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あまりに静かな人類最後のやり取りは

作者: 零眠れい

「やぁ、君が世界を滅ぼした元凶かい? 残った人間が君と私だけになって、今どんな気分よ」


 崩壊し、瓦礫となり、岩も同然に崩れ去った街並みの北側には、広い広い海があった。――そこだけはとても綺麗な水色をしていて、砂浜も汚れ一つない。

 だけど、衣服や手を血で汚した少年なら、立っている。佇んでいる。砂浜から見える地平線を、どこか遠い目つきで眺めていた。

 あらゆる心が溶けて無くなったかのような、風に髪を揺らされるばかりの少年だ。高校生にしては背丈が低いと、少し離れた位置で女は素朴な感想を抱いた。


「……誰ですか、あなたは」


 ただ風にあおられて、その場に佇む少年は――女から声をかけられても振り返ることなく、質問を質問で返す。その声はとても静けさに満ちたもので――機械のようなトーンである。

 その声量は、辺りに響く寄せて返る波の音でかき消えてしまいそうだけれど、彼女はきちんと少年からの問いかけを耳に入れて、こう答えた。


「別に、名乗るほどの者ではないよ。――というか、名乗ったところで意味なんてあまりないだろうしね。ああいや、それとも……」


 彼女は顎に手を添えて、純真無垢な瞳でふと浮かんできたことをそのまま発する。


「それとも――自分の名前を名乗るなんて機会、もう今後絶対にないだろうから、ここで名乗っておいた方がちょっと有意義かな。ねぇ、君は私に興味あるの?」


 どことなく飄々としていて、掴みどころがないようで――けれど、隠し事をしているわけではなさそうな、首を傾げる女の言葉を。

 やはり振り向くことなく、けれど無下にすることもなく、少年は活力と気力が抜け落ちているかのような語調で応じた。


「そうですね、あまり――僕はあまり、他人に興味を持てません。好意的な目で見れなくて、人の名前を覚えるのは苦手です」

「じゃ、いいや。どうせあと一時間後には尽きる命だろうからね。君も私も」

「……どうして、そう思うんですか?」


 執着心を持たないとばかりに目を閉じてゆったりする彼女に、少年はほんのりと驚きを滲ませる。――だけどそれでも、静謐な声であることには変わらない。

 その黒いだろう少年の瞳も、一向に海から視線を外そうとしないから感情の色が判明しない――いや案外、色なんて欠けているのかもしれないけれど。

 だが、彼女は一切気にすることなく、何をするでもなく少年との会話を続けた。不思議そうに、どうしても何もとこう返答する。


「このあと残った二人の命までもが無くなるのは、そんなの、君自身が一番理解していることだろう? だって一時間後……いや、この数字は割りと適当だけど、ともかく数十分後か数分後か――“君が殺す”からだ」


 感傷的に、けれど平然とした態度で、彼女は断言した。もはや推測なんて甘いことをせず、彼は文字通り一人残らず人類を滅ぼすだろう、と極自然に繋げる。


「私のことも、君自身のことも……我々以外の人類みたいにさ。ぐちゃぐちゃに呆気なく、命を散らす。え、違う?」

「いえ、合ってます。僕は僕以外の人を殺したら、自分も死ぬつもりでした。みんなと同じ死に方で。それはあなたも例外ではありません」

「だろうね。だってここに来てからずっと、この触手みたいなものが私の首にかかってるんだもの。少しでも君の気分を害したら、締めるか何かするのだろう? 即私はお陀仏ってわけだ」

「……すみません。こうでもしないと、落ち着いて話す気になれなくて」

「ああ、そういう事情なら仕方がないね。構わないよ、どうせあと少しで終わる身だ。君がやらずとも、きっと私は私を殺していた」


 「こんな世界で孤独に生きたくはないからね」――妙に、というより異様なまでに、彼女は落ち着いていた。自らの死が待ち受けていても。街が崩壊していても。

 そんなんだから――これまで出会ってきたどの人間とも違うような気がしたからか、少年は少しだけ興味を持ったのか、視線を彼女の方へとやった。

 身体は依然として海の方向だけれど、顔だけは彼女の方へと向ける。しかし人間のことなど無遠慮に昇る太陽の光が眩しくて、その表情を読み取ることができない。

 どんな情感が疼いているのか分からない少年は、分からないまま分からない言い方でこんなことを言った。


「それにしても、さっきからよく笑ってられますね。こんな状況で」

「こんな状況だからだよ。諦めがついたって感じだ。君も似たようなものなんじゃないか? だから私と話す気になった」

「――そう、ですね。そうかもしれません」


 その時、彼の無表情のような口端が――ほんのりと緩んだ気がした。気まずいような、居心地が悪いような、苦笑と取れそうで取れない――そんな小さな笑み。

 ――まさしく諦めがついたような、そんな顔。相変わらず活力と気力はないままで、やっとその気になったのか、ついに身体ごと彼女の方へと向けるけれど。

 ああやはり、その黒い瞳は黒かった。


「あなたは僕のこと、何でもお見通しなんですね。見事にどれも当たっている」


 まるで気を許したように、やや柔らかくなった口調で話す少年に、しかし彼女はいやいやと手を振って、ストレートに訂正を求める。

 これまでの会話にそう思われるような要素はなかったと、むしろ真逆の反応をするべきだとばかりに。


「それは過大評価のしすぎだよ、少年。私には君がなぜ世界を滅ぼしたのか見当もつかないし、君がどんな思いでそうしたのか計り知れない。君の内心を完全に理解するなんて、間違ってもできないことだ」

「なぜですか? あなたなら、大まかにでも察しがついていそうですが……」

「だとしたら悪いね。私には、その期待に応えられない。君の中で具体的に何が起こっているのか――よく見えないから」

「……どうして」

「どうしてもだ。そんなに……こほっ、わかって……ほしかったのかい? 最後に生き残ったのが私で、悪かったね……っ」


 不意に――否、それにはとっくに、前兆のようなものはあったのだ。そのためいつかこうなるだろうと考えていた彼女は、苦しむことはしても驚くことはしなかった。

 首にかかっていた触手が、暴走ではなく彼の意思によるものだろう――喉を締め上げようと巻き付いて、死なない程度に力を入れる。

 口を塞いでほしいのか、それとも彼の中に眠る怒りによるものなのか、じっくりと殺すことにしたのか――どのみち、おおかた“そういうこと”なのだろう。

 だからこそ彼女は、慌てないだけでなく抵抗もしなかった。――このまま逝ってもいいとさえ、思う。

 しかし――


「――っはぁ……はぁ……けほっ……」


 意外なことに、意識が途切れる直前に縄のように絡んでいた触手の力が緩くなった。これが意図的なのか、そうでないのかはともかく、女は体内に空気を入れる。

 膝を曲げ、弱々しく呼吸を繰り返すが――そんな姿になってもなお、彼女の纏わせる余裕――もとい『達観』は、健全であった。

 終始肩の力を抜いている彼女に、だが少年は口端を素っ気なくし、同情の欠片も帯びていない眼差しでその様子を眺め、しばらく沈黙した後に口を開く。


「……初めて会った時、あなた言ってましたね。『世界を滅ぼしてどんな気分か』って……まだ、答えていませんでした」

「はぁ……はぁ……っ、ああ、あれね……もしかして私をやろうとしたのも、その気持ちを再確認するためだったのかな?」

「それだけではない、と思いますが……まぁ、そんなところですね。幼い頃から僕、『自分の気持ち』というものにとても鈍感で……でも、やっぱりこれだけは変わっていませんでした。今も昔も」


 誰かの首を刎ねても空っぽでした。

 大切なものを奪っても真っ白でした。

 尊い命が失われても、何も思いたくない感じです。


「最初の一人目を殴った時、確かに躊躇いがあったのに……五人目を殺した時、迷うことができたのに。……いや、こんな言い方はおかしいですね。もとよりこの世界に守るべきものなんて何一つないのに」


 「だからこそ僕は、この世界を壊したのに……」――女から見れば、現在の彼にも躊躇いと迷いを持っていた。いつも抱えているかのような持ち方で。

 それからよく喋る彼女は、思ったことを素直に口にする彼女は、平和だった頃の日常口調のように割り込む。もう咳き込まないほどには回復しているようだった。


「君は――なんていうか、矛盾してるな。表面だけだと何も入っていない器のようで、だけどそのじつ奥底に『何か』が眠っていて。……どちらが本音なのか、私には区別できないよ」

「そんなの僕にも分かりません。でも、人を殺したかったのは本当です。皆殺しにしたかったのも本当です」

「ふむ……ならば君が言う、一人目と五人目を対峙した時の感覚も、きっと嘘ではないのだろう。どちらも本音ってことか」

「……だとしたら」


 それまで正面から、相手に顔と目を合わせて話していた少年は――途端に逸らし、無表情チックに沈むようにして俯く。唇に力を入れて、引き絞った。

 続いたそのセリフは、淡々と語っていた彼にしては、どれよりも人間味があると彼女は感じる。


「もしそうだったなら、僕はどうすれば良かったのでしょう? どちらを取るべき……だったのでしょうか。死にたいのも、死にたくないのも、殺したいのも、殺したくないのも……全部、僕の気持ちだったなら」

「……そりゃあ、難しい問いだね。この私が言葉を詰まらせてしまったよ。さて……どう捉えるべきか……」


 女のどことなくヘラヘラとした態度は残っているものの、その顔つきは神妙で、とても真摯なもの。腕を組んで、本気で悩んでいるようだ。

 短いようで長い無言の時間が流れ。何も起こっていないのにザワザワとした感覚を覚え。たださざ波の音だけが、絶え間なく聴こえてくる中――。

 やっと耳に触れた人の声は、彼にとっては意表を突くものだった。


「君は私に生きてほしいかい? 死んでほしいかい? それとも、殺したいかい? ――好きな方を選ぶといい。私はどれでもいいよ」

「…………っ」


 相変わらず飄々と、平然と、ヘラヘラと笑う彼女。その笑みは特別でなければ綺麗でもない。至って普段通りと言わんばかりのもので。

 少年は思わず歯を噛んで、息を吸って、目を瞑って、目を開いて――落ち着いていながらも動揺した様子で、反論する。


「なんで……なんで今更、僕に選択肢なんて与えるんですか……後戻りなんてできないのに。赦されないのに。“もう殺すしかない”のにっ……」


 その発言に、女は(やっぱりそうなんだ)と受け止めた。きちんと予想できたようで――信頼して良かったと、安心する。


「だって君、これまでの人生で誰からも選択肢をくれなかった様子だし。その点私は両親や友達からたくさん貰ったから、結構満足してるんだ」

「その両親や友達を殺したのは僕だ」

「知ってるよそんなこと。けどまぁ……なんだ、一時間経ったらこの世を去るわけだし。ここまで来たらどんな使い方をしてもいいよ。……そういえば、そろそろ時間かな?」


 悠長にも女は腰に手を当て、どこまでも、いつまでもリラックスするのだ。何か企んでいるのではないかと、疑心が湧きたくなるほどに。

 彼はいっそ疑いたかったと思う。信じたくなかった。聞く耳持たずに、理解せずに、切り捨てたかったと。

 いや……『信じる』なんてこと、とっくの昔からできなくなっていた――。

 だから、“こんなこと”をしないといけない。


「ああそうそう、一つだけ注文……殺るなら一撃でね。痛いのは好きじゃないんだ」


 言われなくても……と、彼は心の中で了承しながら、全く別のことを口にする。


「……もしも叶うなら、あいつらと出会う前に――あるいは悪魔と契約する前に、あなたと話がしたかった。そうしたら、もしかしたら僕の“本当の気持ち”が分かったかもしれないのに」

「そっか……それは悪いことをしたね。今私と話したこと、悔やませてしまったかな? ――いや、撤回しよう。喋りすぎたな。君を困らせてしまった」

「……いえ」

 

 珍しく申し訳なさげにする彼女に、少年は首を振って小さく否定する。もうどんな言葉も、受け付けられないとばかりに。

 だけど――その時。その時目を伏せていた彼は、たどたどしくも顔を上げるのだ。何度もこうして視線を合わせたというのに、初めて少年を視界に入れたかのように錯覚した。

 その意外性に、何があっても動じなかった彼女が少々瞳を大きくするも、だけど構わず彼は伝える。

 罰を受けようとも、罪が増えようとも……これだけはどうしても、伝えたかったから。


「一つだけ、訊かせてください――どうして最後まで僕に、同情しなかったんですか? あなたはこんなにも優しいのに」

「うーん……私としては、別に自分のことを優しいだなんて思わないけどね。現に最後まで、私は倒れた人類側に与していたし」

「と、いうと?」

「君に同情なんてしたら、死んだ人類を肯定することになるだろう? そんなの罪なき人間に失礼じゃないか。私の知り合いは、どれも悪い奴じゃなかったからね」

「……なるほど」


 女からの無情とも取れる、真っ当故に当たり前な意見を――少年は、予想通りとばかりに頷いた。やっと、頷くことができた。

 無意識の内に浮かんだ笑みは――けれど諦めがついたものではなく、どちらかというと安堵のもの。自分勝手にも嬉しいと思ってしまったもの。

 故に彼は、ゆっくりと一度まばたきした後に彼女の方へと見上げ、『自分』を見てくれた彼女にこう告げるのだ。


「……こんなこと、きっと言ってはならないんだろうけれど……最後にあなたと話せて、良かった。きっと来世は、誰も手にかけずに済む」


 ありがとう、ございました――。

 ――泣くことすらも忘れたそれが、世界が滅びた今……人類最後のセリフである。

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