第四話 老魔導士と旧知の変貌
「店主、この騒ぎは」
「なんだ爺さん、このガキの身内か?」
火猫を掛け軸に戻した後、迷子にならんようにとキュリシカの手を引いてきたお陰で時間はかかったが……。
ようやく人混みを抜けて目に入った光景は何とも。
「何とも惨い」
「なんだと?」
ボロボロになった子供を酷いと言わずして何と言うのか。
店主には悪いがこればかりは放っておけん、それに隣で怒髪天を突かれとるキュリシカもこれ以上刺激したくはないものだが。
「税で首が回らねえんだ!見逃せるような余裕はねえよ!」
「税……?」
以前ワシ等が来た時は税なんぞ最低限だったはずだが、何かが変わったのは間違いないやもしれんな。
とりあえず暴れそうなキュリシカに子供を預けておくとしよう。
「怪我をしておる、揺らすなよ」
「クソッ、そいつ一発殴らせろよ」
「なんだと!?」
「やめなさいキュリシカ、それで?この子供の被害というのは金貨何枚で足りそうかの」
国王直々に渡された金貨ならば足りる筈だが、納得いかんと言うなら五枚全てくれてやろう。
まあ、悪いようにはならんだろう。
「き、金貨!?しかも国王の刻印入り……何者なんだアンタ」
「ワシは」
「貴方は……ジコン様ではありませんか!」
「その声は、領主の倅か」
店主や周りの顔が歪むのはまあ見なかったことにしておこう。
馬に乗って風体の悪い輩をゾロゾロと引き連れとるのは、確かこの都市を収める一族の末の子――ウェルスだった筈。
以前に会った時はまだ小さな子供と思ったがこんなに成長しておるとは、あの頃は大きかったメガネも様になっとる。
「お久しぶりですジコン様!下々が何か失礼を?」
「久しいなウェルス……下々、というのは」
「こいつらのように、税も納められずに街の足を引っ張る者たちですよ」
「……」
性格も、随分とまあ大きくなったようだな。
周りに引き連れているのは衛兵ではなく傭兵か、そうとうな金を積んだと見えるの。
「ところでその子供、最近盗みを頻繁に行っている集団の一人!」
「ほう、それは知らんかった」
「知らずに捕えたなんて、さすが父が尊敬した方だ!」
「捕らえたつもりはない、これから宿を取ってそこで治療を」
ため息をわざとらしく漏らし立ち上がるが、ウェルスめひどく歪んだ顔になっておるな。
この子共を置いて行けばどうなるかは分かりきっておる、それに今は周りを巻き込むのも得策ではないか。
「ジコン様、ジコン様は勇者殿と魔王を退治するのですよね?」
「少し予定は狂ったがな、魔王に会いに行くつもりだが」
「僕はこの街に巣食う魔物を狩ってるんです、税を払わない無能という名の魔物を」
ならば志は同じとでも言いたいのか、さて、ウェルスの父君はこの状況を許さない筈だが。
それに傭兵どもめ、ワシが距離を詰められていることに気づいていないとでも思っとるな。
一斉に飛びかかって捕縛するつもりであろうが、キュリシカと子供を守る義務がワシにはある。
「《水へと漕ぎ入れ、潮へ向かえ、きたるは和舟》」
掛け軸から溢れ出した水が、路上に広がる。ただただ深く、吸い込まれるように底なしの水面が形作られていく。
水底から現れた舟が、漕ぎ手も無しに静かに動き始めた。まるであちらから、引かれているかのように。
小舟にキュリシカと子供を乗せれば、合図を送るように小舟が揺れる。
――そろそろ頃合いか。
「《沈め》」
「船を止めろ!」
傭兵の一人が足を踏み入れようとしたが、波紋に触れた瞬間、勢いよく弾かれて転げた。久しぶりに呼んだがうまく機能しておる。
船は静かに、そして確実に水面に沈み込んでいく。
掛け軸の向こう側に、呼んだ者を運ぶ舟。
次の瞬間、水と共に視界が反転する。気圧の変化と共に、音が消え、光が揺らぎ──
墨の匂いが満ちる水底へと沈む。
してやられたと思っているだろうなウェルス。
まあ、今はこちらの手番ということで。
◇ ◇ ◇
「ジコンさんが街で消えた!?」
「は、はい! ウェルス様の命令で、至急行方を……」
「なにがあったってんだ……誰が証言を?」
「路上の者たちはみんな、水と一緒に奇妙な絵に吸い込まれたと」
「なんてこった……」
「ちょいと逃げてきただけだが?」
声をかけると、ルイドが肩を震わせてこちらを振り返った。
「し、師匠?どこから現れたんですか、その姿……」
「濡れ鼠が突然現れたら、誰だって腰を浮かすわな」
ひとまず子供を寝かせ、衛兵たちにタオルを借り未だ咳き込むキュリシカに渡す。
なぜそんなに不服そうな顔をするのか、早く体を拭かねば風邪を引いてしまうだろうに。
「その子の治療を頼めるか? 拘束だなんだはその後でいい」
「……了解しました。けれど、師匠には深いお考えがあってのことですね?」
「考えというより性分だ。届くなら手を伸ばす、それだけよ」
相変わらず聡いな、ルイドよ。
周りの衛兵もキュリシカに大きなタオルを渡してくれておる、一時的な隠れ蓑として使わせてもらえる。ということで良いのだろう。
「げほっ、ごほっ、クッッッッッソジジイ!ああいうことする時は!一言何かあれよ!」
「はっは、良くその子を守ってくれたなキュリシカ……ありがとう」
「なんで、あんなコトしたんだよ」
あんな事か、掛け軸の仕掛けを指しているなら説明は難しい。もしも子供を助けたことを言っているのならば──どう答えたものやら。
「スラムのガキを、クソ野郎から庇ってやる義理があるのかよ!」
「性分というやつよ。届くならばその手を引かぬのは後味が悪い」
「……訳わかんねえよ、ジジイ」
くそが取れたのは信頼が芽生えてきたと捉えて良いものか、しかし、感慨に耽るよりも先にする事があるな。
「ワシはちと旧友に会ってくるから、その子達を頼──」
「師匠?その姿でどこに行かれるおつもりですか?」
「なあおいジジイ水くせえな、この、ずぶ濡れのオレを、置いて行こうってかぁ?」
めざといのう。
追加のタオルを指示するのは良いが老人の分はそんなに要らんぞ?
それに……。
「ワシの手がどうした?」
「……震えてんぞ」
指先がわずかに揺れていた。いつからだったか、自分でも気づかなかった。
いかんなあ、こんな子供に気付かれるとは。
「歳のせいかもしれん」
「さっきのアレって転移魔法みたいなもんだろ、魔力切れか?」
「……」
言い返す言葉も無い。
誤魔化すために黙って掛け軸を巻き取るが、キュリシカの視線は誤魔化せん。
「なあ、無理すんなよ」
「……ありがとう、キュリシカ」
こういうところが、クロードの悩みの一つになっておったのだろうな。