第5話_名は祝福
――惚れるも何も、俺は赤ん坊だ。
そう自分に言い聞かせながら、俺は小さく咳払いをした。
目の前には、精霊王――いや、今はもう“王”というより、
森そのもののような少女がいる。
月明かりが二つ、霧を淡く照らしていた。
木々の梢では精霊たちがざわめき、葉擦れの音が合唱みたいに重なる。
「名前、ね」
この世界に来てから、ずっと気になっていた。
俺のステータス板には、ずっとこう出ている。
【名前】(未定)
(未定ってなんだよ。アンケート途中か)
それなのに、精霊たちは“名”をやけに重く扱う。
呼び名が変わっただけで空気まで変わる、そんな雰囲気がある。
俺は少女――精霊王に問いかけた。
「なぁ。一応確認なんだけど……名前って、そんなに重要なのか?」
彼女はぴしっと背筋を伸ばし、即答した。
「はい! とっても重要です!」
「即答かよ」
「名を持つということは、その存在が世界に認められるということ。
私たち精霊にとっては、種族としての格が一段階上がります」
「格」
「さらに、名付け親の力が強いほど……
その名は祝福となって私たちを強くします!」
なるほど。
つまり、俺が名を与える。
すると、その精霊に俺の力が刻まれる。
祝福という形で、伸び代まで決まる。
(……思ったより重いな)
軽いノリで「じゃあ君はポチね」とか言ったら、誰かに怒られそうだな。
でも、彼女の目は真っすぐで、期待と覚悟が混じっていた。
「主様が良いのです。主様の名を、力を……私にください」
(言い方が重いんだよ)
逃げ道はない。
俺は彼女の前に立ち、小さな手を伸ばした。
指先が、彼女の額に触れる。
――瞬間。
森全体が、ざわりと揺れた。
風が鳴り、木々が軋み、霧が波打つ。
地面の奥で何かが応えたように、低い振動が足元から伝わってくる。
梢に潜んでいた精霊たちが、一斉にこちらを向いた。
視線が集まり、空気が張り詰める。
(これ、俺が思ってる以上にでかい儀式だな)
でも引かない。
俺は彼女を見上げ、言葉を落とした。
「お前は、森を想い、大地を愛し、仲間を導いた」
不思議と、言葉が自然に出た。
考える前に心が決めていた。
「禁域の森を統べる、真の王にふさわしい名だ」
彼女は息を呑み、微動だにしない。
霧の奥で精霊たちが息を止めた気配がする。
俺は告げた。
「――フィオナ」
名を口にした瞬間、光が爆ぜた。
淡い緑の輝きが彼女を包み込み、森の霧が透けるほどに澄む。
魔力の質が変わる。
薄い霧が濃い香りを持ち、空気が“重く”なる。
と同時に俺の魔力が抜けていくような感覚があった。
フィオナと呼ばれた少女は胸元を押さえ、震える声で息を吐いた。
「……っ、あ……」
「大丈夫か?」
「これが……名……主様の、力……」
周囲の精霊たちがざわめき始める。
歓喜、畏怖、そして確信。
この者に従えば勝てる。
そんな空気が森に満ちていく。
フィオナはゆっくり膝をつき、深く頭を下げた。
「ありがとうございます……我が主」
「いいぞ」
「いや……待て」
俺は苦笑して、自分を指差した。
「その前にだな。実は俺、自分の名前も決まってないんだ」
一瞬の沈黙。
次の瞬間。
「「「――えっ!?」」」
精霊たちの声が、見事に揃った。
フィオナも目を丸くしている。
「主様ほどの力を持つ御方が、名を持たぬなど……!」
フィオナは真剣な表情になって首を横に振った。
彼女は俺の前に跪く。
その姿は王というより、祈り手みたいだった。
「どうか。私に、主様の名を授けさせてください」
名付け返し。
この世界のルールとしては、筋が通ってるらしい。
名を持てば、存在が固定される。
ただの未定から、“俺”が確定する。
(悪い話じゃない)
「分かった。任せる」
フィオナはほっと息を吐き、静かに目を閉じた。
霧が一瞬、止まったように感じた。
彼女は祈るように言葉を紡ぐ。
「森と契約し、大地に祝福されし者。
王を討ち、理を覆す者――」
最後に目を開き、はっきりと言い切った。
「あなたの名は――アルト」
その瞬間。
今度は俺自身に“何か”が流れ込んできた。
体の奥で、形のない輪郭が定まっていく。
熱いわけじゃない。冷たいわけでもない。
ただ、世界が俺を「そういう存在」として認めた感じ。
(……あぁ)
なるほど。
これが、“名を持つ”ということか。
ステータス板が、静かに書き換わった。
【名前】アルト
俺は赤ん坊の体のまま、笑った。
「悪くないな」
フィオナも釣られるように微笑む。
「はい。とても素敵なお名前です――アルト様」
こうして、精霊族は王を裏切り、俺の側に立った。
名を得た精霊王と、名を得た赤ん坊が並び立つ。
禁域の森は、静かに――だが確実に、戦争へ向けて動き出していた。
霧の向こう。
まだ見えない深層で、何かが目を覚ます気配がした。
(……よし。好き放題、始めるか)




