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メンタル・ディスオーダー  作者: 毒の徒華
59/62

第58話 日記




僕は聖也を説得するために、何度か聖ラファエル病院に訪れて話をしたけれど、聖也の気持ちは変わることはなかった。

僕が聖也の前で表情を曇らせていると、彼は呆れて笑顔を見せながらこう言った。


「智春には偉そうなこと言ったけど、下に見られたことにムカついて勢いで言っただけだったんだ」


「俺は本当はイヴとの戦いに行くはずだった。その為に作られた存在なんだ。イヴがもういなくなって、俺は大きな目標を失った。ここの患者の世話してるのはやりがい感じるけど、生きる目的にはならない」


「それに、俺がいつ自分の悪魔細胞に支配されるかわからないんだ。もう戦う必要のない俺たちはアダムの一部に戻るのが自然だろ?」


幾度となく聖也の気が変わってくれたらと思って説得し、励ましたが、やはり聖也の覚悟は固いらしく僕の説得には心動かされなかった。

どことなく、その意思の固さというべきか、人の話を聞かないところというべきか、彼を育てた緋月様にそっくりだと僕は思った。

彼が頑なにそう言うなら、僕がそこまで干渉するべきことでもないようにも感じる。


言わずもがな、日下部さんは僕の話など全く聞き入れなかった。

そもそも、部屋に行っても居留守を使われることが圧倒的に多かった。彼女は外に出る事も滅多になかったし、姿を見ることすらろくにできない状況が続いた。

メフィストさんが「きちんと10区の仕事の引継ぎを誰かにするように」という説教を食事を運ぶ度にしているが、日下部さんはあまり真面目に聞いていないようだ。

ある日、偶然メフィストさんと日下部さんの部屋の前で一緒になったとき、僕は一緒に日下部さんの部屋に入れてもらったが、僕を見た時に露骨に嫌そうな表情をしていた。もう少し表情に出さないということはできないのだろうかとすら思う程、露骨に表情に出るタイプらしい。


「引継ぎも何も、10区なんて殺すだけじゃん。何を引き継げっていうの?」

「もしかして、処刑すべき人間の選定も、その後の手続きなども全部彼の御方にしていただいていたのですか?」

「そうだよ」


当然のようにそう言っていた日下部さんの言葉に、メフィストさんは呆れていた。「では結構です」とメフィストさんが部屋から出て行ってから、僕は日下部さんに対して説得を試みる。やはり僕の顔を見て物凄く嫌そうな顔をしていた。


「私の部屋に頻繁にくるの、止めてほしいんだけど」

「いるなら開けてくださいよ……」

「私は智春さんに用事ないし」


淡々と日下部さんは悪びれる様子もなくそう言っていた。

メフィストさんが運んできた食事を、嫌々ながらも口に運びながら僕の話を話半分程度に聞いている。


「日下部さん、アダムと本当に同化するんですか?」

「……そんな話だろうと思った。考え直す気はないよ」

「でも、いなくなってしまったら悲しいですし……アダムも悲しみますよ」

「アダムもこの前私のところにきて、同じこと言ってたよ。なんか本当に別の生き物になっちゃったみたい……私の方が悲しかったよ」


ため息を吐きながら、日下部さんは食事の手を止めた。


「……アダムとはそれなりに長い付き合いなんですよね? 日下部さんは死んでいるわけじゃないですし、アダムが抵抗感を示すのは当然ですよ」

「………まぁ、何にしても……考え直すつもりはないよ。アダムにもそう言ってある。議論が平行になる前に、諦めて帰って」


そう言って僕は追い出されてしまった。

追い出されてもやもやする気持ちのまま、僕はその足でアダムのいる場所へと向かった。扉を開けると、緋月様の部屋の隅でアダムは眠っているのが目に入る。服は周囲に脱ぎ捨てられており、裸で眠っていた。服を着るのが本当に苦手らしい。

起こしたら悪いかなと思ったが、僕が扉を開けた音でアダムは目を覚ましてしまったようだ。


「ごめん、起こしちゃった?」

「ううん……平気。なんだか無性に眠くなって。いろんな人と同化したから、その影響かな……? シャーロットもよく眠ってた気がするし……脳細胞の稼働率の問題なのかもしれないけど……」


眠そうな目をこすりながら、アダムは身体を起こして僕の方へ向き直る。


「聖也と日下部さんに同化のこと考え直さないかって話をしたんだけど、2人とも駄目だったよ。アダムも日下部さんのところに行ったんでしょう?」

「うん……生きてる人と同化したことがないから、正直どうなるか解らない。僕はやっぱり気が進まないよ。自分の気持ちとして気が進まないっていうのもあるけど、れい華には生き続けてほしいって思うし。とりあえずお願いをれい華からされてるから起きなくちゃ」

「別のお願い?」


アダムは嫌そうな顔をしながらも、周囲に散らばっている服を着始めた。


「ねぇ、もし、服を着たくないんだったらいつもの巨人の姿になったらいいんじゃない?」

「あぁ……あの姿はね……わざとあぁいう大きくて人に恐怖を与えるようなフォルムでいてほしいって緋月に言われてたからそうしてただけなんだよね。イヴとか罪人を牽制するために。人間社会で生きてく上では人間の形してたほうがいいって思うんだ。ところどころどっちでも不便なんだけどね」


アダムは着なれない服をなんとか着て、身なりを整える。


「れい華から、木村冬眞の死体の場所を特定して取り込んでほしいって言われてるんだよね」

「え……? 水鳥麗が一部を食べて、海に流したんでしょう?」

「れい華は明確な記憶は残ってないみたいだけど、自分の証言とか『黒の教典』の自分の手紙を見て、本当は殺してないと思うって言ってた」


――殺していない?


随分ざっくりとした憶測に思うが、何か日下部さんには確信があるのだろうか。


「…………仮にそうだとしても、当てはあるの?」

「シャーロットの記憶に、それらしい人物との接触の記憶があった。当時の木村冬眞はれい華に逃がされたみたい。その後再逮捕されたとかって記録がないかとか、逃れているならその遺骨を探しに行く。智春も一緒に行く?」


アダムは自分の着ている服を引っ張ったりして、むずむずとしている。

今着ている『クライム・クラウン』の服が着づらいだけで、もっと質素な服を着たらいいのになと僕は考えた。今度もう少し地味な服をアダムに差し入れようと思う。


「僕は別に仕事があるから、気になるけど、ごめん」

「そっか。じゃあ僕だけで探しに行くよ」


アダムはそう言って出て扉から行った。

もし、本当に木村冬眞が逃げ延びていたのだとしたら、『黒の教典』に書かれていたことは異なる。裁判の様子も詳細に書かれていたが、一貫して水鳥麗は殺して食べたと供述していた。


――でも、本人は記憶がないみたいだけど……自分のことだから何か解ることもあるのだろうか


気にはなっていたけれど、僕は黒旗の暴動を起こした人の事情聴取などに追われていた為、一緒に探しに行くことはできなかった。


僕がやっと仕事を終えてアダムの様子を見に緋月様の部屋に戻ったら、アダムはボロボロのノートを読んでいた。何冊か同じようなノートが積み上げられている。


「あ、智春。お疲れ様。無事に木村冬眞の遺骨見つけたよ」


あっさりと、さも当然のようにそう言ったアダムに僕は驚いた。


「え……本当にあったの?」

「うん。再逮捕されることもなく、名前を変えて生活して寿命を全うしたみたい。集合墓地の中に遺骨があって、僕が取り込んできた」

「でも、妄想型統合失調症だったんでしょ? 普通の生活を一人でするのは難しいんじゃないの?」

「れい華と逃亡していたときにシャーロットに治してもらったみたいだよ。お墓の中に、彼の遺骨と日記があったんだけど、この中に書いてあった」


アダムが持っていたノートは木村冬眞の日記のようだった。

何十冊もある日記をアダムは近くに積み上げていた。


「それ、日下部さんには見せたんですか?」

「まだだよ。届けに行ったら珍しく部屋にいなくて。ショックな内容がないかどうか、チェックしてるところ」

「勝手に見たらまずくない……?」

「別に誰に宛てたものでもないし、水鳥麗が一生見ない呈で書いてるから問題ないと思うけど?」


一番に日下部さんが見るべきなのではないかと思う気持ちも強くあるけれど、僕も日記の中身が気になってチラチラと日記の山を見てしまう。


「智春も見たいんでしょ? 日付の新しい方から見て見たら? ボロボロだから破かないように注意してね」


1冊アダムが渡してきたノートを僕は恐る恐る開く。

そこには水鳥麗の裁判の記事の印刷したものや、新聞の切り抜きなどが貼られていた。それからUSBがノートにはりつけられている。何かのファイルが入っているのだろうか? かなり前の媒体で再生は困難だろう。

ページをめくっていくと、木村冬眞の日記が始まった。どことなく神経質な文字で文字が綴られていた。


〈700.9.10


僕の頭の中でうるさかった声がピタリと止んだ。

教会の司祭の奇跡の力だって麗は言ってたけど、そんな非科学的なことがあるわけがないけど……確かに僕の頭に響く声は止まったし、まとまらなかった考えもまとまるようになった。

麗に日記を書くように勧められて、僕は日記を書き始めることにした。

麗は僕の状態がどうだとか、そういったことに対して言及しなかった。でも、けして腫れ物に触るように扱った訳じゃない。誰にも認められなかった僕を、一人の人間として接してくれた。

そんな麗を殺人鬼にしてしまったのは僕だ……。


麗はまだ取り調べを受けてる最中だと思う。しばらく終わらないだろう。

僕は自首するべきだってことは解るけど、麗は自首だけはしないでほしいと言っていた。何があっても自首だけはしないようにと。僕は死刑囚だったから、再逮捕となれば死刑になってしまう。200人以上殺した麗は裁判の結果を聞くまでもなく間違いなく死刑だ……。

人生をやり直したいって麗に言ったけど、麗を犠牲にしてやり直しても嬉しくない。でも、僕が捕まったら麗は更に罪を重ねてしまうかもしれない。麗は僕のことになると、少し我を忘れてしまうところがあるから……。


殺人なんてしてほしくなかった。

麗は、僕の死刑判決と処遇にかなり不満があったから、その不当性を訴える為にやったと報道されていた。報道陣は政治家の言葉よりも殺人鬼の言葉に耳を傾けようとする。だから麗はそれを逆手にとったんだ。200人以上を殺した麗は、日本だけじゃなくて海外からも注目を集めていた。麗のことを崇拝する人まで現れている。

僕の死体はあがらないだろうけど、麗は僕の血をべったりつけた服とか凶器をわざわざ用意したから、それを証拠として採用することになるのかもしれない。麗は僕を殺したことにするって言っていた。うまくいけば僕の捜索は打ち切られる。1人殺したのと2人殺したのは大きな差があるけど、200人殺したのと201人殺したのではもう何も変わることはない。見つからない僕の捜索をいつまでもしてはいないはずだ。

僕が事件を起こさなかったら、麗はこんなことしなかったはずなのに……。〉


〈705.10.3


麗の裁判がやっと始まった。

絶対に見に来るなと言われていたけど、僕は変装をして裁判を傍聴しに行った。この裁判は人気が高く、常に傍聴券は抽選だった。倍率も物凄く高く、そもそも入れない状態がずっと続いた。

僕が入れたのは、麗の被告人尋問のときだった。

久々に見た麗は以前よりも増して痛々しいほど痩せていた。そんな華奢で動くのもやっとな麗の周りには4人もの刑務官がついていた。

それに、裁判所の職員が何人も傍聴席側にいた。


麗は傍聴席など全く見ておらず、僕のことには気づかなかったけど、気づかれなくてよかった。もし麗が僕に気づいたら、きっと麗は表情に出てしまうから。

尋問では麗が手にかけた人たちの殺害方法についてなど弁護人から質問されていた。


「どうやって被害者の日野さんを殺害現場へと誘導したのですか?」

「日野さんって誰だっけ? 5年も前のことだし、いちいち覚えてない」


そう言っていた麗には傍聴席から非難轟々だった。

裁判官が静止を呼び掛けていたけど、非難を辞めなかった人たちは片端から退廷命令を出されていた。気が付くと、抽選で苦労して入った人たちの半分くらいの人が退廷させられていた。おそらく、そのための裁判所職員配置だった。

裁判は傍聴席からのヤジも相まってなかなか進んで行かない。やっと傍聴席が静かになったころ、尋問が再開された。


「では、覚えている人は誰かいますか?」

「冬眞といるときに絡んできた人。冬眞に向かって“不細工”って言った。そいつは簡単には殺さなかった。舌を切り落として目を抉り出して、生きながら丁寧に内臓を引きずり出して……」


殺し方についての尋問で、体調不良になったのか傍聴席から立つ人もまばらに見受けられた。

淡々と質問に答える麗は、裁判に飽きてしまっているようだった。

裁判初期は僕の処遇についてや、優生思想について熱弁していたようだけど、裁判が進むにつれて同じ質問が続いて、嫌になってしまっているという感じだ。


尋問が終わって、麗が退廷する際に傍聴席から再びヤジが飛んだ。僕の横にいたヤジを飛ばしたその人を麗は横目でチラッと見た時に、麗は僕に気づいた。

麗は、僕の顔を驚いた表情をして見たけど、すぐに麗は顔を背けた。

もう二度と言葉を交わすことはないのだと思うと、悲しい。

最後に一言くらい、会話がしたい。


僕は仕事も見つけて、毎日大変だけど普通の生活を手に入れた。

でも、大切なものを失ってしまったような気がする〉


日記には裁判の経過の記事などがノートにはりつけられていた。


〈■最終論告後の最後の被告人の発言


「たくさんの人を手にかけたのは、結局手段でしかなかったと思う。私は冬眞のように無罪になるべき人が司法の都合、病院関係の都合で有罪になって排除されることは許せなかった。結局冬眞を殺すしかなかったけど、今でも冬眞は私の中で生きてる。もっと一緒にいろんな場所に行ったり、普通に住んだり、思い出を作っていきたかったけど、死刑判決が出てから一緒に過ごせたことだけは良かったと思う。冬眞のことは今でも好き。多分死ぬまでずっとそうだと思う。冬眞には安心して眠ってほしい」〉


〈麗の拘置されてる拘置所へ何度も面会しに行こうとしたが、決心ができなかった。でも、僕が長い時間をかけて決心して拘置所に会いに行くと、面会拒否されて会えなかった。偽名で会いに行って解らなかったからじゃない。逃走時に僕らは偽名で呼び合ってた。会いに来たのが僕だって解らなかったはずがない。僕と会うと、僕が本当は生きてることが解ってしまうから麗は面会を拒否したんだ。

手紙を送るという手段もあったけど、麗に手紙だけは絶対に送らないでと言われていた。もちろん面会も来るなって言われていたけど……。〉


〈麗の一審の判決の日、僕はもう一度麗に会いに行った。これが最後と思って会いに行った。これで駄目なら麗は控訴しないだろうから、本当にこれが最後のチャンスだった。


最後、麗は面会に応じてくれた。

久々に面と向かって見た麗は、やつれてしまっていたけど以前とそれほど変わらない様子だった。

麗の最初の言葉は「初めまして」だった。それを聞いてショックな気持ちもあったけど、僕は何を話したらいいか解らなかった。ろくに喋れなかった僕に対して、麗は気を悪くすることもなく、普通に話をしてくれた。


「今日、判決なんだよね。死刑判決が出ても控訴しないから、あなたが最後の面会者ってこと」

「……本当に控訴しないの?」

「しないよ。控訴しようと、上告しようと死刑判決は覆らないだろうから」

「僕は……死刑になってほしくないって思うよ」

「何百人も殺しておいて、自分だけ助かりたいなんて思わないよ」

「今日も面会してくれないかと思った」

「まぁ、最後くらい受けてもいいかなと思ってね。もう刑務官以外と話すこともなくなるだろうから、一般人と話すのも最後になる」


「ねぇ、彼女とかいるの?」

「……婚約者がいる」

「へぇ……どんな人?」

「僕の為に、何もかもを捨てちゃうような人かな」

「あはははは、それは危ないよ。別の人にしたほうがいいんじゃない?」

「捨てないでほしかったけど……でも、そのおかげで僕は助かったんだ。感謝してもし切れないよ。でも、なかなか会えなくなっちゃって、寂しい」

「そっか。でも、感謝の気持ちは別にして、自分の幸せを考えたほうがいいんじゃない? そんなにその人のこと好きなの?」

「うん……僕の人生を変えてくれたから」

「そう。私もね、婚約者がいたんだけど、その人が人生変えてくれたの。いい方向にだよ? 今はこんな風になっちゃってるけど、その人がいなかったら、私、ずっと暗い気持ちのまま……自殺してたと思う。何百人も殺すより、そうした方が社会的には良かったかもしれないけどさ、私にとってはその人に会ってよかった。私もすごく感謝してる」

「自殺なんて柄じゃないよ。僕は死なないでほしいと思う」

「殺人鬼でも?」

「どうしようもない人間しか殺してないんだよね?」

「私にとってはね。でも、その人たちにも大切な人はいたんだよ。私が勝手に決めて殺していいことじゃない」

「そこまで解ってるならどうして?」

「解ってても、決めるのは私。周りの人の意見なんてどうでもいいのよ。自分の大切なものを守るためなら、周りを全部敵に回してでもつかみ取る。そのためにしたの。方法は間違ってたかもしれないけど、別に後悔してないよ」


「最近、何か楽しいことあった?」

「特にないかな」

「えー? ないの? なんかあるでしょうよ」

「本当に、特に何もない。変わり映えのない毎日だよ」

「そうなんだ。私も特に何も変化はないかな。することも別にないしね」

「手紙とか、いっぱい届いているんじゃないの? 返事とか……」

「届いてるけど、全部読んでないよ。面会も全然受け付けてないし」

「どうして?」

「内容なんて知れてるし、別に興味もないし。冬眞以外の人は興味ないんだよね」


「今日、判決聞きに行こうと思う」

「こなくていいよ。どうせものすごく混んでるし抽選で入れない可能性の方が高いよ。下手したら席が100くらいに対して、一万人とか来そうだし。初公判の人数知ってる?」

「3万人くらいだったかな……」

「もう警察も出動して大変だったらしいよ? 裁判所まででちょっとした暴動も起きてたらしいし、巻き込まれたら大変だしさ」

「でも……これが最後なんでしょ?」

「そうだよ。いつまでもこんな裁判続けてられないしね」

「じゃあやっぱり行くよ」

「来てほしくない。見ず知らずの人が暴動に巻き込まれてどうなろうと関係ないけど、曲がりなりにも話したことある人が巻き込まれるのは嫌だから」

「じゃあ……刑が確定するまでの間はまた面会に来てもいいかな?」

「……それは駄目、今日が最後。もう面会しない」


「なんか、最後だと思うと何を話したらいいか解らないね。ほぼ1日中誰とも喋らない生活してたからさ」

「僕もそうだよ。会社の人とも喋らなくてもいいから、こんなに誰かと話すのは久しぶり」

「そうなんだ。なんか趣味とかないの? 休みの日とか、何もしてない訳じゃないでしょう?」

「動画見たりとか、映画観たりとかかな……?」

「映画いいなー、私も映画観たい」

「でも、一緒に見る人がいないと……ちょっと虚しく感じる」

「今の婚約者はこんないい男を放っておくなんて、本当にもったいないな」

「そんな……お世辞はいいよ」

「あははは、何照れてるの? もっと自信もっていいんじゃない?」


「もう時間だから。今日はありがとう。最後に話せてよかったよ」

「僕の方も……本当にありがとう」

「お礼を言われるようなことはなにもしてないよ。それじゃ、ばいばい」


麗には来なくていいって言われたけど、判決を聞きに行った。

麗の言っていた通り、裁判所ではちょっとした騒動になっていた。日本人だけではなく、外国人のメディアも判決を聞きに来ていた。

抽選ははずれた。

倍率がどのくらいなのか解らなかったけど、相当な倍率だったように思う。

麗には予想通り死刑判決がくだされた。控訴はしないと言っていたように、控訴猶予期間が過ぎて、麗の死刑は確定した。〉


僕はこれ以上読み続けることに抵抗を覚えたので、ノートを閉じて置いた。

アダムは読む速度が速く、もうすぐ読み終わる様子だ。アダムが全部のノートを読み終えたとき、深いため息を吐いた。


「これをれい華に見せるのは気が引けるね」


そう言いながらも、ノートを全部手に取って持ち上げた。


「れい華のところへもう一回持ってくことにするよ。やっぱり、これはれい華の物だと思うから。問題ないとは言ったけど読んだことは一応内緒にしておいて」


アダムはそう言って部屋から出て行った。


「読んだらショックな内容だったけど……見せて大丈夫なのかな……」


日下部さんは記憶はないって言っているけれど、自分が水鳥麗だということは自覚している様子だった。

木村冬眞のことを覚えていないらしいが、大切に想っているということは解っているはずだ。それがわかるからこそ、殺していないと総合的に判断できたのだろう。

誰もいなくなった緋月様の部屋で僕はしばらく壁の模様を意味もなく目で追っていた。


――なんだか、緋月様にしても水鳥麗にしても世界を変えるほどの恋ってどんなものだったんだろう。僕もそんなに好きになれる人が現れるのかな……?


僕の頭には緋月様の姿が思い浮かぶ。


――緋月様よりも好きになれる人が……?


そう思いながら、僕は立ち上がって緋月様の部屋を出て帰路についた。

あの日記を読んだ日下部さんは一体どう思うのだろうかと考える。僕だったらショックで寝込んでしまうかもしれない。

記憶がないことが幸いなのか、あるいは記憶がないことが不幸なのか、それは彼女にしかわからないことだ。




◆◆◆




【10日後】


今日は日下部さんとラファエルの人たちがアダムと同化する日だ。

同化の立ち合い人として僕はアダムとメフィストさんと一緒に緋月様の部屋に向かっていた。緋月様の部屋で集合する手はずになっている。

暗い気持ちがぬぐえない中、僕が緋月様の部屋に到着すると、ラファエルの全員は揃っていたが、日下部さんだけは来ていなかった。


「困りましたね。智春様、水鳥麗を連れてきてもらえませんか」


――僕が行っても居留守を使われると思うんだけどな……


そう思いながらも僕は日下部さんの部屋に到着する。

何度かノックし、「智春です」と名乗っても中からは返事はなかった。


――やっぱり居留守かな……


ため息を吐いて僕が緋月様の部屋に戻ろうとすると、日下部さんの部屋の扉が少しだけ開いた。僕が振り返ると、ほんの少し開いている扉から日下部さんがこちらを見ていた。


「あ、日下部さん……アダムが待ってますよ」

「私は行かない」

「……アダムに来てもらった方がいいですか?」


部屋の外に出たくないという意味だと僕は捉えた。

日下部さんは少し僕から視線を外して、何度か瞬きをしてから言いづらそうに返事をした。


「…………違う。気が変わったから、私は同化しない」

「そうですか…………え?」


僕は聞き間違いかと思い戸惑っていると、日下部さんは目を逸らしながら言葉を続ける。


「冬眞の日記を読んで、気が変わった。メフィストにはそう言っといて」


パタン。


廊下に取り残された僕は呆気に取られていたが、日下部さんが考え直してくれたことが嬉しくて思わず微笑んでしまった。

僕が「そうか、良かった」と思いながら歩き出して5歩程度歩いた時にまた扉が開いた。振り返ると、少しだけ扉から身体を乗り出している日下部さんがいた。


「どうしました? 日下部さん」

「10区代表は私のままでいいよってメフィストに言っといて。あと、私の名前は日下部れい華じゃなくて水鳥麗ね。よろしく」


パタン。


彼女は偽名ではなく、本名を名乗ることを決めたようだった。

僕は日下部さん……いや、水鳥さんが考え直してくれたことが本当に嬉しかった。僕の説得では全く何も響かなかったことが悲しいとも思ったが、結果として考え直してくれて良かった。

僕は全部の日記を読んでいないが、きっと水鳥さんには嬉しくもあり、悲しくもあっただろう。感情が平坦化していると緋月様は言っていたけれど、最愛の人の日記を読んで心が動かされないはずがない。


緋月様の部屋の扉を開けて入ったときに僕一人だったため、メフィストさんはため息をついた。


「また居留守ですか? 困りましたね」

「いえ、違います。水鳥さんは同化しないと言ってました。考え直してくれたようです」

「ほう? “水鳥さん”ですか? そうですか。まぁ、いいでしょう」


そう言っているメフィストさんはなんだか嬉しそうにも見えた。


「聖也たちは考え直したりしてくれないかな?」

「俺たちは言ってた通りだ。同化する」

「左様ですか。結構です。言い残すことはないですか?」

「ない」


アダムはやはり気が進まない様子だったが、巨人の姿になった。

そして一人ひとり抱きかかえるようにして身体に沈め、同化していく。千鶴さんも麻耶さんも牡丹さんも怖がっている様子はなかった。アダムの方が怖がっているように見える。

恐る恐る同化していく中、アダムが暴れ出さないかどうか僕は不安を感じながら見守っていた。

廃人のようになっている理沙さんを聖也さんが立たせてアダムが抱き上げ、ゆっくりと同化していく最中、聖也は心配そうにそれを見ていた。


「これで良いんだよ。そんな暗い顔すんなって。智春」

「知ってる人がいなくなっちゃうのは悲しいよ」

「そうだな。でも、智春はこれからずっと生き続けて、いろんな人を見送っていくんだぜ? そんなんで大丈夫か?」

「わからない。でも、慣れないと思う。それに慣れちゃったら、僕は本当に人間じゃなくなっちゃう気がして」

「そうだな……俺は行くけど、智春は頑張れよ」

「うん……ありがとう。聖也」

「じゃあな」


聖也は弱く笑った後に手を軽く振ってきた。僕は手を振り返すが、咄嗟のことだったので随分ぎこちない振り方になってしまう。

僕が手を振ったのを見てから聖也はアダムと同化していった。

全員と同化したアダムに変化があるかどうか、メフィストさんと見ていたが、アダムは暗い顔をしているだけで泣き出したりすることもなかった。


「アダム、大丈夫?」

「うん……麻耶がサヴァン症候群だったから、情報量が多くて……」

「サヴァン症候群?」

「麻耶は一度見たものは忘れられない体質だったんだよね。本をパラパラめくってひたすら知識をため込んでたから」


確かに思い返せば、資料室の受付で山積みになっていた本をパラパラめくって読んでいたのを思い出す。

アダムは険しい顔をしながら僕とメフィストさんの方を見て、何度か眠そうに瞬きをしている。


「メフィスト、智春……僕、ずっと考えてたことがあるんだけど、聞いてもらってもいいかな?」

「どうしたの?」

「僕は何人もの人と同化して、膨大な記憶と、感覚を得て……色んなことが解るようになった。でも、色々考えすぎちゃったり、記憶が混在して混乱することもある。それになんだか……すごく眠くなる……」


何度も瞬きをしながら、時折アダムは目をこする。


「緋月と茜と同化しただけだったときはそんなに眠くなかったけど、シャーロットとノエル、その伴侶と同化した辺りから眠らないと抵抗できないほどになって、今、麻耶たちと同化して……もう、眠くて限界なんだ……」

「少し眠った方がいいんじゃない?」


僕が提案すると、アダムは頭を横に振った。


「ううん……多分、眠ったら僕はしばらく起きなくなると思うんだ……しばらくっていうのは……何か月……もっと多ければ年単位……」

「えっ……?」

「それで……僕は……永遠の眠りにつこうと考えてたんだ……緋月と同じ、永遠の眠りに……死ぬってことじゃなくて、本当に永遠に眠る……その間……僕のこと……見守っててくれないかな……? 僕が……誰にも利用されないように……僕は……僕の一族が見つかった……0区の洞窟で眠るから……誰も入れないようにしてほしい……」


アダムは何度も目をこすってはいるが、瞼がかなり下がってきている。目を開けているのがやっとの状態のようだった。

立っているのもままならず、アダムはフラフラとしはじめた。


「ごめん、眠すぎて……智春……メフィスト……お願……い…………」


パタリ。


アダムはそのまま倒れてしまった。


「アダム!」


倒れたアダムを抱き起すと、アダムは気絶したように眠っていた。声をかけても、身体をゆすってもアダムは起きない。


「眠ってしまいましたね」

「アダムの一族が見つかった洞窟にアダムを置いてこないといけないの……? 使われてない緋月様の部屋に寝かせておくんじゃ駄目ですかね」


僕はその場所がどこなのか解らないけど、そんな場所にアダムを眠らせるのはものすごく気が引けた。

それに、せっかく起きた時にそんな場所にいたら何もできないだろう。


「…………アダム様としては、もう覚醒したくないのだと思います。緋月様の部屋でしたら色々な人が起こそうとするでしょうから、希望通りに0区の洞窟に眠らせるのがよろしいと思います。あの場所なら誰も立ち入りませんから」

「でも……そんな場所に置き去りにするのは気が引けますよ……」

「それでは定期的に智春様が確認されに行かれたらどうでしょう? アダム様も目覚めないとも限りませんし。目覚めたとしても、それほど長い間は目を覚まさないとは思いますが、ときどき本の差し入れでもして様子をみてはどうでしょうか?」


それでいいのだろうかと思考を巡らせるが、アダムの処遇について僕とメフィストさんだけの判断で決めるわけにもいかない。


「うーん……でも……僕の独断では決められないですよ。王様や区代表、第三者委員会の人とも話をしないと……」

「それは話さない方がいいと思います。アダム様を利用しようとする者は多いでしょう。緋月様がいなくなった今、アダム様は身の危険に晒されているのですよ。排除しようとする者もいれば、利用しようとする者もいます。わたくしたちだけの秘密にしましょう。人のいない場所へ行くと言い残して飛び去ったことにすれば問題ありません」

「本当にその洞窟は誰もアダムを見つけないんですか……?」

「0区でも危険区域として立ち入れない場所があるのですが、アダム様の一族はそこから見つかったのですよ。地上から行こうとすると相当に険しい場所にありますので、大丈夫です。智春様なら空から行けますので問題ありません」


そう説得されて、それがアダムにとって幸せなのだろうかと考えた。

しかし、これから人類が生きていく中で見つけないという保証はない。永遠に誰にも見つからないということは不可能なように感じる。


「僕は……いつか文明がもっと発展したらいずれそこも見つかってしまうと思うんです。見つからない場所なんてないと思います。だったら緋月様が茜さんを隠してた研究室の奥に眠らせておくのはどうですか? 今は戦いで滅茶苦茶に荒れてますけど……セキュリティ的には問題ないと思うんですよ。それこそ僕とメフィストさんで管理できますし」


メフィストさんは僕の提案に対して、頭を悩ませて考えていた。


「うむ……そうですね……そちらの方が管理しやすいというメリットもありますからね……アダム様としては不満はあるでしょうが……」

「その部屋ができるまでは緋月様のベッドで眠ってもらいましょうよ。事情を知っている人には緋月様の部屋に入る際には静かにしてもらうようにしますから」

「光様が静かにできるかどうか……期待できませんが」

「でも、うるさくしても起きないんじゃないですかね……?」

「解りませんね。しかし、無理やり起こそうとすればできるのではないでしょうか」

「……光さんには僕からよく言っておきます。あと琉依さんと達美さんにも……」


光さんは無理やりにでも起こそうとしそうだと容易に想像ができる。琉依さんは大声で話すだろうし、達美さんも起こり始めると声が大きいので、アダムが安らかに眠れるように配慮してもらわなければならない。

僕はアダムを緋月様のベッドに横たえて、肩までしっかり掛布団をかけてあげた。

呼吸をするのに胸が上下に動く程度で、身体は指先ひとつピクリとも動かない。

安らかに眠っている彼を僕は何秒か見つめて、緋月様の私室から出た。


「メフィストさんはこれからどうするんですか? イヴもいなくなりましたし、無事に結婚式も終わりましたし……アダムも眠っちゃいましたし。メフィストさんも同化するなんて言いませんよね?」

「そうですね、わたくしは彼の御方が守ってきたものを守るために、裏で赤紙に仕えようと思います。シャーロット様が守ってきた教会もできれば存続させたいですし、水鳥麗の世話もしないといけないですしね」

「そうですか。僕もできることは手伝いますから」


メフィストさんはアダムと同化することはしないようだった。アダムを狙う人がいるなら、メフィストさんを狙う人もいるだろう。

とはいっても、メフィストさんは自衛の手段は持ち合わせているように見える。本当に緋月様のように抜け目がない。


「智春様はどうされるのですか?」

「僕は……緋月様付きじゃなくなりましたし、赤紙の試験を正式に受けてどこかの区に仕えようと考えてたりします」

「そうですか。それもいいかもしれませんが、わたくしとしましてはどの区にも属さずにしばらくはそれぞれの区のお手伝いをするのがよろしいかと思います。智春様の力を必要とする人は多いでしょうから」

「それだと……区代表たちが納得しないのではないでしょうか」


真っ先に思い浮かべたのは達美さんの顔だ。それから妃澄さん。そして榎並さん。

このまま何とも言えない立ち位置にい続けると、その人たちの目が痛い。


「他の方にはできないことができますので、そううるさくは言われないと思います。きちんと自分が目指す目標を持っていれば文句は言われないかと」

「僕は……もっと、罪人に更生の余地を与えられる国を目指していきたいです」


父さんのように更生の兆しがある人が出てこられて、また一緒に父さんと雪尋と僕で生活できたらいいなというささやかな夢がある。

それが可能になるよう、僕は努力していきたい。


「左様ですか。よろしいかと思います。光様のこともよろしくお願いいたしますね。わたくしは水鳥麗の世話で手一杯でしょうから。光様のことはお願いします」

「頑張ります」

「では、わたくしは水鳥麗に用事がありますので、失礼します」


メフィストさんはそう言い残して出て行った。

僕は誰もいなくなった緋月様の部屋で、かつて緋月様が座っていた椅子を見つめた。


――緋月様、僕……頑張ってみます


心の中で緋月様にそう誓い、僕は部屋の扉を開いた。


そうだ、もう随分自分の家に帰っていないから、一度帰ってみよう。

母さんの墓参りもしなければならない。

雪尋が大切にしていたものも、本人の元へと持って行こうか。


色々なことを僕は考えるが、もう以前のように何もかもを悪く捉える僕はいなかった。

僕が歩む道は絶望に閉ざされた過去じゃない。

希望に開かれた未来だ。




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