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メンタル・ディスオーダー  作者: 毒の徒華
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第60話 メンタル・ディスオーダー




【10年後】


「彼は重度の統合失調症であり、殺人に対する責任能力は皆無であったと考えられます」


僕は10区代表として、裁判の席に立っていた。

10区は水鳥さんだけでは管理できないのでメフィストさんと共に管理していたが、メフィストさんは表舞台から再び姿を消すことを望んだ。その為、僕が今では10区の代表という立場にある。

殺人事件だけにその場には重々しい空気が漂う。

僕の隣には水鳥さんが座っていた。僕らの反対側の席に榎並さんと優輝さんが座っている。そして、その席には第三者委員会の龍さんが出席していた。


「まだ精神疾患を理由に殺人を許容すると? 実際に人が死んでいるのですよ? 統合失調症であったとはいえ、9区、および10区への区間移動は妥当な処置であり、罰するべき対象であると考えます」


榎並さんは厳しい口調で反論する。

被告人は自分が殺人を犯したと思っておらず、事件当時はしきりに自分はやっていないと主張していた。今は投薬治療によって症状は落ち着きを取り戻しているが、事件当時のことはよく覚えていない様子だ。

「教唆の声が聞こえて、逆うことができなかった」ということも話している。


「しかし、彼が統合失調症を発症してからの対応が極めて劣悪で、病状は悪化の一途をたどっていました。事件当時は異常行動をしていたにも関わらず、家族は彼を放置し、結果として本件が起きています。彼の生い立ちについては子供区01で育ち、家族の面会歴はほぼ無し。子供区を出た後に家族の元へ戻りましたが、ほぼネグレクト状態であったと明確にされています。子供区にいた頃は統合失調症の予兆などはありませんでした。家族の元に戻り、急激に自分が排除されている孤独感によるストレスが発祥の一因になったと考えます。それに、起きてしまった悪を排除するという考え方は改善していかなければ、いつになってもこの世から悪が根絶される日はこないでしょう」

「ふん、緋月様の側近であった人間が、緋月様の理念に反することを言うのですか?」


榎並さんは緋月様の名前を引き合いに出し、その場を収めようとした。確かに緋月様は形式的には悪を排除しようとしていた。

でも、心の底から排除しようとしていた訳じゃない。本当は誰も犠牲にならない未来を望んでいた。


「緋月様はこの国をより良いものにしようとしていました。精神疾患者に対して寄り添って問題解決しようとしていたし、度々精神科病棟へ足を運ばれて、その周りの害悪を排除しようと尽力していたのです。なかなか改善の見られない現状に胸を痛めておられました。その葛藤のさなか、緋月様は立場上否応なしに手を汚す決断をしてきたのです。僕は緋月様の近くにいたからこそ分かります」


榎並さんは苛立っている様子で、より一層語気を強める。


「では彼をどうするというんですか? 人を事実一人殺している人間が、自分で殺した自覚もなく、また症状が悪化したら人を殺す可能性があるのでは?」

「彼は今、罪の自覚も無く償うこともできない状態です。罪を償うのであれば、彼がきちんと罪の自覚を持たなければなりません」

「どのようにして罪を自覚させるというのです? 精神科医も最先端の医療で治療を行っていますが、少し前から目覚ましい変化はないようですが?」

「治療はまだ十分ではありません。彼にとって必要なのは罰ではなく、治療です。信頼関係を築ける相手を作り、愛情を知り、そして自分が手にかけてしまった人にも愛していた人がいたことを心の底から理解し、知る必要があります」

「そんなことは理想論ではないですか? 隔離病棟にいる彼は信頼関係を一体誰と築くと言うのですか?」

「治療の間、僕が面倒を見ましょう。僕に引き取らせてください」


きっと、緋月様ならこうしていた。

緋月様のような説得力は僕にはないけれど、それでも彼女の理念を継いだ決断をしていきたい。

僕の言葉を聞いて、水鳥さんは僕をチラッと見て何か言いたげな様子だったが何も言わなかった。


「僕の保護観察下に置きます。緋月様が11年前に保護した統合失調症の浅葱は現在寛解し、罪を償いながら生活しております。彼にも更正の余地は十分にあります」

「あなたがそうやって事件を起こしてしまった統合失調症の患者を全員ひきとるつもりですか?」

「僕にできる限りのことはします。緋月様も同じことをしたと思いますので」


榎並さんは腕を組んで、トントンと何度も指をせわしなく動かして苛立ちを露わにしている。


「うまくは言えませんが……僕らにとっては無数にある事件の1件で、僕らの一生においては一瞬触れ合うだけのことですけど、被告人にとっては“今”が全てじゃないですか。やっぱり簡単に処理してしまえないと思うんです。できるだけ罰ではなくて償いと更生できる方向で考えて、再発防止に努めて国を良くしていくべきです」

「それは誰にでも当てはまることです。すべての犯罪者を庇うつもりですか?」

「理由がなければ犯罪なんて犯しません。情状酌量の余地は誰にでもあります」

「考え方が甘いですし、明らかに我々の許容範囲を超えていると思います。公平性にも欠けています。優輝さん、あなたはどうお考えですか?」


優輝さんは唇に指を当てて悩んでいるそぶりを見せたが、僕を見ると妖艶に微笑んだ。


「あたしは智春がそう言うならそれでいいわ。妄想型統合失調症だっていうのは複数人の医師の診断で明らかになっているし、犯行当時の病状も取り調べで明らかになってる。あたしは被告人の統合失調症を自覚していても何の処置もしなかった家族の方が問題だと思うの。とはいえ、それも理由を聞かないといけないけどね」

「優輝さんまで……いくら統合失調症だとはいえ、殺された人がいるんですよ? 被害者側の心情を汲み取ってください。被害者の方とは優輝さんもお話したでしょう?」


優輝さんは必死に訴えている榎並さんに対して、険しい表情で返事をする。


「被害者感情も解るわ。でも、責任を問えないときはあるの」

「僕は心神喪失で無罪になるというのは反対です。罪を犯してしまったなら平等に裁きにかけるべきだと思います」


やはり納得はできない様子で、榎並さんは主張し続けていた。

榎並さんの言っていることは理解できる。被害者の激しい憎悪の感情も解る。しかし、被告人の状況も僕はよく理解していた。

隣にいる水鳥さんも、いつもは面倒くさそうにしているのに今日の協議は真面目な顔をして臨んでいる。


「一応聞くけど、水鳥はどう思ってるの?」

「…………私は、智春の言う通りに保護観察にするべきだと思う。罪の自覚がないのに、責任を求めても償えない」

「あなたは個人的感情移入が激しすぎます。最終的に責任有と判断されても、強奪するようなことだけはしないでくださいよ」

「……喧嘩売ってるの?」


水鳥さんから血の裁量が伸びて榎並さんを威嚇した。僕はその血の裁量を押さえる。

榎並さんは驚いていないふりをしていたが、目を見開いて水鳥さんの方を凝視して何度も瞬きをしていた。


「水鳥さん、武力行使で物事を解決しようとしないでください」

「ちょっと脅かしてやっただけ」

「……裁判中ですよ」

「議論が最初から平行で収拾がつかない。保護観察で無罪じゃないんだからそれで話は終わりでいいでしょ」


投げやりにそう言うと、水鳥さんは血の裁量を収めて脚を組みなおしてそっぽを向いた。

榎並さんは心臓の辺りを押さえて汗を拭いながら水鳥さんを弾劾する。


「何を考えているのですか! まったく……とんでもない殺人鬼ですね……」

「私をまた殺人鬼にしたいなら被告人に厳しい罰を下したら?」

「水鳥さん……脅さないでください。それこそ公平性が失われてしまいます」

「知識量と感覚量の差が個人個人であるんだから、公平なんて最初から無理なんだよ。結局どっちかの意見を通すしかない」


水鳥さんは最初から話し合いでの解決は期待していない様子だった。

しかし、僕はそうは思わない。人間らしい解決方法は会話だ。人間ではなくなってしまった僕は尚更に会話での解決を望んでいた。


「榎並さんは統合失調症の方と話したことはありますか?」

「あいにく、僕は忙しいもので。ありません」

「話せば解ることもあります。直接話してみてください。本件被告人の症状は落ち着いていますが、聖ラファエル病院で入院している患者でも結構ですから」

「他の統合失調症の患者は本件に関係ないでしょう」

「榎並さんはまず、統合失調症というものを知るところから始めてほしいです」

「そんな時間はありません。本などの知識で間に合っています」

「榎並、智春のいう事も尤もよ。本だけの知識じゃ分からないことも沢山あるわ」

「甘すぎますよ……残された遺族の方と話してもなお、被告人を庇うんですか?」

「榎並さんも、被告人と話してみてください。妄想がなければ人を殺すことなんてなかったと解ります」


水鳥さんは「はぁ……」と小さくため息をついた。

確かに議論は平行線だった。歩み寄る気がなければ会話で解決することは不可能だ。


「龍さんはどう思われるんですか?」


中立の立場である第三者委員会の龍さんに榎並さんは意見を求めた。


「私は水鳥さんの意見に近いです。個人個人の知識量、感覚量が異なればこの問題は白にもなりますし、黒にもなります。被害者側のことを考えれば厳しい処分が求められていますし、被告人側の情状を考慮するならやはり責任を問うことはできない……判断が難しいですが、治療をしながら自分の罪をキチンと自覚して償っていくしかないと思います。それに必要なのは、智春さんの言う通り、まず破綻した家族で育った被告人に愛情というものを解ってもらう必要があると考えます」


榎並さんは龍さんの意見を聞いても、やはりまだ納得できないような表情をしていた。


「……わかりました。被害者への説明は、智春さんがしてください。けして納得してもらえないと思いますが」

「解りました。僕が話をします」

「いいでしょう。智春さんに一時、被告人の和磨かずまの身柄を引き渡しましょう。経過観察、治療、及び更正の処置を行い、改善が見られなかった場合は榎並さんの意見を採用し、9区、あるいは10区への移動となります。皆様よろしいですね?」


龍さんに問いかけられた僕ら4人は「異議なし」と言った。


「以上を持って閉廷します」


閉廷の言葉で、全員が立ち上がり一礼をした。




◆◆◆




【光】


俺は緋月の研究室があった場所に訪れた。

修復された部屋の中心部にはアダムが寝かされていて、幾重にも連なるセキュリティで固く閉ざされている。その部屋に入れるのはメフィストだけだ。

その閉ざされた部屋の前には黒い翼を広げた緋月とアダムの像が置かれている。その像は園がパーティのときに緋月に贈っていたものをそのまま流用していた。残念ながら、園ほど精巧に緋月の彫刻が作れる者はおらず、7区に移動してからも趣味で作っていたり、お偉方に依頼されて彫刻を作っているという話を聞いた。

献花台もそこに設置されていて、毎年緋月の命日になるとここに多くの参拝者が大量の献花と供物が並べ、緋月の命日を悼む。

俺はいとまがあれば花を買ってここへ来ていた。

元研究室の中にいるアダムは眠りについてから一度も目を覚ましたことはない。何度か目覚めさせようとしたこともあったが、アダムは起きる気配はなかった。

あるいは、起きていたが寝ているフリをしていたのかもしれない。

俺は自分の首にかかっている、銀の鎖と赤い宝石のついた十字架の首飾りを触れた。


「緋月、あれからもう……11年だな」


『慰霊碑』と書いてある石碑を見つめる。以前の俺ならその漢字を読むことなど到底できなかっただろうと来る度にいつも思う。

漢字の読み書きを覚え始めたとき、一番初めに自分の名前よりも緋月の名前を覚えたのを覚えている。

時間があれば本を読んだり、勉強をして読み書きに不自由することはなくなった。緋月の部屋に置いてある小難しい本も読める。

自分が昔読んでいた童話は未だに俺の部屋に置いてあった。

しかし、俺は読み書きなんてできなくてもいいと、緋月がいれば俺は何も成長していかなくてもいいと思っていた。というよりは、自分が前を向いて成長していくことができるとは思わなかった。

ずっと俺は、ただ使い捨てられるだけのモノだと思っていた。

自分の幸せなんて、考えた事もなかった俺が、前を向くきっかけをくれた。


「結局、お前に言えなかったこと、最後まで言えないままだったよな……今でも後悔してる」


俺は献花台に緋月が好きだった白い薔薇を一本そっと置いた。

俺も区の代表として仕事をするようになって、緋月の仕事の大変さを感じた。仕事で忙しくしている中、俺の相手をしてくれていたことも、仕事をするようになって解った。

ずっと緋月に言いたくても言えなかった言葉を口にした。ここに来る度に俺はそれを口にする。


「緋月……ありがとうな」


もう二度と届かない言葉だと感じる度に、胸が締め付けられるような感覚に陥る。

この部屋に通じる扉が開いた瞬間に風が吹き抜けて、俺の髪をなでた。まるで、緋月が俺の頭を撫でてくれたかのようだった。


「レイ、大人になったね」


俺はその言葉に驚き、後ろを振り返った。

その聞きなれた口調に俺は期待が胸にいっぱいに広がり、そしてそこにいた渉を見て酷く落胆した。怒りすら沸き起こってくる。

以前よりも男だったときの面影を失い、より女らしくなった渉の姿。俺がそれを緋月と一瞬でも見間違うわけがない。そしてその隣にいる第三者委員会の御剣みつるぎの姿。


「緋月様かと思いましたか?」


俺をからかうように渉は見透かしたような発言をする。

相変わらずムカつく野郎だ。


「んなわけねぇだろ。てめぇ……ふざけんな」

「すみません、素直に光が大人になったなと感心しまして」

「俺を二度とレイって呼ぶんじゃねぇ。何しに来やがったんだ」

「私も緋月様に報告しに来たんですよ。先にあなたがいて驚きました」


渉は御剣と結婚するんだったか。

御剣の熱心な姿勢についに渉が折れて、付き合いだして2年だったか?

幸せそうな2人を見ると、少しだけ羨ましくもあった。俺は未だにそんな気にならない。


「……けっ、好きにしやがれ」


俺は渉と緋月の像に背を向けて歩き出した。

不思議と、俺は笑みがこぼれた。




◆◆◆




【渉】


私は光に少し意地悪をしてしまったことを反省した。

私が発した声が緋月様でないと解っていたはずなのに、光は期待をした表情でこちらを向いた。

やはり、まだ彼にとっては緋月様の影は消えないものなのだろう。


「渉、どうしたの?」

「ええ……少し意地悪が過ぎたかと思いまして」

「光に対して? 大丈夫だよ。あんなやつ放っておいて、緋月様に報告しよう」

「ええ……」


私は買ってきた花を献花台に置いた。そこには様々な花が置かれていたが、白い薔薇の花が私の目に留まる。

それを見て、一目で光が置いたものだと気づいた。


――白い薔薇を捧げ続けるとは……意味を解っているんでしょうか……


「緋月様、私……御剣と結婚することにしました。そのご報告です」


緋月様が生きていた頃は、ずっと緋月様に憧れていた。

いつも堂々としていて、強く、美しく、自信の持てなかった私の目には常に眩しく映った。緋月様と自分を比べてしまうことは何度もあった。その度に太っていたことや、女性らしくない体つきに悩んだ。

恋愛対象が男の人だということも悩みの種だった。こんな私では気持ち悪いと思われるのが関の山だと恋愛など諦めていたが、御剣はこんな私に対してずっと一途でいてくれた。

初めは信じられない気持ちが強かったが、疑い続けて何年も経ったとき、やっと御剣の私への気持ちに偽りがないものだと気づいた。

気づくのが遅かったと少し後悔する気持ちもあるが、私がそうしている間にもずっと気持ちを変えずに待っていてくれた御剣には感謝しなければならない。


「渉に恋人として認められるまで長かったんですよ。結婚できるのが夢みたいです」

「私も……自分が結婚できるとは思ってませんでした。緋月様のおかげです」

「僕は……渉が赤紙に入ってなかったとしてもきっと渉のこと見つけて好きになってたと思うけど……?」


照れながらそう言う御剣の顔は少し紅潮していた。


「御剣と初めて会ったのは赤紙と第三者委員会の会食の場でしたから、私が赤紙に入ってなかったら会わなかったと思いますけど?」

「そんなことない! 僕と渉は赤い糸で繋がってるんだから」


私が御剣に対して少し意地悪を言っても、御剣は真剣な顔をしてメルヘンな話をする。それを聞くと私は恥ずかしくなり、自分の髪を触りながら目を泳がせた。


「まったく……恥ずかしいのでやめてください」

「最近、心配なんだよね……渉が綺麗になって他の男が放っておかないと思うから……」

「私を浮気をするような不誠実な人間だと思っているのですか?」

「そうじゃないけど……最近ますます綺麗になったし……不安」

「要らぬ心配ですね」


私がそう言うと、御剣は私の両肩を掴んで自分の方に向き直させた。私より少し背の高い御剣を私は見上げた。

彼の端整な顔立ちを私は直視できずに目を逸らしてしまったけれど、御剣は「僕の方見て」と言ったので、私は照れながらも御剣の長い睫毛の揺れる目を見つめる。


「なら、お互いに死が二人を別つまで愛し続けると誓いますか?」


結婚式の場でもないのに、そう言っていた御剣に対し、私は照れながらも誠実に答えた。


「……誓います」

「僕も誓う。ずっと一緒だよ、渉」

「はい」


御剣が私に口づけしようとしたけれど、私はその顔を押しのけた。


「なんで!? キスする流れだったじゃん!?」

「……結婚するまではしません」

「もう婚約してるんだから」

「籍を入れるまでできません」

「……まぁ、でも……今日、籍入れに行くから。あと本当にもう少しの辛抱だね」


私は御剣の笑顔を見て、微笑んだ。

緋月様の慰霊碑に御剣と共に頭を深々と下げて、2人でその場を後にした。

何度も何度も立ち止まってしまったけれど、振り返りながらでも先に進んで行かなければならない。

長く止まっていた私の時間は、遅くなってしまったけれど動き出した。




◆◆◆




【智春】


僕が和磨君を迎えに聖ラファエル病院の閉鎖病棟に訪れた。

何度もここへは来ているが、やはり陰鬱な雰囲気が付きまとう。薬での治療が困難な人を主に入院させているが、和磨君は投薬によって落ち着いている様子だと聞いている。

判決が出るまでの間、一時的に閉じ込めておくという意味でここに入れられているのだろう。


――えーと……確か1266病室だから……この辺のはずなんだけど……


僕は重い扉で閉ざされた病室に『和磨』の名前を確認する。

何度か取調室等で顔を合わせているので、僕が誰なのかは覚えてくれているだろう。


コンコンコン……


「和磨君、入っていいかな?」


僕がそう聞くと、中から「はい」という声が聞こえた。

重苦しいその扉を開くと、ベッドと洗面台、トイレ、簡素な机と椅子があるだけだった。窓はあるが、鉄格子がついている。

その椅子に座っている和磨君がこちらを見ていた。

長めな髪に眼鏡越しのうつろな瞳。小柄で華奢な体つきをしている。以前会ったときよりも痩せている印象を受けた。歳は19歳だ。僕を見たときに少しの警戒心がうかがえる。


「こんにちは。10区の管理をしている智春です。和磨君だよね」

「……こんにちは。そうです」

「いろいろ大変だったね。暫く僕が君の面倒を見ることになるから。経過観察というか、保護観察かな。9区や10区への移動は君のこれからの行動や更正度合いにかかってる」


和磨君は不安そうな顔をしていた。


「もちろん、そうならないように僕もできる限りのことはしようと思ってる。大丈夫だよ」

「……私……これからどうなるんですか……?」

「一先ずはこの閉鎖病棟からは出られるよ。と言っても、赤紙管轄の病院に移動になるって感じかな。ここよりはもうちょっと良いところだよ。僕が付き添いをしてるときなら外にも出られるし、欲しいものがあれば治療に差し支えない程度に買うこともできる」

「閉じ込められるんですね……やっぱり……」

「君が犯した罪に向き合って、償っていけるように最善を尽くすよ。9区や10区に移動になるよりずっといいと思う」

「………………」


和磨君は暗い顔をして、目をそらした。

何度も瞬きを繰り返した後、僕の方にまた向き直った。


「本当は無罪になれたら良かったんだろうけど、被害者のことを考えると無罪っていうのも難しくてね」

「てっきり、殺されると思っていたので……やっとこの地獄が終わると思ってました」

「生きてることが……苦しい?」

「苦しいですよ。人を手にかけるまでも地獄でしたし、これからも拘束され続けるのだと思うと……」

「僕は君の家族のように君を拘束したりしないよ。僕がいないときは水鳥さんの監督下なら自由もあるし」


僕が面倒を見られないときは水鳥さんが監督すると申し出てくれた。

やはり、水鳥さん自身も思うところがあるのだろう。いつになく積極的な姿勢に驚いた。それに関しては榎並さんや優輝さんも納得してくれている。メフィストさんも水鳥さんが監修することについては認めてくれてた。


「水鳥さんて誰ですか……? それが名前なんですか?」


表舞台に立たない水鳥さんは通常教育の中には出てこないので、和磨君が知らなくても無理はない。

何と説明するべきか、僕は水鳥さんのことを思い浮かべる。


「彼女は廃止された苗字を名乗ってるんだよね。優し……くはないけど……いい人……でもないけど……うーん……」


彼女をなんと紹介したらいいか迷ってしまう。

いつも面倒くさそうにしていて、態度が悪くて処刑人をしている何を考えているか分からない彼女の姿しか知らない。仕事以外での個人的付き合いは全くないので、素性を詳しく知っている訳ではない。


「面倒臭がりで、いつもやる気ないけど……悪い人ではないというか……ちょっと喧嘩っ早いというか……」

「……それを聞いて凄く不安なんですけど……」

「でも、和磨君には物凄く優しくしてくれると思うよ」

「どうしてですか?」

「理由は言えないけどね」


和磨君はずっと不安そうな表情で、僕の方を見ている。

僕もこんな紹介の仕方をされたら不安に思う。


「じゃあ、引っ越し前に先に水鳥さんに会いに行こうか」

「出ていいんですか?」

「うん。僕から離れないようにして」

「はい」


和磨君の転院の手続きを済ませてあった僕は、和磨君に荷物を持つように言って閉鎖病棟から出た。

特別に彼に手錠や縄をかけて移動したわけではないが、和磨は逃げ出すようなそぶりもなく僕の隣を歩いていた。別段話しかけてくるわけでもなく、辺りを見回しながら歩いている。

聖ラファエル病院を出て、車の助手席に彼を乗せて赤紙付属病院に向かった。車に乗る前に水鳥さんに電話をして、赤紙附属病院にくるように伝えた。


「どこに行きたいとか、あるかな?」

「……特にはないです」

「水鳥さんはあんまり外に出ない人だから、君の為に外に出てくれるといいんだけど」

「…………」


病院の前に着くと、既に水鳥さんは病院の入口のところで立って待っていた。

いつも病衣のような服ばかり着ている彼女がジーンズにパーカー姿という姿で、ボサボサの髪は整えられていた。

僕らに気づいた水鳥さんはこちらに向かって歩いてくる。


「その子が和磨君?」

「はい」


和磨君と水鳥さんは同じくらいの身長で、お互いに少し見つめ合っていた。いつもより水鳥さんは優し気な表情をしているように見える。


「初めまして。私は水鳥麗。苗字の方で呼んで」

「初めまして……和磨です」

「智春か私が同伴のときは外に出られるようになってる。早速だけど、行きたいところがあれば連れていくけど?」

「………………」


和磨君は考えている様子で水鳥さんの方をずっと見つめていた。見つめられている水鳥さんも困っている様で、僕の方を見てくる。


「えーと……今日は3人で食事でもどうですか?」

「……いいけど……和磨君が良ければ」

「和磨君は何が食べたいとか、ある?」

「私は特に……」

「じゃあハンバーグかオムライスがいい」

「分かりました。僕は転院の手続きをしてくるので、2人はここで待っていてください。和磨君の荷物を部屋に置いてくるから、僕に預けてもらっていいかな?」


和磨君は持っていた紙袋を僕に渡してきた。必要最低限の服や日用品しか持っていない様子だった。

僕は2人を残して病院窓口に行き、必要書類に記入をして、荷物を受付に預けた。


「紹介状はこちらです。これから外出してきます。最初の医師面談は僕も同席しますので」

「かしこまりました。お戻りになられましたら声をおかけください」

「はい」


10分程度事務手続きを済ませて水鳥さんと和磨君の元へ戻ると、2人は普通に会話をしていた。

ずっと暗い表情をしていた和磨君もほんの少し笑顔を見せている。


――やっぱり、男よりも女性の方が心を開きやすいのかな……?


「私は閉鎖病棟にいたとき、食事が不味いのが一番苦痛だったかな。あとベッドが硬くて背中痛くてさ」

「それはありますね。食事に毒が入っていたりしましたし……」

「あんなの食べてられないよね」


会話が微妙にかみ合っていないが、そのまま話は進行しているようだった。


「ねぇ、智春。ここの病院の食事は美味しいの?」

「え? うーん……それほど不味くはないと思いますけど……栄養のバランスは考えられてると思いますが……」

「身体に悪い物の方が美味しいって定番なんだけどね」

「食事に毒を混ぜるのはやめてほしいです」

「じゃあ和磨君は私と一緒に料理する? それなら安心でしょ?」

「え……水鳥さん、料理できるんですか?」


純粋に僕が驚いて尋ねると、ムッとした表情で水鳥さんは僕の方を睨んだ。


「今、馬鹿にしたでしょ?」

「いや、えーと……しているのを見たことがなかったので……」

「本格的なのはできないけど、簡単な物なら。カレーとか簡単じゃん? あと……卵トーストとか……パスタとか」


栄養が偏りそうだと僕は思ったが、和磨君が少しでも安心して生活ができるなら、それに越したことはない。

一緒に料理をしたりすることで、本人の為にもなるだろう。


「じゃあ、行きましょうか」

「和磨君、本当に食べたいものないの? 病院の不味いご飯じゃないものを食べられるチャンスなんだからさ」

「……しいて言うなら……パスタが食べたいです……」


先ほどまで頑なに自分の意見を言わなかった彼が、そう言ったので少し驚いた。


「それならパスタに決定」

「それならハンバーグも出してくれるお店にしましょうか」

「さんせーい」


僕らはちょっとぎこちない会話をしながらも、食事へと向かった。

普通に食事をして、話をしている和磨君は随所随所で変わっている印象を受けたが、礼儀正しく、食事の仕方も綺麗だった。

徐々に水鳥さんと打ち解けてきて、笑顔を見せている彼を見ていて「上手くやっていけるかも」と感じた。いつも無表情か険しい表情をしている水鳥さんも優しい表情で微笑んでいるように見えた。

その空気はなんだか懐かしく、緋月様と光さんを見ているような気持ちになった。和磨君は全然光さんとは性格が異なるけれど、どことなくそんな風に見える。


食事を済ませて、僕らは和磨君を送るために病院へ来た。


「私は先に帰るわ。メフィストとの約束の時間になっちゃうから」

「分かりました」

「じゃあね、和磨君。また」

「はい。ありがとうございました」


軽く手を振って水鳥さんは帰って行った。和磨君は軽く会釈して水鳥さんを見送っていた。


「それじゃ、行こうか」

「はい」


僕らは病院の受付に話をして、和磨君の荷物を受け取った。和磨君は暗い表情をして荷物を見つめている。本当は閉じ込められるのは嫌なんだろう。

一緒に病棟の部屋へ足を運ぶと、聖ラファエル病院の閉鎖病棟とそれほど大きくは変わらないけれど、前の場所よりは病室も広く、ベッドもそれほど固くなさそうに見える。


「明日また来るよ。医師の診察に同席するからさ。昼すぎくらいにくるよ」

「…………入らないと、いけないですよね」

「……うん」

「そうですか……」


明らかに落胆している和磨君に対して、僕は申し訳ない気持ちになった。しかし、決定事項を僕の独断で変えてしまうわけにはいかない。


「僕もまた来るし、水鳥さんも来てくれるから」

「はい……」

「……水鳥さん、どうだった? 話しやすかったかな?」

「はい。いい人でした」

「そっか。水鳥さん、今日はいつもよりずっと喋ってたよ。別人かと思っちゃった。普段はもっと……こう……無口な気難しい人なんだけど……」

「そうなんですか? 優しい人に思いました」

「んー……和磨君には特別優しかったと思う」


水鳥さんは明らかに木村冬眞の面影を彼に重ねているようだった。かなり優しく接していたように思う。

しかし、どんな形であれ水鳥さんも和磨君と接することで前に進んで行けるのだろうか。


「ゆっくり休んでね。おやすみ」

「はい。おやすみなさい」


扉をゆっくりと閉めると、カチッとオートロックがかかった。内側からは開けられない仕組みの扉だ。


――できるだけ、仕事の合間に来よう


和磨君を送り届けてから、精神病棟の中を僕は見渡した。

以前は目まぐるしくスタッフが働いていたが、増員して今は患者の一人ひとりに十分に対応できるようになっている。

患者たちが外に出る中庭を見ると、優しい月明かりが草花を照らしていた。立ち止まって暫くその中庭を見ていると、白い花が月光で淡く光っているのを見つけた。

患者が触っても怪我をしないように棘のない種類の白い薔薇が植えてあるようだ。それを見て、緋月様のことを思い出す。

彼女ならきっと和磨君に対してこうしただろう。

和磨君に限らずに、精神疾患者の犯罪に対しての問題は徐々に変化を迎えてきている。だが、まだ先は長くなりそうだ。

それでも、諦めずに続けていかなければ変わって行くことはない。

誰かが変えてくれるのを待つのではなくて、自分が変えていかなければならないと思う。

中庭の花から視線を外し、僕は病院の出口へと向かって歩き出した。病院から出て車に向かって歩いている最中に僕の携帯が鳴る。

光さんからだ。


「はい、もしもし」

「よぉ。今日、渉が結婚したんだよ。知ってっか?」

「あぁ……今日されたんですか。知りませんでした」

「それでよ、渉の祝いで昔の馴染みが集まって、祝賀会するってさっき決まったらしいから、お前に電話した」

「そうなんですか。僕も行きます。光さんも行くんですよね?」

「あぁ。行かねぇとまたグチグチ言われるからな……場所は緋月の為にパーティーしたところだ。そこに今から来い」

「分かりました」


電話を切った後、僕は夜空を見上げた。

数多の星の瞬きが僕の瞳に移り込む。僕が見ているその星の輝きは、もう過去の物なのかもしれない。生前の星の輝きが、何光年も離れている僕らの目に映っているかもしれない。

それはまるで、今までの人類の歴史にも似ている。

生きた証が残り続ける限り、光り輝き続けるのだろう。

僕は緋月様と同じ時間を生きる。もしくは緋月様よりも長く生きることになるだろう。

その時間の中で、僕はどれだけの命や、それぞれの人生を救うことができるだろうか。

星の瞬きのように、どれだけ輝くことができるのだろうか。


それはこれから、僕が紡いでいく物語だ……――――




◆◆◆




――さて、この記録を読んだあなたなら解っただろう。


ここまでが僕の知る限りの記録だ。


長きに渡る彼女と彼と、そして彼の者たちの愛憎渦巻く記録だ。僕はその一端に触れただけに過ぎない。

彼女は僕の一生を大きく狂わせた。

そして彼女もまた、彼や彼の者に一生を狂わされた一人だ。


いや……彼女の一生とは誰が推し量れるものでもないのかもしれない。

あれほどまでに美しく、そして気高く生きるには並大抵の一生ではない。


この物語がどこまで語り継がれているのかは解らない。


しかし、彼女の狂気とも紛うほどの愛情が、人間という生物の未来を大きく変えることになったことはどうか覚えておいてほしい。

そのための彼女の血に濡れた努力や、推し量ることすらできないほどの悲しみ、苦しみ。痛み。それを背負う覚悟。


緋月様と茜さんのように、呪われたかのように狂気とさえ感じさせるほど相手を愛し、求めるのは病だろうか?

光さんのように過去を引きずり続けるのは病だろうか?

渉さんのように自分の性別に違和感を覚えるのは病だろうか?

僕のように自殺しようとするのは病だろうか?


それのどこに糾弾する余地があるだろう。

僕らは『生きたい』と願っている反面、それが酷く困難に感じるだけだ。

容易に生きていられる人たちにはきっと解らないだろう。

それすらも、罪だろうか。


僕らはただ今日を懸命に生きるだけだ。


そして彼女の願いがどうかすべての人の心に届きますように――――……




END




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