嫌悪している父と同類になってしまうのは、非常に、極めて、やだ。いやだ。でも、私には不倫野郎の血が半分流れている。これは事実である。

私は自分を汚いと思う。幼気なJKがこんなことで悩んでいる。これは日本社会の闇だ。由々しき事態だ。そう思う。わからないけど。そう思ってくれる人がいてくれたらいいな。わからないけど。自分を汚物だと認め、生きている。私はきっと誰もの人生の汚点であろう。私のような人間が生きているのは、世のためにならない。誰のためにもならない。

死ぬ勇気がない。本気で死ぬ気がないともいう。でも、死にたい。そういう人間はきっと多いだろう。死にたいと思ってから、いったい、いくつの夜を超えてきたのだろうか。誰かの歌みたいなことを言ってみたが、ほんとにそう思う。口だけ星人だ。でも、死ぬのは痛いし辛い。痛いのは嫌いだ。私がこの世で1番嫌いな触覚が痛みだ。自殺の方法はだいたい、痛いか辛い。練炭とか、首吊りとか、飛び降り、飛び込み、手首を切って湯船に浸けてみたり、オーバードーズしてみたり。日本に安楽死制度ができて、安楽死を人間も選択できるようになったら、死に方を安楽死に即刻決定する。老衰するまで生きていたくはない。それに、老衰する頃には、体の節々、色々なところが、痛みに痛みまくって、色々な持病や病気を抱えていることだろう。それは、辛い。老いる前に死にたいと思う。だが、死にたいと思いながら、でも、でも、言っている私は、結局、病気、癌などに犯されるまで、だらだらと生き続けてしまうことだろう。こんなところも、汚いと思う。


私は、自分のことを、大便器のフチについた尿飛沫と、前の人が流し忘れた大便と思っているのかもしれない。諸君らは、大便器のフチについた尿飛沫を黙って拭き取り、前の人が流し忘れた大便を黙って流し、その大便器で、自らの用を足すことができるだろうか。できるならば、私と、肩を組んで、私を慰めてはくれないだろうか。

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