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伴奏  作者: 槇 慎一
1/17

1 いろいろと予定外


「初恋の相手は?」


 何気なくされる、この手の質問が僕は苦手だった。正直に答えなくてもいい、嘘をついてもいい筈なのに、それもできない。ポーカーフェイスは、できる時とできない時がある。


 幼なじみで、両方の両親にお互いを大切にされてきたという父と母には到底判ってもらえない想いだった。だから僕は、その女には無視してみたり、怒ってみたりした。その後はいつも苦しかった。その苦しさは、みんな音にのせた。音楽は、僕を受け止めてくれた。一人……無伴奏でもいいけど、伴奏がある曲が好きだ。安心して、やりたいことができる。自らの欲しい音を追究できる。だから僕は、ヴァイオリンが好きだ。













 息子の仁は1月生まれ。月齢の割には身長が高い。この春から入園したかった幼稚園に入れなかった。お受験流に言うと、「ご縁がなかった」と言うらしい。


 女の子だったら間違いなく妻の母校である女子校を希望しただろう。仁は男の子だから、僕が通った国立大学附属幼稚園に入れたかった。雰囲気もわかるし、ペーパー試験の相性も良かったし、普通に合格すると思っていた。


 しかし、親子面接で「仁くんはお母様と過ごされた方がいいかもしれませんね」と言われ、仁が「はい。僕もそう思います」と答えたため、これまで通り妻と過ごすことになった。


 年少から入れなくても年中から入れるところを探して、来年お受験させるか、小学校でお受験させるか、それは改めて考えることにしよう。


 それを報告するために、仁のヴァイオリンのレッスンに僕が連れて行った。仁のヴァイオリンの先生は、僕が講師をしている音楽大学の助教授の、小石川ミヤ子先生だ。


 いつもは妻がレッスンに連れていく。小石川先生は、僕の母親よりも少し年配で、暖かくも厳しい指導で有名だ。仁のような小さい子も教えてもらえるとは思っていなかった。


 そもそものきっかけは、僕の父親の実家に行った時に、祖父にヴァイオリンを触らせてもらったことだ。ヴァイオリンが初めてだった妻に楽器を構えさせ、僕が後ろから抱くようにして左手で音程を取り、弓を持つ妻の右手を握った。僕はピアニストだから、ヴァイオリンはそんなに弾けない。弾いたのは『キラキラ星』だ。妻が、僕に抱えられながら、とても嬉しそうにしているのがわかった。僕は、幼なじみだった妻が初めてピアノに触った日のことを思い出した。


 赤ちゃんだった仁は、おとなしかった。しかし、僕と妻が仲良さそうにするのが気に入らないのか、妻に抱っこされるまで気が済まない様子だった。『キラキラ星』を弾いた時は、初めて立ち上がって、僕たちの方に歩いた。立って弾いていた僕たちを見上げ、両手を上げたら尻餅をついた。それからの騒ぎようといったら……。一緒にいた僕の父親は、仁のおとなしいばかりではない様子を見て安心したと言っていた。


 しばらくぐずぐずしていたが、妻の胸にだっこされて歌を歌ってもらうと、安心したように眠った。


 それからすぐに子供用の小さいヴァイオリンを買ってやり、仁に握らせた。もちろん、まだ弾けない。僕も妻もピアノを弾く。仁はヴァイオリンに比べたら、ピアノにはそんなに興味がないように感じられた。


 仁は、よく走る活発な子供に成長した。両親に言わせると、僕もそうだったらしい。二才からヴァイオリンのレッスンに通った。妻はヴァイオリンのことは全くわからないので、小石川先生のことを母親のように慕って熱心に学んだ。


 小石川先生のレッスンスタイルは、生徒が練習してきたことをレッスンしたら終わり、昔ながらの方式だった。何時から何時まで、という決まりはなかった。妻と仁はよく練習していったから、電車を乗り換えて往復するとなると、午前中どころか一日費やすこともしばしばだった。


 僕の母親が主催するピアノ発表会で、仁はヴァイオリンを演奏する。仁は1月生まれだったから三才と三ヶ月になる。演奏するのは、ザイツ作曲のヴァイオリンコンチェルト一番だ。


 仁のレッスンは、音階を始め基礎的な物が多かった。ピアノと違って長時間立っていなければいけないが、仁は普段から立って練習させていたから問題なさそうだった。その集中力は、僕から見ても感心する程だった。ヴァイオリンが好きなんだな。妻も、よくつきあっている。僕が妻にピアノを教えていた以上に、だ。


 小石川先生は、こんな提案をしてくれた。

「その発表会が終わったら……私のところでは発表会をしていないのだけれど、弦楽アンサンブルに参加してみますか?年に何回か演奏会があって、今度は夏。練習は月に2回。幼稚園に行かないなら……ヴァイオリンのお友達がたくさんできるから、きっと楽しいわよ?」

「ありがとうございます。この子に、参加する資格がありますか?」

「最低限、サードポジションとヴィヴラートができればいいという基準があるわ。私が推薦致します。今度、見学にいらっしゃい」

「仁、見学に行こうか。走らないと約束できるか?」

「うん!行ってみたい!お友達ができるんでしょ?」

「よろしくお願いします」

 僕は先生に感謝した。


 アンサンブルの見学には、妻も一緒に行った。仁ほど小さい子供はいないようだったが、予想以上に男の子がたくさんいた。チャイコフスキーの『弦楽セレナーデ』を演奏していた。演奏はもちろん素晴らしく、ここで過ごす時間はどんなに素晴らしいだろうかと思った。休憩時間もあり、小学生のお兄さんたちが遊びに誘ってくれた。仁は、何もかもが気に入ったようだった。


 僕は「走らないこと。先生、お兄さんお姉さんの言うことを聞くこと」を仁に約束させた。守らなかったら辞めさせることも伝えた。小石川先生にも、そう伝えた。巷のヴァイオリン教室とは一線を画する、高価な楽器を持つ子供がたくさんいる。ヴァイオリンは落としたら割れるし、同じ楽器は手に入らない。金額の問題だけではない。

「かおりも、わかった?」

「はい」

 妻にも約束させた。


 次回から参加させてもらうことにして、楽譜を頂いて帰宅した。仁は、「第一ヴァイオリンの2プルト表」という席に着くことになった。おそらく、本来は末席だろうが、仁は小さいのであまり後ろの席だと指揮者のことが見えないし、「プルト裏」は譜めくりという役目がある。手を伸ばしても譜面台には届かないだろうことは想像がついた。


 普段の練習メニューに、アンサンブルのレパートリーが加わり、練習時間は更に増えることになった。個人レッスンとは違う。小さいからといって甘やかされるところではない。ついていけない、ということにならないといいが。いずれにしても、小学校入学まで妻とべったりしているよりも、刺激があっていいだろう。

 僕は応援することにした。





 







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