第7話 各区代表者たち
光さんの説得もままならないまま、話はどんどん先に進んでいった。
緋月様に逆らえる人はいないのだろうけど、一応『合意』という形をとりつつも、内情は緋月様の独断によるものがほとんどのような気がする。
「まずは赤紙の区代表たちに挨拶しに行かないとね。まぁ、誰が誰なのかくらいは有名人だから知っていると思うけど」
緋月様と二人だけで僕は赤紙の内部を歩いていた。
1区と隣接している会議室へと僕らは向かっている。しかし、赤紙の最上位者の面々はどの人も実力主義なので、僕は明らかに歓迎されないだろうということは容易に想像できた。
渉さんも試験を受けていないからという理由で、いぶかしい顔をされると言っていたし、真偽のほどは定かではないものの、光さんに至っては他10名のほとんどと喧嘩したことがあると噂で聞いたことがある。
僕は何と言われるのか心臓が止まりそうな想いだった。
「いいかい? おそらく酷いことを言われるだろうけど、気にしたらいけないよ」
「……はい…………」
そんなことを言われたら余計に気が重い。
僕が内心穏やかでないのを他所に会議室までついてしまった。
大きな扉の中にもう一つ扉があって、まるで動物を飼っている家の、動物が出入りする用の扉のような構造。大きい方の扉はいつ開くのだろう。
アダムが入ることもあるということなのだろうか。
小さいほうの扉を緋月様があける。
まるで裁判所のように、一番前の部分を中心として周りに向かい、着席できる箇所が段になり、後ろに行くほどに高い作りになっていた。そこに派手な見た目の人たちが9人座っていたのが見えた。
「遅いぞ緋月! 私たちが多忙なのはお前も解っているだろう!?」
いきなり立ち上がり怒号を上げたのは、8区をまとめる達美さんだった。
長い黒い髪を整髪料で盛り、片側にゆるやかに波型の髪がかかっている。目の周りに黒い化粧をしているかのようなクマがあった。
背が高く、長い豪奢な毛皮のようなものを身体に巻き付けて、ひと昔前のクラブで踊りあかしてそうな衣装を着ている。
そんな見た目とは裏腹に仕事に関してはかなり真面目で手厳しいと聞く。
赤紙とは別に、自分のブランドを持っておりファッションデザイナーを自ら立ち上げているとか。たしか……『クライム・クラウン』というブランドだった気がする。
「遅いって、指定時間の5分前だよ」
「15分前行動しろ! 今日は俺はオフなのだぞ!?」
カリカリした様子で緋月様に食って掛かる。
「どうでもいいから早く本題に入ってよ。あたしたち本当に忙しいんだから」
1区を任されている優輝さんが投げやりに言った。
男でありながら女性よりも美しく、ピンク色の長い髪を頭頂部で束ね、女性用の服装をしている。ナルシストで尚且つ1区で合法の風俗店を経営、自らも客に対してサービスを提供しているらしい。
バイセクシャルだと有名だ。
「おい、緋月様に失礼だぞお前ら。口を慎め」
「そうだよ、緋月様だって忙しいところ来てくれているのに」
9区代表の妃澄さんと6区代表の蓮一さんがそれを諫める。
ピリピリした空気の中、僕はその威圧感で冷や汗がじっとりと、僕の身体にまとわりつくのを感じた。
空気が悪いのは容易に感じ取れる。
制服を着ているのは数人だけだ。
「すぐ済ませるから、すぐに納得してほしい。この子は智春君。私の側近で雇ったから、挨拶を――――」
ガタン!
達美さんがまた立ち上がり、怒りをあらわにした。
「勝手にお前の周りだからと言って、人員を増やすなと言っているだろう! 試験も受けていない人間を次々と! 光のことも未だ認めたわけではないのだぞ緋月!!」
「まぁまぁ、達美。落ち着いて」
緋月様が適当に達美さんをなだめようとするが、逆に達美さんの火に油を注ぐこととなった。
「もう我慢ならない。緋月、お前が得体のしれない人間を勝手に囲うのは秩序を乱すことになるのだぞ! 妃澄! お前のところの榎並にはお前も手を焼いているだろう!? 榎並を緋月の側近にせずに、なぜ訳の分からない奴らばかり傍に置くのか。お前は緋月に何か言うことはないのか!?」
達美さんは妃澄さんに噛みついた。
先ほどは緋月様に敬意を表していた妃澄さんは、長い髪で左目だけ隠していて、装飾品の指輪や首飾りなどをたくさんつけている。妃澄さんが動くたびにそれはジャラジャラと音を立てた。
「緋月様のご意向に相違はない。榎並は確かに緋月様の側近になりたくて試験を受け、優秀な成績で合格したが、憧れだけでは緋月様の御傍で働くことはできない」
「それを言うのなら光に関してはどう思っているのだ!? 榎並よりも優れているところなど一つもなく、仕事も手伝い程度で真面目にしているわけでもない上に、あいつは3区の――――」
「達美」
緋月様が一瞬で達美さんの横に移動した。
そして達美さんの口を素早く手でふさぐ。
「それ以上言ったら、さすがに怒るよ。光のこと悪く言わないで」
いつも『レイ』と呼んでいるのに緋月様が『光』と言ったことに驚く。
緋月様のその冷たい声に場の空気は凍りついた。達美さんは緋月様の手を振り払って顔をそむける。
「その話、軽々しくしないでって言ったよね?」
「…………」
「《《言ったよね》》?」
緋月様は片手で軽々と達美さんの服の胸倉をつかみ上げ、達美さんの身体を浮かせた。
「やめろ! もう言わないから降ろせ!」
達美さんは緋月様が手を離すと、床に足をつけることができた。心なしか青ざめた顔をしているように見える。
「光は保護しているって言っているでしょ。保護観察でついでに仕事してもらっているだけ。PTSDの治療もまだ途中だし。あの子を扱えるのは私だけだって会議で決まったのに、蒸し返してごちゃごちゃ言うのやめてくれないかな」
――保護観察? PTSD?
それにさっき3区がどうとかって言っていた……。渉さんが言っていた『事情』とはこれのことなのだろうか。
光さんに対する疑問が募るばかりだった。
「光の件は悪かったよ……しかし、その子供は今度はどうしたんだ」
達美さんがさっきよりも冷静に、かつ慎重に緋月様に問う。
「この子は私の研究の進展の為にも私のそばに置きたくて契約した。もちろん仕事は仕事としてきちんとしてもらう」
「研究の進展? 7区以下の人間じゃねぇだろうな?」
5区代表の葉太さんが馴れ馴れしい口調で緋月様に問う。
ヒゲを生やしていて整った顔立ちをしている。相当な遊び人だともっぱらの噂だ。
「この子は子供区01を出たばかりで、1区の人間だよ」
「じゃあ人体実験なんてできねぇんじゃねぇのか?」
人体実験という言葉を聞いて、ものすごく嫌な感じが僕の頭をよぎる。
「彼自身に何かするつもりはないよ。体液とか細胞を少しもらう程度だから」
「体液とか、お前ド変態だな?」
緋月様は心底嫌そうな顔をしたが、僕は葉太さんが言っている意味が良く解らなかった。
「葉太のそういうところ、無理。嫌い」
「連れねぇなぁ緋月。いつになったら誘いに応じてくれるんだよ?」
「会議の場だぞ。色魔が。わきまえろ」
「ククク、わきまえずにさっき緋月につかみ上げられてた野郎がよく言うぜ」
言い争いをしている達美さんと葉太さんに呆れ、緋月様が戻ってきた。疲れた顔をしている。
おとなしく座っている他の赤紙の面々のほとんどは呆れ果てていた。
「ちょっと……葉太も達美もやめなよ……智春君びっくりしてるし」
「ふふふ、相変わらず統一感のない組織だってことですね」
「まぁまぁ、個性的でいいじゃないか」
「緋月様のいう事は絶対。緋月様の言う事は絶対なんですよ……ヒヒヒ……」
黙っていた人たちも口々に勝手なことを言う。
どうにも収拾がつかないようだ。
誰がどこの区代表なのか僕も全員のことを詳しく知っている訳ではない。
名前と顔が一致しない人もいる。
ただ、一様に全員個性的だった。
「まぁ、うまいことやっとくから。この子は智春君。よろしくね」
もう投げやりに挨拶を済ませ、緋月様は出口に向かって歩いて行ってしまった。
僕はどうしたらいいか解らずに、一礼をして緋月様の後を追いかける。
こんなのでいいのだろうか。
というよりも、こんなのでこの先大丈夫なのだろうか。
「はー、終わった終わった。ね? 酷いこと言われたでしょう? 達美は絶対言うと思った」
「緋月様……あんな挨拶で良かったのでしょうか……わざわざ区の代表者の方々に集まっていただいたのに……」
「あぁ、いいよ。長く話してる暇もみんなないし、とりあえず顔合わせだけ」
「あの……10区それぞれに代表者がいるんですよね?」
「そうだよ」
「1人来ていないようでしたが……」
「そうだね。《《彼女》》はなかなか出てこられないから」
「彼女?」
「ま、機会があったら合わせてあげるよ。本人の承諾があったらね。10区の代表者にさ」
「はい……」
前途多難な顔合わせであった。
――あの人たちと仕事するのか……大丈夫なのかな……
帰りの道すがら、そんな憂いも全くないように緋月様は笑っていた。
◆◆◆
廊下で赤紙の区代表者が数人集まり、話をしている。
9区代表の妃澄、7区代表の佳佑、6区代表の蓮一、2区代表の琉依、4区代表の園の5人。
「緋月様はここ数年、どうされたのだろう。渉はまだしも、他の連中などわざわざ雇う必要があっただろうか? 今までずっと一人で頑なに側近をつけようとせず仕事をされていたのに」
妃澄が口を開くと、各々首を傾げた。
「あの『ラファエル』と呼ばれる者たちは、合意の上に緋月様に身体を差し出し、実験の被験者をしているらしいけれど……」
蓮一は猫耳のついている長いフードを不安げに掴みながら言った。
「『ラファエル』の……何と言ったか、麻耶や聖弥……あの辺りは精神疾患が顕著な者を緋月様が見つけてきたのだろう? しかし、本人たちは全く強いられている様子はないな」
濃いヒゲを蓄えている体格のいい筋肉質な琉依が、自分のひげを触りながらそう問う。
「……とはいっても、僕らもそれぞれ精神疾患があるし、経緯は違っても緋月様に助けてもらってここにいる訳だし…………実力で入った人ももちろんいるけど」
佳佑がネクタイを正しながらそう言う。
「そうだな。達美も緋月様に目をかけていただいたのに」
「本当に緋月様の破天荒さには退屈しませんね」
病的に痩せている園がクスクスと笑った。
その目には少しも精気がなく、笑っていない。
「園、笑い事ではありませんよ……まぁ、達美は仕事は仕事って感じだから……緋月様に対してはもちろん感謝はしていると思うけれど……」
「まぁ、こんな話をしていても仕方がない。緋月様のことを信じるしかないだろう。疑問があれば本人に直接聞くしかないな」
「それにしても今日も10区代表は顔を出さなかった……僕たちも誰も会ったことないし、智春君よりも10区代表の方がずっと問題だと思うけど……」
「ふふふ……本当ですねぇ……緋月様がまた《《特例》》で囲っているのではないですか? まったく……ふふふ……やりたい放題なところも素敵ですね」
「…………まぁ、今度時間があったら緋月様に聞いてみるか」
「教えてくれないと思うけど……」
5人はわだかまりを残したまま各々の区へ戻っていった。