第59話 1年後
【約1年後】
「しんっじらんない! 死ね!!」
バタン!!!
僕が光さんの部屋へ訪れると、部屋から女の人が怒りながら出てきて、僕を睨みつけるなり鬼のような形相のまま去って行った。
――……またか……
僕は少しばかり気が引けたが、光さんの部屋をノックして扉を開けた。
相変わらず部屋の中はぐちゃぐちゃになっているが、それは光さんがだらしないせいではなく、先ほどの女性が滅茶苦茶に荒らしていったからだろう。
昨日までは几帳面に服などが畳まれていたのを僕は見ている。それは別の女性が光さんの部屋を掃除したからだ。
「光さん、仕事の時間ですよ。今日は10区の見回りと……――」
「うるせぇな。今、女にフラれてそれどころじゃねぇんだよ」
半裸の光さんがベッドからけだるそうに上半身を起こしていた。髪は左側だけ長く、毛先は金色だ。染めるのが面倒なのか、全体的に伸ばしっぱなしになっている。
「光さん……もうやめたらどうですか?」
「あぁ? 何をだよ」
「“緋月様の代わり”の女性を求めるのは……」
「ちっ……そんなんじゃねぇよ」
そうやって強がるけれど、緋月様が光さんに贈った首飾りを肌身離さず身に着けているし、緋月様に近い特徴の女性ばかりと関係を持っているようだった。
僕が今まで見てきたのは、髪が腰まである女性で華奢、色白、美人。そんな人ばかりだ。
水鳥さんにまで手を出そうとして、本人に思い切り殴られていた。そのときに肋骨の骨を折る重傷だったと聞いている。
――もうバレバレですよ……
僕はそう言いたい気持ちを抑えて、短くため息をつく。
「俺の心配より、自分も女でも作ったらどうだよ」
「仕事が忙しくて……それどころじゃないです」
「どうせてめぇも緋月のことミレンたらたらなんだろ? この前も女をフッたって聞いたぜ? 俺のこととやかく言える立場かよ」
――そんな情報、どこから入ってくるのか……
「僕は忙しくて恋人を作っている間もないんですよ」
光さんは緋月様が亡くなったばかりのときに、もう立ち直れないのではないかというところまで塞ぎ込んでいたが、少しの間メフィストさんの指示でメンタルケアの療養をとり、復帰した。と、思ったらすることは仕事ではなく女の人漁りだった。
僕は光さんが相当にショックを受けていたことを理解していたので、その行動について言及しなかった。
そんな状態がもう半年以上続いているが、本気で責めたことは一度もない。
「光さんが働かない分、僕が忙しくてそれどころじゃないんですから」
「けっ……くだらねぇ……」
「それに、あと何人囲い込んでるんですか? 1人や2人にフラれたくらいでどうということもないでしょう。今出て行った彼女の名前覚えてますか?」
「あぁ……なんだっけな……サオリ? シオリ……? ホノカだったっけな……おぼえてねぇ」
光さんは半裸のままクローゼットの方へ歩いて行った。
光さんはあれから白い肌に刺青が増えた。背中、腕、脚……身体中刺青だらけだ。背中には翼、腕には薔薇と荊、左脚には巻き付くように蛇が彫られている。
元々あった左腕の刺青の上から新しい刺青をして、元のデザインを消しているようだった。
「つーか、今日は緋月の命日だろ? 仕事じゃねぇだろうが」
「仕事もありますよ。その後に行くんです」
「ちっ……緋月の命日なんて、そんなのわざわざしなくたって誰も忘れたりしねぇよ。かったりぃな……」
光さんはスーツに着替えていた。彼はいつもラフな格好をしているので、かしこまった格好というのは滅多に見られない貴重な姿だ。1本しか持っていないネクタイをとってけだるげに締めている。
以前は緋月様に締めてもらっていたネクタイを、自分で結べるようになったのは光さんの意地なのだろう。ネクタイを締める機会なんて光さんにはなかったから、わざわざ覚える必要はなかったはずだ。
僕が部屋の入口で待っていると1分も経たないうちに光さんはネクタイを締めた。
「もう行くんですか? なら僕も着替えないと……」
「別にいいだろ、赤紙の制服着てるんだから。おら、行くぞ」
光さんは僕の先を歩いて行った。
あんなふうにやさぐれていても、未だ緋月様のことを愛しているのだろう。ガサツな光さんが命日をわざわざ覚えているなんて、その証拠だと僕は思う。
式典があることは事前に少し話をしたが、彼がそれをよく覚えていたと感心する。
――素直じゃないのは相変わらずだな……
さしずめ、緋月様の命日だからさっきの女性も無理やり帰らせたのだろう。あるいは純粋に名前を呼び間違えただけかもしれない。
そんな憶測をしながらも僕は光さんを追いかけて王宮に向かった。
◆◆◆
王宮にはたくさんの人が集まっていた。
区代表たちはもちろん、第三者委員会、料理長、ジム長、聖ラファエル病院の関係者等、顔ぶれは様々だ。普段は表舞台に出てこないメフィストさんも顔を出していた。その隣で水鳥さんが黒いスーツを着てけだるげに立っていた。無理やり出席させられているのだろうか、彼女は不機嫌そうな表情をしている。
全員が静粛に王座の方へ向かって立って国王様の方を見つめていた。
王宮は豪奢な金の装飾が壁や階段にあしらわれており、大理石は白く磨き上げられていて輝いている。天井は高く、シャンデリアが沢山飾られていて眩く光っていた。
中央には赤く長い絨毯が敷かれていて、そのまま王座に繋がっている。王様を中心に、向かって右に王妃、左には第一王女様が座っていた。
いつもは豪奢な服装をしている王族の方々も、粛々とした黒い服をまとっている。
時間になると王様が立ち上がって頭を下げた。それを合図に全員が王様に頭を下げる。
「今日は、緋月が亡くなり1年が経った一度目の命日だ。月日が経つのは早いものだ。あれから大きく変わったことがいくつもある。赤紙内部の処刑制度の廃止、赤紙独裁の廃止、裁判制度の再建……本当に様々なことが変化した。まだ対応に追われていて落ち着いていないのが現状だが、徐々に落ち着きを取り戻している。日頃の貴殿らの活躍の賜物だ。感謝の言葉をいくら並べても感謝しきれない」
王様は緋月様がいなくなって変わったことを重々しい口調で話していた。そして、これからの国の展望や、それに付随する自分の意思などを述べている。
国王が話し始めて5分以上が経ったとき、光さんは「話が長ぇ……」と小声で言った。その隣にいた妃澄さんと榎並さんに鬼の形相で睨みつけられ「はぁ」とため息をついていた。僕は悪びれていない光さんの代わりに2人に対して「ごめんなさい」と頭を下げる。
王様は一区切り話し終わったと同時に、深く息を吐いた。
「まだ……緋月に想いを寄せている者もたくさんいるだろう。しかし、緋月は生前に死ぬことができないことに対して、私にこう話したことがある。“私は歳をとることももうできないし、まして死ぬこともない。私と一緒になった人を私は絶対に看取らないといけない。だから私の為に諦めてほしい”と。恥ずかしながら、私も王妃と婚姻を結ぶ前は、緋月に憧れを抱いたことはもちろんある。古い付き合いだった。先代の王からずっと付き合いがある。私がまだ赤子だったころからずっと変わらない姿だ。私が年頃になると徐々にあの傍若無人で灰汁のない性格が刺さってな……はっはっは、全く相手にされなかったときは凹んだものよ。そういう者も多いだろう。だがな、緋月は常に皆の幸せを願っていた。だから、緋月を想う気持ちは胸の中にそっとしまって、新たな幸せを見つけてほしい」
王妃は不快感を滲ませることもなく、王様を優しく見守っていた。
葉太さんは王様の先ほどの話を快く思わなかったのか、舌打ちをしていた。隣にいた達美さんが彼のお腹に肘を入れて黙らせる。うめき声をあげて前のめりにうずくまる姿を見て、王様は苦笑いをしていた。
「皆が私と王妃のように、新たな出会いを見つけることができるかは解らない。だが、緋月が祈った皆の幸せを実現するためには、緋月によく関わったものたちが幸せにならなければならない。どうか、前に進んでいってほしい」
王様の話を聞きながら、葉太さん、薫さん、光さんに対して不安な気持ちが胸の中に広がる。特に薫さんについてはまだ閉鎖病棟から出てきていないようで、回復の見込みはないという。
真っ先に他の人の心配をしたものの、僕自身も前に進んで行けるのかやはり分からない。
――そんな人が、僕にも見つかるんだろうか……?
横目で光さんをチラッと見たが、彼は王様の話が早く終わらないかということしか考えていなさそうだった。
「それでは、我らの平和をずっと守っていてくれた緋月に敬意と、そして安らかな眠りを祈って、黙祷」
僕は目を閉じて緋月様の冥福を祈った。
目を閉じて頭に浮かぶのは、緋月様を取り込んだアダムの姿だった。未だに元々の研究室は修繕が終わっておらず、緋月様の部屋のベッドに寝かせてある。
本当はアダムにもこの式に出てほしかった。しかし、アダムを起こそうとしてみたものの、まったくアダムは起きる様子はなかった。
あれからアダムは1度も目を覚ましていない。
起こそうとはしたものの、この大衆の面前に出すのは不安もあった。アダムは事情を知っている人たちには永遠の眠りについたと言ってあるが、一般の人には人のいない場所へと去ったと告知してある。
この場に出席して、もしアダムだとバレた時に彼は矢面に立たされるだろう。
水鳥さんは自分の身元を明かした為に、当然審問にかけられた。生前に犯した罪の大きさ故の審問だった。それに、生き返ってから10区でアダムと共に殺人を繰り返していたことから彼女の存在は大変に危険視された。
『黒の教典』を盗んだ罪もあったが、元々彼女のものであるということから、問題は複雑化する一方だ。未だにその問題は解決していない。
処刑にするかどうかという話も出ているが、水鳥さんが本気で抵抗すれば処刑はそもそも困難だ。とはいえ……本人は処刑に対して抵抗はしないだろうけれど。
一時は10区代表から外されたものの、処刑をするという行為に皆強い抵抗感を抱いて執行ができなかったため、メフィストさんの口添えもあり結局彼女を秘密裏に復帰させることになった。元々10区代表は一般公開されていないので、復帰させることについては大きな問題はなかった。
代表から外された際には幽閉されていたが、一切水鳥さんは抵抗しなかった。むしろ仕事をしなくてもいいという状況を喜んでいたようだ。
――緋月様、光さんも水鳥さんも問題を抱えていますがなんとかやってます。メフィストさんも馴染んでますし、アダムも眠っていて特に異常はありません。まだ解決していかなければならない問題は山積みですが、どうか安らかに眠ってください……
祈りながら、僕は緋月様と過ごした日々を思い出していた。
転落の一途をたどっていた僕の人生に希望をくれた。
めちゃくちゃになってしまった家族とやり直す機会をくれた。
何も知らなかった僕に、学ぶことの大切さを教えてくれた。
たった1年前のことなのに無性に懐かしく感じる。
――君が望むか、望まないかだけだよ
あのとき、僕が望まなかったらどうなっていたんだろうか。ずっと絶望の淵で自室にこもりきりになっていたのかもしれない。
世の中にどれほど僕と同じような境遇の人がいるのだろう。そういう人を僕は一人でも助けたい。
今はそれが僕の目標だ。
「直れ。以上で終了とする。緋月の想いを受け継いで平和な国を作っていくことに引き続き協力してほしい。私たち王族もお飾りではなく、国民の為に尽力する。よろしく頼んだぞ」
王様が頭を下げると同時に、再び全員が王様に頭を下げる。
こうして1年目の命日の追悼式は終わった。
全員が王様に背を向けて出口に向かって歩き出す中、僕は光さんに「小言なんか言ったら駄目じゃないですか」と小声で言った。全く光さんは「話が長ぇんだから仕方ないだろ」と悪びれていない態度で僕の前を歩いていく。
――困った人だな……
そう思いながら出口へ向かって歩いていると、光さんの元に渉さんがやってきた。
「光、ちょっといいですか?」
「あぁ? んだよ。手短に頼むぜ」
「……一先ず王宮から出ましょう」
緋月様の結婚式以来、渉さんは女性ものの服を着るようになった。ダイエットも成功しているらしく、徐々に体形は細くなってきている印象を受ける。
出る方向は一緒なので、僕も渉さんと光さんの後をついて王宮から出た。王宮前は大広間になっていて中央には噴水が設置されている。
その噴水のある大広間に渉さんは光さんを誘導した。僕はついて行かない方がいいかと考え、少し距離を取った場所で立ち止まって光さんを待つことにした。
「おい、何だよ渉。もったいつけてねぇで言えよ」
光さんのその言葉に、渉さんは険しい表情をして苦言を呈した。
「光、仕事をきちんとしてください。もう緋月様の保護観察を外れて1年になるのですよ。いつまで遊んでいるつもりですか?」
「そんなことかよ……俺も仕事してるっつーの」
「あなたのは働いているとは言えません。智春君ばかりに働かさせて、自分は女漁りですか? 随分いい身分ですね」
「あぁ? うるせえよ。そんなもん俺の勝手だろ」
2人が徐々に言い争いになってきたので、僕は慌てて渉さんに駆け寄った。
「まぁまぁ……渉さん、僕は大丈夫ですから」
「智春君が良くても、光の横暴を見逃し続けることは出来ません。黙っていてください」
「クソガキは黙ってろ」
僕はその喧嘩の間に挟まれて、ものすごく肩身が狭かった。以前だったら、緋月様が仲裁に入ったのだが、もうそれをする人がいない。
渉さんが区代表になってからはお互いに顔を合わせる機会も殆どなかったが、渉さんは光さんのことを気にかけて僕に度々状態を聞いてきていた。女性関係については答えたことはなかったけれど、光さんの悪評は渉さんの耳に届いていたらしい。
2人が言い争いを始めたことで、立ち去ろうとしていた他の人たちも脚を止めて2人の方を向いた。
「てめぇにグダグダ言われる筋合いはねぇんだよ」
「いい加減にしなさい! 1年は目を瞑っていましたが、緋月様の命日にまでなってその体たらくを露呈させ続けるのであれば、もう赤紙には置いておけません。あなたを審問会にかけますよ!」
「んだよオカマ野郎! てめぇにそんな権利があんのかよ!?」
「なんですって……口を慎みなさい! 緋月様もこの姿を見たらさぞやガッカリされることでしょうね! 仕事のできない単細胞バカに赤紙にいる資格などありません!」
互いに激情に駆られて、汚い言葉での罵り合いが始まってしまった。2人とも相当に怒っているようで、収まりが効かない。
周りで見ていた赤紙の区代表たちは特に止める様子もなく、2人の喧嘩を呆れた様子で見ていた。唯一蓮一さんが渉さんの方へ近づき「やめなよ、渉ちゃん」と言うが、その制止を渉さんは聞き入れなかった。
「うるせえんだよ! おい、てめぇ決闘だ!」
「いいでしょう。私が勝ったら出て行ってもらいます。散々甘やかされてふぬけになっているようですからね」
「上等だ! 俺が勝ったらてめぇが消えろよな」
「それで結構です」
お互いに闘う準備に入り、光さんはネクタイを外し、スーツの上着を脱ぎ捨てた。渉さんもスーツの上着を近くのベンチに置いて、光さんに向き直って構える。
王宮の中庭で決闘が始まってしまったが、王宮護衛たちは王宮に対する暴動ではなかった為、関知しないようだった。というよりも、赤紙区代表の争いに加われないというのが正直なところだ。
蓮一さんは渉さんを止めていたが、優輝さんに引っ張られて遠巻きの位置まで後退させられていた。他の人が止めようとしないのはおそらく光さんには手を焼いている人が多いので、このまま渉さんに痛い目に遭わされた方がいいという算段なのだろう。
「2人とも! やめてよ!」
その中僕はその2人の間に入り、なんとかなだめようとするが、僕に向かって容赦ない拳や蹴りが入った。2人とも本気だということがその一撃で伝わってくる。
「がはっ……!」
それでも痛みを訴えている間もなく、両者が容赦のない攻撃を相手に与えようとする。僕は一度は膝をついたが、すぐに立ち上がって再び2人の間に入る。すると、渉さんの蹴りが僕の背中に入り、光さんの右ストレートが僕の顔に入った。
それでも渉さんも光さんともに決闘をやめる気はないようだった。
「どいてください智春君! 光の暴挙をあのままにしておいていいのですか!?」
「光さんの気持ちも少しは解るから、いいんです。僕が仕事をすればいいだけですから!」
「緋月様のようにソレを甘やかすのはやめてください!」
「てめぇは何様なんだよ! 緋月に拾われて俺と立場変わんねぇだろ!」
「あなたと一緒にしないでください! 私はあなたより働いています!」
「だからなんだよ!?」
尚も言い争いと、殴り合い、蹴り合いが続いた。
両者とも上手く相手の攻撃をいなし、かわしてまともに一発も身体には入っていない。拮抗した状態が続くが、先に疲れが見え始めたのは渉さんの方だった。
僕が懸命に止めようとしても、光さんに蹴り飛ばされてその度に周りにできてる外野に僕は受け止められていた。
戻ろうとしても、僕は水鳥さんに腕をとられて止められた。
「やめておいたら? また痛い目見るよ」
「僕は2人に赤紙にいてほしいんです」
「じゃあ力づくで止めればいいのに。智春さんにはその力があるでしょう?」
「力づくで止めるんじゃ、解決しないじゃないですか……」
「好きにしたら?」
水鳥さんは僕の腕を放した。再び2人の間に入って説得を試みる。
「おい光! たまには渉に勝ってみせろ!」
「渉! しばらく立てないくらいにやってやれ!」
葉太さんと達美さんがヤジをとばす。葉太さんは光さんを支持し、達美さんは渉さんを支持してる様子だった。他の人も圧倒的に渉さんの支持者が多い中、光さんを応援する声もちらほらと聞こえる。
中には止めに入る僕に対する声援も聞こえた。
――見てないで止めに入ってよ……!
2人の争いが落ち着くまでに10分以上はかかったと思う。
両者とも体力の限界まできているようで息を荒げていた。周りの人たちは退屈になってきたのか、野次をとばすこともしなくなった。
「クソガキ、てめぇ……はぁ……はぁ……しつけぇ野郎だな……」
「……智春君は……随分上達した……ようですね……」
そして僕は2人がおとなしくなってきたと同時に、再度訴えた。
「やめてくださいよ! こんなの緋月様が悲しみますよ! もうやめてください!!」
2人はそう言われてやっとやめる気になったようで、互いにばつの悪そうな顔をしていた。
「渉が先につっかかってきたんだぜ……?」
「渉さんは光さんのことを心配してるんです。光さんも解ってください」
「…………」
「智春君、言っても解りません。だからこんな風になっているんです」
「渉さんも落ち着いてください。徐々に光さんに仕事の量を増やしてもらいますから。ショックが大きかったんですから、長い目で見てください。2人のどちらかが出て行ってしまうのは緋月様も望んでませんよ」
「………………」
渉さんもやっと矛を収めてくれたようで、視線を逸らした。
噴水が上がっているところに風が吹き、わずかに僕らに水しぶきが飛んできていて冷たく感じる。それが「頭を冷やせ」と言われているようにすら思う。
「皆、緋月様がいなくなった傷が癒えないんです。渉さんももう随分休みなしで働いてるって聞きました。思い出したらつらいから仕事で忘れてるんじゃないですか?」
「…………」
「もう2人の喧嘩を止められる人はもういないんです。喧嘩しないでください……」
僕の言葉を聞いて、渉さんは顔を逸らして目を覆い隠して泣き始めた。
胸ポケットにいれてあった白いハンカチを取り出し、目を押さえて涙を拭う。
「……私は……私は……っ……緋月様に光を託されたんです……きちんと……してくれないと……緋月様に……っ……顔向けできないんです……しっかりしてくださいよ!」
泣き崩れる渉さんを見て、僕も胸がいっぱいになった。
そう言われた光さんもギリッ……と歯を食いしばって涙を堪えている様だった。
「………………」
下唇を噛み切れんばかりに噛みしめ、拳を強く握って涙をこらえている光さんの姿。
ヤジを飛ばしていた人たちも悲し気な顔をして2人を見つめている。ヤジを飛ばしたことに対して反省している様子だった。
そこに「やれやれ」と言った様子でメフィストさんが仲裁に入る。
「御二方、本日は彼の御方の命日です。今日は彼の御方を想い、存分に悼んでください。渉様、お部屋までお送りいたしますのでどうぞ本日は十分にお休みになられてください」
「……取り乱して……すみません……」
「さぁさぁ、見世物ではないのですよ。解散なさってください」
メフィストさんは集まっていた人たちを解散させた。残ったのは渉さんと光さん、僕、水鳥さん、メフィストさんだけだ。
水鳥さんは泣いている渉さんと、涙を堪えている光さんと、狼狽えている僕を見て面倒くさそうに頭をガリガリと掻いた。
「先に帰っていい?」
「駄目です。あなたは私の監視下にあるから自由を与えられているのですから、お忘れなきように」
「ちっ……」
「何かおっしゃいましたか?」
「なんでもない」
水鳥さんは嫌そうな顔をしながら、渉さんとメフィストさんと一緒に3区まで向かって行った。
去り際にメフィストさんは光さんの方に振り返り、こう言った。
「光様、あまりご無理なさいませんようにお願いします」
「………………」
光さんは乱暴に涙を拭って、僕に背を向けて歩き出した。光さんが向かっているのは赤紙本部の自室の方向だ。帰る方向が一緒なだけに、僕は後ろをついていくしかない。
光さんになんと声をかけていいか分からず、僕はただついていくしかできなかった。
光さんも僕が後ろを歩いていることは解っていただろうが、何も言わずに歩いていた。
すると、女性が1人光さんの元へと走ってきた。僕には朝の女性とはまた別の女性だということしかわからない。
「光君、奇遇ね。今日はスーツなんだ。珍しいー! カッコイイよ♡」
光さんの腕に絡みつこうとしたその女性の腕を、光さんは鬱陶しそうに振り払った。
「うぜぇ」
「あーん、ご機嫌ナナメなの? ねぇ、これから光君の部屋行ってもいい?」
「ついてくんなよ。うっとうしい」
「そんな酷いこと言わないでよぉ」
尚も光さんに絡んでいこうとした女性を、光さんは強めに突飛ばした。その衝撃で女性は後ろに倒れ込んでしまったので、僕が女性を地面すれすれで身体を支える。
「うぜぇっつってんだろ! 誰なんだよブス! 俺にさわんなよ!」
「は……? 何回も会ってるじゃない!! 綾子よ!」
「名前なんかいちいちおぼえてねぇよ。もう二度と俺に絡んでくるな」
「はぁ……!?」
女性は心の底から憤慨している様子だった。
「さいってい!! 死ね!!!」
光さんに女性は持っていたバッグを何度もぶつけて不満を露わにしてから、走って去って行った。これで今日女性に「死ね」と言われているのを見るのは2回目だ。しかし、光さんは全く動じている様子はない。
「光さん……いいんですか?」
「いいんだよ。他の女なんかいくらいても緋月の代わりにはなんねぇんだ」
「……でも女性を道具のように扱う態度は問題だと思いますけど」
「勝手に寄ってきて勝手に怒って出てくもんはどうしようもねぇだろ」
「前は全然興味ないって言ってたじゃないですか。言い寄られても見向きもしなかったのに……」
「うるせぇなお前は。つーかお前、まだドーテーだろ。んなもんさっさと捨てちまえよ」
手をヒラヒラさせながら、吐き捨てるように光さんにそう言われた。
言われた直後に僕は顔の辺りが一気に熱くなるのを感じ、途端にしどろもどろになってしまう。
「っ……! ひ、光さんには関係ないじゃないですか!」
「お前な……そういうもんは長引けば長引くほど捨てづらくなるんだぜ? テキトーにユウキの店とかで捨てちまえよ」
僕は恥ずかしくて、なんと返事をしたらいいか少し考えてしまった。どうにもそういう話は苦手だ。もうすぐ20歳になるというのにいつになっても慣れない。そのせいもあって葉太さんにも最近からかわれるようになってしまったのが最近の僕の悩みでもある。
「そ……そういうのは……好きな人とすることじゃないですか……」
しどろもどろになりながら僕が言うと、光さんは呆れたように軽く首を横に振りながらため息をつく。
「お前、んなこと言ってたら一生ドーテー捨てるつもりねぇだろ」
「僕にだって好きな人くらい……できますよ。……というか、別に……僕はそういうことがしたいわけじゃなくて……」
「俺だってしたくねぇよ。気持ち悪ぃし……緋月以外には触られたくねぇし、触りたくもねぇ」
「え……? じゃあなんでですか?」
こんなに女性関係にだらしなく、何人も囲い込んでいるのに「気持ちが悪い」などと光さんが言うとは思わなかった。
僕が疑問をぶつけると言いづらそうに視線を逸らし、光さんは小声で僕の質問に答える。
「けどよ……いつまでも自分の過去から逃げてられねぇだろ……? いつまでも自分の過去にビクビクして生きていたくねぇんだよ。どうコクフクしていくのかわかんねぇけど……俺の世話焼いてた緋月がもういねぇから、自分でどうにかしねぇとよ……」
光さんの告白に、女性を囲い込んでいるのはそんな真っ当な理由があったのかと僕は言葉をなくした。
傍から見ればただ女癖が葉太さんより悪いようにしか映らないだろう。かくいう僕もそうとしか思っていなかったので、何と光さんに言っていいか分からなくなってしまった。
「……そういう理由があるなら、渉さんに話せば解ってくれましたよ。どうして言わなかったんですか?」
「こんな話できっかよ。誰にも言うなよ」
「言いませんけど……随分荒療治ですね。それで良くなってきているんですか?」
「前よりはな。最初のころは女に体さわられるだけで吐いちまってたけど、最近は吐かねぇようになってきた。でもやっぱヤる気にはならねぇわ。女がベタベタベタベタしてくるとマジで吐く」
「……え? じゃあ……最後までしたことないんですか?」
「ねぇよ。だからいってんだろ。緋月以外はヤりてぇとか思わねぇんだよ」
更なる意外な返事に、僕は開いた口が塞がらない。
朝、女性が部屋から出てきているのを何度も見ているので、当然そういうことかと思っていたが、どうやら全く僕の……というか、周りの人すべての見当違いだったようだ。しかし……触れられるのが苦痛に感じるなら、一緒に寝るのは光さんにとってはかなり苦痛なのではないだろうか。それをどう凌いでいるのかは分からない。
「そうなんですか……意外でした」
「あぁ? 葉太みたいなシモが本体みてぇなやつと一緒にすんなよ」
「……葉太さんに聞かれたら怒られますよ」
「マジな話、お前もそう思うだろ?」
「葉太さんは葉太さんで依存症もあるので……そう悪く言うと緋月様に怒られますよ」
「……けっ……なら怒ってみろってんだ」
そう言っていた光さんは寂しそうな表情をしていた。
光さんに対して言ってはいけないことを言ってしまっただろうかと僕は少し反省したが、寂しそうな顔をしたのは一瞬で、すぐに光さんはいつもの表情に戻った。
「おら、もたもたすんな。着替えたら10区の見回り行くぞ」
「え? 来てくれるんですか?」
「部屋にいてもヒマだからな。女の相手すんのもメンドウになったし」
渉さんに言われたことが効いて、心を入れ替えてくれたのかと一瞬でも思ったのは僕の早合点だったようだ。
「…………心を入れ替えてくれたのかと一瞬期待しましたよ」
「あぁ? じゃあやっぱ行かねぇ」
「あー……光さん、終わったらケーキ屋さんに一緒に行きませんか?」
光さんのやる気を削いでしまったかと思い、僕は緋月様が光さんの機嫌を取るときによく使っていた常套句で彼の機嫌を取ってみる。
ケーキ屋さんという単語を聞いて、光さんはピクリとそれに反応を示した。
「野郎2人でケーキ屋とか、サラシもんじゃねぇか……」
「行きたくないならいいですけど……」
「いや、行く」
毒づきながらも、光さんはケーキ屋さんに行きたそうだった。光さんが日々どう過ごしているのかまでは把握していないが、ケーキ屋さんに一人で行くということはしていないはずだ。一人でケーキ屋に行けないから以前緋月様に同伴をお願いしていたのだから。
僕は10区での仕事はそこそこに切り上げた。
光さんが仕事をしてくれるのは嬉しかったけれど、ケーキ屋さんに行くことを楽しみにしている様子だったので、緋月様の命日ということもあり、早めに終わらせた。
「今日はもう切り上げましょう」と僕が言ったとき、光さんは「よっしゃ、さっさと行こうぜ」と本当に嬉しそうだった。久しぶりに無邪気な光さんを見て、僕はホッとした気持ちになり、僕もケーキを食べたくなってきた。
意気揚々と前を歩く光さんの後を歩いて、僕らはケーキ屋さんに向かった。
てっきり、どこのケーキ屋さんでもいいのかと思っていたが、光さんは好きなお店があるらしい。
名前は『円屋』という。
商店街の十字路の角にあるお店で、外壁は白を基調としていて夕日に照らされてオレンジ色に光っている。
ガラス張りの扉を光さんが開けると、カラカラとドアベルが鳴る。中からケーキ屋さん独特の甘い匂いがして、色とりどりの美しいケーキやワッフルなどに目を奪われた。
店員さんは1人のようで、店内の掃除をしていたが、僕らに気づき「いらっしゃいませ」とこちらを向いた。黒髪を三つ編みにして丸い眼鏡をかけているエプロン姿の女性だ。名札に『沙夜』と書かれていた。
沙夜さんは光さんの方を見ると、急にあたふたし始める。
「あ……光さん……お久しぶりです……」
「あ? あぁ、そうだな」
何の気ない返事をして、光さんは女性よりもケーキの方に目が行っていた。
沙夜さんは光さんの素っ気ない返事に少しがっかりしているようだった。恐らく、お店に来たのが久しぶりだと言ったのではなく、会うのが久しぶりだという意味で言ったのだろう。しかし、光さんは陳列してあるケーキに夢中だ。
「お、なんだこれ? 新作か?」
光さんの注意を引いたのは、チョコレートコーティングしているスポンジの上に、苺がふんだんに乗っているケーキだ。
「えっと……そちらは当店の……期間限定の苺のチョコレートです」
「うまそうじゃねぇか。なぁ? クソガキもそう思うだろ?」
自分が食べたいと素直に言えないからか、僕に同意を求めてくる。少し呆れてしまったが、素直に美味しそうだと思ったので僕は同意した。
「そうですね。美味しそうです」
「俺、これと、あとこれと、それと、あれ」
「いつもの……でよろしいですか?」
頬を赤らめながら、沙夜さんは一杯一杯話している様子だったが、全く光さんは気づいていない。もはやケーキのことしか考えていないようだった。
「あぁ。いつもの。2個ずつな」
「2個ずつですか……? 随分食べますね」
「あぁ。俺と緋月の分」
――あ……また余計なこと聞いちゃったな……
光さんが緋月様の分まで買うとは思わなかったので、僕は驚く。そういう気の利いたことをするような人だと思っていなかったので、尚更意外に思った。
「……なら、僕もショートケーキ2ついただきます」
「かしこまりました」
沙夜さんは手際よくケーキを箱の中に入れて、保冷剤も一緒に入れてくれた。商品を僕の分と光さんの分をわざわざ分けてくれたが、光さんは当然のように僕に2つとも持たせてくる。
会計をしているとき、沙夜さんは緊張して目を泳がせていた。しかし、光さんが彼女に背を向けた時は光さんの方をジッと見つめた。そして慌てたように奥へと走って行った。
――内気な人なんだな……
「行くぞ、クソガキ」
「はい」
店内から出ようとしたところ、後ろからバタバタという走るような音が聞こえてきて、僕が振り返ると慌てたように沙夜さんが奥から走ってきた。
「あ……あの! 光……さん!」
「あぁ? なんだよ」
「こ……これ、良かったら……!」
クッキーが包まれた袋を沙夜さんは頬を赤らめ、目を泳がせながら震える手で光さんに突き出していた。
「クッキー? たのんでねぇぞ」
「わ……私からの気持ちです……その……今日、緋月様の命日でしたよね……? 光さんと緋月様はよく……うちのお店来てくれてたから……お、お悔やみを……!」
光さんは突き出された手の中にあったクッキーの包みを受け取った。
可愛らしいクマのプリントがされているビニールの中に、チョコレートチップクッキーが数枚程度入っている。
「…………あぁ、もらっとくぜ」
「また来てくださいね……?」
「イチゴのがうまかったら近いうちにまたくる。いつまで置いてんだ?」
「あと……2週間ですね」
沙夜さんと光さんが話している最中に女性客が2人入ってきて、光さんと僕を見ると女性2人は「赤紙の光よ」「どうしよ、声かける?」と話しているのが聞こえた。それを聞いた光さんは面倒くさそうに足早に店の外を目指した。
「あ……ありがとうございました!」
光さんは少し乱暴に扉を開けて外に出た。僕も後ろに続いて沙夜さんに会釈をして出た。
クッキーの包みを早速開き、光さんは歩きながらクッキーを食べ始めた。
「これ、ウマいな」
どうやら、クッキーを僕に分けてくれる様子はない。次々に自分の口にクッキーを放り込んでいる。
「光さんって、本当にモテますよね……」
「俺のは悪目立ちっつーんだよ」
「…………」
やはり本人には何の自覚もないらしい。変に指摘すると沙夜さんに迷惑が掛かってしまうと思ったので、僕は何も言わなかった。
まして、光さんは今緋月様以外は眼中にない様子なので、もう少し時間を空けてからの方がいいだろうとも思う。
「しっかし、ここんちのケーキも久々だぜ。美味いんだよな」
「緋月様とよく来てたんですね」
「あぁ……俺が緋月に引き取られたばっかのとき、渉と毎日ケンカしてたんだよな。そんで俺が緋月の部屋に立てこもってたときに、緋月が渉にはナイショでチョコレートケーキ食わせてくれたんだよ。それがここんちのだったんだ」
「毎日喧嘩してたんですか?」
「毎日なんて言い方はカワイイもんよ。渉とは毎時間ケンカしてたな」
「毎時間ですか……」
今ですら顔を合わせれば喧嘩しているのに、渉さんも緋月様も本当に大変だっただろうと心中を察する。
「その日以来、毎日緋月に食わせろっつって、仕事終わりに毎日ケーキを飽きるまで緋月に買わせたんだよな。店の終わりに行って全部買い占めたりな」
「緋月様は光さんのこと本当に可愛がってたんですね」
「そうだな。なんつーか、緋月に会う前と会った後で生活が急に変わりすぎて……それがずっと続いてくのが当然だと思ってたからよ……前触れもなく終わっちまって、まだ信じられねぇよ」
そう言っている光さんは悲しげな顔で空を見上げた。
その背中は寂しそうで、まだ光さんの目はどこか遠くの現実でない先を見ているように見える。
僕は「そうですね」と短く返事をして、いつものように光さんの後ろを僕は歩いて行った。いつもそう口数が多いわけではないが、光さんはいつもよりも口数が少なかったように思う。緋月様が亡くなられた感傷に浸っているであろう。
光さんだけではない。今日はたくさんの人が感傷に浸っているはずだ。それでも誰もが一歩一歩進んで行っている。
進めなくてっも、時間は待ってはくれない。残酷にも、僕らのことを置いて過ぎ去って行ってしまう。
緋月様が亡くなられて1年、こんなにもまだあなたの面影は強く残っています。
あなたは今、安らかに眠っているのでしょうか……?
僕の問いは、夕闇に溶けて消えていった。




