表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/29

4  本物の僧侶

 

わらわ、いづれのしゅうぞ!? ごとことわり穿うがつ問答、やま座主ざすとてかたれじ!」


「『本来無一物』……か。修復とは、単に直すにあらず。『垢を削ぎ落とし、有るが儘の相……即ち仏性』を顕はすことなりや」


 覚猷(かくゆう)はニカっと笑い、自分の頭を叩いた。

「……はっ、一本いっぽんまいりぬ! ぬしこそ、まことのそうよ!」



「これより、科学的証明じっしょうに移る!」

 繕は懐からスプレーボトルを取り出し、完全に硬直した怪異の懐へと飛び込んだ。  

 口数は少ない。

 繕が無表情に吹き付けた霧――高純度無水エタノールが、黄金の巨体に吸い込まれていく。

 説明など不要。結果がすべてを物語る。


『ギ、ア……? アツッ……!?』

 黄金と見えていた肌に、亀裂が走る。  

 まるで乾いた地面が割れるように、輝きが濁り、醜く波打ち始める。


ナニヲ……! 何ヲシタァァァッ!』

「溶解による、塗膜とまくの強制剥離」  

 繕は低く呟き、竹べらを逆手に持ち替えた。  

 狙うのは、浮き上がった金箔のきわ

 微細な隙間。


「失礼。……少し、染みますよ」

 容赦のない一撃。  

 ヘラが深々と突き刺さり、横に薙がれた瞬間、耳障りな音と共に、怪異の「顔」だった部分が、分厚い瘡蓋かさぶたのようにめくれ落ちた。


『ヒィィイイッ!? ガレル! 威光イコウガァァァ!』

 その下から現れたのは、黄金とは程遠い、ドス黒く酸化した脂身あぶらみだった。  

 虚飾が剥がれ、悪臭が噴き出す。  

 だが、繕は眉一つ動かさない。

 ただ淡々と、次の剥離箇所を目で探っている。


「次。左肩、および胸部」

 その姿は、悪霊退治の英雄ではない。  

 淡々と「不良施工」を撤去していく、冷徹な修復職人の姿そのものだった。


メヨ……グナ……見ルナ……! 正体しょうたいヲ、見ルナァァァ!』

「隠すな! ありのままの自分を見よ!」


 繕の手は止まらない。  

 巨大で醜悪だった体が、みるみる縮んでいく。  

 やがて、最後の皮が一枚、剥がれ落ちた。


 そこに残っていたのは、金色の高僧ではなかった。  

 薄汚れた、痩せっぽちの「サル」だった。  

 体には粗末な布切れ一枚。  

 震えながら膝を抱え、小さくうずくまっている。


「……これが、お前の正体か」

 繕はヘラを下ろし、荒い息を吐いた。  

 権力も、金も、名誉も、すべて剥ぎ取られた姿。  

 だが、繕の<眼>には、そのサルの胸の奥に、ほんの小さな、しかし確かな光が見えていた。


 こいつは最初から悪党だったわけじゃない。  

 最初はただ、純粋に仏に憧れ、手を合わせたかっただけなのだ。  

 それが出世競争や派閥争いに巻き込まれ、自分を大きく見せようとするうちに、本当の自分を見失ってしまった。


おのれ……」

 覚猷が近づいてきた。  

 怒りは消えている。

 あるのは哀れみと、同業者としての共感だ。


きょうなぞ、じゅするにおよばず。 綺羅きらめくころもなぞ、まとふにおよばず。ただたなごころはせば…… れにてる。」

 覚猷は懐から絵巻を取り出し、広げた。  

 そこから、一匹の「カエル」が飛び出した。  

 だが、今度のカエルは相撲も取らないし、走り回りもしない。  

 蓮の葉の上に静かに座り、目を閉じて、仏のように印を結んでいる。  


 ――カエルの本尊。  

 人間から見ればふざけた絵かもしれない。  

 だが、このサルにとっては、どんな立派な金色の仏像よりも、温かく見えたはずだ。


『ウ、ウキッ……』


 サルは涙を流した。  

 そして、力なくカエルの前へ歩み寄り、膝をついた。  

 長い数珠はいらない。難しい経文もいらない。  

 ただ、小さな掌を合わせ、静かに頭を下げる。  

 その姿は、あまりにも敬虔で、美しかった。


 覚猷は、静まり返った戦いの跡を見渡した。

 そこには、悲しみも、愚かさも、微かな希望も、すべてがあった。

 覚猷の声が震えていた。

れは……のこすべし。いましめとして。またいのりとして。」

 絵巻が光り、サルとカエルを包み込む。  

 すぅぅぅ……。  

 墨が走り、永遠の瞬間が紙に定着される。  

 カエルを本尊にして拝むサルの僧侶。  

 後ろには、同じように手を合わせるウサギやキツネたち。  

 そこには、権威も階級もない。  

 ただ純粋な「祈り」の形だけが、ユーモアというオブラートに包まれて、そこに在った。


「……覚猷(かくゆう)。権威を笑い、本質を描く。あんたなら、将来きっと歴史に残る高僧――『鳥羽僧正とばそうじょう』って呼ばれるようになりますよ」


 繕は、未来の知識として知っている名を口にした。  

 だが、覚猷は嫌そうな顔をした。

せ、せ! 不吉ふきつな! 僧正そうじょうなどてふ、いかめしきくらい…… すとも御免ごめんこうむらん。われただの『覚猷かくゆう』。 ……いなしかり……」


 覚猷はニカッと笑い、描き終えた絵巻をポンと叩いた。


ひてはば…… 『たわむれの法師ほっし』とでもばれん。

 鳥羽とばさとにて、 かわず相撲すまひとりてかく

 まば、 あな、しからず!」


 繕(心の声): (……まさに、その鳥羽(とば)の地で伝説になるんだけどなぁ)



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ