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3 弁慶と牛若

「覚猷さん!」  繕の声は、変声期前の高いソプラノだ。

 だが、その響きには戦場を支配する指揮官の冷静さがあった。

「俺をあいつに向かって投げてください」


「こは?」

 (はあ?)

 覚猷が目を丸くして、足元の小さな相棒を見下ろした。


物狂ものぐるひしたるか、わらわ。 かの化生けしゃう餌食ゑじきとならむとて、あゆるや」

(気が触れたか、わらわ。あやつのえさになりに行く気か)


「逆です。あいつは俺を『子供』だと思って油断してる。それに……」  

 繕は白衣の裾をたくし上げ、ニヤリと笑った。

「今の俺の体重なら、あんたの馬鹿力があれば屋根まで届くでしょう?五条大橋の牛若丸みたいに」


 覚猷は一瞬きょとんとしたが、すぐにその意図を理解し、獰猛な笑みを浮かべた。

呵呵かか! よからむ。 今のなれならば、鳥のとばよりもかろし。 ……振り落とさるるな、心せよ!」

(カカッ! よかろう。今の其のそのほうならば、羽根よりも軽い。……振り落とされるなよ!)

 覚猷が腰を落とし、太太とした右腕を突き出す。  

 繕はその剛腕に、鍋を抱えたまま飛び乗った。


「いざ! ゐらむ!!」

 (いざッ! 参るッ!!)


 ブォンッ!!  大砲のような発射音。  

 覚猷が腕を振り上げると同時に、繕の小さな体は物理法則を無視した速度で真上へと射出された。


 風圧で眼鏡がズレる。

 内臓が浮く感覚。  

 だが、繕は空中でなんとか体勢を整えた。  

 視界が一気に高くなる。梁の上にいる野衾と、目が合った。


『イカニ? コノ小童コワッパ……?』

 (ハァ? このガキ……?)

 野衾の動きが止まる。

 空を飛ぶ妖怪の常識において、人間が――それもひ弱な子供が飛んでくるなどあり得ないことだった。  

 その「一瞬の思考停止」こそが、繕の狙い。


チヨォッ!!』  

 (落チロォッ!)

 我に返った野衾が、鋭い爪を立てて迎撃に来る。  

 空中で回避行動は取れない。子供の体なら、一撃で引き裂かれる。  ――普通なら。


「……軽いってことは、慣性も小さいんだよ!」


 繕は空中で体を丸め、片足を梁に引っ掛けた。  

 クルッ。  

 体操選手のような身軽さで、野衾の爪を回転しながら回避する。

 その動きは、まさしく京の欄干を舞った牛若丸そのもの。  

 野衾の爪が、繕の白衣の袖をかすめる。だが、それだけだ。


 すれ違いざま、距離はゼロ。  

 繕は、抱えていた鍋の中身を、野衾の顔面に向けてぶちまけた。


「くっ付け!!」


 バシャァァァッ!  熱々の高濃度膠にかわが、野衾の目、鼻、そして自慢の飛膜ひまくを直撃する。


『ギ、ギャァァァッ!? アツシッ、ネバキテハナレヌゥゥッ!』

(ギ、ギャァァァッ!? 熱ッ、ベタベタスルゥゥッ!)

 悲鳴と共に、野衾がバランスを崩す。  

 繕はそのまま重力に従って落下――する前に、再び覚猷が動いていた。


「風よ、巻けェェッ!!」


 地上で待ち構えていた覚猷が、独鈷杵を法力と腕力で旋回させていた。  

 上昇気流が巻き起こり、それは落下する繕の体をふわりと受け止めると同時に、空中に散らばった膠の飛沫を拡散させ、野衾の全身にまんべんなく絡みつかせた。


【対象:野衾】  

【状態異常:風抵抗増大、可動域凍結】


「重いだろう? それはあんたの『欲』の重さだ!」  

 繕は風に乗ってふわりと着地しながら叫んだ。


 一方、全身を粘着剤で固められた野衾は、巧みに動くこともできない。  

 プロペラが止まったドローンのように、きりもみ回転しながら墜落していく。


ウゴカレヌ……オモシ……ハナテ、放テェェェ!』

 (動けナイ……重イ……離セ、離セェェェ!)


ようやく、年貢ねんぐおさどきなり!」

(ようやく、年貢の納め時じゃな!)

 ドスンッ!  落下してきた野衾を、覚猷が片手で――まるで落ちてきた柿を受け取るようにガシッと首根っこを掴んで受け止めた。  

 そのまま地面へ叩きつける。

 ベタンッ。  

 床板に張り付いたハエ取り紙のハエのように、野衾は無様に伸びてしまった。


「……ふぅ」  

 繕は乱れた呼吸を整え、ズレた眼鏡を中指で押し上げた。  

 心臓が早鐘を打っている。子供の体での空中戦は、寿命が縮む思いだった。


呵呵かか! 見事みごとなるびなりき、牛若うしわか!」

 (カカッ! 見事な跳躍じゃったぞ、牛若!)

 覚猷が豪快に笑い、繕の小さな頭を鷲掴みにしてガシガシと撫で回した。


「髪がぐしゃぐしゃになります! ……それに、二度としませんからね。怖すぎる」

なにかは。 おもひのほかさがひたるにはあらずや? つぎもまた、さむ。」

(なんの。案外、性に合っておるのではないか?次もやろうぞ。)


 軽口を叩き合いながらも、二人の間には確かな信頼感が生まれていた。  

 力任せの剛腕と、機転の利く身軽さ。  

 その凸凹な組み合わせが、平安の闇を(はら)う「最強の無害化装置」になりつつあった。


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