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【裏】

 明日、十七歳の誕生日に私は結婚する。半年前のプロポーズから、この日をどれだけ待ちわびた事か。廃嫡された彼に付いて来てきて五年。ついに彼のお嫁さんになれるのだ。私はこの五年間を、いや、記憶を取り戻してからの十年以上の年月に想いを馳せた。


 幼いころ、赤みがかった金髪で、水色の瞳の少年の夢を時々見たが、絵本か何かで見たのだろうと、大して気にする事は無かった。

 少し裕福な人々が利用する食堂の三番目の子供として生まれた私は、物覚えの良い子ではあったが、それだけの普通の子供だった。四歳で読み書きや、簡単な計算などが出来るようになったものの、元々店のメニューを毎日目にし、仕入れに付いて回るうちの兄達も、五、六歳で読み書きが出来るようになっていたし、簡単な計算も七、八歳で出来ていたらしいから、そんなに浮く事もなく、ただ、女の子は成長が早いのかねと笑って終わりだった。


 しかし、六歳の時に状況は一変した。きっかけは王太子の成人を祝うために、街の至る所飾られた姿絵だった。それを見た途端、一気に記憶が甦ったのだ。自分がフォスティーヌ・アウデバートで、アドルフ王太子の婚約者だった事や、九歳で死んで、平民の少女サーヤとして生まれ変わったのだという事を。

 でも、今の自分の身分も見た目も判っていたから、特に何をするでもなく、ただ、彼が幸せならそれで良いと思っていた。

 実際、今生の自分に不服はなかった。いくら走っても平気な丈夫な身体や、どこにでも気軽に出掛けられる身分は、気楽で楽しいものだったからだ。


 しかし、心のどこかでもう一度会いたいと思っていたのだろう。十歳の時に城の下働きを募集しているのを知った途端に、応募していた。親には事後承諾だったが、特に反対はされる事は無かった。


 遠くから一目でも、そう思ってついた仕事は大変ではあったものの、給金も良く不満はなかった。ただ、時折耳に入ってくる王太子の噂話は、あまり良いものではなかった。

 新しい婚約者を蔑ろにしているとか、学園時代の恋人が未亡人になった途端に縒りを戻したとかいう話は、聞いていて残念だとか悲しいと思う以上に、腹が立つものばかりで、


(アディったら、何で婚約者を大事にしないの?しかもオーレリーと恋人同士だなんて・・・あの()は昔から私の物を欲しがってばかりだったけど、まさかアディに手を出すとは思わなかった。でも、誑かされるアディもアディよ!それに兄さまは何をしているの?こうなる前に何とかするのが側近の仕事なのに!)


 などと、一人で憤っていた。

 そんな時、遠くからだが、アディを見る機会があった。彼は皮肉な笑顔を浮かべ、第二王子に何か言っているようだった。思わず隠れたが、おそらく彼は気にも留めなかっただろう。


(あんな笑いかたをするなんて…彼はもう、私の知っているアディでは無いのかもしれない…)


 仕事を辞める潮時かもと考えるようになった頃、突然彼が病死したと発表された。それを聞いた時は、あまりのショックで二日ほどは食事も何も手につかずにいたが、すぐに病死は表向きの話だと気付いた。貴賓牢から一般牢に移る人がいると聞いた時だ。事実、一般牢に移ってきたのは、書類上は平民のルドルフという男性だったが、アディに間違いなかった。


(これは・・・死んだ事にして、どこかに追いやられるって事?いったい何をしたら、そんな事に?いや、それよりも、まずはどうにかして、彼に付いて行く方法を考えよう。おそらく平民上がりの従者見習いあたりを世話役兼見張りで付けるはず。何とかして私がそれに為らないと!)


 だから、そこからは使える知識を全て使ってアディの見張り役として、自分を売り込む事にした。読み書きが出来る事はもちろん、簡単な料理や家事がこなせる事、なにより、十二歳の自分を誰も警戒しないだろうと言って。牢番をしている兵士からその上司へと話を持って行かせ、さらに、上の役人へ話が良く頃には、見張り役は、ほぼ私で決まっていた。


 それと同時に、こうなった原因も探った。城の下働きなどというものは、高位の役人や貴族からすれば存在しないも同然だから、その気になれば噂話などはすぐに拾えるし、それ以上の話も場所さえ間違えなければ可能だ。その結果、アディがオーレリー達と共に犯した罪について知る事が出来たのだが、それと同時に、かつての自分の死の原因も知る事になった。


(叔母様が私を殺したんだ…)


 ショックだったが、何故か、どこかで納得している自分がいた。普段は優しく振舞う叔母から、時折り向けられていた憎しみに満ちた視線の理由が判ったからだろう。それに怒りをぶつけようにも、叔母はすでに毒杯を与えられた後だった。



 アディの見張り役として決まった私は、いろんな書類にサインをしたり、報告義務の確認などの書類を暗記するよう求められたりした。役人の中には、平民の小娘には無理だと決めつけている者もいるようで、何度も繰り返し質問してくる者もいた。ただし、彼らが相手をしているのは十二歳の平民の少女ではなく、二年とはいえお妃教育を受けた事のある十五歳の意識を持つ私だという事だ。


 出発の一週間ほど前。担当の役人が、諸々の注意事項を再度ねちねちと話した後に、指示されたら使うようにと言って渡してきたのは、薄い緑色の液体が入った小瓶だった。これには見覚えがあった。お妃教育の一環である毒物の勉強の際に出てきたもので、これは飲むと長い時間ひどく苦しむ上に、すぐに毒殺だと判る種類の物だ。


 もし、この先瓶の中身を使うよう指示があった場合、それに従えばアディは苦しんで死ぬ事になるし、毒殺の犯人として私が疑われるのは火を見るよりも明らかだ。


(この役人、何かあったら私ごと始末する気だ…)


 しかも、指示に従わずにいたら、別の見張り役に命を狙われる可能性がある。どうしようか考えながら自室に戻ろうとしていると、第二王子であるフィリップ殿下がお忍びで私の前に現れた。


「君が兄に付いていってくれると聞いた。どうか兄の事を、よろしく頼む」


 どうやらアディの事を心配して、わざわざ私に会いに来てくれたようだ。これ幸いと、私は怯えた振りをしながら彼に小瓶を見せる事にした。


「あ、あのぅ、お役人様から、指示があった時に使えと言って渡されたんですが、こ、これってもしかして毒・・・ですか?」


「これは…」


 その小瓶を見たフィリップ殿下は顔色を変えた。おそらく彼には毒の事は知らされていなかったのだろう。ちょっと預からせてほしいと言って私から瓶を取り上げた彼は、翌日、別の小瓶を持って現れた。その瓶に入っている毒は、苦しまずに死ねるし、素人目には毒殺だと判らないものだという事は、すぐに判った。

 

「サーヤといったね。君は二週間に一度の定期連絡を連絡員に入れるよう言われていると思うが、出来ればそれとは別に、兄の様子を毎月私に手紙で知らせて欲しいんだ。頼めるかな?」


「は、はい、それぐらいなら大丈夫です」


「ありがとう。それと、もし瓶の中身を使うように指示があっても、すぐには実行せず、必ず私に確認を取って欲しい。良いね?」


「判りました!必ずそうします!」


 そう返事をした私に、殿下は小瓶と共に結構な額のお金と印を渡してきた。この印の押された手紙は、必ず自分に届くからと言って。

 

 こうして私はフィリップ殿下に直接手紙を送る手段を手に入れた状態で、アディに付いて行く事になった。



 領地は王都から馬車で五日ほどの所にある小ぢんまりした場所で、屋敷もそれに倣ってそう大きくはなかった。到着してすぐに、私は屋敷の空気を入れ替えるという名目で、すべての部屋の窓を開けて回るついでに、屋敷の中の様子を見て回る事にした。


 一番最初に考えたのは毒薬の瓶の隠し場所だった。台所周りや、私自身の私室は危険だと判断する。ではどこに?外部の者が簡単には入れず、しかも私の持ち物だと特定されない場所。となれば、必然的にアディの寝室か書斎しかない。しかし、うっかりアディが見つけてしまう可能性があるため、慎重に考えなければならなかった。

 その時、あるものが目に入った。


(まさか、()()がこんな場所にあるなんて!)


 それは書斎に飾られている、なんの変哲もない植物画だった。しかし、それに使われている額縁は、実はある伯爵家お抱えの木工技師が得意とする仕掛け付きの物で、前世の母がこれとソックリの物を持っていたのだ。


『ねぇ、フォスティーヌ。女には時には秘密が必要なのよ』


(確かにそうね、お母様)


 その額縁の仕掛けは、色んな箇所を少しずつ動かしていかなくてはらない上に、動かす箇所を巧妙に判りづらくしてあるため、知らない者には簡単には開けられないようになっている。しかし、持ち主には判るよう、ある種の印が施されているのも確かだ。だが、今すぐは開けれそうにないため、家具類に掛けてあった布で隠すようにして、こっそり自室に持ち込んだ。


 そして深夜、見張られている可能性を考え、明かりは灯さずに暗い中、手探りで仕掛けを探る。ヒントは基本、絵に隠されていた。


(中の絵が入れ換えられていなければ、確か、一番左上に描かれている物を、額の右下から探せば・・・)


思った通り、右下の飾り彫りの一部が動いた。後は空いた隙間に回りのどこかがスライドするから、それを慎重に繰り返す。十二回動かした時点で、指二本分程度の空洞が現れた。


(やった!)


そこに、綿入りの袋に入れて下履きの紐にくくりつけていた毒薬の瓶を袋ごと丁寧にしまうと、元通りにしっかりと閉めた。これを明日の朝、掃除のついでに書斎に戻せば完了だ。


 もちろんフェイクの瓶は自室の整理ダンスの引き出しの奥に入れた。これはあらかじめ用意しておいた王都で流行しているオレンジの花の香水で、それを油紙で包み、その上から麻紐をぐるぐると巻き付け、さらには封蝋用の蝋燭を垂らし、少し冷めるのを待って人差し指を押し当ててある。これで簡単には開けて確認出来ないだろう。


 後は見張りだが、それは定期的に回ってくる傭兵姿の連絡員の他に、元からこの領地になじんでいる者の中にもいるはずだった。一番有力なのは、情報が集まりやすい宿屋か酒場の主か従業員だろう。そこらを見極めたうえで、さりげなく味方に引き入れなくてはならない。


(おそらくその見張りの評価が、アディの生死を決める事になるはずだ)


 

 着任してから三週間ほどは、新たに雇う人の手配や荷物の整理に追われ、あっという間に過ぎて行った。しかし、その後は秋の刈り入れまでまだ少し間があるせいか、書類仕事が終わった後は毎日手持無沙汰にしているアディの様子が気になったので、村長と町長を招いて話をするよう、お膳立てる事にした。


 ただ、その話をする直前、彼からカヤネズミを見たいと言われた事には、びっくりした。私自身はこの身体に生まれ変わってから、何度か兄たちと一緒に見た事があったが、前世では一度も見た事が無く、絵本の中の存在だった。

 そういえば、いつか一緒に行こうと約束していたが、もしかして覚えていてくれたのだろうか?だったら、すごく嬉しい・・・


 カヤネズミを見るために二人で野原へと向かう道すがら、もうじき秋の刈入れだから、大変ですねと話を振る。どんな風にするんですか?と聞くと、アディはちょっとばかり困った顔をした。


「実はよく判らないんだ。これまで見た事も無かったから」


「なら、聞いてみたらどうですか?領地によっても違うみたいだし、ここではどんな風にしているのか、村長に聞いたら良いんですよ。ついでに町長も一緒に来てもらったら、話が一度で済みますし」


「そうだな。だったら悪いが二人に連絡を入れておいてくれるか」


「良いですよぉ、あ、ここです、この野っぱら!」


 丸い巣の中の小さなネズミを見る彼の顔は、何故かとても寂しそうに見えたが、二人で見れた事が嬉しかった私は、つい、笑ってしまった・・・



 村長達との会合はそれから三日後に行われたが、応接室でアディを待つ二人があまりにも緊張しているので、


「大丈夫ですよ、ルドルフ様は優しい方ですから。秋の刈り入れの話が聞きたいとおっしゃっていたし、他にもお願いしたい事があるのなら、遠慮なく話して下さいって」


 と請け負った。どうやら前の代行が高圧的な態度をとる人だったようだが、まだ少女の私が優しいと言うくらいだからと安心したのだろう。途端に緊張がほぐれたのが判った。おかげで、その後のアディとの話し合いも上手くいったようだ。


 この領地では、農民だけでなく、領民すべてが何らかの形で刈り入れや種まきなどに関わる事が決まっているらしく、その割り振りなどは、村長と町長が決めているという。

 そして、収穫された麦などは三割が領主に、一割が教会に納められ、残りを村民と町民に、それぞれ働きに合わせて分配されるのだという。

 刈り入れの打ち合わせが済むと、町と村の両方からの要望として新しい橋の建設の話が上がったが、その日のうちに視察に出かけたアディは、あっという間に手続きを済ませ、驚くほど速く新しい橋が出来上がった。領民たちは橋の完成とその手際の良さを喜び、中にはわざわざ、アディの背中を叩きに来た大柄の男までいた。


(おそらくだが、あの男が見張りだろう。酒場の主人だというし、間違いないと思う。何とかして彼を私の、そしてアディの味方にしないと。その為には、何かきっかけが必要だけど…)



 この領地の農園は、古い荘園制の三圃制農業を今だに行っているが、農民達はそれぞれの自宅の周りに小さな畑を作っており、そこには色んな野菜が植えられている。領地の改善の手始めはそこら辺からだと思ったが、アディがその事に気づいているか判らないため、疑問という形でぶつけてみる事にした。

 彼は一応気づいているようだか、すぐに変える気は無さそうだったため、需要を作って村長辺りから働きかけるように仕向ける事にした。

 何が良いか考えた末、育成が早く家畜の飼料にもなるカブとビーツ、そしてここらでは余り栽培されていないジャガイモが良いと思った。カブは村人たちの庭の畑にも植えてあったから、これに関しては、おそらく抵抗は少ないはずだ。


 町の教会横の広場で週二回開かれる市で、偶然を装って酒場の主人であるグスタフに声をかけ、ビーツとジャガイモが欲しいが、ここらでは余り手に入らない事を嘆き、その美味しさを力説してみた。もちろん私の実家が王都で食堂をしている事も忘れずに付け加える。

 すると一週間もしないうちに、グスタフから声が掛かった。ビーツとジャガイモがそれなりの量手に入ったから、旨いと言っていた料理を作ってくれないかと頼んで来たのだ。

 早速、酒場の厨房でビーツのシチューと揚げジャガイモを作って見せた。もちろん芋の芽はとる、緑になった物は使わない等の注意事項はちゃんと伝え、リンゴを一緒に入れておく事も勧める。


 ベーコンや玉ねぎと一緒にゆっくり煮込んだビーツは深皿に盛り付け、ラードで揚げたジャガイモにはハーブを混ぜた塩を軽くふる。


「これは・・・うまいな!」


「でしょ?うちの食堂でも、人気メニューだったんだから!」


 この思惑は上手くいき、作り方を覚えたグスタフが酒場のメニューに加えると、一気にビーツとジャガイモの需要が増えた。おかげで休耕地の一部にカブと共にその二種類が植えられる事になった上に、耕作用の牛も二頭買う事になった。これまでは村長の飼っているラバに中型の鋤を引かせていたらしいから、これで一気に農作業の効率が良くなるだろう。

 あと、今の時期、家畜の値段は比較的下がっているはずだからと思い、ついでを狙って


「牛を飼うんですか?やった!搾り立ての牛乳!」


 と言ってはしゃいでみせたら、上手くいったので少し驚いた。


 牛の引く大型の鋤は領内の鍛冶屋に注文を出したが、乳搾り用のバケツや、牛乳の保存瓶(魔道具)は、野菜の種や種芋と一緒に、隣の領地で月に一度立つ大市で購入するという。

 牛乳で浮かれる姿を見たせいか、市には私も連れて行ってもらえる事になった。


 搾乳に必要な物を買って来るようお金を預けられた私が、魔道具を扱う店で大きさの違う保存瓶を見比べていると、あるものが目に入った。

 それは牛等に引かせて使う魔道具で、土魔法が付与された鉄板が囲いのように取り付けられていて、畝を作るのと同時に、等間隔に種を蒔く事の出来る種蒔き機だった。

 王都近くの農地でも使われはじめている物で、なんとしても手に入れたかったが、誰が見ているか判らないため、ちょっとした芝居を打つ事にする。


「おじさん、この変わった形をしたのって、何に使うの?」


「おっ、嬢ちゃん、お目が高いねぇ。これは最新の種蒔き機だ。これさえあれば、種蒔きが楽になる上に、穫れる作物はでっかくなるってぇ優れものだよ!」


「え、でっかく?だったらカブは?」


「普通の倍の大きさだな!」


「倍…なら、じゃがいもは?」


「ゴロゴロ、わんさかとれるぞ!」


「ゴロゴロ、わんさか・・・あっ、でも私、そんなにお金持ってないや。これは搾乳の道具と保存瓶用だし…」


「いやいや嬢ちゃん、お代は届けた時に払ってくれたら良いよ。そうだ!今買ってくれるなら、保存瓶は無理だけど、バケツとこし器はおまけで付けてあげるよ、どうだい?」


「おまけで?う~っ、・・・よし、買った!」


「毎度ありー。で、どこに届ければ良いんだい?」


 私が場所の説明をしようとしている所に、ちょうどアディが来たので、そこでようやく我に返ったふりをした。


「あ、ルドルフ様、見てください、すごいんですよ、これって・・・あぁ、しまった!」


 その後は泣き落としでなんとかなったが、自分でも少々わざとらしい芝居に恥ずかしくなってしまい、途中からは顔が上げる事が出来ずにいた。




 冬の間、薪を節約しようとする私を気遣ってか、最近アディが食堂で仕事をするようになったので、ここで(サーヤ)の有用性をアピールする事にする。


「あの、ルドルフさま。私、簡単な計算なら出来るので、よかったら手伝わせて下さい」


「そう?なら、これを頼んでも大丈夫か?」


 そう言って渡されたのは、この屋敷の収支が書かれた書類だった。食費や、私を含めた使用人の給料に、馬や牛などの家畜の飼料代などが書かれていたが、どの月を見ても、あるものが抜けている。


「ルドルフ様、これには元になる予算が書かれていませんが?」


「えっ?最終的に領地の予算から引くのだから、必要無いだろう?」


「えっ?!」


 どうやら彼は領地の運営費の中に屋敷の家計も組み込んで考えていたようだが、これは一歩間違えると横領扱いになってしまうため、急いで説明する。


「実家の食堂でも、店の運営費と家の家計費は別扱いでしたよ。例えば、牛は領地の所有ですから、その飼料代やの世話をする二人の給金は領地から出しますが、日々の食費や生活にかかる分、そして屋敷の従業員の給金はルドルフ様のお給料の中から支払わなければいけないはずです」


「・・・言われてみれば、そうだな。俺の給金か・・・考えた事も無かったな。前任者の給金が判らないから、とりあえず屋敷の管理に必要な金額を出してくれるか?それと同額程度を俺の給金にするから」


「そんな事をすれば、ルドルフ様の手元には、ほとんど残りませんが・・・」


「かまわないよ、月に三、四回グスタフの店に行けるぐらいが残れば良いし」


 そう言われたので、仕方なく必要経費の平均額を出すと、彼は着任した月まで遡り自分の給金を計算し、新たな書類を作りだしたので、私も手伝う事にした。でも、とりあえずこれで横領に問われる可能性は無くなっのだから、良しとしよう。



 春になり、ジャガイモの収穫が終わると、今度は豆とトウモロコシも植える事になった。畑の作物の残渣は基本、畑の肥料と家畜の餌になるが、家畜の数が増えたこともあって新たな粉砕機も購入して、飼料用と肥料用を分けることになったらしい。

 領民の生活が、少しずつ豊かになっていくのが実感出来た。


 ◇*◇*◇*◇*



 こちらに来て、そろそろ二年が経とうかという頃、アディに聞かれた。


「サーヤは、俺が誰だか薄々判っているのだろう?」


「えぇっと、まぁ、何となく?」


「では、俺のやった事も大体知ってるよな。そんな俺と働くのは嫌ではないか?俺が仕出かした事は、女性であれば嫌悪感を抱くものだからな」


 まさかそんな事を言われるとは思ってもいなかったが、いい機会だから、前から聞きたかった事を聞く事にした。


「私は未だ男女の関係とか言われてもよく判りませんから、何とも言えません。でも、それって周りの誰も止めなかったんですか?」


「止める者もいたよ。アンセルムと言って、俺の側近だった男だ。ただ、俺がそいつの言葉を聞かないどころか、側から追いやったんだ。彼は俺に愛想をつかして隣国に留学した上に、帰国後は領地に引きこもってしまった。それでも、時々は手紙をくれていたのに、俺はそれを読みもしなかった…(もしかしたら、何か彼女について書いてあったかもしれないのに)」


 最後の方はあまりに小さな声で呟いていたため、聞き取りづらかったが、その言葉を聞いて、少しだけ安心した。実はアデイの側近だった兄・アンセルムに対して、彼があんな事になるまで何をしていたのかと、ずっと腹を立てていたのだ。でも、兄はちゃんと出来る事はしていたようだ。

 それと同時にフォスティーヌの死が、私の想像以上にアディに影響を与えていた事に気づいたが、それはいくばくかの喜びと共に、どうしようもない悔しさを私にもたらしていた。


(彼は今も金の髪と空の様な瞳の少女の事を想っているのだろうか?)


 今の茶色の髪も瞳も気に入ってはいるが、あの華やかな美しさと比べられたら、太刀打ち出来ない。自分の前世に嫉妬するなんて馬鹿らしいと思いながらも、その悔しさが消える事は無かった。



 相変わらず最低限の給金しか計上しないアディは、その冬、溜め池と用水路の整備をする事を決めた。これはグスタフが、『東に見える山の雪が少ない年は、夏の雨が少ない』とアディに言ったせいだが、元々は村の年寄りが言っていたのを、私が噂話として広めた結果だった。

 それが本当かどうかなど判らないが、作物も家畜も増えてきたため、そろそろ水の確保をきちんとしなければならない段階に来ているのは事実なので、ちょうどいいと思って利用させてもらったのだ。材木商や土魔法を持つ住人達と話し合っている彼を見ながら、ずいぶん変わったなと思った。


 そういえば、秋に領内の子供や老人達と一緒に森へキノコ狩りに行った時、一人の幼女が迷子になったのだが、その時彼は領民を率先して探しに行ったのだ。幸いな事に子供はすぐに見つかったのだが、その途中でイエローリンクスに出くわしたアディが怪我を負い、血だらけの手で帰ってきたのを見た私が大泣きをしたのは、消してしまいたい思い出ではあるが。



◇*◇*◇*◇*



 四年目の秋にアディが馬から落ちた時は、自分でもどうしていいか判らなくなるほど慌てた。倒れたまま動かない彼をヨアンの手を借りてベッドへ運び、メリネに急いで医者を呼びに行ってもらったが、彼が意識を取り戻すまで生きた心地がしなかった。その間、何度アディと叫びそうになるのを堪えたか。

 幸いにも大事に至らなかったが、痛み止めのせいか、いつもより饒舌な彼の言葉は、私にある決心をさせるに至った。


 これまでも何度か≪自分はフォスティーヌの生まれ代わりだ≫と伝えたいと思った事はあった。しかし、それは所詮ティーの代替え品としての愛情しかもらえない上に、今の自分を否定するようで、どうしても出来なかった。そう、私は彼にとって、フォスティーヌ以上の存在になりたいのだ。

 オーレリーの様な代替え品ではなく、生まれ代わりなどという曖昧な存在でもなく、ただ、≪平民のサーヤ≫としてアディに愛されたいと思っている。

 だから、そのための努力をしよう。少なくとも、彼にとって側に居てほしいと思ってもらえる存在にならなくては。だから心の中でアディと呼ぶのも、もう止める事にした。彼もまた、≪ルドルフ≫という存在に生まれ変わって此処にいるのだから。


(でも、だったらなんて呼ぼう?やっぱりルディ、かな?)



 馬の暴走に関しては、最初は見張り役の男を疑ったが、すぐにサージの仕業だと判明した。私に気のあるあの男は、私が自分になびかないのはルディがその事に反対しているせいだと決めつけて、嫌がらせのためにオナモミの実を鞍とサドルクロスの間に挟んだのだという。


 ひとつ間違えれは、大怪我どころか死んでいたかも知れないとヨアンに責められたサージが、顔を青くして謝っていたせいか、ルディは大事には至らなかったからと、今後一切、領主館の敷地への立ち入り禁止を命じただけで、その処分を終わらせた。

 でも、私はそれだけで済ませる気はなかった。さりげなくだが、明らかに悪意を含んだ噂を流し、この領地に居られなくなるよう仕向けたのだ。

 後日、彼の父親が二度目の謝罪に訪れた時、遠くの親戚の店を手伝うために、サージが旅立ったと聞かされたから、おそらく上手くいったのだろう。


 その後は大きな事件もなく、穏やかな時間が過ぎていった。その間も、ルディは水車を使った粉引き小屋の増設や、小さな橋のかけ直しなどを行い、確実に領地を良くしていった。


 そして、新たな橋の建設した時、これからも一緒に見届けてほしい言われたのだ。それは愛の言葉ではなかったが、彼の横に立つのは私だけだと言われたようで、嬉しかった。



◇*◇*◇*◇*



 ここにきて五年目となる秋を迎えたころ、嬉しい手紙が届いた。ルディの見張り役は当初5年の契約で、その後は未定だったが、ここ最近の領地の発展や、彼の仕事具合から、延長はないとの連絡が来たのだ。これで一安心だった。

 あの瓶はもう必要ないだろうから返せと言われるだろうか?そんな事を考えているうちに、季節は巡り五度目の春を向かえた。



「サーヤ、少しいいかな」


 書類仕事が一段落ついたようなので、お茶の準備をしようと思っていると、ひどく改まった様子のルディが声をかけて来た。


「俺は過去に罪を犯したどうしようもない奴だし、男としても、子を生す事の出来ない半端者だ。おまけに領主代行といっても、貯えもろくにないただの平民だ。だが、今度こそ間違いたくないんだ。だから・・・もしサーヤさえ良かったら、俺と結婚してくれないだろうか?あっ、もちろん、十七歳になってからだし、無理にとは言わないが・・・」


 私の両手を自分の手で包み込むように握りながら聞いてくるそのまなざしは真剣なもので、私だけを見つめていた。


(あぁ、ようやく・・・)


 どれだけこの言葉を、瞳を待ち望んだろう。胸が熱くなる。


「もちろんです。私で良ければ・・・こんな・・・嬉しいっ!」


「ほんとに?でも、お金は無いし、子供も望めないよ?」


「そんなの、欲しければ養子をもらえば良いんですから、問題ないです。ルドルフ様こそ、本当に私で良いんですか?」


「うん、サーヤが良いんだ」


 

 それから二か月ほどたったころ、殿下から瓶を中身ごと処分するよう手紙が届いた。私は引き出しの奥から取り出した小瓶を、手紙に書かれていた処分方法通りに処分した。




  ◇*◇*◇*◇*



 兄がサーヤと結婚した。おそらく兄はサーヤに対して、何の警戒もしていないのだろう。五年前の私と同じように。

 しかし、この五年間でその評価は大きく変わっていた。兄上の領地は小さいながらも順調な発展を見せているが、そのいくつかは彼女が誘導したとしか思えない節があったのだ。それは何気なく、さりげなく行われているので、領地の密偵さえも気づいていないようだが、おそらく間違いないだろう。

 そして先日、例の瓶は処分したと書かれた手紙が届き、密偵からも確かに処分するのを見届けたと連絡をもらったが、私は何故か彼女があの毒を処分せずに持っている様な気がしてならなかった。


 この先、兄が彼女だけを見て、真面目に働いている限りは、おそらく兄は無事なのだろう。出来る限り長生きして欲しいとは思うものの、全ては、彼女の思惑次第なのかも知れない・・・

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[良い点] すごくすごくすごく良かった! 元王太子は自分の悲しみを最優先にし、痛みを持て余してそれを周囲に怒りとしてぶつけて楽になろうとしていたんだな。フォスティーヌが亡くなった時に彼も新たに生きる…
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