第九話 忘れる
吉田寺が座っていた蓮華座の後ろに七輪が置いてあり、竹の串に刺したみたらし団子が三本焼いてあった。
餅の部分は綺麗な丸ではなく不格好で、火の入れ過ぎで、所々焦げが酷い。果たして美味しそうには見えないが、千春は端の串を掴むと、無造作に口に入れた。
「ちょっと千春ちゃん。食べても大丈夫なのかい?」
何の警戒もなく、当たり前のように味わう千春を鹿目は心配する。
「毎日食べとった。大丈夫や。不味いけどな」
千春はそう言って、二本目の串を取った。
「これを食べて、飢えを凌いでたの?」
「そうや。あいつが焼いとった。私が、並松商店街のみたらしが好きなん覚えてたんやろ」
鹿目が残った串に手を伸ばすと、ピシャリと手の甲を叩かれる。
「三本目はあいつのや。食べたらあかん」
「吉田寺は、砂になりましたけど?」
「それでもアカン。置いておいて」
モゴモゴと口を動かしながら、大人のような目で鹿目を睨む。分かりましたと言って、鹿目は食べ終わるのを待った。
「ご馳走さま。ごめんな神使、帰ろっか」
鹿目と千春が並んで歩くと、すぐに砂になってしまった吉田寺の近くに来た。辺りは、突然出来た砂場のようになっている。
ふいに千春は屈むと、ポケットに砂を掴んで入れ始めた。
千春の格好は、幼稚園で決められた体操着なのだろう。紺色の短パンは、すぐに砂だらけになった。
「何してるの?」
咎めるような感じではなく、心配になって鹿目は尋ねる。千春は、一心不乱に砂をポケットに詰め込んでいた。
「庭に埋めたるの。可哀相やろ」
「そっか。でも全部は無理だよ」
「わかった。もう止めとくわ」
ポケットをパンパンにして立ち上がる。
帰ろっか、と千春がまた言った。
極楽橋は、何の問題もなく渡ることが出来た。千春にとっては一週間ぶりの外の世界である。錆びだらけの車を見て驚いていたが、助手席には黙って座った。エンジンも無事にかかってくれたので、すぐに出発する。
二十五号線に出てしばらく進むと、法隆寺の南大門に連なる松並木の前を通った。左右に松が植えてあり、真ん中の参道を歩いていけば、南大門に着く。千春を送り届けたら、法隆寺を殺る為に戻って来なくてはいけない場所だ。一瞬だが、巨大な南大門も見えた。
仕事は少しも片付いていない。
だが、やり遂げないと帰還することが許されない。
鹿目は、ズボンのポケットで端末が震えているのに気が付いた。国道二十五号線のど真ん中に車を停めてサイドブレーキを踏むと、急いで端末を取り出して耳に当てた。鹿目は軽薄だが、ながらスマホはしない男だ。
「もしもし。エントリーナンバーキュー番。鹿目征十郎で御座います」
「御座います? 随分と礼儀正しい言葉使いになっているな。暫く奈良に居てもらった方が良さそうだ。あはははは」
快活に笑う声は女で、威厳に満ちている。鹿目が口ごもっていると、女は笑うのを止めて言った。
「天音だ。状況はどうだね? 鹿目中尉。君の事だから、奈良に入ってまず、美味しい物でも食べたんじゃないのかい?」
「い、いえ、そのような事はありませんよ大佐」
ラーメン屋が運良く開いていたので、寄り道したという事実を鹿目は揉み消した。
「ぽっくり、いえ、吉田寺に取り憑いていた化け物を一匹と、境内にいた化け物を一匹。併せて二匹討伐出来ておりますよ。ウヘヘへ」
「気持ち悪い笑い方をするな、鹿目中尉。虫酸がはしるだろ」
ピシャリと平手打ちをされた気分になって、鹿目は口をつぐむ。電話口で鹿目と会話している女は、上司の天音コヨリ。神使としての格も、頭の回転の早さや業務を遂行する能力も、鹿目とは比べ物にならない程優れている人物だ。鹿目はこの女に頭が上がらない。
「まあよい。奈良に入って三時間か……。上出来だな。そのまま、しっかりと励めよ」
「ハハッハッハ――! その節は何卒、どうぞご贔屓に」
スマホを耳にあてがった状態で、鹿目は電話口の向こうにいるであろう上司へ、大袈裟に頭を下げる。
天音コヨリの最後の言葉は、「日本語の勉強をしておけ」だった。
「神使も、色々大変やな」
助手席から千春が鹿目を見上げている。鹿目は返す言葉が見付からなかった。
質素な造りの部屋で、椅子に腰を沈めていた天音コヨリは、先ほどまで部下との会話に使用していた端末を執務机に置いた。
引き出しを開いて、分厚いスケジュール帳を取り出すと、真剣な面持ちでペンを走らせる。
書き留めている内容は簡単なものだ。
――鹿目征十郎、奈良入り後、三時間で吉田寺を討伐。次回の定時連絡は十八日の午後三時とする――
奈良は、忘れられて魔都化が進んだ。
故に、奈良に神使を送り込むと、その事実を思い出せなくなるのだ。ものの数分の内にである。
なので、覚えている間に記録を残す必要があり、その時に何を決め行動しようとしたかを書き記しておく。
室内の壁には奈良の場所を示した日本地図が貼られている。そこに奈良があったと忘れない為だ。
軍部で時刻を言うとき ヒトヒトマルマル~みたいな感じでいうヤツ。
あんな感じに変えればよかった。