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2  粗末な素材を隠すために、虚栄と虚飾という下手な修復を繰り返した失敗作

 

 御堂の扉が、ねっとりと重たい音を立てて開いた。

 途端、網膜を焼くような、膿(う)んだ黄金色の光が溢れ出し、視界を汚染する。

 本堂の中央、悲鳴を上げる須弥壇(しゅみだん)の上。

 そこに、醜悪な肉の塊がとぐろを巻いていた。

 それは、肥え太った僧の成れの果てだ。

 脂ぎった皮膚に、成金趣味の金襴緞子(きんらんどんす)が肉へ無残に食い込むほど何重にも巻き付けられ、首には奪い取った宝石の数珠が、首輪のようにジャラジャラと幾重にも絡みついている。

 その顔面には、目も鼻も口も、膨れ上がった頬肉(ほおにく)に埋没しかかっていた。


 その暗い口腔(こうくう)から、吐瀉物(としゃぶつ)のごとく垂れ流されているのは、空気を汚らしく軋(きし)ませる、ノイズ混じりの経文だった。


『崇(あが)めよ……。我(われ)を、崇(あが)め奉(たてまつ)れ……。』


 金ぴかの法衣をまとった巨大な怪異のその目は濁り、口からは絶え間なく呪詛のような言葉が漏れ出している。

『我(われ)は……大徳(だいとこ)なり……。我(わ)が詞(ことば)は……即(すなわ)ち法(のり)なり……。』

 怪異は、涎を垂らした。

『布施(ふせ)を……。なほ、なほ、光明(こうみょう)を……!』


 覚猷が鼻で笑い、独鈷杵を突きつけた。

「笑止(しょうし)! 自(みずか)らを大徳(だいとこ)と呼(よ)ぶ破戒僧(はかいそう)なぞ、聞(き)いたことも無(な)いわ!」


 怪異が激昂し、数珠を引きちぎり、顔面が怒りで真っ赤に染まり、全身の毛が逆立った。

 法衣の下から、醜悪な筋肉が膨れ上がった。

『無礼(ぶれい)……至極(しごく)……ッ! 滅(ほろ)ビヨ……ッ! 調伏(てうぶく)セヨ……ッ!!』


 怪異・堕落僧(だらくそう)。  

 生前、地位と名誉だけを追い求め、民を救うどころか搾取し続けた高僧の成れの果てだ。


「臭(くさ)っ!」  繕は鼻を覆った。  

 黄金の輝きとは裏腹に、その霊からは強烈な防虫香と、腐った紙の臭いが漂っている。


「痴(し)れ者(もの)め。死(し)してなほ、其(そ)の重(おも)き衣(ころも)を脱(ぬ)げざるか。」

 覚猷が一歩踏み出す。

「喝ッ!!」


 気合一閃。独鈷杵から放たれた衝撃波が、堕落僧へと飛ぶ。  

 だが。

 堕落僧の周囲に浮かぶ文字――「経文」の壁が、覚猷の攻撃を弾き返した。


『狼藉者(らうぜきもの)ォォ……! 下衆(げす)めが、我(われ)に触(ふ)るるなァァ!』


「やかましい! その腐(くさ)りきった性根(しょうね)、我(われ)が叩(たた)き直(なお)してくれるわ!」

 覚猷は嫌悪感を露わにしながら、さらに力を込めた。

「見よ、繕! これが『執着(しゅうちゃく)』の醜(みにく)き姿ぞ!」


 堕落僧が激怒し、錫杖を振り下ろす。

 錫杖の金属音が、不可視の散弾となって二人を襲う。


「――ッ、動けぬか!」

 音圧に金縛りとなった繕をかばい、覚猷は自らの回避を捨てて前へ割り込んだ。

 無防備な側面を衝撃波が直撃する。


「ぐっ、うぅ……!」


 繕は覚猷に突き飛ばされて難を逃れるが、身代わりとなった覚猷は、肉が波打つほどの衝撃を受けて真横へ吹き飛んだ。

 受け身も取れず、勢いのまま柱に激突。鈍い音が響き、衝撃で噛み締めた口内から鮮血が噴き出す。

「強(つよ)し……! 力(ちから)の勝(まさ)れるにあらず、『位(くらい)』が高(たか)きゆえなり!」

 朦朧とする意識を無理やり引き戻し、覚猷は血を吐き捨てながらニヤリと笑った。

「面白(おもしろ)し! ならば『位(くらい)』ごとおろしてくれようぞ!」


 この時代において、僧の階級は絶対だ。  

 覚猷(かくゆう)自身も高僧だが、彼は体制に中指を立てた社会の枠組みから位置を置く者。

 対して、目の前の怪異は、体制そのものが腐って凝り固まった「権威の塊」だ。  

 真正面からの法力勝負では、この抽象的な概念世界においては覚猷が不利になっていた。


『平伏セ……地ヲ這エ……我ガ威光ニ焼カレヨ……』

 堕落僧が経を唱えるたび、金色の文字が実体化し、全身を万力で締め付けるような重圧となって二人の上にのしかかる。    

 繕の膝が折れそうになる。


「くそっ、体が……動かない……」

「立(た)て、繕! 人(ひと)が獣(けだもの)に頭(こうべ)を垂(た)れる道理(どうり)なし! ……睨(にら)み返(かえ)してやれ!」


 繕は床に這いつくばりながら、必死に首を持ち上げて敵を見た。  

<眼>が、敵の防御壁である経文を読み込む。


「……なんだ、あれ」  繕は気づいた。  

 あいつが身にまとっている経文。遠目にはありがたいお経に見えるが、近くで見ると穴だらけだ。  

「意味」が食われているのだ。  

 形だけの読経。心のこもっていない儀式。  

 それが長い年月積み重なり、経典という神聖な仏の心そのものを腐らせている。


「覚猷(かくゆう)……! あいつの経は、偽物だ!」

「心得(こころえ)ておる! ……されど、此(こ)の『鍍金(ときん)』が堅牢(けんろう)に過(す)ぎて、正体(しょうたい)に届(とど)かぬのじゃ!」


「……俺が、剥がします」


 繕は懐から、一本のヘラを取り出した。  

 先端が平らになった、竹製のヘラ。  

 そして、小瓶に入った無色透明の液体――エタノールだ。


「修復士にとって、一番の敵はなんだか知ってますか?」  

 繕は重圧に抗いながら、なんとか立ち上がった。

「……『下手くそな修復』です」


 後世の人間が、価値を高めようとして勝手に金箔を貼ったり、派手な絵の具を塗り足したりする。  

 低俗な価値観がオリジナルの美しさを殺し、作品自体を無価値にしてしまう。  

 こいつはまさにそれだ。  

 自分という粗末な素材を隠すために、虚栄と虚飾という下手な修復を繰り返した失敗作。


「そんなもの俺が全部ひっぺがしてやる!」


 

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