第35話_効かないなら、壊せ
グラント商会の本部は、ハルディア王国の中心にあった。
石造りの外観は一見すると堅実な商館だが、
その中で動く金と情報の量は、一つの王国に匹敵する。
副会頭レイヴンは、帳簿と報告書の束を机に広げていた。
噂の流れ、商人の動き、冒険者の入退場――数字は嘘をつかない。
「……効いていないな」
隣に控えた部下が、言葉を選びながら答える。
「はい。確かに一時的に取引を保留した商人は出ましたが、戻り始めています。
冒険者の流入も大きくは落ちておりません。
ダンジョンの稼働率も維持されています」
レイヴンは指で机を軽く叩いた。
「雑に見える動きでも、普通の国なら揺れる。
だがルミナスは――」
紙面の数字に、細い線を引く。
「揺れない。最初から土台が違う」
噂に踊らされる者はいる。
しかし、それ以上に“現場の実利”が強かった。
ダンジョンは稼げる。
冒険者は満足している。
商人は利益を知ってしまった。
「……会頭に報告する」
部下が一瞬、表情を固くした。
「今、ですか」
「今だ」
レイヴンは立ち上がった。
――――――
会頭室は、贅を尽くしているわけではない。
だが無駄が一切ない。
見えるのは、整然と並ぶ書類と、壁一面の地図、
そして机の向こうに座る男の存在感だけ。
グラント商会会頭、ガルヴィス。
彼は顔を上げもせず、淡々と言った。
「で?」
レイヴンは一礼し、報告書を差し出す。
「ルミナス王国への揺さぶりですが、効果が薄い。
噂は流れましたが、稼働率も流通も大きく崩れていません」
ガルヴィスは報告書に目を落とし、数秒で読み終えた。
「つまり」
一言だけ、落ちる。
「失敗だな」
「……はい」
「で、次は?」
レイヴンは息を整えた。
「正面からは拒絶されました。
間接も効きにくい。土台が固い。
なので――もう一段、踏み込む必要があります」
ガルヴィスはペンを置いた。
「まだ“揺さぶり”などと言っているのか」
視線が上がる。
冷たいというより、温度がない。
「効かないなら、壊せ」
レイヴンは、微かに眉を動かした。
「……露骨に、ですか」
「あぁそうだ」
ガルヴィスは当然のように頷く。
「噂は“信じたい者”にしか効かん。
だが事件は違う。誰の目にも残る」
「ルミナスの弱点は何だ?」
レイヴンは即答した。
「評判です。
安全、管理、信頼――それが土台になっている」
「なら、そこを折る」
ガルヴィスは指を一本立てた。
「事故を作れ」
「事故……」
「ダンジョン内で死人が出た。
管理が甘い。運営が危険だ。
そう言える状況を“用意”しろ」
淡々とした口調で、吐き捨てるように続けた。
「冒険者同士の衝突でもいい。
規約違反の取引でもいい。
『ルミナスが止められなかった』という形にしろ」
レイヴンは数瞬、沈黙した。
噂とは違う。
これは一線を越える。
だが、この商会はそういう組織だ。
利益のためなら、線など最初から引かない。
「承知しました」
「もう一つ」
ガルヴィスは指を二本目に立てた。
「証言を買え。被害者を作れ。
ギルドに正式に抗議が届くようにしろ」
「さらに、商人の方にもだ。
『取引停止』をちらつかせろ。
ルミナスの流通が詰まれば、あの王も動かざるを得ない」
レイヴンは胸の奥で、冷たいものが滑るのを感じた。
(早い。決断が…容赦が無い)
だが同時に思う。
(これが会頭だ)
「最後に」
ガルヴィスは椅子の背に軽く寄りかかった。
「これでも動かないなら――」
言葉を切る。
「次は、奪う」
それ以上は言わなかった。
言わなくても分かる。
国を。ダンジョンを。
あるいは王そのものを。
「行け」
命令は短い。
「結果だけ持って来い」
――――――
同じ頃。
ルミナス大要塞の執務区画で、ミュリエルは暗い廊下を歩いていた。
歩幅は小さく、音も立てない。
だがその目は、研ぎ澄まされている。
彼女の手元には、薄い紙束。
表向きはただの請求書の写し。
だが、そこに紛れた数字と署名が示しているのは、別の動きだった。
「……妙ですね」
小さく呟く。
短期間で、金が動きすぎている。
冒険者ギルド周辺。
そして、ルミナスへ向かう物資の出入り。
「噂の流れではない……」
ミュリエルは目を伏せた。
「人を動かす準備です」
彼女は扉を軽くノックし、すっと執務室へ入った。
クロウが顔を上げ、アルトも視線を向ける。
「ミュリエル?」
「報告です」
彼女は紙束を差し出した。
「グラント商会。
次は“揺さぶり”の域を超えています」
アルトの表情が、ほんの少しだけ変わる。
「……大胆に来る?」
「ええ」
ミュリエルは淡々と言い切った。
「事故を作るつもりです。
ダンジョンで、何かを起こします」
ミュリエルは、整った顔立ちのまま、冷たく言った。
「準備が始まっています」
アルトは椅子に背を預け、軽く息を吐いた。
「……やっぱりね」
軽い声。
だが、目は笑っていない。
「じゃあ――」
アルトは指先で机を叩く。
「こっちも、準備しようか」
静かな部屋に、その言葉だけが落ちた。
次に起きるのは、噂ではない。
誰かの人生が、巻き込まれる“事件”だ。
そしてそれは――
金の論理が、表に出てくる合図だった。
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