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1. 子爵家の末娘 ファトラ



 整形庭園の花々がまだほこらしげに咲き乱れている初夏、色とりどりの花壇かだんと、綺麗にり込まれた生垣いけがきの通路を通り抜けて、バルトはいつもより二時間も遅れて出勤した。いや、遅れてはいない。今日は、本来なら昼まで寝床ねどこにいても誰にも文句を言われることはない正式な〝お休みの日〟である。


 アレン・バルト。モリス子爵の用心棒を務める彼は、屋敷に仕える衛兵の誰よりも腕のたつ剣豪けんごう。彫りの深い引き締まった顔立ちの三十代だ。


 子爵の大邸宅は、母屋おもやと別館の二棟に分かれている。正門から入ると真正面に見える母屋はその親族が生活をする住居、後ろの別館にはモリス子爵の執務室や事務所、それに衛兵や使用人のひかえ室などがある。つまりは職場である。


 母屋の前まできたバルトは、足を止めて重いため息をついた。実は昨夜、飲み仲間たちから嫌な話を聞かされていた。それは、モリス子爵とその一家に対する悪評。バルトも懸念けねんしていることではあったが、このリディバという町を治める領主は、ずさんで無秩序むちつじょ統治とうちによって住民たちを苦しめている。医療、福祉、教育、住居、治安に至るまで上に嘘の報告をし、体裁ていさいばかり整えて横領おうりょう疑惑が絶えない。私腹を肥やして、ぜいの限りを尽くしている・・・というような噂である。


 具体的にその一つを挙げると、例えば治安。強盗ごうとうや、最も多い傷害事件を起こすのは、だいたいよそから来たならず者と言われる者たち。それらをろくに取り締まることができないのは、まず人手不足が大きな問題としてあった。それは町の秩序ちつじょを保つための機関全体に言えることで、そこで実際に働く者たちの報告や意見、時には訴えに、耳を傾けるふりをしながら聞き流す。よって、彼らは何年も変わらず過酷かこくな労働を強いられ、その激務に耐えている。アレン・バルトもそうだったが、それについては、彼自身は特に不満に思うことはなかった。それほどタフなのである。彼は、従順で都合のいい用心棒だった。


 そして、ろくに取り締まれないのは、子爵が人手不足によってそうなるようわざとしていると噂する者までいる。そんなならず者でも町で飲み食いし、宿泊してくれる。店に金は払うが、町民をおどして金品を巻上まきあげるやからを、領主は放っておくよう指示しているようなものだと。恐ろしいのは、それが全くの言いがかりというわけでもないことだった。


 そのため住民は政権交代を望んでいるが、当然のことのように、子爵位は世襲により、それを支える役人には、子爵夫妻が選んだ貴族がくというくつがえせない制度が続いている。実際、住民の暮らしは良くなるどころか、最悪の時代を迎えていた。


 バルトは母屋を回って別館へ向かおうと、つま先を変えた。


 すると、母屋の大きな玄関扉が開いて、中から鮮やかな黄色のドレスを着たお嬢様スタイルの少女が出て来た。その通り、彼女はこの子爵家の末娘で名前はファトラ。色白で赤味を帯びた金髪に茶色の瞳、やや上向きの愛らしい唇は、いつもべにをさしたように朱に染まっている。


「おはようございます、お嬢様。」

「おはよう、バルト。でも、もうすぐお昼よ。珍しく遅刻?」

「まさか。特別出勤です。」

「そうなの。」

「お嬢様、お屋敷を出られてどちらへ?」

「ただの散歩よ。今日は快晴で、庭園のお花がとても綺麗に観られるでしょう?」


 ファトラがそう言って目を向けたマリーゴールドの花壇を、バルトも振り返って見た。

 今通り抜けてきた花壇の列は、太陽光をいっぱいに浴びた、赤や黄色やオレンジがまぶしいラウンド形のそれらではなやいでいる。

 おかげで、先ほどまでの憂鬱ゆううつをしばし忘れることができたバルトは、向き直ってファトラの首に注目した。


「ところでお嬢様、今日は可愛らしい首飾りをされていますね。」


 バルトがそれを見て、美しいではなく可愛いという表現を使ったのは、その首飾りは選び抜かれた一級品の宝石ではなく、それを真似まねて背伸びしている天然石で作られているからである。パールを編み込んだようなクリスタルリングの真ん中に、水色のそれをあしらって首回りにぴったりとはまっている、つまりはチョーカーだ。


「さっき子供たちが持ってきてくれたのよ。もうすぐ私の誕生日だからって。」

「十八歳のですね。おめでとうございます。」

「まだ早いわ、バルト。」 


 はずむような足取りで玄関ポーチの低い階段を下りたファトラは、バルトにニコッと微笑んで、その横を通り過ぎた。


 ファトラは、この地方の貴族の中でも、特にお高く留まっている一族の血が流れていながら、おごらず素直で人を見下みくだしたりしない。飲み仲間たちが言うように、ほかのその身内については、バルトは人間性を疑うような悪い噂をよく耳にするのである。子爵家の用心棒を務めている彼としては、あまりいい気はしない。彼自身、ファトラ以外のその家族の言動には、正直目に余るものがあると感じている。それゆえ、その末娘のあどけなさに、バルトはいやされた。


 ファトラと別れたあと、バルトは再び別館へ足を向けた。その前には守衛が二人いて出迎えてくれる。


「おはようございます、バルトさん。あれ、今日は休日では?」

「特別勤務だ。午後から侯爵閣下と騎士団が直々に視察にいらっしゃる。聞いてないのか。」

「ああ、そうでした・・・すみません。」


 バルトは呆れ顔をその男に向けながら館内へ入り、二階へ続くエントランス正面の階段を上がって、そのままモリス子爵の執務室へ向かった。













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