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ショートストーリー

午前0時の白い手

作者: きたかが

 都内某所、オフィスビルの一室に一か所だけ灯された明かりの下、俺は一人パソコンと向かい合っていた。

 俺の職業はシステムエンジニア、それも下請けの下請けの下請けの弱小ソフトウェア開発会社勤務だ。

 時計が午前0時を指す。……今日も家に帰れなかった。

 最近は仕事が忙しく終電で帰れればいい方で、帰る頃には共働きの妻はとっくに眠っていて寝顔しか見れない日々が続いていた。


「会いたいなぁ……」

 ポツリとつぶやいてスマホを開くと、待ち受けの写真の中の妻が眩しい笑顔を俺に向けている。

 その写真は新婚旅行で撮ったものだった。旅行先はベタだがハワイに行った。有給を無理やりもぎ取って、取れなかった冬休みとつなげて一週間の海外旅行。のんびりと愛する妻と過ごした思い出がすでに遠い日のようだ。

 俺と連絡が取れない間にも会社では様々な問題が同時多発的に起きていたらしく、帰国後、ローミングしていなかったスマホを開いた時の着信履歴&メールの嵐には心臓が止まりかけた。まさか、休暇中に会社の主要メンバーが3人も退社していようとは……。

 おかげで大混乱の現場の仕事は残された中堅社員である俺に集中してしまい、新婚生活を楽しむ暇もなく残業が常態化しているというのが現在の状況。


「いかんいかん。こんなことしてたらいつまでたっても終わらない……」

 うっかり写真フォルダを開いて夢のような新婚旅行の思い出に浸ってしまった。未練を断ち切るようにスマホを鞄に放り込む。

 せめて明日の会議の資料だけは作ってから寝なければ……。

 そう頭を切り替えて、スマホを置いてパソコンに向かった時だった。


 暗いオフィスの壁際に、白いものが浮かんでいた。

「……?」

 なにかの光の加減だろうか?と思って見つめていると、それはゆっくりとこちらに近づいてくる。


 よく見るとそれは、手だった。


 白く細い女の右手で、手首のところでスッパリと切れていてその先にあるはずの胴体や頭はどこにもない。

 ただ、手だけが空中に浮かんでいた。

「……!?」

 心臓がキュッと縮こまり息が止まりそうになる。

 体がすくみ上がって動かない中、浅い呼吸を繰り返してその手が近づいてくるのを、ただ見つめる。


 その手は瞬く間に俺に近づいてきて――


 ついに、

 それは俺の頭の上に、乗った。


「はうっ……!」


 その夜の記憶はそこで途切れた。




 目覚めると、ブラインドのすき間から日の光が差し込んでいた。

 どうやら机に突っ伏したまま寝てしまったらしい。

「やべっ!」

 時計を見ると5時。もう朝だった。

 慌てて終わっていない仕事のためにパソコンにまた向かう。

 体は痛いが、よく眠れたおかげか頭はとてもスッキリしていた。

 

 それにしても。

 肩にかかっていたブランケットを畳みながら思う。

 昨日のアレは夢だったんだろうか――?



 昼休みになってやっとスマホを開くと、妻からメッセージがきていた。

『忙しそうだね。ちゃんと寝るときは寝て、食べるものは食べるんだよ!』

 可愛らしい猫のスタンプと共に体をいたわる言葉が胸に染みる。

『昨日はごめん。帰れなかった。今日こそ帰るから』

 メッセージを返して、今日こそは妻の顔が見れる時間に帰るぞ、と決意を固めた。



 ――結論から言うと、今日も帰れなかった。


 以前の案件の不適合が出てしまって、現地対応に飛んだメンバーたちの分まで俺と新人君の二人で現在の案件を進めることになった。

 人数が減っても最終的な納期は変えられない。状況を先方に説明してスケジュールを組みなおして、不適合対応が終わってメンバーが帰ってくる前に進められるところまで進める。限られた人数の中ではそれしかなかった。

 今日も残業仲間たちが次々に退社していき、俺だけが残される。

 節電のためにオフィスの明かりが次々に消され、俺のデスクの上のみの明かりになると、ひどくわびしい気持ちになる。節電を重んじる会社の決まりなのだが、社員の精神衛生も考えてほしい。暗いところで仕事って病むだろ。鬱まっしぐらだろ。

 エナジードリンクを一本飲み干し、パソコンに向かう。


「くそ……、これじゃダメじゃねぇか……」

 引き継いだ他のメンバーの仕事の成果物を確認していると、仕様の問題点を発見してしまった。ともかく今気づけて良かった。これが終盤で発覚したら軽く死ねる。

 増えてしまった仕事をTODOリストに入れて、ひとまず優先度の高い仕事に手を付ける。

 そして時計を見ると、午前0時。……今日も帰れなかった。


 ため息をついて天井を仰ぐと――白い手が天井に張り付いていた。


「!?」

 白い手がふよふよと俺の目の前に降りてくる。

 そして、そのまま俺のデスクに降り立った。

 今度は俺に触れたりせずに、俺のパソコンの横でお行儀よくちょこんと指を揃えて微動だにしない。


「……………………」

 しばらくその手を見ていたが、今は忙しい。害もないただの「手」ごときにかまっている時間が惜しい。

 なぜか昨日ほど恐怖を感じなかったせいもあって、俺は気にせずに仕事を進めることにした。


 しばらくすると、手はデスクから消えていた。

 帰ったかな?などとのんきなことを思いながら、デスクの下でオフィス用のサンダルを足先だけで脱ぐ。 

 背伸びをして、凝り固まった体を椅子の上で左右にねじってほぐす。

「あー……マッサージいきてぇ……」

 この案件が終わったら、絶対マッサージに行く。新婚旅行の時に妻と行ったロミロミ・マッサージで、俺は全身をゆっくりとほぐしてもらう気持ち良さに目覚めてしまっていた。


 ふと、足が温かいもので包まれた。

「……!?」

 驚いてデスクの下を見ると――なんと、白い手が俺の左足の裏を指圧していた。

「……!?」

 なんで手が!? 消えたんじゃなかったのか!? いや、指圧って……!?

 大混乱で動けないでいると、白い手はかまわずに俺の足の裏をぎゅむぎゅむと押し続けている。


 ……気持ちいい……


 靴下の上から、ゆっくりと場所を変えながら足の裏をまんべんなく押していく。全部押したと思ったら、次は指を適度な加減で押していく。


「……まあ、いいか」

 気持ちいいんだし別にいいか、という気になって、またパソコンに向かう。

 膝の下までしっかりともみほぐされて、右足も同じようにマッサージされた。



 その後も俺は案件が落ち着くまで、家に帰れたり帰れなかったりという生活を送っていた。

 そして、午前0時になると決まって白い手は現れて、俺をマッサージしてくれたりコーヒーを入れてくれたり、全社員用の置き菓子のテーブルからお菓子を持ってきてくれたりと、なにかと世話を焼いてくれた。

 こんなに尽くされては、一人ぼっちの残業も悪くはないかな、などと思ってしまう。

 最初こそ気味の悪さはあったが、今や俺は白い手が現れるとうれしいと感じるまでになってしまっていた。



 そして、抱えていた案件が片付いて、やっと定時で家に帰ることができた喜ばしい日。

 愛しい妻が笑顔で出迎えてくれた。

「おかえり!」

「ただいま」

 久しぶりに見た妻の顔と声に、胸がじぃんと温かくなる。

 

 用意された夕食には俺の好きなものばかりが並んでいた。


「ごめんな。寂しい思いをさせて」

 俺が謝ると、妻は笑顔で首を横に振る。

「ううん。案外平気だったよ、気にしないで。大変だったのはマサ君の方だったんだし」

 妻は明るく笑ってごはん茶碗を目の前に置いてくれる。


 しかし――俺は目の前に伸ばされた妻の手を見て固まってしまった。

 だって、この手は妻と会えない間もずっと夜俺と共にいたあの「白い手」にそっくりだったのだから……。


 目を見開いて妻の顔を見上げると、妻はスッと目を逸らして髪をくるくるといじり出す。

 それは隠し事をするときの彼女のいつもの癖。


「――絵里奈、お前もしかして……」

「あっ、今日はね! マサ君の好きな桃もあるんだよ! 切ってあげるね!」

 俺の言葉を遮って妻は小走りでキッチンに行ってしまう。


 いや、どういうことなんだよ。あの手、お前、どうして、どうやって……

 いろんな言葉がごちゃ混ぜになったところで、俺の腹がぐうとなった。


「……まあ、いいか」


 好物の桃が食卓に上がり、「いただきます」と手を合わせて久しぶりの二人の食事が始まる。


 俺の仕事はこんなことばっかりの仕事だ。

 きっと、これからだって同じことの繰り返しで。家に帰れない日だってきっとある。

 すれ違い生活のせいで離婚した先輩だって何人もいた。


 でも、それを結婚前に妻に伝えた時、彼女はこう言ったんだ。


『大丈夫だよ。会いたいときはいつでも会いに行くから』


恋人が激務でなかなか会えない時に、せめて手だけでも置いてってくれたらなあ、とか思ったことはありませんか?ありませんね。私はあります。そういう話です。

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