scene.57 明日へ歩く Ⅵ
1日のうち3時間はケルシーに
1日のうち1時間はマリアに
夏季休暇中の俺の時間はいつの間にやら切り売りされていたわけだが……
「違います」
隣には我が敬愛なる婚約者様が身体を密着させるようにして座っていて、笑顔で否定の言葉を投げつけて来た。美少女からは良い匂いがすると聞いたことがあるが、確かにフェリシアからは良い匂いがする気がする。
「でも、ユラントは父上も褒めていたぞ?」
「それはそうですよ、派閥と能力は別の問題ですからね。ユラント家は実利を重んじられるので国にとっても悪い事ばかりではないのです。ドレイク様もその点は高く評価されておられるのでしょう……ですが、それ故にユラント家は現在シャーロット様……いえ、王家の純粋な派閥とは言えません。」
「難しいな……」
「ここ数年……そうですね、フェリックス陛下が長く臥せっておられる現状もあって今のラーガルは少々ややこしい派閥が形成されているのは確かですね。ですが安心してください、私はその全てを余すところなく隅々まで把握しております」
隣にべったりとくっつきながら、笑顔を微塵も崩すことなくフェリシアは楽しそうに言葉を続ける。
1日のうち3時間はケルシーに……
1日のうち1時間はマリアに……
そして……残りの時間は全てフェリシアのものになっていた。
俺の俺による、俺の為の時間はいつの間にか消滅していた。
諸々の後始末が終わった時、フェリシアは言った。
『残りの時間は私のものになったので、何かされる場合は私に報告してくださいね。そんな顔をされなくても大丈夫ですよ、オーランド様。何をされても構いません……ギルバートと遊ばれるのも良いですし、リリィと遊ばれても良いですし、マリアに抱き着かれて鼻の下を伸ばされても良いですし、ケルシー様の髪を褒められるのも良いですし、アイリを膝の上に乗せて可愛がられても良いですし、お身体を動かすのであればそれも構いません……ただし、全て私に報告してください』
しかし、何をしても良い言う割に、フェリシアは何をするにしても付きまとうようになってしまった。
買い物に行くと言えば当たり前のようについてきたし、寝ると言えば寝るまで話し相手になると言い出すし、復調するまではトイレにまでついて来ようとした。
『大丈夫、任せろと言いながら少し目を離した間に死に掛けてしまうような方でなければ私としても安心できたのですが……ダメですよオーランド様、私は嘘を好かないのです』と、フェリシアは言っていた。
そうして、俺の行動は許可制になってしまった。
「──すので、エルエレンの者は落ちぶれてはおりますし何の役に立つと言うわけではありませんが、王家に対する忠誠は揺ぎ無く、オーランド様と私が結ばれた暁には拾い上げてもう少し囲ってあげても良いかもしれません。あそこは湖があるだけで他に何もないですが、私であれば上手に活用してあげられますしね」
そして、今はフェリシアルートやケルシールートを攻略する為に必須となる貴族についての勉強を、攻略対象であるフェリシア本人から懇切丁寧に教えてもらっている最中だ。
「なるほど……こうしてみるとシャーロット様の味方は確かに少ないんだな。特に王都は酷いもんだ」
「ええまあ……元々ラーガル王国はその名の通りラーガル王家に集まって出来た国ですからね、土地持ちの地方貴族よりもむしろ王都に居る者たちのほうが王家の弱体化がよく見えてしまうのでしょうね。そこに付け入るのは非常に簡単だったのでしょう」
王家を取り巻く環境はあまり芳しくなく、他国の間諜が入り放題になっているとフェリシアは教えてくれたが……話している内容の割にフェリシアは良い笑顔だった。
「なるほどな……………ところで、もう少し離れた方がいいんじゃないか?暑いだろ?」
それに、少し前までは手を繋ぐことすら嫌がっていたのに、最近は誰よりもべったりとくっついてくるようになった。マリアだったら暑くて張り飛ばしていたかもしれないが、相手はフェリシアだ。俺は彼女に逆らうつもりは無い。
「私は暑くないので問題ありません。そのような些細なことは気にせずオーランド様は勉強に励んでください。聞きたいことがあれば私が答えてさしあげますし、わからなければ何度も、覚えるまで何度もお教え致します。」
「そ、そうか」
「もちろん、オーランド様が暑いから離れろと仰られるのであれば従いますし、私に寄り添われるのが嫌だと仰られるのであればすぐに離れます」
「いやいや、そんなまさか──」
俺はフェリシアにはいつだって従う。
機嫌損ねたら怖いしな……なんて事を考えながら口を開いた俺ではあったが……
「真面目に答えてください」
フェリシアは真剣な表情だった。
「私が側に居るのはお嫌ですか?怖いですか?」
とても、真剣だった。
「……嫌なはずがないだろ?でも……怖いのは認めるよ。」
だから、俺も真剣に答える事にした。
右隣にべったりとくっついているフェリシアに向き直って、真面目に答える事にした。
機嫌を損ねれば怖い、目を開けば怖い。怒ったら怖い。
それはそうかもしれないが……本当に怖いのは……
「………そうですか」
そんな俺の言葉を聞いたフェリシアは、目を伏せてそっと身体を離した。
「俺はフェリシアに返せるものが無いから………これだけ真剣にエリーに想われていると言うのに、俺はまあ……何も出来ないから。この先、落胆されるのは……少し、怖い」
フェリシアが俺の事を真面目に将来の夫と見据えていて、俺を支えようとしている事も、その為にいつだって全力なのも、わかっている。もうずっと前から……そんな事わかっている。
俺はそんなフェリシアをずっと捨てようと思っていて、ラーガルを捨てようとしていて…………この6年、笑顔を張り付けていたのはフェリシアではなく……
「エリーが俺の何を見てくれているのかはわからないけど、俺はエリーが思う様な人間じゃないと思うし、側仕えのリリィより弱いし、マリアやエリーみたいな知識もないし……なんか勘違いされてるみたいだけど、俺は責任感が強い男ってわけでもなくて……ちょっと勉強ができるくらいで……」
大切な人達と過ごす毎日に後ろめたさを感じて
楽しいと思う気持ちに嘘で蓋をして
そうやって笑顔を張り付けていたのは、彼女じゃない。
俺だ。
「ああ……そう言う……」
正直に話をする俺の言葉を聞いたフェリシアは、少し離れかけていた身体を何事かを呟きながらもう一度くっつけてきた。
「だからまあ……エリーの事は嫌いじゃないけど、なんて言うか……本当の俺は多分……エリーに応えられるような男じゃないんだよ」
「そうですか」
「ああ……」
誰かの真剣な想いに応えられるほど、俺は出来た人間ではない。
今だって、フェリシアの事を女性として好きなのかどうかもわからない。ただ、昔からよく話す人で、何度も助けてくれた人だから好きだとは思うが、それが果たして異性としての好きかと言われればそれもわからない……我ながらふざけた男だ。
この世界で初めて、思っている事を正直に話した俺の横で
「………」
フェリシアはそっと立ち上がって、口付けをした。
「そう思うのでしたら……」
優しい……唇と唇が少し触れるだけの優しい口付けをして
「……相応しい男になってください」
全身を朱色に染めて、そう言った。
「……お、あ……」
初めてのキスに、俺も火が出そうなほどに熱を帯びた。
「私は10年でも20年でもオーリーを支えてあげますので……私に相応しい男になれたと思いましたら、次はオーリーから……キ………キ……し、してください」
「わ……わかった……」
自分の口に手を当てて、俺はそう言うしかなかった。
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次で2部は終わりです!




