4. 「戯画」
「ええ!術なきこと!この物どもを縫い留むるには、常の紙にては叶はず。魂を縛る『形』こそ入るなれ!」
(ええい、ままならぬ!こやつらを紙に縫い付けるには、ただの紙ではダメなのだ、魂を縛る『形』がいる!)
その言葉を聞いた瞬間、繕の中である”仮説”が浮かび上がった。 殴って砕く。それは「分解」だ。 紙に閉じ込める。それは「保存」だ。 だが、その間にある重要な工程が抜けている。
怨念で凝り固まり穢れたパーツを、そのまま組み直そうとしても定着するはずがない。 汚れを落とし、アクを抜き、素材本来の純粋な部分だけを抽出する工程。
腰のウエストポーチを確認する。 メス、ピンセット、そして少量の溶剤。現代の道具はこれだけだ。
「あいつは殴っただけではダメだ!穢れを祓わないと巻物に入らない」
繕は叫んだ。
「殴って砕いた瞬間に、俺が中身を『祓う』! その巻物で受け止めろ!」
男はニヤリと笑いつつ、 「この覚猷に指図をなすか。」
(この覚猷に指図するか。)
「よからむ!仕損なはば、諸共に滅ばん!」
(よかろう! しくじったら共倒れぞ!)
男が再び宙を舞う。独鈷杵が唸りを上げ、再生しかけた巨人の頭部を真上から叩き潰した。
ドォォォン! 泥が四散する。その瞬間、世界がスローモーションになった。 空中に漂う無数の泥の飛沫。 その一つ一つに、繕の目は「不純物(悪意)」と「素材(魂)」の境界線を見ていた。 覚猷の一撃に合わせて、繕がその境界線に特殊洗浄剤をぶちまけ、メスで概念上の「悪意」を切り落とす。
「こは、いかに!?あさましきこと……」 (な、なんじゃと!?意外なことに驚いて呆れるわ・・)
男が目を見開く。 醜悪な怪異だったものが、繕の手によって洗われ、透き通った浄化された魂へと還元されていく。 繕は叫んだ。
「今だ! その巻物で受け止めろ!」
「お、おほ! 心得つ!」
(お、おう!わ、分かった!)
男が慌てて白紙の絵巻を広げる。
行き場を失っていた光の球たちは、吸い込まれるように和紙の上へと着地した。 そして――墨が走った。 誰かが筆を執ったわけでもない。 光が紙に触れた瞬間、それは自ら形を変え、紙の繊維に染み込んだのだ。 かつて泥の巨人だった「それ」は、和紙の上で転写されていく、
秋の七草の一つであるススキの穂を捧げ持ち「ハス(蓮)」の大きな葉っぱと「木の枝」をお供え物やお飾りとして準備しているキツネとウサギ、それに「カエル」となって墨で焼き付いた。
怨念も、殺意もない。 ただ、大きな口を開けて、ケラケラと笑っているような、愛嬌のあるカエル。
静寂が戻る。燃える都の片隅で、男と繕は顔を見合わせた。
「……驚きぬるかな。魔を打ち砕くにはあらず、魔を『洗ふ』かと見えしぞ。」 (……驚いたのう。魔を砕くのではなく、魔を『洗う』ように見えたぞ)
男は興味深そうに絵巻のカエルを指でつつき、それから豪快に繕の背中を叩いた。
「我は覚猷といふ。密教の道を行く者よ。……主、名は何と申す。」
(わしの名は覚猷。密教の修行僧じゃ。お主、名は?)
繕は痛む背中をさすりながら、土埃にまみれた眼鏡を直した。
「栂尾……繕です。文化財修復士をやってます」
「ブンカザイ……? 聞き及ばぬ官位( かんゐ)なれど、苦しからず。」
(ブンカザイ……? 知らぬ官位だが、まあよい)
覚猷は独鈷杵を懐にしまい、ニカッと笑った。 その笑顔は、歴史の教科書にある高潔な僧侶の肖像とは似ても似つかない、悪戯小僧のような輝きを放っていた。
「見事なり、繕! 都は、未練を残せし『餓鬼』どもの遊び場ぞ。我が狂言綺語に、しばし付き従へ。」 (気に入ったぞ、繕! この都には、このようなまだまだ遊び足りぬ『悪ガキ』どもが溢れておるわ。わしの道楽に、ちと付き合え)
繕の視線の先で、絵巻の中のカエルが、ちょこんと頭を下げた気がした。 約九百年後の未来で愛される国宝『鳥獣戯画』。 その制作現場が、まさかこんな血なまぐさい場所だったとは。
「……これは、長くなりそうというか帰れるんだろうか」
繕は覚悟を決めたように、深く息を吐いた。メスを握る手に、力がこもる。 荒法師の「法力」と、修復士の「科学」。 二つの異能が交わり、平安の闇を『戯画』へと書き換える―― 千年の穢れを祓う修復劇が、今ここに幕を開けた。




