4. 殺害命令
夜が明けて無理に扉を開けてもらい、ファトラの無事を確認してから仮眠をとったバルトは、モリス子爵が落ち着く時間を見計らって、別館にある執務室を訪れた。もともと用心棒という通常勤務でと、昨夜の件、そしてファトラのことについて意見を述べに来たのである。
そこには若い美人秘書のほかに、子爵の妻であるダリアもいた。ここで彼女の姿を見かけることはよくあるので、バルトも別に驚きはしない。特に今日は。
執務室はゆったりとした空間で、奥の腰窓を背にした場所にモリス子爵の机、その近くの壁際に秘書の机がある。子爵の机は、書類の塔を何列も置けるほど広い。そして中央には、ちょっとした来客程度なら充分失礼のない応接セット。秘書の机と反対の壁際に本棚やキャビネットを並べても、まだ窮屈感はない。この執務室を自分の居場所でもあるとしているからか、その応接セットの長ソファーは、よく見ると花柄の布張り、テーブルは猫脚、そして大胆な構図の花の絵画など、コーディネートにはダリアの趣味も入り混じっている。それでも顔をしかめたくなるような悪趣味の自覚が少しはあるらしく、幸いここで大いに発揮されることはなかった。
ダリアは、この夫の仕事場になにも無意味に通っているわけではなく、自称第二秘書として、彼女は彼女なりの大事な仕事をしている。本来の秘書の主な仕事は、スケジュール管理とご主人様が失態を演じないよう前もって助言すること。そして、もししくじろうものなら、全力で取り繕うことである。
だがそんな難しくて面倒な役目は第一秘書に任せ、ダリアの目的は、その秘書に不都合なことまで知られないよう、先に書類のチェック。さらに、この執務室において、余計な行動を取られないよう見張ることだった。なぜなら、こればかりは本物の有能な人材が必要となるため、それなりの良い条件で一般から募集するが、身内で固めた領域に入って来られる存在だからである。巷の不愉快な噂には、ダリアも若干気づいている。出所はほかにも考えられるが、この秘書も怪しい・・・と、ダリアは勘ぐっているのだった。
ちなみに、用心棒であっても、バルトも同様の理由から外出時専門で、正確には守衛兵 兼 用心棒である。部下たちからいつまでも頼られ、変わらず敬意を払われている理由の一つに〝衛兵の詰所によく居る〟こともあった。
今朝のそんな執務室は、バルトが見た感じいつも通りだった。
モリス子爵も夫人も、すでに驚き嘆き、そして疲れ切ったのか妙に落ち着いている。秘書は自分のデスクで黙々と何かをしていた。彼女がまず真夜中の事件を知ったかどうかは分からないが、バルトが気になったのは、いつもは先にある挨拶が無かったこと。それはやはり、事件を知って動揺しているのか。一族による緊急会議を開くなら、大急ぎで予約をキャンセルし、スケジュールを変更しなければならない。忙しいのもあるだろう。
ならば当然、バルトは、このあと早速、娘を助けるための話し合いが行われるものと思っていた。
ところがとんでもないことに、信じがたい命令を言い渡されたのである。
バルトはいきり立つ感情を抑えて言葉を返した。
「お嬢様を殺害しろと言うのですか。」
「あの子はもう人間じゃないわ。仕方ないでしょう。」
お気に入りの花柄ソファーに座り、躊躇なくそれを口にしたダリアは無表情だ。その時モリス子爵はというと、同じ部屋にいながら他人事のように何か書類に目を通しっぱなしである。
「そんな・・・。」
「バルト、あなたの務めは主人を守ることでしょう?安心なさい、罪には問われません。」
「その家族を守ることもです。お嬢様も。それに、私は見ました。お嬢様の首輪から魔物が生まれるのを。悪いのはきっと首輪なのです。」
「それなら見たのでしょう?あの子の変わり果てた恐ろしい姿も。あの子が死ねば済む話かもしれないでしょう。」
ずいぶんと涼しい顔での母親とは思えない暴言の数々。バルトは動悸を感じるほど言いようのない衝撃を受けていた。
「誰かに相談すべきです、専門の者に。これは、我々では解決できないことです。それで済むとは思えません。」
「その専門の者に相談している間にも、また犠牲者が出るかもしれないのですよ。しかもそれで解決できなかったら、ただの時間の無駄です。」
「しかし首輪が原因なら、お嬢様を殺害することこそ無意味・・・」
この噛み合っていない雲をつかむような口論に、それは建前で、浄化の費用を出し渋るどころか考えもしていない・・・とバルトには分かったが、口にはできなかった。
「私に時間をください。代わりに一切を私が負います。」
費用を全て払うというような失礼な発言を避けるため、またこの会話の流れに合うように曖昧にしたが、意味は伝わったはずだ。その証拠に、ダリアは、まだ何か言いたげな表情ながら、それを聞き入れるのに時間をとらなかった。