何でもありません。
……あれから、どのくらい経ったんだ。
俺は、多分死んだ。鉱石病によって、龍門近衛兵の数多の矢に貫かれて。
死んだら、俺という意識が、何もかもなくなると思っていた。
(死後の世界って、こんな感じなのか。本当に、何も無い……)
いつまで、俺はこんな真っ暗なところで目をつむっていなければならないのだろうか。
「――、――くん!」
不意に声が聞こえた。
一体誰だ、この声は。
「サーシャ君! 起きて!」
「ん、う……?」
女性の大きな声が、何も無い真っ暗な場所から俺の意識を引っ張り上げてきた。
照明が瞳に差し込む。眩んでいた眼が慣れてくる。
少しずつまぶたを開くと、そこは木製の床と壁が広がる場所だった。
「あの、黒いやつは……」
前には、昔イーノと本で見たことのあるピアノというものがあった。
周りを見渡すと、同じ歳くらいの男女が机を前に椅子に座りながら、こちらを注目している。
隣から、熊人の少女が、困り顔でこちらを覗き込んできた。この子が、俺を読んだのか?
「大丈夫? 汗凄いよ?」
額には汗が滲んでいた。
視点を姿勢が向いてるに戻すと、誰かが立っていた。
「サーシャ、お前は本当に度胸があるな」
聞き覚えのある声に驚き、上を見上げるとそこにはきれいめのスーツを着た白髪の兎人が立っていた。
顔の傷が一つもなく、一瞬誰かと思ったが、間違いない。
「フロスト、ノヴァ……? いっ」
急に彼女が、軽く頭を殴った。
彼女に触れられたことに、俺は動揺した。
だって彼女は……。
頭を抑えながらふと我に返ると、クスクスと笑いが起こっていた。少しムカついて、顔がムッとなってしまう。
「何だその呼び名は。新任の私が、そんなに冷酷とでも言いたいのか?」
「じゃあ、エレーナ姐さん……?」
はぁ、と溜め息を吐く彼女は目を細めてこちらを横目にみる。
「いつから私はお前の姉になったんだ。それと、エレーナ先生と呼べ。今日のお前は、様子がおかしい。一体どうした?」
「サーシャ君! 君はエレーナ先生についてどんな夢を見たのかな!?」
奥のほうから、小馬鹿にしながら熊人の少年が、こっちに向かってそう言ってきた。
「夢なんかじゃない! エレーナ先生と俺達は!!!」
「俺達……? 俺達って、サーシャ君以外は誰の事?」
「……俺、達、は」
つい苛立ちを覚えて大きな声で反対したが、言葉が続かない。
俺が今まで過ごしたあの日々は、全て夢だったのかもしれない、そう考えてしまった。
正直、夢であって欲しいと願ったことは何度もあった。
でも、イーノは、アイツは俺の大切な友達で、俺が生きる理由だった。
アイツと過ごした日々も全て、夢だっていうのか……?
いや、でも夢としてはあまりにも生々しい。
もしかして、俺はただ逃げたくて、今こんな夢を……。
でも俺は、死んだんだ。確かに、俺の意思で――。
「サーシャ、大丈夫か? 気が動転してるようだが」
「……いえ、なんでもありません」
「そうか。……きっと複雑な夢を見ていたのだろう。だが、授業には集中してもらうぞ」
「……はい」
少し考えるのをやめよう。
「はあ」
少しため息を吐き、気持ちを切り替える。
今のこの場所を、少し観察しよう。