2 全部、全部、俺ノ物
きぃぃぃぃん。
耳鳴りのような高周波が頭上を掠めた直後、繕の目の前にあった道具袋がふわりと浮いた。
「!?」
繕が手を伸ばすが、指先は虚空を掴むだけ。 道具袋は目に見えない糸で引かれたように空へ舞い上がり、屋根の梁の上に立つ「影」の手へと収まった。
『ヒヒッ……ヒヒヒッ。馨ハシ……メヅラシキ……器……』
(ヒヒッ……ヒヒヒッ。良イ匂イ……珍シイ道具……)
月明かりが、その姿を照らし出す。
大きさは子供ほどだが、手足が異様に長く、その間にはムササビのような皮膜が広がっている。
顔は猿に似ているが、目は欲望で濁った金色に輝き、口は耳まで裂けていた。
野衾は、繕の小さくなった姿を見て、あざ笑うようにキーキーと鳴いた。
『寸足ラズ……力ナゲナル、寸足ラズ……! 悉ク、我ガ物ゾォォッ!』
(チビ……弱ソウナ、チビ……! 全部、俺ノ物ダァァッ!)
「返せッ! それは商売道具だ!」
繕が叫ぶ声も、変声期前のボーイソプラノのように高く響いた。
【対象:窃盗の怪異・野衾】
【構成素材:強欲、嫉妬、風の穢れ】
【特性:超高速移動、物質透過(すり抜け)】
繕の<眼>が、敵の正体を解析する。
野衾。長く生きたコウモリやムササビが妖怪化したものと言われるが、こいつは違う。
都の人々が抱く「失うことへの恐怖」と「人の物を欲しがる嫉妬」が、小動物の霊に取り憑いて肥大化したものだ。
「返せッ! それは商売道具だ!」 繕が叫ぶ。
『否……ッ! 我ガ物……悉ク、悉ク、我ガ物ゾォォッ!』
(嫌ダヨ……俺ノ物ダ……全部、全部、俺ノ物ダァァッ!)
野衾は金切り声を上げると、道具袋を抱えたまま、とん、と梁を蹴った。
速い。
目で追うことすら困難な速度だ。
「逃がさじッ!」
(逃がすかッ!)
ずんっ!
覚猷が地面を蹴り、驚異的な跳躍力で空中に舞う。
独鈷杵が唸りを上げて野衾の残像を叩く。
ぶぉん。
しかし、手応えはない。金色の独鈷杵は虚しく空気を切り裂いただけだった。
ヒュン、ヒュン、ヒュルリ!
さらに金色の軌跡が視界を埋め尽くすが、覚猷の剛腕も、空を飛ぶ相手には無力だ。
独鈷杵は虚しく風を切り、焦りだけが募っていく。
「小賢しき! 蠅のごとき奴め!」
(ちょこまかと! 蠅のような奴め!)
覚猷が着地すると同時に、野衾はあざ笑うように空中を旋回し、今度は覚猷の腰から酒瓶を掠め取った。
『あな、をかし! 鈍し、鈍し! 丈高き法師め、常しへに其処にて足摺り狂はむ!』
(ヒヒッ! 遅イ、遅イ! デカイ坊主ハ、一生ソコデ地団駄踏ンデナァ!)
梁の上から、野衾があざ笑う。
繕は、手元の鍋で煮えたぎる琥珀色の液体――膠を見つめ、そして自分の小さな掌を握りしめた。
(……追いつけないなら、こっちから行くしかない)




