第56話 『その命ある限り』
何をもってして平穏な日々と言うのか解らないけれど、僕はイヴという悪魔がいると知る前と同じような日々を送っていた。
結婚式までの日取りはまだ明確には決まっていない。
働く量は圧倒的に増えたし、緋月様の仕事量には到底僕は及ばないので色々悪戦苦闘を強いられていたが、忙しく業務をこなす中で人々は日常を取り戻しつつあった。
僕の身体は以前とは異なり、睡眠をとらなくても良くなった。その代わり、やけにお腹がすくようになって、よく食べるようになってしまった。
無心で緋月様が食事をしていたように、僕も食事をしながら仕事に臨むことが多くなった。メフィストさん曰く、食べ溜めができるらしい。食べ溜めておけばエネルギーが尽きるまで長期間食事を摂らなくても活動が可能だという話だが、幸いにも僕は毎日食事にありつけているので必要はない。
食堂の料理長は僕が緋月様のように沢山食べても、怒ることはなかった。
「すみません、予約もなしにたくさん……」
「いいんですよ……緋月様にもっと食べてほしかったと、今になって思います。智春君が緋月様のように食べてくれたら、私も嬉しいですよ。作る量が減ってしまったら、私の仕事も減ってしまいますからね」
そう言って僕に次々と料理を出してくれた。
いくら出されても食べきれないということもなく、無尽蔵に僕は食べ続けた。
一方、毎日大量に食事をしていたアダムが、パタリと食事をしなくなった。
緋月様の遺体の側でずっと緋月様を見ているらしい。アダムは食事をしなくてもいいのかもしれないが、同じようにしている光さんは食事をしなければならない。
いつも僕が届けに行った食事を奪い取るようにして、光さんは緋月様の横で食事をしていた。
声をかけても返事をしない。
「光さん、随分ちゃんと眠れてないんじゃないですか?」
「…………」
「一緒に1区の視察に行きませんか? 気分転換になると思うんですけど……」
「………………」
「…………それじゃ、また食事届けに来ますので……」
渉さんも時々は光さんの様子を見に来ているらしいが、やはり返事はないらしい。
この状態が続くようなら、精神科病棟に入院になってしまうだろう。
3区代表の薫さんは仕事が手につかないほど気を病んでしまい、聖ラファエル病院の隔離病棟に入ることになった。このままなら光さんもそうなってしまいかねない。
4区の園さんは区代表を降ろされた。
緋月様は許すと言っていたが、他の区代表は園さんを許さなかった。赤紙への反逆罪、緋月様に対する殺人未遂など、罪は軽くはない。
彼は今第三者委員会を交えた裁判を待っている状況にある。緋月様という絶対権力が失われた今、区代表の人たちが望むような厳しい処罰は与えられないだろう。
3区と4区の区代表の席が空いたところに、3区は渉さん、4区は榎並さんという方が区代表に着任した。
2人とも難なく区代表の仕事を遂行できているらしい。榎並さんは妃澄さんの下にいた優秀な人材だった。緋月様付きだった渉さんや僕、特に光さんを敵視しているらしいが、まだ僕は正式に顔をあわせたことはない。
緋月様の死因や事件の詳細などは未だ明かされていない。特に茜さんのことや、死者を生き返らせたこと、黒旗の教祖が緋月様であったことなどは国民に明かせない状態だった。だから緋月様の結婚の話も秘密裏に進行していった。
事件の後に雪尋と僕は面会した。
緋月様が亡くなったということが報じられた後だったが、雪尋はきっとこのことを喜んでいるだろうと思いながら、僕は面会室へと訪れた。僕の姿を見た雪は一瞬ホッとしたような表情を見せる。
「……相当な大騒ぎになったらしいな」
「そうだね。緋月様も亡くなって……、大変だよ」
「本当に死んだのか……?」
「うん……すごく残念だけど……」
「そうか……」
雪尋は気まずそうに言葉を詰まらせていた。流石に落ち込んでいる僕の前では表立っては喜べないのだろう。
「これから、区別け制度をどうしていくかっていう議論もされるよ。これからは罪人に対して必要以上に厳しくする必要もないだろうから。それが正しい方向なのかどうかは解らないけど、徐々に変わっていくと思う」
「…………」
「緋月様が黒旗の教祖だったってことは伏せられるから、他言無用でお願い。国の秩序を最優先にっていう方針だから」
「隠し通せるのかよ……隠せたとしても『黒の教典』を盗んだことやら、今回の騒動やら……どう説明するんだ」
「……『黒の教典』ね……」
今思えば、水鳥麗が木村冬眞に宛てた手紙だ。「窃盗じゃない」と本人が言っていたのはその為だったのだろう。とはいえ、あれは一度日下部さんの手を離れて黒旗の所有物だったのは確かだ。
日下部さんの責任の所在については問わなければならない。
彼女も赤紙の人間であるなら、今までの流れを汲むなら処刑ということになるのだろうか。
「そうだな……僕としても穏便には済ませたいんだけど」
「強奪しておいて穏便も何もあったもんじゃねぇだろ……」
雪尋はため息をつきながら長い髪をかき上げる。髪も伸びてきているが、髭も無精髭が伸びてきていた。乱暴に剃ったのか、顎の部分に切り傷ができてしまっている。
「来たばかりだけど、僕はもう仕事に戻るよ。また来るから」
「別に……来なくてもいい」
「…………まぁ、そう言わないでよ」
僕は面会室から退室し、仕事に戻った。
来なくてもいいと言っていたが、心の底から拒否するような言い方ではなかった。話していても以前よりも言葉に棘がなくなっていたし、僕が「帰る」と言ったときは少し寂しそうにしていた。
緋月様が兄弟で殺し合った姿が悲しすぎたと感じた僕は、少しでも弟に優しくしようと思っていた。とはいっても、緋月様も兄を慕う気持ちが芽生える前にイヴとの戦いになってしまったからそれほど兄弟愛はなかったのかもしれない。それでも、自分の実兄を手にかけなければならなかったことは、他者を処刑するようには割り切れないものだったろう。
そうした日々が慌ただしくあっという間に過ぎていった。
そして、緋月様の死後1か月が経った頃、僕が仕事から帰って自室に戻ると、メフィストさんから一通手紙が届いていた。
言わずもがな、それは緋月様の結婚式の招待状だった。
〈智春様
1200年 巳の月 第13の日
予告させていただいておりました緋月様と茜様の結婚式を行います。
つきましてはご出席賜りたく、招待状を送付いたします。
会場は六翼の天使の教会、時間は10:00から
当日は正装の上、招待状をお持ちください。
メフィスト〉
手紙と同封されている招待状を見ても、僕は未だに実感がわかない部分があった。
死者同士の結婚式だというのに、封筒も、紙も真っ白に金の縁取りがされている。
黒いのは几帳面な文字で書かれている文字くらいなものだ。
自分の身体をベッドに投げ出してその招待状を眺めていると、なんだか胸が締め付けられるような思いに駆られる。
緋月様に想い人がいると知って、すぐに戦いになって緋月様は亡くなってしまった。だから僕はずっとこの感情が、緋月様が亡くなって悲しいから胸が締め付けられるような気持ちになっているのだと思っていた。
でも、冷静になって考えてみるとそれとはやはり少し違う。
僕は緋月様が好きだった。だから恋人がいたということがショックだったに違いない。でも、それを自覚する前にこうなってしまった。
緋月様があまりにも不憫だと思って結婚式や婚姻については賛成だが、僕は心の中にわだかまりが残る。
「敵いっこないよね……」
茜さんは整った顔立ちをしているし、僕なんかと違って男らしい性格のようだったし。
本当に張り込む隙が1ミリもなかった。当然のように諦めなければならなかった。
初恋なんてこんなものなのだろうか。
「はぁ……」
僕はベッドの脇に置いてある机に手紙と招待状を置いた。
――1週間後か……
久々に僕は目を閉じて眠ることにした。
ここ最近忙しくて眠る間もなかった。眠らなくても平気とはいえ、今までの生活から随分かけはなれた生活をしていることにまだ慣れない。
目を閉じて眠ろうとすると、すぐに僕の意識は薄れ始めて眠りに落ちた。
◆◆◆
【1週間後】
ついに結婚式当日だ。
僕はどんなドレスコードがいいのか解らなかったが、渉さんに黒のスーツと白のネクタイでいいと言われたので、それを購入してきた。
なんだかこういったかしこまった格好をするのは、緋月様の為にパーティをしたとき以来だ。
僕は緊張して早く準備が終わり、家を早く出過ぎてしまったので教会に9時頃についてしまった。六翼の天使の教会はひっそりとした場所に建てられており、辺りに人が歩いている気配は全くなかった。
小さな教会で、少し古めかしい雰囲気ではあるものの、綺麗に保たれている様子だった。表に特別な装飾はなく、今日何かイベントをするという雰囲気もない。
早く着きすぎてしまったと思ったが、扉を恐る恐る開いて入ると、中には早々に来ている人がいた。
当然その中には達美さんがおり、落ち着かない様子で右へ行ったり左へ行ったりしながら指の爪を噛んでいる。特別派手な装いでもないのだが、長い髪を生かしたヘアセットと高身長なのも相まって目立っていた。いや……爪を噛みながら右往左往していたら嫌でも目立つのだが……。
その横には渉さんと車椅子に乗っている優輝さん、メフィストさんとアダムがいた。
アダムはメフィストさんと同じくらいの体形になっており、オーダーメイドと思われる小さなスーツを息苦しそうに纏っていた。
渉さんは女性もののスーツを着ていて、いつも1本に縛っている髪の毛を綺麗にセットされていたので誰なのか最初は解らなかった。化粧もしているようで、雰囲気が全然違う。僕と目が合うと恥ずかしそうに小さく僕に手を振ってくれた。
優輝さんはいつもの派手な服とは異なり、清楚な女性もののドレスを着ていた。化粧もがっつりというよりはナチュラルメイクになっている。派手さが抑えられているせいもあって、こちらも髪の毛がピンクでなければ誰なのか解らなかった。
「皆さん、お久しぶりです」
「智春か。まぁ、遅くはないな。このくらいの時間に来て当然だ」
達美さんに「遅い!」と怒られなかったのは初めてなので、僕は少し驚いた。
「達美さんはいつからこちらに?」
「7時からだ」
「は……早いですね」
「緋月のドレスの裾直しをしようと思ってな」
教会の最奥には色とりどりの花が飾られており、その中には六翼の天使のノエルさんと、その伴侶が横たえられていた。その隣にシャーロットさんも眠るように横たえられている。
その少し手前に柩が2つ並んで向かい合う様に斜めに立てられていた。柩2つには白い布がかけられており、緋月様と茜さんの姿は見えないようになっている。
「どんなドレスなのか楽しみです」
「俺が何日も徹夜をしてデザインした『クライム・クラウン』の最高級の最新作だ。よく見ておけ」
そのせいなのか、達美さんの目の周りのクマは濃くなっているようだった。大丈夫なのだろうか。
「優輝さん、脚はまだ治らないんですか?」
「そうなのよ。あたしの美脚に傷がついちゃったわ。だから脚が隠れるドレスにしたの」
「渉さんも今日は見違えてしまいました」
「私も……その……自分の性別に正直になろうと思いまして。緋月様もそう願ってくれておりましたし。自分を偽るのを辞めようと、勇気を出してみました」
「似合ってますよ」
「ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいです」
僕らが話していると、奥の方から物音が聞こえた。
そちらに視線を移すと、そこにはタンクトップ姿の琉依さんが花を懸命に運び込んで飾り付けていた。
「琉依さん、こんにちは。僕も手伝いますよ」
「おぉ、智春か! 早いな。手伝いは大丈夫だ。花粉がスーツについてしまうからな」
「脱げば大丈夫ですよ。一人で大変でしょう」
「いやいや! フラワーアレンジメントは俺が全部やりたいんだ。このくらいしか緋月様に手向けるものもないしな。ゆっくり休んでいろ! はっはっは!」
琉依さんは教会の裏口にまた花を取りに出て行ってしまった。
僕は渉さんたちの元へと戻って、気になっていたことをおずおずと聞く。
「あの……渉さん、光さんは今日来るんですか……?」
「私は知らないですが……メフィスト様、光に招待状は送られたんですか?」
「贈りましたよ。直接ご本人にお渡ししました。お受け取りにはなられませんでしたけれど」
「……そうですか……」
光さんには酷なのかもしれないが、緋月様はきっと光さんに来てほしいと思うはずだ。
光さんは自分がイヴ戦で死んだことでシャーロットさんが自分に魔術を使うことになってしまい、結果としてそれで緋月様が助からなかったと知っている。それが尚更つらいのだろう。
「智春様、紹介状をお見せいただけますか?」
メフィストさんが入口の受付に移動し、名簿にチェックを入れる準備をする。僕は招待状を見せて、メフィストさんは招待状と名簿を交互に見てチェックを入れていた。
その中扉が開き、佳佑さんと蓮一さんが入ってきた。蓮一さんは女性もののドレスを着ている。渉さんの姿を見て蓮一さんは駆け寄った。
「渉ちゃん! 今日すっごく綺麗!」
「ありがとう……そんなに褒められると、恥ずかしいですね……」
「そっちのほうが絶対いいよ!」
「あたしも渉はこっちのほうがいいと思うわよ」
と女性陣は和気あいあいと話をしている。いや、優輝さんは性同一性障害ではないらしいので、3人を女性陣という言い方は間違っているのだろうが……。
「今日、園は来ないんですかね?」
「来るわけないだろ。この神聖の場に場違いにもほどがある」
「薫も来られないのかな」
「さぁな。一応招待状は出したようだが、隔離病棟から出られる状態なのかどうか……」
佳佑さんは「そうですか」と返事をすると、自分のネクタイを整える。
薫さんが仮に出席できたとしても、正常な状態で冷静に臨めるとは考えづらい。しかし、誰よりも緋月様への想いはあったはずだ。もし来ることができないなら相当な後悔が残ってしまうのではないだろうか。
そう考えているうちに、また教会の扉が開いた。
「なんだ、もう全員揃っているのか?」
現れたのは妃澄さんだった。
元の顔立ちが整っているだけに、スーツ姿でネクタイを締めているその姿は眩しいほどに感じた。いつもジャラジャラとつけているアクセサリーは控えめになっているように思う。
「まだ葉太が来ていない。あと誰に招待状を出したんだ?」
「ラファエルの方と水鳥麗に出しております」
「そうか。まぁ、葉太は別にいなくてもいいが」
妃澄さんは葉太さんのことはどうでもいいと思っている様だった。
来ていない人が来るのか来ないのかと考えながら落ち着かない気持ちで時間まで待っていると、次はラファエルの人たちが入ってきた。
聖也、牡丹さん、千鶴さん、麻耶さんだ。その中に理沙さんはいなかった。
「聖也、久しぶり」
僕が話しかけると聖也は笑顔を見せてくれた。バラバラに切られていた髪の毛は整えられていて、随分印象が違う。
「理沙さんがいないみたいだけど……」
「あぁ……教会を破壊しかねないからな。無理だ」
「智春さんお久しぶりですー」
麻耶さんは独特なふわふわしているドレスを着ている。確か、資料館の受付にいた子だ。
「お久しぶりです」
「えへへー、結婚式は初めてです」
「わたしたち、全員そうよ」
牡丹さんは相変わらずけだるげにそう言う。
「僕……悪魔細胞に完全適合したんだ」
「噂には聞いた」
「適合しないと死ぬっていう状況だったんだけど……僕が選んでそうしたんだ。緋月様のためとかじゃなくて、自分が生きる為にそうした。後悔するかどうかは解らないけど……今のところ後悔はしてないよ」
「そうか……後悔するのはもっと先の話になるだろうな」
「そうかもね……こんな僕で良かったら、これからもよろしくね」
「あぁ、似た者同士だもんな。今日は緋月様を目いっぱい祝福しようぜ」
「うん」
聖也と僕が談笑しているうちに、もう間もなく10時になろうという時間になった。
まだ葉太さんと光さん、日下部さんが来ていない。
琉依さんは花を飾り終わってスーツに着替えて僕らのところへやってきた。
「飾りつけも終わりましたぞ! この琉依の渾身の出来栄えになりましたな。はっはっは!」
「白い薔薇を基調にしているのか。見事だ」
「綺麗ですね。後で私もいただきたいです」
「構いませんぞ!」
話している中、僕は外が騒がしいことに気づいた。外が騒がしいと気づいたのは僕だけだった。何やら怒鳴り声が聞こえてくる。
不穏に思った僕は外の様子を見るために扉を少し開いて確かめた。
「行かねーっつってんだろ!? 放せよ!」
「ここまで来てまで言ってんのか!? ウジウジウジウジ、気持ち悪ぃんだよ!」
「ムリやり俺をぬがして着替えさせたテメェのほうが気持ちわりぃだろうが!」
「うるさい……静かにできないんですか……?」
そこには葉太さんと光さんと、そして日下部さんがいた。葉太さんと光さんは正装をしているが、日下部さんは病衣を纏っている。
満身創痍でベッドから起き上がれないほどだった日下部さんはすっかり回復している様だった。悪魔細胞を取り込んでいるから他の人よりも治りが早いのだろうか。
日下部さんが血の裁量で光さんの身体を無理やり持ち上げて連れてこようとしている。光さんは必死に抵抗しているが、一向に逃れられる気配がない。
「光さん……!」
僕が駆け寄ると、光さんは僕から顔を気まずそうに背けた。
「わりぃな、時間ギリギリになっちまって。こいつが強情張ってるからよ」
「日下部さんも、来てくれたんですね」
「葉太さんが……あまりにしつこいので……」
よく見ると、日下部さんは葉太さんから距離を取っている。何かひと悶着あったのだろう。笑っている葉太さんを心底嫌そうな顔をして見ていた。
「おや、来てくださったんですね」
メフィストさんが出てきて、光さんを見てそう言った。
「水鳥麗、正装はどうしたんですか」
「半ば無理やり病院から連れ出されたんだから、着替える暇なんてなかったよ」
「そうですか。まぁ、良いでしょう。招待状を預かります」
「ほらよ。3人分だ」
葉太さんが3枚の招待状をメフィストさんに手渡していた。1枚はセロテープでつなぎ合わせたつぎはぎだらけの物が混じっている。宛名を見ると、それは光さんのものだった。
「確かに。それではもう始まりますので、中へどうぞ」
促されるままに僕らは中に入る。
「放せよ! 入らねぇよ!」
持ち上げられている状態で光さんは必死に抵抗していた。日下部さんは「うるさいなぁ……」と小声で言いながら光さんを教会内へと入れる。
暴れている光さんを見た全員が驚いた表情をしていた。
「光……来たんですね。嬉しいです」
渉さんは光さんに駆け寄ってそう言う。
日下部さんは掴みあげている光さんの身体を離した。降ろされた光さんは相変わらず顔を背けて沈黙している。
よく見ると、ネクタイはかなり乱暴に結ばれていた。葉太さんが無理やりに結んだのだろうか。
「おら、いつまで意地張ってんだよ。お前も大人になれ。意地なんか張っててもなーんも良いことねぇぞ」
「………………」
「はぁ……好きにしろ。俺は別に、妃澄に頼まれただけだからよ」
葉太さんは肩をすくめて「妃澄、何とかしろ」と妃澄さんに話を振った。
先ほどは葉太さんが来なくてもいいなどと言っていたが、妃澄さんはどうやら日下部さんと光さんを連れてくるようにと言っていたようだ。
やはり妃澄さんはいつも抜け目がない。
人選を葉太さんにしたのも、押しの強さで2人を丸め込むためだろう。他の人ではおそらく日下部さんを丸め込むことはできなかったと思う。そして丸め込んだ日下部さんに光さんを無理やり連れてこさせるというプランだったようだ。
「光、無理やりに連れて来させたことは悪かった。すまないな。これは緋月様との大切な告別式だ。緋月様はお前のことを他の誰より可愛がっていたんだぞ。お前が出席しなかったら緋月様も安らかに眠れないだろう?」
ギリッ……と光さんが歯を食いしばる音が聞こえた。
「しらねぇよ……もう死んでるだろ。カンケイねぇよ……」
「緋月様のためだけじゃない。ここにいる全員のための告別式だ。もちろんお前のためでもある。いつか立ち直らないとならないんだ。緋月様だって、お前がずっとその調子じゃ悲しむぞ。俺たちだってお前がその調子だと辛いんだ」
「…………」
「光、一緒に花を手向けましょう。この中から好きな花を取ってください」
妃澄さんと渉さんが光さんを説得すると、光さんは嫌そうな顔をした。
目を泳がせるが、周りの空気に屈したのか嫌そうな顔をしながら渉さんの差し出した箱の中からおずおずと1本花をとった。
小ぶりな白い花がいくつもついている花で、可愛らしい花弁が垂れ下がっている。
「ほう。スズランだな。花言葉は『再び幸せが訪れる』『純粋』だ。いい花を選んだな、光」
「…………」
「他の方も好きな花を選んでください。もう式が始まりますので」
各々が好きな花を手に取って行った。
僕は花言葉などは詳しくないので見た事ある花を手に取った。紫色をしていて、小さな花が中心から外側に向かって四方八方に咲き乱れている。これはヒヤシンスだ。
それを持って、僕は教会の長椅子に座る。
メフィストさんが講壇の前に立った。身長が講壇に対して足りないので下に椅子を置いてその上に立っている様だった。
「皆さま、ご多忙の中お集りいただきまして誠にありがとうございます。これより、緋月様と茜様の結婚式を開始いたします」
結婚式に出席するのは初めてだったので、僕は座っていること以外は何をしたら良いのか解らなかった。
周りの達美さんや妃澄さんの動向をうかがいながら、メフィストさんの方を見つめる。
「通常であればここで新郎新婦入場でございますが、すでにこちらにおいでです。それでは新郎新婦、お披露目です」
棺桶にかかっている白い布をメフィストさんが外すと、そこにはたくさんの花に囲まれて横たわる緋月様と茜さんが姿を現した。
その幻想的なまでの美しさに、全員が息をするのも忘れた事だろう。
茜さんは白いタキシード姿に蝶ネクタイをしていた。胸の部分には白い赤い薔薇がさしてある。
緋月様は純白のドレスだ。幾重にも白い布が折り重なっていて、金の細かい刺繍が施されている上に暖色系の大輪の花があしらわれており、豪華な印象を受ける。首から肩にかけては開いているが、薄いレースを羽織っており、肌は隠されていた。両腕にも金の刺繍が入った手袋をしていて、胸には白い薔薇のブーケを持っている。
銀色の髪も綺麗にセットされていて、顔の血色がよく見えるように化粧をしていた。
「新郎新婦のご紹介をさせていただきます。まずは茜様から」
メフィストさんは特に原稿を読むわけでもなく、朗々と茜さんの紹介をし始める。
「ご生前の茜様は存じ上げませんが、緋月様の幼馴染と聞き及んでおります。幼い頃に御2人は出会い、崩壊した家庭から緋月様が救い出しました。それからずっと茜様は緋月様と共に成長していきます。細かい部分は存じ上げませんが、多少乱暴な部分はあれど、勇ましく、包容力のある男性であったようです。武術、剣術に長けていたようで、当時の赤紙内でも屈指の戦士でした。しかし、素直さに欠ける部分があり、色を好むように見せかけて緋月様に対して一途であったということは亡くなる直前までは解らなかったことのようです。亡くなってからはずっと緋月様が茜様の肉体を維持し続け、今日まで実に約200年の歳月が流れました。彼の御方……いえ、緋月様は茜様が生き返ってから彼が悪意に晒されないように国全体を改善していけるように日々努力をしておりました。先日倒したイヴに取り込まれ、緋月様に致命傷を与える結果となってしまいました。しかし、イヴもまた茜様を取り込んだからこそ緋月様はイヴを制し、倒すことができました。死してなお、緋月様を愛し続けていたからこそ成せた偉業です。賞賛の拍手をお贈りください」
パチパチパチパチパチ……
全員が拍手をしている中、光さんだけは拍手をしていないのが見えた。やはり光さんは純粋に祝福する気持ちにはなれないのだろう。
「続きましては彼の御方……緋月様のご紹介に移ります。緋月様は生後半年で悪魔細胞と適合させられました。元々奇跡的に適合の素質があったようです。もし適合の素質がなければ悪魔細胞に喰いつくされ、第二の災厄となったでしょう。そして適合した緋月様は急激に成長し、早々に自我と知性を得ました。生まれてから間もなくしてイヴとの戦いが始まり、ご生前の一生はイヴとの戦いの日々で心が休まるときなどないかに思われました。しかし、人との距離を開け続けていた緋月様もここ数年で皆様と深く関わる中で笑顔を見せることが多くなっておりました。わたくしは今まで研究室を出たことはありませんでしたが、緋月様が色々な話をしてくださったので外に出たいとは思いませんでした。ここにおられる全員との思い出話をよくしていただきました。歴代の区代表の方々とはもっとドライな関係でしたので、あまりお話を聞く機会もありませんでした。人付き合いが苦手だった緋月様が信じられる仲間ができたことを、私事ながら嬉しく思っております。緋月様は仲間と共にこの国を救いました。手を血に染めた分、命を以ってお支払いになったのです。……彼の御方……いえ、緋月様は手術中に一度目を覚まされたのですよ……」
少し、メフィストさんはその後、間を置いてから話し出す。
「緋月様は賢明な蘇生の最中、こうおっしゃられたのです。“もういいんだ”、“私はもう助からない”、“こうなったことに安堵すらしてる”、“レイには責任を感じさせちゃうかもしれないけど、それは違うと伝えてほしい”、“もう私は長く生きた。茜の元へ行かせてほしい”と……。そうおっしゃって、緋月様は息絶えたのです」
メフィストさんがそう言い終わると光さんは立ち上がり、手に持っていたスズランを床に投げつけようとした。
けれど、渉さんが光さんの身体を押さえる。
「光! 堪えてください!」
「…………っ……!」
「堪えて、もうあなたは心配ないということを緋月様に示してください」
泣きながら、光さんは振り上げた手をわなわなと震わせていたが、渉さんにそう言われてゆっくりと手を下げてそのまま座る。肩を震わせて光さんは涙を拭っていた。
周りで見ていた全員が一時は肝を冷やしたが、光さんが大人しく座ったことで胸を撫でおろす気持ちだったろう。一番安堵していたのは渉さんだったと思う。
渉さんもハンカチで何度も涙を拭っている。
「……光様、緋月様がおっしゃっていたように責任を感じていることとは思いますが、これで良かったのです。どうか、安らかに眠ることをお祈りください」
「……ッ……馬鹿野郎が……お前がそれで良くても……残された俺たちは良くねぇだろ……!」
言葉を詰まらせながら光さんは怒鳴った。
その言葉に、泣いていなかった人も口元を押さえて泣き始める。優輝さんや葉太さんまでも、目を押さえていた。
「いつも……いっつも好き勝手しやがって……ふざけんなよ!! お前らもそう思うだろ!?」
そう聞かれて、僕らは反論する言葉は出てこなかった。そう言われて思い返すと、緋月様は自由奔放だった。それは否定のしようがない。
「確かに緋月はいつも好き勝手していたな」
達美さんは腕を組みながら光さんの言葉に同意する。
「ほんっと……いっつもあたしたちに滅茶苦茶言うのよ。どれだけ振り回されてきたか解らないわ」
優輝さんも声が少し震えていたが、呆れながらそう言う。いつもの強気な言い方ではなく、無理やりに強がっているように聞こえた。
「はっはっは! 緋月様はやることがいつも豪快ですな!」
「でも、それだけ僕らに期待して、信じてくれてたんだなって……」
「めちゃくちゃなときもあったけど、そのおかげで僕らは救われた。僕らが苦しい時もいつも寄り添ってくれた」
「まぁ、緋月にはフラれっぱなしだったが、緋月がいい女だったから俺は赤紙に入ったようなもんよ。人生変わっちまったぜ」
「俺が赤紙にいるのも緋月のせいだからな。逢ったのは偶然だったが、会わなかったら俺は酒場でいつまでも酔いつぶれてるだけの人間だったと思うと、ゾッとする」
口々に区代表から前向きな言葉が出てきたことに、光さんは動揺しながら周りを見渡す。
「お前もだろ、光。緋月様に人生を変えてもらったはずだ。ここから落ちぶれていくか、飛躍していくかはお前次第だ。緋月様は人一倍お前のことを甘やかしてたからな。俺たちをがっかりさせるなよ」
妃澄さんの言葉で光さんは再び頭を下に落とし「うるせぇ……」と震える小さな声で毒づいた。
区代表たちは光さんのことを認めていない人たちが殆どだと聞いた。
今でも光さんを認めているとは言い難い状態のはずだが、最終決戦の時に緋月様の元へ駆けつけて命がけでイヴの動きを止めたことが今回の勝因だった。
それから光さんへの評価も少しは前向きに変わったはずだ。
「……さて、新郎新婦の紹介も終わりましたので、早速ですが誓いの言葉に移りたいと思います」
メフィストさんは棺のガラスケース部分を外した。そして大きな教典を開き、その中の一文を読み上げ始める。
「まずは茜様、心して答えていただきます。新郎茜様、あなたは緋月様を妻とし、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも妻を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」
問いかけても、茜さんは答えない。
誰もがこの誓約の問いかけに疑問を抱いたはずだ。答えるはずのない問いを問いかけても、誓いの言葉が成立するはずがない。
そう解っていても「命ある限り」という部分が例えようもなく悲しく、僕は目頭が熱くなった。渉さんはやはり堪え切れなかったようで、ハンカチを目に当てながら泣いている。
「お答えいただけないようですね。では緋月様、あなた様はいかがでしょう? あなたは茜様を夫とし、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも夫を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」
やはり、緋月様は答えない。
当たり前だ。当たり前なのに、やはり答えてくれないのは悲しい。それに、もう命がないなのだから、その誓いの言葉は成立しないことになる。
「おやおや、困りました。お2人ともシャイであらせられる。これでは誓いの言葉は進行できませんね。ではこういたしましょう。伝統的な儀式です。皆さまご存じですか? 『指切り』です」
――指切り?
あの、小指同士を絡ませ合ってするものだろうか。
全員に疑問符が浮かんでいるところ、メフィストさんは説明を始めた。
「指切りというのは、今でこそ小指同士を絡ませ合って誓いを口にしながら放すという軽度のものですが、その昔は本当に指を切り落として相手に贈り、その忠義を見せる手法として用いられていたこともあります。遊郭の女性が本命の男性に贈り、本気だということを示す為にはそこまでしなければならなかったのです。そして……本来の指切りは『魔』と契約を結ぶ為の儀式でもありました。強い意思の元指切りを行うと、『魔』に魅入られ、適格者でなければ精神に不調をきたすと言い伝えられておりました。しかし、今ではもうそれは昔の話。ですが、このように指切りというのは伝統的な儀式なのですよ」
メフィストさんは緋月様の手と、茜さんの手を取った。
「緋月様は『魔』の適格者です。アダム様、こちらへ」
アダムは呼ばれて、のそのそと歩いてメフィストさんの元へと移動する。スーツがやはり動きにくそうだ。
「アダム様はこの御二人の仲人です。いわば、証人ですね。御二方がここに夫婦となることを誓い合っていたということを証明ください」
「ひづきは……あかねのこと、いつでもおもってた……それはえいえんにかわらない……ひづきはちかう……あかねも……ひづきのことおもってる……あかねもちかう」
「ほう? 緋月様はともかくとして、何故茜様のことをご存じなのですか?」
「イヴをたべたとき……イヴにとりこまれてた……あかねのいちぶを……ぼくもとりこんだ……だからわかる……だからあかねはちかう……」
「左様にございますか。では、誓約はすでに成立していると認識します。さて、この御二人の結婚に異議を申し立てる者はおりますか?」
誰もが光さんが申し出ると思っていた。
しかし、光さんは声を挙げなかった。涙を拭いながら、じっと耐えている。
その耐えている様子を見て、渉さんは更に感極まったようで震えていた。
「異議はないということでよろしいですね。では、誓いの指切りをいたしましょう」
メフィストさんが持っていた2人の手を持ち、小指同士を絡ませた。
「もう二度と、この御二人を何人たりとも引き裂くことはありません。健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも共に愛し合い、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命が終わっても永遠に真心を尽くすとここに誓いました。この2人を夫婦と正式に認めましょう。祝福の拍手をお願いいたします」
それほど大きな拍手ではなかったように思う。粛々とした拍手が数秒間続いた。
光さんも弱々しくだが、拍手をしていた。納得はできていないのだろうが、それでも細々と拍手を送る。
「さて……早いもので、結婚式はこれにて終了です。献花のご用意をお願いします。これで、本当に緋月様とはお別れとなりますので思いの丈をお手元の花に込めながら、棺の中に手向けてください」
――本当にもう終わりなのか……
結婚式は詳しくないが、祝儀をあげるのであれば料理が出たり、ケーキを切ったり、両親からの手紙があったりするのかもしれない。しかし、ここはシャーロットさんが司祭をしていた古い仕来りを重んじた教会だ。
儀式に余計なものは一切ないのだろう。
全員が立ち上がり、前に座っていた人から緋月様の柩に花を手向けていく。一人ひとりが緋月様との別れを惜しみ、涙に濡れながらゆっくりと花を手向けて棺の前で頭を深く下げている。
僕の番が来たとき、目の前に見える美しい姿の緋月様に涙を禁じえなかった。
――これで、お別れなんだな……
持っていたヒヤシンスの花を手向けると、僕も緋月様に頭を深く下げる。
自殺しかけた僕に、道を示してくれた。悪魔細胞の完全適合者だったこともただの偶然だったけど、僕が完全適合者と解ってからイヴに気取られる前に暗に保護してくれていたと知ったときは、感謝してもしきれなかった。
父を憎んでいた頃は、世間のこともろくに知らない子供だったが、今は一回り大きくなれた気がする。父や弟の和解をした。いつか、3人でまた住める日が来るかもしれない。僕はこれからも赤紙内部で国民の多くが納得できる規律を作っていきたい。
長くかかるかもしれないが、そのきっかけをくれた緋月様には本当に感謝している。
――ありがとうございました……短い間でしたが、本当に楽しかったです
そうして順番に花を手向けて行き、最後は光さん1人となった。
涙をぬぐいながら震える手で持っていたスズランを緋月様の胸の上に置く。
いつまでも、光さんは緋月様の顔を見つめていた。
「緋月の死体はどうすんだよ……?」
「ええ、その件について皆様にご相談がございますので、一度ご着席していただけますでしょうか」
着席を促され、僕らは再び教会の長椅子に座る。全員が着席したのを確認してから、メフィストさんは静かに話し始めた。
「茜様と緋月様のご遺体は、アダム様と同化するという形でお送りするのが最善かと考えました」
その言葉に、会場全体がどよめいた。泣いていた人たちも顔を上げ、メフィストさんの方を目をまるくして見ている。
「何!? アダムが食べるということか!? そんなことが最善なわけがないだろう!!」
「いえ、食べるという行為とは全く異なります。食事はエネルギーを得る為に行いますが、同化することで緋月様と茜様の想いをアダム様が受け継ぐことができるのです」
抽象的な表現に、僕らは理解が追い付かない。
「それは、具体的に結果はどうなるんだ?」
「表立った変化と言えば、アダム様に更に知性が芽生えるでしょう」
「おいおい、危険じゃねぇのか? 世界を滅ぼしかけた人を喰う悪魔なんだぜ? イヴみてぇになられたら困るんだよ」
「ご安心ください。元々の性格がありますからね。人間と同じです。悪事を働く者もいれば、虫も殺せない者もいる。アダム様は皆さまもご存じの通り、穏やかな性格です。緋月様の命がなければ率先して人を食べることはしません。きちんと分別をわきまえています」
そう言われているアダム本人は、やはりどこを見ているのか解らない暗く落ちくぼんでいる目でメフィストさんの方を見ていた。
穏やかな性格というよりは、よくわかっていないという様子に見える。
「普通に火葬をするのは駄目なのですか?」
「燃やし切れない骨などが残ってしまいますからね。骨からでも生き返らせようとする輩が現れないとも限りません。実際に水鳥麗はミイラ状態だったにも関わらずこうして生き返っています」
ほぼ全員が日下部さんの方を向くと、日下部さんは嫌そうな表情をしてメフィストさんを睨みつけていた。
「高等技術は必要になりますが、悪魔細胞というのはそれを可能にするものです。さすがに脳細胞が残ってない状態では生前の緋月様にはならないでしょう。しかし、適合者であることには変わりないですから、蘇らせた者に悪意があれば緋月様は兵器として利用されてしまう可能性もあるのです。ですから、遺体を完全にアダム様と同化させることで防ぐことができます」
「火葬して残った骨は海に還すというのはどうですか?」
「あんな汚染されているところに流すのは気が引けるな……」
僕も、いい方法は思いつかない。
ずっとこのままにしておくわけにはいかないし、かといっても緋月様の身体を誰の手にも触れない場所へと送るには汚染された海に還す他ない。
「わたくしといたしましては、茜様と緋月様がアダム様の中で一つとなることで、本当の意味で結ばれるのだと思います。結婚式もいたしましたし、国として婚姻を認めてもらう手続きもいたしましたが、やはりその想いをアダム様が受け継ぎ、生き続けることで想いは証明されます。緋月様の婚姻は公にはなりません。現在、智春様は別として、ここにいる皆様が潰えた時に証明は失われてしまうのです。そうは思われませんか?」
シャーロットさんが1000年以上生きてきて、六翼の天使の教会の伝承は語り継がれてきた。
しかし彼女がいなくなってしまい、もう天使ノエルがどんな存在だったのか、証明する術はない。
それと同じで、僕ら全員が証人として生き続けなければ歴史の闇の中に消えて行ってしまう。
「それしかねぇんだろ……そうしろよ」
メフィストさんの質問に答えたのは光さんだった。
「おい、軽率に決められることじゃないだろう」
「やいてホネだけになってもな……そののこりカスですら、どこにあるかって探しちまう……俺はバカだけどよ、生き返るってカノウセイがあるなら、ひっしにべんきょうしてそうする。なら、もう完全にアダムにとりこまれていなくなった方が、ぜんいんなっとくすんだろ……」
神妙な表情でうつむきながら光さんはそう言った。光さんの言葉には誰しもが納得した。
それに、そんなことをする人が本当にいるだろうかとも考えたが、理沙さんが古来の魔女の細胞から作られたという話を思い出すと、確かにありえない話ではない。
この中の誰かが研究を引き継いで、そうしないという確証もなかった。
「だが、アダムに緋月様に匹敵する知性がついて問題ないのかどうかという問題がある」
「アダムのことうたがってるのか? こいつとはお前らよりも長い付き合いだから、お前らよりも知ってる。こいつは人に害をあたえることなんかねぇよ」
「確証はあるのか?」
妃澄さんは険しい表情をして光さんに問いかけた。
「クソガキは知ってんだろ。こいつ、緋月が死んでからずっとメシ食ってねぇんだよ。緋月が死んだってことが未だに良くわかってなさそうだけどな、緋月が死んだあと、ショックでメシが食えなくなっちまったんだよ。あんなに緋月といっしょにめちゃくちゃな量食ってたのに」
確かに、アダムは何も口にしなくなってしまった。
食べ物に見向きもせずに、動かなくなってしまった緋月様の遺体を光さんの隣でずっと眺めているという状態が続いていたのは確かだ。
「こいつに何のかんじょうもなく、ただ命令にしたがって人を食うだけのバケモノなら、そんな反応しねぇだろ」
光さんの言葉に達美さんや妃澄さんも「確かにな」という反応を示す。
「アダム、お前自身はどう思ってるんだ?」
「ぼくは……ずっとひづきがそばにいるのが……あたりまえだったから……」
「誰よりも緋月様のことを知っているのはアダムですし、アダムのことを良く知っていたのは緋月様です。緋月様はアダムを排除しようとしたことはありませんでした。アダムを殺す計画があったとしたら、亡くなる間際にメフィスト様にそう言ったはずです。緋月様が信じていたなら、私もアダムを信じます」
渉さんがそう言うと、渋っていた皆も徐々に納得していったようだった。
「異議がある方は申し出てください。全員が納得してから話を進めたいと思います」
辺りを見渡すと、おずおずと手を挙げたのは日下部さんだった。
全員が日下部さんの方を向いて怪訝な表情をしている。
何か良い策があるのかと思いながら日下部さんの発言を待っていると、意外なことを彼女は言った。
「異議がある訳じゃないんだけど、私も一緒に取り込んでくれない?」
その発言に、全員が呆気にとられていた。
「何故だ?」
「私は緋月に生かされてただけだし、もう生きてる理由もない。本来であれば500年も前に死んでるし、死者が歩き回るわけにはいかないでしょ。日下部れい華から、水鳥麗に戻りたい」
日下部さんがそう言うと、聖也さんたちも目を見合わせてから手を挙げる。
「私たちもそうしたい。いつ私たちの悪魔細胞が暴走して第二のイヴになってしまうともしれない。注射をしながらなら自我を保てているけど、いつ自分が自分でなくなってしまうのか解らなくて怖いの」
「俺は……緋月様が俺たちをイヴ殲滅作戦に連れていかなかったってことがひっかかってる。俺たちは対イヴ戦闘の兵士だったはずなのに、結局俺らは連れていかれなかった。俺は戦って華々しく散りたかった。今度こそ俺たちも一緒に連れていってもらいたい」
「麻耶も緋月様と一緒になりたいです。夫婦水入らずのところ悪いですけど、緋月様は麻耶たちのお母さんみたいなものだから。子供も一緒に連れていってくれてもいいですよね?」
「私もそう思う。理沙も緋月様と私たちと一緒になるなら文句はないよ。これ以上理沙を生かし続けるのは可哀想。それに、理沙は魔女から作られたから、失われた魔術の才能が開花しちゃったら、色々と大変なことになると思うんだけどな」
ラファエルの全員はもう覚悟を決めている様だった。僕は聖也がそんなことを言うとは思わなかったので、驚いて彼に問いかける。
「聖也……本気で言ってるの?」
「あぁ。これでいいんだ。せっかく智春と友達になれたけど、俺たちはそうするのが正解だと思う」
「生きていれば、解決策も見つかるよ。遅くなっちゃうかもしれないけど、僕が見つけるから」
「……そんなこと言うなんて自殺未遂をしたときから、成長したんだな。智春はこれから大変だろうけど、頑張れよ」
ポン……と僕の肩を軽く叩き、聖也は笑っていた。
その覚悟を前に、僕は何も言えなかった。ただ、聖也の傷跡だらけの顔を見つめ返すしかなかった。
区代表たちも複雑な事情を知っているだけに、安易に否定ができない様子で暗い表情をしていた。
「……話はまとまったようですね。では、異議のある方がいらっしゃったら申し出てください」
誰も、異議を申し立てる人はいなかった。
静寂の中、全員がメフィストさんの方を見つめる。
「かしこまりました。それでは、早速ですが緋月様と茜様の同化を始めたいと思います。ラファエルの皆様と水鳥麗は仕事の引継ぎもありますので後日、しっかりと引継ぎを済ませてからにしてください」
「ちっ……抜け目ないやつ……」
「何かおっしゃいましたか? 水鳥麗」
「……何も」
「アダム様、巨人形態になっていただけますか?」
アダムは着ている服を破かないように服を脱ぎ捨て、巨人の姿へと変化した。
その巨体は狭い教会内だとかなり窮屈らしく、周りの物を破壊しないようにアダムは極力丸まっている。
「ここ……狭い……」
「すぐに終わりますから。では、始めますよ」
メフィストさんは緋月様の身体に血の裁量を伸ばした。




