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【表】

<概要>

 王太子アドルフは、十歳の時に一つ年下の婚約者フォスティーヌを病によって失った。それから二年後、新な婚約者が決められるが、それは七歳も年下のデルフィーヌだったため、彼は相手にならないとばかりに年の近い恋人を作り、婚約者をおざなりにし続ける。


 しかしやがて月日は流れ、幼女だった婚約者も婚姻できる年齢(十七歳)となり、いよいよ結婚式まで後半年となった時、アドルフは恋人やその妹を使ってデルフィーヌを訴えるという暴挙に出た。


 しかも それは自分達の犯した横領の罪を彼女に被せた上に、姦淫の罪まで捏造するという悪質な物だった。しかし裁判ですべてが明らかになり、アドルフは恋人オーレリーやその妹アリエルと共に捕われの身となる。

 おまけに病で死んだと思っていたフォスティーヌの死が、実はオーレリーの母親が仕組んだ毒殺だったと知り、ショックを受けて取り乱す事に。 


 その後、廃嫡されたアドルフは表向き病死として処理、子を生せない身体とされて、小さな領地へと向かうことになった。

『アディ、こっちよ!』


 植え込みの向こう側から小さな手が振られる。それを目指して進むと、やわらかなハニーブロンドの癖毛が見えた。その持ち主は、大きな楡木の側に置かれたベンチ座り、何かを楽しげに見ている。


『ティー、そんなところで何見てるの?』


『絵本よ。見て!カヤネズミの家族のお話なの。すっごく小さなネズミでね、お母さんネズミでも、大人の親指位なんだって。お母様は領地で見たことがあるって言ってたわ。私もいつか見てみたいなぁ』


 空よりも鮮やかな青い瞳に憧れを浮かべ、絵本を見る彼女の隣に腰掛ける。侯爵の領地までは、馬車で二日ほどだが、あまり身体の丈夫ではないティーは行った事がない。


『領地まで行かなくても、王都の近くで見れる所があるだろうから、今度一緒に行こう』


『ほんと?嬉しい!』


 お日様のように明るい笑顔の彼女と、このままずっと一緒にいるのだと信じていた……




 昔の夢を見た。まだ、彼女が元気だった頃の夢だ。あの約束も、結局果たせなかったな。もし過去に戻る(すべ)が在るのなら、あの頃に戻ってあの女を殺してやるのに。そうすれば、ティーは……




「あっ、ルドルフ様、起きました?」


 平民のルドルフとして王都から遠く離れたこの場所に来て、もうじき一ヶ月。ようやくここでの生活にも慣れてきた。廃嫡された俺についてきたのは、城で下働きをしていたこのサーヤだけだが、彼女のお陰でなんとかやっていけている。


「すぐに朝ごはんにしますね」


 両手に抱えていた薪桶を下ろすと、おさげにした茶色い髪を揺らしながら台所に走って行く。

 小さくて茶色くて、クルクルと動き周り、よく働く。まるでカヤネズミみたいな子供だと思った。


『カヤネズミのお母さんは、とっても働き者なのよ』

ティーの声が蘇る。


 ここの領主館は大して広くなく、一階部分は納屋と倉庫、そして食堂、台所と従業員用の部屋が二部屋あり、二階部分には主寝室と書斎、子供部屋に使われていたらしい二部屋に客室が一部屋、後は応接室兼執務室があるだけだが、さすがにサーヤだけでは手が回らないため、村で小さな宿屋を営んでる一家の次男夫婦を雇った。彼らは通いで、夫のヨアンは主に厩舎で馬の世話と庭仕事を、妻のメリネはサーヤの手の回らない掃除や洗濯を受け持っている。


 そして領地は領主館のある村と、川を隔てた町からなり、馬で三時間もあれば廻り切れる小さなもので、日々の仕事はそう多くはない。地域がら、大型の魔物はあまり出てこず、せいぜいホーンラビットや岩猪、たまにビッグアイと呼ばれるイエローリンクスが出る程度だ。

 領民は俺が元王太子だという事を知らないし、時々王宮から派遣されてきたらしい人物(恐らくは見張りだろう)を見かけるが、それ以外はのどかな場所だった。


 朝食後、書類仕事を少しした後、馬で近場をまわる事にした。

 馬の背に揺られながら、これまでの事を色々考える。裁判の事や、その後の父との話し合い、そしてオーレリーの事を。



◇*◇*◇*◇*



 オーレリーに初めて会った時、俺はティーが生き返ったのかと思った。それほど二人は似ていたのだ。もっとも、すぐにその中身は全然違う事に気づきはしたが、そんな事はどうでもよかった。ティーによく似た顔のオーレリーをこれ見よがしに側に置く事で、俺は周りに思い知らせているつもりになっていたのだ。


 そう、十三歳だった俺は、ありとあらゆる事に腹を立てていた。新しい婚約者や、彼女を婚約者に決めた両陛下、そして俺を置いて死んでしまったティーにさえもだ。

 今思えば、下らないガキの反抗心だと判る。しかも、結局それを二十四歳になるまで引きずっていたのだから、自分でもあきれるしかない。どんな馬鹿だ。


 いや、馬鹿どころではないな。俺は新しい婚約者を蔑ろにしただけでなく、濡れ衣を着せ、破滅させようとしていたんだから、子爵夫人(あの女)と大して変わらないクズだ。


 最後に聞いた父の言葉が忘れられない…

『残念だよ、アドルフ。本当に残念だ……』



◇*◇*◇*◇*



 昼食に間に合うよう領主館に戻り、朝から気になっていたことをサーヤに聞くことにした。


「カヤネズミですか?」


「そうだ。どこに行けば見られるかな」


「だったら、村外れの野っぱらに行ったら良いですよ。ススキや茅なんかがいっぱい生えてますから。なんだったら、午後から一緒に行ってみます?」


 そう言われたので、午後からサーヤと歩いて野原に向かった。彼女はしゃがんだり、背伸びをしたりしながら何かを探していたが、


「あっ、あった、あった。ルドルフ様、こっちです。しー、静かに。そーっと近づかなきゃ、びっくりして逃げちゃいます」


 そろそろと歩くサーヤについて行く。


「ほら、あの丸っこいのが巣で、あの中で子育てするんです。あっ、お母さんネズミが帰って来た」


 そこには、驚くほど小さなネズミがチョロチョロと動き回っていて、


「あぁ、ほんとに小さいな」


「ふふっ、良かったですね、無事見れて」


 頭にススキの穂をくっつけたサーヤが笑った。




 その夜、またティーの夢を見た。幼い姿の俺達は二人で手を繋ぎ、今日行った野原を歩きながら、カヤネズミの巣を探していた。


『これくらいの丸い固まりがあったら、それが巣だよ』


 今日仕入れたばかりの知識を、さも、前から知っていたかのように披露する。


『判った!』


 そう言って一生懸命目を凝らして巣を探す彼女の横で、同じように探す。


『『あっ、あれ!』』


 同時に見つけた丸い固まりに、二人でそっと近づく。巣を覗くと、小指ほどの子ネズミが4匹、モゾモゾ動いているのが見えた。


『小さいね』


『うん、すごく小さい』


『見れたね』


『うん、見れた。すごく可愛い』


 嬉しそうにクスクス笑うティーの横で、俺も笑った。



 目が覚めた時、すごく幸せな気分だった。たとえ夢であっても、ティーとの約束が守れたのが、嬉しかったのかもしれない。

 それから俺は、度々あの野原に足を運んだ。最初に見つけた以外にも、いくつか巣があった。空の物も、親ネズミだけの物もあったが、丸い固まりを見つける度に俺は中をのぞいて歩いた。



 いくら小さい領地と言えど問題が無いわけではない。その日は村長と町長からの要請もあり、村と町をつなぐ三つの橋のうち、一番大きい橋を見に行った。それは領地の中心部にあり、言われてみればずいぶんと老朽化している。村長の話によれば、馬車は重さがあり過ぎるため、危なくて通れず、人と馬、後は小型の荷車が何とか通れる程度だという。


 早急にかけ直す必要があると判断し、調べてみると、二年ほど前に先代の領主代行がかけ直そうとしていたが、業者と支払いの事でトラブルを起こし、棚上げになっていた事が判った。

 急いでその時の業者に手紙を書き、代替わりした事を伝え、きちんと支払いの手続きを取ると同時に、ついでだからと建設業者の紹介もお願いして、その手数料も上乗せした。すると、すぐに資材と建設業者がやってきて、一週間ほどで古い橋のすぐ横に新しい橋が出来上がった。

 古い橋は取り壊し、廃材の大半は薪として再利用する事になった。


 これには領民たちも驚き、それと同時に大層喜んでくれた。特に村に住む医者が必要な年寄り達の喜びようは、ひとしおだった。

 訳を聞くと、どうやら町で診療所を開いている医者親子のうち、若先生は馬に乗れないため、これまでは老先生が馬で往診に来てくれていたらしい。しかし、これからは馬車で往診が出来るため、若先生も往診に来てくれる上に、村で病人や怪我人が出ても、すぐに診療所に運べるという。


 おまけに、この橋が出来たおかげで行商人も村まで来れるようになったし、農作物も町に売りに行きやすくなったと笑顔で答えてくれた。なんだか面映ゆいが、領地の流通が良くなったら、いずれ活気も出てくるだろう。


「ほんと、助かったよ。ありがとうな!」


 俺の肩をバンバン叩きながら、髭面で大柄の男が礼を言ってきた。その力の強さに、思わずよろけそうになる。


「あぁ、すまんな。あんたは一応、領主代行様なのに。平民だって聞いてな、つい気やすくしちまった」


「いや、気にするな。確かに俺は平民だしな」


「そうか?ありがとよ。いや、前の奴が子爵かなんかの三男だとかで、やたらと偉そうにする奴でな。良かったよ、あんたが新しい代行で」


 ガハガハと笑う男はグスタフだと名乗り、町で酒場をやっているから、いつでも来てくれと言って立ち去った。


(俺で「良かった」、か・・・)




 その夜、夢の中で幼い姿の俺は、ティーと手をつないで新しい橋を渡っていた。村の子供達がしていたように、橋の真ん中で二人で跳び跳ねながら、声をあげて笑う。


『丈夫だね』


『すごく丈夫。すごいね、あっという間にできたね』


『みんな喜んでた…』


『うん、喜んでたね。良かったね』


『ねぇ、ティー・・・子供の頃、将来は絶対善き王になるって、君と約束してたのに…ごめんね』


 そう、俺はずっと彼女に謝りたいと思っていた。いろんな約束をしていたのに、結局どれ一つとして守れていなかったのだから。しかも[善き王]どころか、あんな事をするクズに成り果てたのだ。謝るぐらいで済む話ではないが、それでも謝りたかった。


『…うん。でも、もし、いつかアディが[善き領主]になれたら、その時許してあげる』


『…代行だけどね』


『それでも、だよ』


 ぎゅと握ってくる彼女の手の温もりが、これが夢だと判っていても嬉しかった。



◇*◇*◇*◇*



 裁判の後、貴賓牢に入れられた当初は、自分のした事は棚にあげ、あの女への怒りで頭がいっぱいだった。しかも、知らなかったとはいえ、その娘と懇ろになっていたのだから、怒りは自分自身にも向いていて、何度も額や拳を壁に打ち付けた。

 皮膚が破れ、血が出ようとお構いなしに打ち付け続けたため、しまいには衛兵にベッドに縛り付けられたが、それでも怒りは治まらず、その後は声が枯れて出なくなるまで、喚き続けた。


 声が出なくなると、今度は腹の中で悪態をつき続けた。あの女やオーレリーは元より、ティーの死の疑惑を教えてくれなかった(ティーの両親である)アウデバート侯爵夫妻や、その疑惑を知りながら、口をつぐんでいた皇后である母、そしてティーの兄・アンセルムに至るまでが、その対象だった。


 しかし、どんなに腹を立てようと、人の身体は正直で、気が付けは俺は眠っていて、起きたら用も足したくなるし、腹も減っていた。そんな当たり前の事に気づいた時、漸く少し冷静になれた。

 腹立ちが治まった訳ではないが、過去にアンセルムに言われた言葉を思い出したのだ。


『殿下はオーレリーではなく、新しい婚約者ともっと過ごされるべきです。フォスティーヌもきっとそう願っていると思います』


 あの時は自分の行動を批判されたのだと思い、腹立ちの余り彼を側近から外したが、その後も何度か手紙が届いていた。あの手紙を読まなかった事が、今は悔やまれる。もし読んでいれば、何か変わっただろうか・・・

 そして、冷静になった俺は、自分が誰とも結婚したくなかった事にようやく思い至った。オーレリーはどう考えていたかは知らないが、王太子と未亡人が婚姻する可能性は、この国の慣習上あり得ない。だから俺は目前に迫った婚姻から何とか逃れたくて、現婚約者を徹底的に排除しようとしていたのだろう。


 しかしそれは相手の事など一切考えない、自分勝手な理由と行動でしかなく、決して許される事ではない。そんな俺がティーの言う[善き領主]になど、なれるとは思えなかった。



◇*◇*◇*◇*



「なんか違う気がしませんか?」


 秋の二月に入ってしばらく経ったある日、サーヤが首をかしげながら聞いて来た。


「違うって何が?」


「畑です。王都の周りにある畑と、ここら辺の畑って…市場で仲良くなった農家さんの家に何度か遊びに行った事があるんですけど、今の時期、畑ってもっと色々植わっていたような気がするんですよね」


「あぁ、それはここら辺は今だに三圃制をとっているからだろう。今は大麦の刈り入れが終わったし、秋蒔きの小麦を蒔いて間がないから、よけいに何も無いように見えるんだと思う」


「三圃制?なんですか、それ?」


「耕地を三分割して、そのうちの一つを春耕地として燕麦や大麦を、一つは秋耕地として小麦やライ麦を栽培するんだ。そして残った一つを休耕地として、それを年ごとに替えていく農法の事だ」


「じゃぁ、王都のあたりは違うんですか?」


「王都は住人も多いから、より収穫が見込まれる改良式か、四輪作法が主流になっていたはずだ」


「ウーン、難しい事は判りませんが、いっぱい穫れるんなら、そっちに変えた方が良いんじゃないかと思うんですが、違うんですか?」


「そうはいっても、それまでと違う方法に変えるのは、色々と問題があるんだよ」


「そんなもんですかねぇ、私だったらいっぱいの方が良いから、すぐにそっちに変えちゃうのに」


 不思議だ謎だと言いながら夕飯の支度にとりかかるサーヤを見ながら、確かにその通りだと思いながらも、かつて王都近郊の畑を四輪作法に変える際に、農民への説得が大変だったと文官たちが話していたのを思い出していた。


(新しい方法をとって失敗するよりかは、今まで通りの方法でいこうとするのが人の心情だ。しかし、それでは発展は見込めない。もし、この領地を発展させようと思うのなら、これはまず最初に取り掛からなくてはならない問題だろう。でも、どうやって説得するか…)


 王太子の時であれば、ただ命令すればよかった。仮に上手くいかなかったとしても、担当者を叱責するだけて済んでいたが、今はそういう訳にはいかない。


(とりあえず来週にでも村長と相談して、一部だけ改良式を試してもらうのが一番だろう。それぐらいなら、何とかなるか…後は税率をどうするかだな)


 散々頭を悩ましていたが、村長との話し合いは、思っていたよりすんなりいった。結局、休耕地の一部に育成の早い上に家畜の飼料にもなるカブとビーツを、その後は最近需要が増えているらしいジャガイモを植える事になり、その税率も、耕作用の牛を此方が購入する事を条件に、これから二年間は三割を物納することで話がついた。

 ただ、牛を飼うと聞いたサーヤが、


「搾り立ての牛乳!」


 と、目を輝かせた為、雄牛を二頭購入予定だったのが、雌牛を加えた三頭を購入する事になってしまったが。

 ついでに牛に引かせる大型の鋤を町の鍛冶屋に注文し、牛達の世話係として、村長の孫の十二歳になるケインと、十歳のマーシを新たに雇う事にした。放置されていた牛小屋も、二人がきれいにしてくれるらしい。


 その後、牛や野菜の種、ジャガイモの種イモなどを買うために向かった隣の領地の市場で、搾乳に必要な道具を買いに行っていたはずのサーヤが、≪大きなカブやジャガイモがわんさか穫れる種まき機≫なるものを押し売りされる事になったのだが、これはありがたい誤算だった。


「ルドルフ様、本当に申し訳ありません!つい、おじさんの口車に乗ってしまって…うぅっ・・・何か月かかるか分りませんが、代金は私のお給料から支払いますんで・・・」


 涙目で謝るサーヤがあまりに哀れな様子だったので、その必要はないし、もしかしたら本当にそうなるかもしれないから試しに使ってみようと言ったものの、実はあまり期待はしていなかった。


 しかし、それは思わぬ拾い物だったようで、種まきが楽になった上に、畑に自動的に畝が出来るおかげで、雑草の除去が楽になったと農民達には大層評判が良かったのだ。

 しかも、実際に取れたカブは、他の畑の物よりもずっと大きかったため、結局同じものを二台、追加で購入する事にした。


「怪我の功名って、こういう事を言うんですかねぇ」


 すっかり機嫌が良くなった上に、自分の手柄だとばかりに話すサーヤの鼻高々な様子は、なんだか微笑ましく、少し笑えた。

 


 冬の一月となり、外に出るには寒い日が続きだした。

 最近は、薪がもったいないからと理由をつけて、食堂で書類仕事をするようにしていた。ついでに繕い物をするサーヤにも、食堂でするよう言いつける。でないと彼女は火もろくに焚かない寒い中で仕事をしようとするからだ。


「ルドルフ様、休憩にいたしましょう」


 そう言ってお茶を入れてくれる彼女に、ある日一緒に飲むように誘うと、最初は恐縮していたが、やがてそれが日課となり、二人でお茶を飲みながら、少しずつだが色んな話をするようになっていった。だから、前から気になっていた事を聞く事にした。


「ここに来ることを、家族は反対しなかったのか?」


「あー、私、四人兄弟の三番目で、実家はちょっとした食堂をしているんですけど、そこは一番上の兄が結婚して継ぐ事が決まっていて…だから、ちょっと訳アリの方のお世話をしたいって話をした時、母さんが、あんたの好きにして良いって言ってくれたんです。だから大丈夫ですよ」


 照れたように笑うサーヤとその言葉に、少しほっとした。華やかな王都と違い、ここには若い娘が楽しむ物など何も無い。


「ルドルフ様こそ大丈夫ですか?ここには何にも無いし、綺麗な女の人もいないし…退屈じゃあないですか?」


「そんな事ないよ。最近新しい趣味も出来たし」


「新しい趣味?何ですか?」


「カヤネズミの観察と、サーヤの観察」


「何ですか、それって」


 酸っぱい物でも食べた様な顔をするサーヤを見て、思わず笑ってしまった。



 春になると、冬場に十分な飼料があった為か、家畜達の出産が相次いだ。冬の終わりに植えたジャガイモの収穫も目を見張るもので、気を良くした村長との話し合いで、今度は新たに豆とトウモロコシも植える事になったのだが、そこで粉砕機が一台しかない事が問題になった。

 収穫後のジャガイモの地上部は粉砕して畑の肥料にするのだが、それには動物が食べると毒になる成分が含まれるため、万が一家畜の餌に混じったりしたら困るというのだ。


 結局今後も家畜が増える可能性を考え、今ある物は飼料専用にして、肥料用の新しい粉砕機の購入と、放牧場の拡張を決めた。


 少しずつだが、確実に領地が豊かになっていく様は、見ていて殊の外充実感があった。


 夏になれば、冬場に備えて領地の小さな森で薪用の木の伐採があり、その後は新たな苗木を植えたし、秋にはキノコ採りにも皆で出掛けた。

 その時、ちょっとしたアクシデントが起きたが、そのお陰で領民達との距離が近くなったと思うのは、気のせいではないだろう。もっとも、サーヤを泣かせてしまったのは、少しばかり不本意だったが。


 そして、時々はグスタフの店にも顔を出した。酒場特有の喧騒の中で生ぬるいエールを飲みながら、領民達の話に耳を傾ける。グスタフは意外と事情通で、何でも元は冒険者だったらしい。


「魔獣との戦いで足をやられちまってよ、思うように走れなくなったのさ。幸いそれなりの蓄えはあったから、田舎でのんびりしようと思ったわけよ。でもまぁ、俺がここに来て10年近くになるが、今が一番だ。これも、みーんなあんたのおかげだな!」


「そうか?」


「おうよ。後はそうだな、可愛い嫁でももらって、ここにずっと居てくれりゃあ、俺としたら万々歳だ!」


 ガハガハと笑いながら、バシバシと背中を叩いてくる酒場の主人の言葉を聞きながら、少し顔が熱いのは、エールのせいだと思う事にした。



◇*◇*◇*◇*



 賭博場に通うようになったきっかけは、オーレリーが行ってみたいと言ったからだが、その後は俺自身がのめりこんだ。酒と喧騒と賭け事がもたらす高揚感の虜になったのだ。

 もちろん女もそこで覚えた。香水と白粉の匂いを纏った快楽は、一時ではあるが不愉快な現実を忘れさせてくれたし、少なくとも、腕の中の女の身体は冷たくはなかったから。


 オーレリーからも、何度かそういう関係になりたいと仄めかされたが、未婚の貴族令嬢である彼女と身体の関係を持つ気はなかった。数年前から、婚約者が予算を余り使わないのを良い事に、それを使ってオーレリーが欲しがるドレスや宝石を買い与えていたが、だからと言って、彼女が婚約者になった訳ではないし、そうする気もなかったからだ。


「王命である婚約が覆る事はないから、君との結婚は不可能だ。だから、そういう関係にはならない方が良い」


 そう言って断っていたが、本音は、既成事実をたてに婚姻を迫られたりしたら面倒だというものだった。

 事実、彼女が未亡人として王都に戻って来てすぐに、身体の関係を持ったのだから、あの頃の俺の身勝手さには、あきれるばかりだ。



◇*◇*◇*◇*



 こちらに来て、そろそろ三年がたつ。一昨年から本格的に四輪作法を取り入れた事で、農地の生産量は格段に上がり、家畜の数も増えてきた。やはり安定した飼料の栽培が効いているのだろう。

 去年の冬の内に溜め池や用水路の整備も進めていたお陰で、雨の少なかったこの夏も問題なく過ごせた事もある。


 そんな中気がかりなのは、半年ほど前からサーヤにやたらと話しかけている男の事だった。馬の世話を頼んでいるヨアンの弟で、肉や野菜のなどの配達をしてくれているらしい。


「最近ヨアンの弟と仲が良いみたいだな」


「サージの事ですか?あははっ、そうですかね?」


「あぁ、何かとサーヤに話しかけているように見えるが?」


「うーん、きっと村には年の近い子が少ないからですよ!」


 そう言ってサーヤは笑うが、何故か俺は納得出来なかった。

 ここに来た頃と比べて少し背が伸び、体つきも娘らしくなってきた彼女は、その明るさもあって男達の視線を集めつつあり、俺はその事も気にくわなかった。


(まるで嫉妬しているみたいだ。あんな子供に?まさか・・・)




 ティーは今も時々夢に現れるが、俺もティーも少しずつ成長していた。今では二人とも十二歳くらいで、領地のいろんなところに手を繋いで出かけていた。ため池でボートに乗った事もあれば、用水路で釣りをした事もある。

 それでも時々はカヤネズミの巣を探して歩きまわった。巣は子ネズミがいる時もあれば、空の時もあったが、いつでも彼女は楽しそうだった。


『ねぇ、ここにも巣があるよ』


『ホントだ。ふふっ、アディーと一緒にいろんな所に行けて楽しい!ここに来れて良かった!』


 そう、夢の中でこの小さな領地は、いつしか彼女との想い出でいっぱいの場所になっていた。




 その日も、いつものように領地を廻るために馬に乗ろうとしたのだが、俺がまたがった途端、馬が暴れだした。


「オーラ、オーラ!」


 落ち着かせる為に声をかけながら手綱を軽く引き、何とか制御しようとするが、馬は首を左右に振り、いっこうに静まらない。


「代行さま!」


 ヨアンも慌てて寄って来て、遠巻きに声をかけながら落ち着かせようとしてくれているが、馬は暴れる事を止めず、それどころか後ろ足を大きく跳ね上げた。

 その為、バランスを崩した俺は身体か落ちていくのが判ったが、そのまま為す術もなく地面へと叩きつけられてしまい・・・




『カヤネズミ…見に行こうって言われた時、すごく嬉しかった。あぁ、覚えていてくれたんだなって』


『うん。でも、ホントはずっと忘れてたんだ』


『けれど、思い出してくれたでしょ?』


 いつの間にかティーと俺は、最初にカヤネズミを見た野原にいた。


『私、ここに来られて本当に楽しかった。出来なかった事もいっぱい出来たし、何よりアディと一緒に過ごせたから。でも、もう大丈夫そうだね・・・』


 そう言って、 じゃあねと手を振るティーに、俺も手を振る。恐らく、彼女がこれまでのように夢に出て来る事はもうないだろう。何故かそんな確信があった・・・




「ルドルフ様、気がつかれましたか?はぁー、良かった。今、お医者様をお呼びしますね!」


 気がついたとき、最初に目に入ったのは、少しやつれたサーヤの顔だった。急いで部屋を出ていく彼女の後姿を見ながら、自分がそれほど落ち込んでいない事に気がついた。それはきっと彼女が側に居てくれるからで・・・


 医者から軽い打ち身と脳震盪だろうから、それほど心配は要らないだろうが、明日までは目を離さないよう言われたサーヤは、一晩中俺に付いているつもりなのだろう。ベッドの横に椅子を持ってきて座っていた。痛み止めのせいか、少し頭がぼんやりするが、俺はなぜだか喋りたい気分だった。


「なぁ、サーヤ、聞いてくれるか?俺は昔すごく大事な子がいたんだ。その子とずっと一緒だと、疑いもしなかったが、ある日突然その子は死んでしまって・・・俺は何をどうしたら良いか判らなくなったんだ。だってずっと繋いでいるはずだった手が空っぽになってしまったから」


 彼女は黙って聞いてくれるので、俺はしゃべり続けた。


「小さな手だった。でも、温かくて・・・だから、その温もりがなくなった途端、どんどん身体も心も冷えて行くようだった。でも、周りは新しい手をとるように言ってきて、そして前に進めと・・・一応、言われるがままにその手を取ってみたが、おれには到底、温まるとは思えなかった」


「それは、新しい婚約者様ですか?」


「うん、それともう一人、まがい物だけど。でも、違ったんだ。俺が勝手に温まらないと決めつけていた上に、差し出された手は、もっとたくさん有ったんだ。ただ、俺がそれに背を向けていただけで」


 今なら判る。でも、当時は自分の悲劇に浸り、すべてを歪んだレンズごしに見ていた。妹を、娘を亡くした彼らがどれほど辛かったか、少し考えれば判るはずの事が判らなかったのだから。

 それでも彼は手を差しのべてくれていた。それに両陛下も、忙しいだろうに頻繁に声をかけに来てくれていたのに・・・


「ホントに馬鹿だったんだ。それで、その報いを受けて、こんなところに追いやられて・・・でも、ここに来て、俺のする事を皆が喜んでくれて、俺で良かったって言ってもらえて、漸く普通に笑えるようになった気がするんだ」


「良かったですね。でも、私を見て笑うのだけは、やめて欲しいです」


「あぁ、ばれてたんだ」


「当然です!」


 少し怒った顔をするが、すぐにふふっと笑うサーヤにつられ、俺も笑った。


 馬の暴走の原因は、すぐにヨアンの弟の仕業だと判った。サーヤに恋していた彼は、彼女が自分になびかないのを俺のせいだと勘違いして、嫌がらせに草の実を鞍の下に入れたのだという。

 平身低頭して謝る彼を、今後一切領主館の敷地内に立ち入らない事を条件に許す事にしたが、結局は遠くの親戚の家に働きに出る事になったと、後日聞いた。


 その後は、小さな橋の架け替えや、新しい水車小屋の建設など新たな仕事はあったものの、比較的穏やかな日々が続いた。

 サーヤは食堂で仕事をする俺の側で、時々計算を手伝ったり、繕い物をしたりしている。その横顔を見ながら、俺は自分の心が温かいものに包まれている事を、改めて実感していた。


 翌春、さらに領地が賑わいを増してきた頃、新たな橋をかける事にした。今度のは馬車や荷馬車専用で、一部に鉄を使った幅広の頑丈な物だ。それまでの橋は人専用とするため、橋の両端のまん中部分にそれぞれ杭を一本立てた。


「来た当初と比べて、ずいぶん賑やかになりましたね」


「ああ、でも、まだまだこれからだ。・・・だから、サーヤ、これからも一緒に見届けて欲しい」


 そう言って、そっとサーヤの手を握る。その手はカサカサで、しかし、とても暖かかった。


(働いている者の手だ・・・俺の手はどうだろう)


 繋いでいない方の手を見る。小さな傷がいくつもついていた。これは植林のさいに枝に引っ掻けて出来た物で、こっちは森で迷子になった子供を探していた時に遭遇したイエローリンクスにやられた物、こっちは・・・


(そろそろ、働いてる者の手になってきたと言えるだろうか。なら、今度こそ、大事だと思えるものを手放したくない)


 そう思い、さらに彼女の手をぎゅっと握る。すると、


「もちろんです!」


 返事と共に、しっかりと握り返されたその手の温もりに、ようやく正しい道に戻った気がした。この手さえあれば、もう迷う事はない。そう思える温かさだった。



◇*◇*◇*◇*



「デルフィーヌ、兄上が結婚したそうだ。相手は平民で、まだ17歳らしい」


 それを聞いたとき浮かんだのは、五年前、まだ夜が明けきる前の薄暗い中、小さな少女に手を引かれるように粗末な馬車に乗り込むアドルフ様の姿だった。17歳という事は、あの時の少女なのかもしれない。


 彼に対して恨みが全くないと言えば噓になる。しかし、大事に思っていた婚約者を失った彼もまた、子爵夫人の犠牲者でもあるという事を考えると、どういう形にしろ、幸せになって欲しいと思った。


 このように思うのは、私自身が母になったからかもしれない。眠る我が子を眺めながら、第一王子として生まれたこの子の行く末を考える。出来るだけ、きちんと向き合って育てよう、そう心に決めた。

暦について


私の書く異世界の暦は、基本的に全てがこの設定になっています。


春の一月~三月(いちつき、につき、さんつきと読みます)

夏の一月~三月

秋の一月~三月

冬の一月~三月 の十二か月


新年は春の一月一日

新学期は秋の一月一日開始

一ヶ月は全て30日で一週は6日 五週で一ヶ月


風の日、火の日、水の日、木の日、鉄の日 土の日で、一週間

土の日は安息日で休み

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― 新着の感想 ―
前のお話しの感想欄で、この元王子様はボロクソ言われてて、分からなくもないんだけど、でも、日本人、厳しいなあって思っちゃって。 彼くらいいきなり反省したり良い人になるってことはリアルではほぼないから、…
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