招かれざる同居人
悪夢は、もはや眠っている時だけの専売特許ではなくなった。俺、相田隆の現実は、悪夢そのものへと変貌しつつあった。深夜の注水音は、今や毎晩の儀式のように繰り返され、俺はその音を聞くたびに、ベッドの上で身を固くするしかできなかった。サーバーの水の消費量は、常軌を逸していた。十二リットルのボトルが、わずか三日で空になる。俺一人が飲む量ではないことは、火を見るより明らかだった。この部屋には、「誰か」がいる。俺の契約した『奇跡の水』を、無断で飲み続ける、招かれざる同居人が。
俺は、自己の精神状態を疑った。過労とストレスが生み出した幻覚、幻聴。そう結論づけるのが、一番簡単で、一番楽な道だった。だが、空になったボトルという動かぬ証拠が、それを許さない。
証拠を掴んでやろう。そう決意した俺は、ネットで小型のセキュリティカメラを購入し、サーバーの真向かいにある本棚の隙間に、巧妙に隠した。これで、深夜の怪音の正体が暴けるはずだ。
翌朝、俺は逸る心を抑えながら、カメラの録画データを確認した。深夜二時、三時、四時…。タイムスタンプを追っていくが、映像には、静まり返った俺の部屋が映っているだけだ。しかし、午前三時十五分。俺がいつも夢から覚める、あの忌まわしい時刻に、それは起こった。
ガコン。
映像の中からは、確かにあの注水音が聞こえてくる。だが、画面には何の変化もない。サーバーはそこにあるだけで、レバーに触れる人影も、怪しい光もない。音だけが、虚空から響いている。そして、俺は映像を拡大し、息を呑んだ。サーバーのボトルの中の水位が、音と連動して、ごくり、と一口分、確かに減っているのだ。
超常現象。その陳腐な言葉以外に、この出来事を説明する術を、俺は持たなかった。恐怖が、背筋を氷の指でなぞり上げる。
この呪われたサーバーを、一刻も早くこの部屋から追い出さなければ。俺は震える手で、アクア・エデン社のカスタマーサポートに電話をかけた。
「ご解約ですね。かしこまりました」
電話口の女性オペレーターの声は、感情の起伏が全くない、AI音声のように平坦だった。俺は、深夜の怪現象について訴えようとしたが、彼女はそれを遮るように、事務的な口調で続けた。
「お客様のご契約ですと、最低利用期間内の解約となりますので、所定の違約金、一五万円が発生いたしますが、よろしいでしょうか?」
「じゅ、十五万!?」
「はい。また、サーバーの撤去費用といたしまして、別途二万円を申し受けます」
法外な金額だった。今の俺に、そんな大金を一括で支払う余裕はない。俺が言葉に詰まっていると、オペレーターは、まるで俺の心を見透かしたかのように、声のトーンをわずかに変えた。
「…相田様。お客様の体は、もう我々の『奇跡の水』で満たされております。今更、毒素の含まれた水道水に戻されても、きっとご満足いただけませんよ。その渇きは、我々の水でしか癒やすことはできないのですから」
マニュアル通りのようでいて、その言葉の端々には、逃がさない、という粘着質な意志が込められていた。ぞっとした。彼らは、すべてを知っているのだ。俺が、この水なしではいられない身体になっていることを。電話を切った後、俺はひどい喉の渇きを覚え、無意識にサーバーの水をグラスに注いでいた。そして、一口飲んだ瞬間、自己嫌悪と絶望に襲われた。俺は、飼いならされてしまったのだ。




