第43話_戦争前夜、静かなる決断
聖教国エルディア軍、前線野営地。
夜の帳が降り、無数の篝火が平原を照らしていた。
五万という兵数は、闇の中でも圧倒的な存在感を放っている。
詠唱の声。
鎧の擦れる音。
魔力が空気に満ちる感覚。
――明日、この軍勢は動く。
「……聖女様」
控えめな声に、アーシャは振り返った。
白を基調とした法衣に身を包み、
空色の髪を夜風に揺らしながら、彼女は野営地の端に立っていた。
「どうしました?」
声を掛けてきたのは、若い従騎士だった。
不安を隠しきれない表情。
「本当に……戦うのですか」
アーシャはすぐに答えなかった。
ただ、遠くに並ぶ兵士たちを見つめる。
(この人たちも……)
それぞれに家族がいる。
守りたいものがある。
神を信じて、ここに立っている。
「……私は」
ゆっくりと、言葉を選ぶ。
「この戦争には賛成できません」
従騎士は目を見開いた。
「ですが……教皇猊下は」
「分かっています」
アーシャは、静かに頷いた。
「だからこそ、私は戻ってきました」
説得は失敗するかもしれない。
それでも、やらずに背を向けることはできなかった。
――しかし。
「聖女アーシャ」
低く、重い声が背後から響く。
振り返ると、そこにいたのは他の二人の聖女と、教皇だった。
「まだ、その考えを捨てていなかったとは」
冷たい視線。
「神託を受けた、と言い張るのもここまでだ」
「明日、我々は異端を討つ」
アーシャは、一歩前に出た。
「神は、兵士たちが傷つくことを望んでいません」
「神を代弁するな」
教皇の声が、ぴたりと切り捨てる。
「神の意思は、我々が示す」
その言葉に、アーシャは理解した。
(……もう、止まらない)
「……分かりました」
それでも、彼女は顔を上げる。
「私はルミナスに刃を向けません」
「何を言う――」
教皇は怒りを露わにするが、被せるようにアーシャが続ける。
「――ですが私は、戦場に立ちます」
「どういうことだ」
「負傷者を救います」
「敵味方の区別なく」
場の空気が、一瞬凍った。
「勝手なことを」
「それが、私の信じる神の意図です」
アーシャの声は、震えていなかった。
「私は、祈りを捨てません」
「人を救うために、神から授かった力を使います」
教皇は、しばらく彼女を見つめたあと、冷たく言った。
「好きにするがいい」
「だが、その選択の責任は自分で負え」
「分かっております」
短く答える。
その背中を見ながら、教皇は吐き捨てるように言った。
「哀れな聖女だ」
――――――
同じ夜。
ルミナス王国、ルミナス大要塞。
要塞の上階からは、遠く平原が見渡せた。
月明かりの下、静まり返る城内。
「配置は完了しました」
クロウの報告に、アルトは頷く。
「兵力一万」
「対する教国軍、五万」
数字だけ見れば、不利は明白だった。
「問題ないよ」
アルトは、あっさり言う。
「無駄な殺しはしない」
「恐怖じゃなくて、力で制圧する」
玉座の間には、ヴァルカスとその配下たちが並んでいた。
「明日は頼んだよ」
アルトが視線を向ける。
ヴァルカスは一礼し、その背後から一人の男が前に出た。
歴戦の気配を纏う、精悍な顔つき。
ヴァルカスが直々に育て上げ、最も信頼を置いている配下だ。
「その下に、七人の将を置く」
「それぞれ、好きにやっていい。だが……」
一拍置いて。
「――殺すな」
場に、重い緊張が走る。
「死者は出さない」
「死なないギリギリで、全てを叩き伏せる」
ヴァルカスの口元が、僅かに歪んだ。
「……随分と、難しい注文ですな」
「でも君たちならできるでしょ」
アルトは、軽く笑う。
「ちょうどいい」
「ヴァルカスの軍がどれだけ力を付けたのか、見せてもらおうかな」
誰一人、異を唱えなかった。
――――――
平原を挟み、二つの軍が向かい合う。
一方は、神の名を掲げる五万の軍勢。
一方は、静かに待ち構える一万の兵。
聖教国軍の中心で、アーシャは祈っていた。
(神様……)
(どうか、明日)
(一人でも多くの命が、帰る場所を失いませんように)
そして、彼女は知っている。
明日、戦場で――
あの王と、再び向き合うことを。
剣と魔法が交錯する、その只中で。
戦争は、もう避けられない。
その結末は――すぐに明らかになるだろう。
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