7. できない・・・まだ
リンが素早くベッドの上に起き上がった。その目が最初に捉えたのはレッドである。リンは獣のように両手を振り上げ、唸り声まで上げて飛びかかっていった。
対してレッドも、その腕をとっさに掴んで阻止している。だが、危うく力負けして倒されるところだった。
「嘘だろ・・・!」
レッドがそう驚いたのは、掴んだ腕を押さえきれずに振り回されているからだ。
そこへリューイが、背後から羽交い絞めをしかけて引き離す。背が低いので、片膝をついた姿勢で自分の胸まで引き寄せた。
そして同様に驚愕するリューイ。
「どうなってんだよっ。」
「うっ、あうっ、ううーっ!」
豹変したリンは足をばたつかせてもがきながら、子供の声で恐ろし気な唸り声を上げ続けている。さすがのリューイも捕まえておくのが精一杯だ。
カイルはポケットの中から三角にたたんだ薬包紙を掴みだし、水筒を手に取った。
「足と顔を押さえて、口を開けて!」
「足と顔と、口⁉」
レッドがきき返す。
「全員いるな。」
ギルが言った。
とにかく、まずはレッドが足を押さえにかかった。
ところがレッドは蹴り飛ばされてしまい、代わりにギルがすぐさま手助けに入る。
やはりギルも目をみはって、「この歳でありえない力だ。」と、驚きの声を上げた。
屈強の中の屈強という男たちが、わずか八歳の少女を一人で止めることができない。人間離れした怪力のリューイだけはそれができるが、余裕というわけにはいかなかった。
リンの体は、背後からリューイが、足をギルが、そして横からレッドが顔を掴んで、どうにかカイルの言う通りに押さえることはできた。つまり、子供一人に大の男が三人がかりだ。
そして、リューイの隣に立ったエミリオが、リンの頭の上から手を伸ばして口を上下にこじ開けたが、そこでボールを両手で持つようにリンの顔を掴んでいるレッドが・・・!
「おい、見ろ!」
リンの足を押さえているギルが顔を上げて、こう反応した。
「牙⁉」
そう、リンの口から、まるで狼のそれのように伸びて尖っているのは、立派な牙。この歳で犬歯が育っていること自体不自然だというのに、上顎の牙は、下の歯茎に届くほど発達しているのである。なるほど、豚でも嚙み殺すことができる歯だ。
エミリオとレッドが、カイルの意に従い、リンの顔を力ずくで上向き加減へもっていく。その口の中へバッと投入された何か粉状のものは、水筒の水で無理やり少女の体内へ流し込まれた。
「何した⁉」
吐き出されないよう、リンの顎に手を当てたレッドだったが、つんと鼻腔を刺激した異様な臭いに、つい詰問の声を上げた。リンは、飲み込みきらなかった水を口から垂らして、苦しそうにしているのである。
「薬を飲ませた。」
「何の⁉」
「ちょっと強烈なやつ。」
「はあ⁉」
「おとなしくさせるやつだよっ。ほら、押さえてて!もうちょっと!」
つまり鎮静薬。だが、リンはまだもがき続けている。
そうこうしていると、リンの体からすうっと力が抜けていった。その体は徐々にぐったりして、カイルが言った通り、おとなしく後ろのリューイに凭れかかったのである。そもそも意識が無く、気付けば眠っていた。
時間にして、ほんの数分間の出来事だ。
そこへ、夜明けの暁光が射し込んだ。
寝息をたてているリンを抱き寄せ、膝の上に寝かせて、リューイはふうと一息ついた。
ギルとレッドは疲れきって、肩で息をしている。
エミリオの指からは血が流れていた。
リューイは、リンの上唇をチラと捲り上げてみる。
「牙が引いてる。」
「顔色もだ。」
ギルが言った。
「朝に・・・なったから?」と、レッド。
「邪気とかそういう闇の力は、確かに暗い時間や場所で発動されやすいけど・・・この治まり方は薬のおかげ。今回は夜明け前だったから、薬を使わなくてもすぐに治ったのかもしれないけど・・・この子の体・・・もしかしたら、この子の場合は朝が来て治まるというより・・・朝までもたないんじゃあ。呪いの力で筋力や身体能力が一時的に増強してるのだとしても、動いているのはあくまで八歳の体。薬が効くってことは、この間も脳や内臓は完全には支配されていなくて、正常に機能してる・・・。毎晩、体が耐えられなくなるまであの状態を続けているとしたら・・・あんなの・・・この子の体が壊れてしまう。」
エミリオの傷の手当てをしながら、カイルは渋面を浮かべて答えた。
「じゃあ、さっさとあれ・・・浄化ってのをやってやれよ。それで解決じゃないのか。」
リューイが言った。
「できない・・・まだ。」
「なんで。」
「リューイ・・・。」
エミリオが、静かに声をかけた。
「呪いがかけられているものは、今どこにある。」
続いてそう問うたのは、レッドである。
「どこって、この子の・・・あ・・・。」
気付いたと分かると、エミリオは頷いた。
「それは今、この子の首に嵌っていて、呪いのせいで取れない。きっと、それしか方法が無いんだ・・・カイルが知る限り・・・いや、きっと一般的な精霊術や神精術には。」
「この村に来て、カイルがいろいろと調べたがったのは、だからだろう。」
ギルも重い口調でそう続けた。
浄化の儀式を行えば、呪詛を介したものは、どす黒い紫色の炎を上げて砕け散る。これまでにも、一行は体験してきたことだった。
「もっと・・・早く知ることができていたら良かったのに・・・。」
レッドが空けてくれた場所に膝を付いたカイルは、ゆっくりと手を動かして、労し気にリンの額を撫でた。
「この子・・・毎晩 縛られてたのかな・・・。」
「当たり前のように、おとなしくしてたよ。」
「これからも・・・。」
声が震えたのでリューイが窺い見ると、カイルの瞳は潤んでいた。
どう説明されていたのか・・・この少女は、されるまま素直に言うことを聞いていた。仕方がないながらも、形だけを見れば虐待と同じ仕打ちを受けて・・・いや、受け入れてきたのである。
リンを哀れに思う気持ちと、助けてあげることができない悔しさのせいでこみあげてきた涙。この少年は、精霊使いでも上級の強い霊能力と、優秀な腕を持っている・・・が、このままでは無力だ。
「誰かに相談とか・・・したのかな。」
それはない・・・と、エミリオやギルには分かった。カイル自身も、うすうす気づいていながら口にしたことだ。
村人たちが医者にかかるのをしぶっていたのは、病院が遠いという理由だけではあるまい。それには費用がかかる。良心的で正統という、この二つをそろえた術使いを見つけるのは、名医を探すよりも難しい。下手をすれば、高額な謝礼金をぼったくられることになる。なのでカイルのような、その二つが備わるうえ強力な精霊使いというのは、非常にありがたく貴重な奇跡の存在である。
「町にはもっと優秀な術使いがいて、何か方法があるかも。」
まさか匙を投げ始めたのかと、仲間たちは焦った。お前がやらなくて、誰がやるんだと。諦めるのはまだ早い。そう叱りつけてやりたいのを堪えて、ギルやレッドは顔を見合う。
「カイル・・・。」
エミリオは、気弱な表情を浮かべている少年の肩に手を置いた。
「もう少し調べてみよう。」
「昨日はあまり時間もなかったし、な。」
ギルも語気を強くして、横から声をかけた。
「俺、毎晩この子の面倒みるからさ。」と、前からリューイ。
「俺も付き合う。」と、後ろからレッド。
「・・・うん。」
「それじゃあ、まずは・・・。」
顔を上げて立ち上がったギルは、部屋のドアへつま先を変える。
「ああ。」
エミリオとレッドも同様、そう頷きながら体を向けた。




