4 本物の僧侶
「彼の童、いづれの宗ぞ!? 彼の如く理を穿つ問答、山の座主とて語れじ!」
「『本来無一物』……か。修復とは、単に直すにあらず。『垢を削ぎ落とし、有るが儘の相……即ち仏性』を顕はすことなりや」
覚猷はニカっと笑い、自分の頭を叩いた。
「……はっ、一本、参りぬ! 主こそ、まことの僧よ!」
「これより、科学的証明に移る!」
繕は懐からスプレーボトルを取り出し、完全に硬直した怪異の懐へと飛び込んだ。
口数は少ない。
繕が無表情に吹き付けた霧――高純度無水エタノールが、黄金の巨体に吸い込まれていく。
説明など不要。結果がすべてを物語る。
『ギ、ア……? 熱ッ……!?』
黄金と見えていた肌に、亀裂が走る。
まるで乾いた地面が割れるように、輝きが濁り、醜く波打ち始める。
『何ヲ……! 何ヲシタァァァッ!』
「溶解による、塗膜の強制剥離」
繕は低く呟き、竹べらを逆手に持ち替えた。
狙うのは、浮き上がった金箔の際。
微細な隙間。
「失礼。……少し、染みますよ」
容赦のない一撃。
ヘラが深々と突き刺さり、横に薙がれた瞬間、耳障りな音と共に、怪異の「顔」だった部分が、分厚い瘡蓋のようにめくれ落ちた。
『ヒィィイイッ!? 剥ガレル! 我ガ威光ガァァァ!』
その下から現れたのは、黄金とは程遠い、ドス黒く酸化した脂身だった。
虚飾が剥がれ、悪臭が噴き出す。
だが、繕は眉一つ動かさない。
ただ淡々と、次の剥離箇所を目で探っている。
「次。左肩、および胸部」
その姿は、悪霊退治の英雄ではない。
淡々と「不良施工」を撤去していく、冷徹な修復職人の姿そのものだった。
『止メヨ……剥グナ……見ルナ……! 正体ヲ、見ルナァァァ!』
「隠すな! ありのままの自分を見よ!」
繕の手は止まらない。
巨大で醜悪だった体が、みるみる縮んでいく。
やがて、最後の皮が一枚、剥がれ落ちた。
そこに残っていたのは、金色の高僧ではなかった。
薄汚れた、痩せっぽちの「サル」だった。
体には粗末な布切れ一枚。
震えながら膝を抱え、小さくうずくまっている。
「……これが、お前の正体か」
繕はヘラを下ろし、荒い息を吐いた。
権力も、金も、名誉も、すべて剥ぎ取られた姿。
だが、繕の<眼>には、そのサルの胸の奥に、ほんの小さな、しかし確かな光が見えていた。
こいつは最初から悪党だったわけじゃない。
最初はただ、純粋に仏に憧れ、手を合わせたかっただけなのだ。
それが出世競争や派閥争いに巻き込まれ、自分を大きく見せようとするうちに、本当の自分を見失ってしまった。
「己……」
覚猷が近づいてきた。
怒りは消えている。
あるのは哀れみと、同業者としての共感だ。
「経なぞ、誦するに及ばず。 綺羅めく衣なぞ、纏ふに及ばず。只、掌を合はせば…… 其れにて足る。」
覚猷は懐から絵巻を取り出し、広げた。
そこから、一匹の「カエル」が飛び出した。
だが、今度のカエルは相撲も取らないし、走り回りもしない。
蓮の葉の上に静かに座り、目を閉じて、仏のように印を結んでいる。
――カエルの本尊。
人間から見ればふざけた絵かもしれない。
だが、このサルにとっては、どんな立派な金色の仏像よりも、温かく見えたはずだ。
『ウ、ウキッ……』
サルは涙を流した。
そして、力なくカエルの前へ歩み寄り、膝をついた。
長い数珠はいらない。難しい経文もいらない。
ただ、小さな掌を合わせ、静かに頭を下げる。
その姿は、あまりにも敬虔で、美しかった。
覚猷は、静まり返った戦いの跡を見渡した。
そこには、悲しみも、愚かさも、微かな希望も、すべてがあった。
覚猷の声が震えていた。
「此れは……残すべし。戒めとして。亦、祈りとして。」
絵巻が光り、サルとカエルを包み込む。
すぅぅぅ……。
墨が走り、永遠の瞬間が紙に定着される。
カエルを本尊にして拝むサルの僧侶。
後ろには、同じように手を合わせるウサギやキツネたち。
そこには、権威も階級もない。
ただ純粋な「祈り」の形だけが、ユーモアというオブラートに包まれて、そこに在った。
「……覚猷。権威を笑い、本質を描く。あんたなら、将来きっと歴史に残る高僧――『鳥羽僧正』って呼ばれるようになりますよ」
繕は、未来の知識として知っている名を口にした。
だが、覚猷は嫌そうな顔をした。
「止せ、止せ! 不吉な! 僧正などてふ、いかめしき位…… 死すとも御免蒙らん。我は只の『覚猷』。 ……否、然り……」
覚猷はニカッと笑い、描き終えた絵巻をポンと叩いた。
「強ひて言はば…… 『戯れの法師』とでも呼ばれん。
鳥羽の里にて、 蛙と相撲とりて隠れ住
まば、 あな、悪しからず!」
繕(心の声): (……まさに、その鳥羽の地で伝説になるんだけどなぁ)




