第36話_はい、準備完了と。
ルミナス大要塞、執務区画。
夜更けの廊下は静かで、遠くの灯りだけが石壁を淡く照らしていた。
その静けさを壊さないまま、扉が軽く叩かれる。
「入って」
アルトの声はいつも通り軽い。
だが、部屋の空気は張っていた。
入ってきたのはミュリエルだった。
「報告です」
差し出された紙束は薄い。
しかし、そこに詰まっているのは金と人の匂い――そして悪意だ。
クロウが受け取り、目を滑らせる。
「……やはり」
ミュリエルが淡々と続けた。
「グラント商会の資金が、ギルド周辺の複数の仲介を経由しています。
買収対象は三つ。
“事故役”の冒険者、
“証言役”の商人、
それと、ダンジョン内部で衝突を煽る案内人の類です」
アルトは机に肘をつき、少しだけ眉を上げた。
「露骨だね」
「露骨です」
ミュリエルは肯定した。
「ただし今回は、そこまで雑ではありません。
噂の段階と違い、今回は『実際に起きたこと』に見せかける設計です」
クロウが静かに言う。
「つまり――“事故”ではなく、“事件”を作る」
「はい」
ミュリエルの声は平坦で、そこに恐れはない。
むしろ、結論が出た作業報告のようだった。
(陰の悪事は、彼女にかかればすぐ露見する)
アルトは改めてそう思う。
派手な力ではない。
だが、国を守る上で一番厄介な敵――“見えない手”に対して、ミュリエルほど頼れる者はいない。
「いつか分かる?」
アルトが聞く。
「明日のようです」
「なるほど」
アルトは軽く頷き、机の端に指を置いた。
「じゃあ――予定通りだね」
クロウが問い返す。
「予定通り、とは?」
アルトは笑った。
「相手が“事故を作る”ってことはさ、
こっちは“事故が作れない仕組み”にするだけ」
「……仕組み?」
「うん。証拠が残る仕組み」
アルトは椅子の背に寄りかかり、天井を見上げた。
「ダンジョンって、特産物でしょ。
だったら“品質管理”が必要じゃん?」
クロウは無言で頷いた。
アルトが言う“品質管理”は、普通のそれとは意味が違う。
「入退場、経路、戦闘、取引――」
アルトは指を折る。
「全部、記録してある」
クロウが目を細める。
「……最初からですか?」
「うん。作った時点で組み込んだ」
アルトは悪びれもせず言った。
「だってさ。運営するなら、ログが無いと困るでしょ」
淡々としている。
だが、それが一番怖い。
“事件を作る側”にとって、最悪の相手だ。
ミュリエルが一瞬だけ視線を動かす。
「しかし恐らく証言も、作られます」
「作らせればいいよ」
アルトは即答した。
「言った言わないは水掛け論。
でも明確な記録は嘘をつかない」
クロウが低く言う。
「法と規約は既に整備済みです。
虚偽申告、偽証、買収、暴力行為――
すべて明確に違反として処理できます」
「うん」
アルトは頷いた。
「大事なのは、冒険者を巻き込まないこと」
そこだけ、声が少しだけ落ちた。
「悪意のない者たちにまで被害が出るのは、好きじゃない」
ミュリエルが言う。
「事故で使われる予定の冒険者たちは、全員把握しています。
こちらで事前に保護可能です」
「助かる」
アルトは軽く礼を言った。
「巻き込まれる前に守る。
仕掛けたやつは――」
一拍。
「徹底的に潰す」
言葉は静かだった。
けれど、その場の温度が一段下がった気がした。
クロウが続ける。
「今回の鍵は“誰が指示したか”です。
末端を捕まえるだけでは意味がありません」
「そうだね」
アルトは、机の上の紙束を指で軽く弾いた。
「会頭まで、引っ張り出す」
まるで、当たり前のことを告げるように。
アルトは笑った。
「じゃあさ、こうしよう」
指先が机を叩く。
「相手には動いてもらう。
でも、事故は起こさせない」
「作りかけた瞬間に、証拠だけを残させる」
クロウが理解したように頷く。
「自滅させる、と」
「そう」
アルトは軽く肩をすくめた。
「こっちが殴る必要ないよ。
殴ろうとしてる手を、記録して、固定して、世に出すだけ」
それは、戦いですらなかった。
処理。
そして裁定。
ミュリエルが一礼する。
「引き続き監視を。
動きがあれば即時報告します」
「うん頼んだよ」
彼女が去ると、部屋にはアルトとクロウだけが残った。
クロウは小さく息を吐く。
「……相手は、気づいていませんね」
「気づいてないから、来るんだよ」
アルトは窓の外を見た。
大要塞の灯りは落ち着き、街の灯が遠くに揺れている。
「グラント商会は、金で世界を回してきたんだろうね」
一拍置いて、アルトはいつもの軽い調子に戻った。
「でも――ここは違う」
「この国は、必要なものは自分で作る。
余計なものは、いらない」
クロウが静かに言う。
「では、次に起きるのは――」
アルトは笑った。
「事故じゃない。
“失敗”だよ」
その言葉が落ちた瞬間、部屋の静けさが、妙に気持ちよく感じられた。
準備は、もう終わっている。
あとは――相手が踏み込むのを待つだけだ。
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