第54話 アダム、食べて
【智春】
緋月様とイヴが戦い続けている中、その余波が僕を襲ったとき感じた事のないほどの痛みを感じて僕は死んだ。
というよりは、普通の人間であるなら死んでいた。
僕の身体は僕の意思とは無関係に完全に再生し、飛び散った血液が僕の中に戻り、死ぬ直前の状態に直ちに再生する。
その痛みと恐怖だけを残し、僕は息を荒げて汗が全身から噴き出してくる感覚に蹂躙される他なかった。
「あんた、大丈夫……?」
優輝さんを庇ったまでは覚えているが、それから1分程度の記憶がない。その1分は死んでいたからだろう。
僕は、それに恐怖して動けなかった。
目の前で戦っている日下部さんと緋月様の血が飛び散るのがはっきりと肉眼でも見え、骨にヒビが入る音が僕の耳には聞こえた。
「大丈夫です……」
「智春君、震えていますよ」
渉さんが僕の身体を起こして支えてくれた。
「あんた、緋月みたいに痛覚遮断できないの? 酷い汗よ」
「まだそこまで器用に使いこなせてません……そんなことより、優輝さん大丈夫ですか?」
「あたしは……脚をやられた。もうここから動けないわ」
そう言う優輝さんの脚を見ると、皮膚は赤くなり腫れ始めていた。どうやら折れているらしい。
「僕が背負いますから、ここから避難しましょう」
「駄目よ」
優輝さんは麻酔銃を両手にしっかりと持ち直し、緋月様と戦っているイヴの方にそれを向けた。
「あたしだけ逃げられないわ。脚が駄目でも、銃は撃てる」
「でも、もう残弾が少ないですし……イヴは神経毒に対してかなり耐性があるようですが」
「効いてないわけじゃないわ。動きを鈍らせるくらいならできる。あたしたちができることはそのくらいしかない。あの馬鹿に説教しないと気が済まないわ」
「もうすぐ達美様方がご到着されるでしょう。各々が神経毒を所持しておりますから」
もうこの辺りは家屋もなぎ倒され、隠れる場所と言えば瓦礫の影くらいだ。
足場も悪く、逃げるにしてもすぐには逃げられない。
「それにしても、撃ち込む隙がないですね」
「下手したられい華と緋月に当たっちゃうわ。足元を狙っていくしかないわね。態勢を崩せるかも」
優輝さんがイヴの足元に麻酔銃の照準を合わせて狙っている際に、イヴの薙ぎ払った腕に日下部さんが巻き込まれた。日下部さんは受け身をとる余裕もなく
ドンッ!
と、大きな音を響かせて家の壁に打ち付けられた。そのままぐったりと倒れる。
「れい華!」
イヴの猛攻に応戦しながら緋月様は日下部さんの名前を呼ぶが、日下部さんはピクリとも動かない。
背中を強く打ち付けた衝撃で気絶してしまったのかもしれない。
「私が助けに行きます。智春君は優輝様を守ってください」
「無茶よ。危険すぎる。あの戦禍の中1人担いで戻るなんてできないわ」
「しかし、あのままでは戦っている緋月様の気が散ってしまいます」
緋月様はイヴに血の裁量を何度も振りぬくが、イヴの皮膚の表面が硬化している為に弾かれてしまう。金属音のような硬いものがぶつかり合う音が何度も響く。
イヴは翼を形成して飛ぼうとするが、緋月様がそれを切り落として阻止する。
飛んで行かれてしまったら避難した人たちが犠牲になってしまうだろう。緋月様は何としてでもそれを阻止しようとイヴの翼形成を阻止していた。
その激闘の中に向かって渉さんがナイフを構えて走ろうとする手を、僕は掴んで止めた。
「……僕が行きます。渉さんはここにいてください」
「先ほど負傷したばかりじゃないですか」
「完全に治ってますから。それに、僕ならすぐ再生しますし、力もあります」
そう言って、僕は覚悟を決めてすぐに日下部さんのところへ走り出した。
「智春君!」
後ろで渉さんの声が聞こえたけれど、僕は脚を止めるわけにはいかなかった。
真っ直ぐに日下部さんの元へと走って行く最中、イヴは僕に気づいて血の裁量を伸ばして妨害を仕掛けてくる。幾重にも身体から針のような血の裁量が伸びてくるが、僕はそれを見極めて避けた。渉さんと体術の稽古をしていたときとはまるで違う動きだが、完全適合した僕には軌道がなんとなく見えた。
しかし、見えても実際に避け続けることができずに1本の鋭い血の裁量が僕の脚に突き刺さった。
「あぁっ……!」
僕は痛みで倒れ込み、自分の足を抱えてうずくまるが、すぐに僕の脚は元通りになって痛みもなくなった。
「よそ見してるなんて余裕だね?」
緋月様は気が逸れたイヴの身体を殴りつけた。その衝撃でイヴはよろけて態勢を崩す。
僕はそのまま這いつくばるように瓦礫の海を泳ぎ、日下部さんの方へ近づいて彼女の脈拍を確認する。脈もあるし、呼吸もしている。
しかし、身体中から出血しており腕は折れているのか腫れていた。
僕は日下部さんの身体を抱き上げた。自分でも驚くほど彼女の身体が軽く感じ、軽々と彼女の身体を抱き上げることができたことに少し驚く。
「痛い……」
日下部さんは動けはしないようだったが、意識はあった。ぐったりとした状態で顔を歪め、僕の方を力なく見つめてくる。
僕は日下部さんを抱えたまま戦場を撤退した。イヴは緋月様と全力で応戦している様で、僕からは意識が外れていたので退避する際はイヴの血の裁量が襲ってくることはなかった。
僕が怪我をするだけならすぐ治るが、これ以上日下部さんが負傷してしまったら本当に死んでしまうかもしれない。それを考えると慎重にならざるを得ない。
逃亡は成功した。僕は日下部さんを渉さんと優輝さんの場所まで運ぶことに成功する。横たえるともう日下部さんは全く動けない様子だった。出血も多い上に、身体中のいたるところの骨にヒビが入っていたり、折れていたりするようだった。
「っつぅ……」
「日下部さん、動かない方がいいです」
「心配しなくても、もう動けない……」
指先すらピクリとも動かせない様子だった。しかし、手に持っているナイフだけはしっかりと握っている。
手当の仕方が解らないが、多く出血している箇所を僕の破れた服の一部を千切り、巻き付けてきつく縛った。あっという間にそれは真っ赤に染まった。
「……シャーロット様に治していただきましょう」
「無理……シャーロットはもう……うぅ……治癒魔術、そんなに使えない……私はいいから……」
そう言っている日下部さんは首をなんとか動かして、まだ崩れていない街の方を見た。その視線の先には複数人が走っているのが見える。
達美さんたちが走って向かって来ているようだった。
「妃澄様たちがご到着されたようですね……」
息を切らして達美さんたちは僕らの元へと駆け寄ってきた。
達美さん、妃澄さん、琉依さんが先に到着した。他の区代表はまだ来ていない。緋月様の研究室からここまで来るのに走ってくるのはかなり体力を必要とするので体力の差が顕著に出たのだろう。
琉依さんは長時間走ったからなのか汗だくになっていた。
「はぁ……はぁ……大丈夫か? あれがイヴか!」
「……状況は?」
走ってきて疲れている中でも妃澄さんは冷静にそう聞いた。いつも髪の毛をキチンとセットしている妃澄さんの髪が乱れ、汗で顔に張り付いてしまっていた。
「緋月様がイヴと交戦中です。日下部さんは戦闘不能、優輝様は脚を怪我して動けない状態です」
「シャーロットは?」
「解りません、どこかに隠れているのかと思いますが……合流はできていません」
「麻酔銃を貸して。あたしが撃つわ」
優輝さんが琉依さんの持っていた麻酔銃を奪い取って構えた。
構えた矢先、優輝さんがすぐに麻酔銃の照準から目を離してイヴの方を見た。
「ちょっと……あれ……」
そう言う優輝さんの声に、全員が緋月様とイヴの方を向いた。
――え……?
信じられない光景だった。
身体にいくつもイヴの血の裁量が突き刺さって、緋月様はぐったりとしていた。
緋月様の身体にまとわりついていたアダムがそれを切断し、緋月様は瓦礫の上になんとか着地する。
突き刺さっていた血の裁量を抜くと、緋月様の身体から出血した。
「はぁ……はぁ……」
「息も絶え絶えじゃないか。はははははっ! ようやくお前を殺せると思うと楽しくて仕方ないなぁ……?」
「人間を食いつくして、お前に何が残る?」
突き刺さっているものを一本一本抜いていくと、その度に傷口から血がしたたり落ちていた。
抜かない方が出血が少ないはずだが、緋月様は無理やりにそれを抜き続ける。
「いつ私が人間を食いつくすと言った?」
「何……?」
緋月様は太ももに突き刺さっている血の裁量を抜き取ろうとする手を止める。
「私がお前と据え代わり、この国の頂点に君臨する。誰も私に背くことは出来ない。お前がそうしているように私もするだけだ」
「……権力でも欲しくなったのか?」
「効率的に《《食事》》ありつくにはそれが一番楽だからな」
「誰もお前には従わない」
「お前と据え代わると言ってるだろう? お前を始末して、私が緋月になればいい」
「ふふふ……残念だったね。もう緋月はおしまいだよ。この戦いが終わったら私は引退するって言ってあるから」
「この戦いで恋人を二度殺され、気がふれたてしまったというシナリオはどうだ? ははははは!」
僕はイヴが血の裁量を再形成し始めたとき、咄嗟に走り出していた。
瓦礫の中を素早く蹴って走って行き、やっと立っている状態の緋月様の肩を支えると、緋月様は驚いた表情で僕を見る。
「完全適合者か……アダムと適合したようだな……もうお前に用はない!」
イヴの鋭い爪は容赦なく僕らを襲った。
僕は緋月様の身体を持ち上げようとしたが、彼女は僕を突飛ばし、自分も素早く回避する。僕は片腕を持っていかれ、激しい痛みに襲われたが、すぐに細胞同士が結合し直されて元通りになった。
「ほう……流石は完全適合者だな……」
イヴに神経毒の塗られている麻酔針が3本刺さった。腕、両足に刺さり、ガクリとイヴは膝をつく。優輝さんたちが援護射撃をしてくれたらしい。
そこにすかさず緋月様は大鎌の形に血の裁量を形成して、イヴの首を切り落とそうとしたが、骨に当たり途中で刃が止まってしまう。
「アダム! 腕!」
麻酔針が刺さった方の腕を、緋月様は柔らかい関節部分から刃を入れて切断した。アダムは武器形態から一部大きな口に変形し、切断された腕を食いちぎる。
「ギャアアアアッ!!!」
イヴから大量の血が噴き出し、血だまりを形成した。
切り落とされた部分を強く握って止血を試みているようだったが、出血し続けている。
「なんだこれは……!」
「馬鹿が……黙って死ね!」
緋月様は再度思い切りイヴの首を狙った。
イヴは血まみれの腕で緋月様の血の裁量を防御した。ガキンッ! という音がして、緋月様は空中で一回転して着地する。それと同時に緋月様の傷口から血が飛び散った。
「こいつを取り込んだからか……」
イヴは胸の位置にいる茜さんの身体を血まみれの片手で押さえる。
「諸刃の刃だったな」
そう言いながらも緋月様もよろけてしまっていた。
「ひづき……だいじょうぶ……?」
「かなりまずい……茜がかなり取り込まれてる……」
血まみれの身体をなんとか動かし、緋月様はなおもイヴに向かって行った。
イヴは身体中を硬化させ、緋月様からの攻撃を防ぐ。
「エネルギー砲!」
緋月様の呼び声で沢山の刃の形態をしていたアダムは、筒状になった。間もなくしてそこから眩い光が発射されたと同時にものすごい熱量を感じた。
それと同時にイヴからけたたましい叫び声が上がる。イヴのもう片方の腕は焼け落ち、胴体の肩からお腹の辺りまでがざっくりと裂けた。
茜さんの身体を避けているせいで切断までには至らなかったようだ。
「もう一度!」
緋月様はアダムにそう支持するが、すぐには再装填ができなかった。
「貴様ぁあっ!!」
イヴの身体から新たな手がいくつも形成され、緋月様の身体を掴んだ。直接掴まれないように咄嗟にアダムを間に入れて簡易装甲を作成したが、間に合わずに掴まれた左脚はボキボキッ……と嫌な音がして骨が砕かれた。
「あぁああぁっ……!」
僕はイヴの腕を切断しようと腰につけていたナイフで切ろうとするが、すぐにイヴは僕を弾き飛ばした。
瓦礫の山に弾き飛ばされ、身体のいたるところに瓦礫や木片、硝子が突き刺さり皮膚が裂けて激痛が走る。
「がはっ……」
僕から一部内臓が出たが、それも全てすぐに元に戻った。内臓を引きずり出される激痛が脳裏に焼き付いて僕は嗚咽する。
吹き飛ばされた先にまだ崩れていない家屋があり、その中にシャーロットさんがいた。彼女と僕は目が合う。
「だ……大丈夫ですか?」
「僕は大丈夫ですけど……緋月様がひどい怪我をしていて……治してもらえませんか」
「…………いえ、緋月には茜さんの為にとっておいてほしいと言われています」
シャーロットさんは厳しい表情をして目を逸らした。
「緋月様が死んでしまったら、意味がないですよ……!」
「1度だけ、死者を生き返らせることはできます。これを使って」
腰の部分につけている大きい金属製の入れ物にシャーロットさんはそっと手を乗せた。
「私はあと1度しか魔術を使えません。それを緋月は解っています。だから絶対に負けません。負けられないんですよ。緋月を信じてください」
そう言われ、僕は満身創痍の緋月様を思い浮かべて眉間にシワを寄せる。
本当に勝てるのか? あんなに酷い傷を負っていたのに。
「解りました……いざという時はお願いします……」
僕は「解りました」の他の言葉が出てこなかった。
走って緋月様の元へと走ると、イヴの身体の周りに優輝さんたちが撃ったと思われるいくつもの麻酔針が落ちていた。皮膚の硬化で針が刺さらないのだろう。
緋月様はイヴの腕に掴まれたまま、潰されないように間にアダムを硬化させた防御壁を作っている。
一度は掴まれた左脚もなんとか服の内側から押し返しているような状態だ。
僕は落ちている麻酔針を1つ拾って、関節部分に突き立てると硬い感触ながらも針は刺さった。
すると緋月様を掴んでいた手が少し緩む。僕は力任せにイヴの幾重にも伸びている手を引きちぎった。千切っても細かくばらけることもなく、千切った矢先に繋がっていって僕の行為は徒労に終わった。
「アダム、もう一回……」
「でも……ひづきまもれない……」
「やって!」
アダムが再び円筒型になり、そこから再び高エネルギーのレーザーが発射され、茜さんのすぐ横をかすめてイヴの身体を更に切断した。
再びイヴは叫び声をあげ、焼け付いて切り捨てられた自分の傷口を押さえる。それと同時に緋月様を掴んでいるいくつもの手の力が強まったようで、緋月様は苦しそうなうめき声をあげる。
僕は無駄と解りながらもそれを毟り取るが、いくら毟り取っても幾重にも重なっていて容易には取れない。
「あぁぁああぁっ……ぐっ……アダム……もう一度……!」
ギリギリと緋月様はアダムごと締め付けられていた。もう抜け出すほどの力は緋月様に残っていないらしい。
「それ以上はさせない……! 邪魔だ!」
イヴは再び僕に対して血の裁量を振りぬいた。僕の胴体は上下で真っ二つに切断されて焼けるような、それでいて酷い痛みを感じて緋月様を捕えているイヴの手にしがみついた。
「がぁっ……あぁ……っ……」
すぐに僕の分断された身体は再結合した。痛みがなくなった僕は、執念で緋月様の拘束を取ろうとする。
緋月様もイヴも、お互いにいつ倒れてもおかしくないほど消耗していた。
「緋月様!」
遠方から区代表たちの声が聞こえる。薫さんが走って近づいてきた。銃を構えてイヴに対して特攻してくる。
「来るな!」
緋月様は自分の血の裁量を伸ばし、薫さんを来た方向にはじき返した。薫さんは後ろに吹き飛び、区代表たちが隠れている場所辺りに戻される。
それと同時にイヴは更に緋月様の拘束を強めた。ミシミシという緋月様の骨が軋む音がした。
「があぁっ……!!」
緋月様の口から血の泡があふれ出る。その口からあふれ出た血を鋭く変形させ、イヴの胸を貫く。そこから四方へ棘状に血が変形し、イヴの身体を内側から貫いた。
イヴは一時的に緋月様から手を離した。崩れ落ちるように倒れた緋月様の身体を僕は支える。
「がはっ……ごほっ……ごほっ……!」
もう動くのもやっとな様子だが、それでも緋月様はボロボロの身体から血の裁量を出して地面に突き立て、無理やり立とうとしていた。
しかし、緋月様は立てなかった。
イヴも身もだえていて身体の細胞が乱れ、動けなくなっていた。
「緋月様、今のうちに逃げましょう」
緋月様の身体を担ぎ上げようとすると、僕の手を緋月様は優しく払いのけた。
「私のことはいいから」
「シャーロットさんに治してもらいましょう、本当に死んでしまいますよ」
「私が死ぬのは最悪の結末じゃない……」
口から血を吐き、垂らしながらも緋月様は身体を無理やり起こす。
イヴは身体から出していた無数の手を大きく回転させ、僕と緋月様を薙ぎ払った。成す術なく僕らは弾き飛ばされた。
僕は再び瓦礫の中を転がり、再び傷だらけになり、折れた木の棒に太もも部分が貫通してその場から動けなくなった。引き抜こうにも痛みが先行して引き抜くことができない。
緋月様はアダムが緩衝材となり、緋月様は無事だったようだがもう身体が思う様に動かない様子だ。
そこにイヴがゆっくりと近づいていく。
「緋月様! 逃げてください!」
僕はその場で叫んだ。しかし、緋月様は瓦礫の中で立ち上がるのがやっとのようでふらふらとしている。
弾き飛ばされた薫さんが緋月様に近づこうとして、琉依さんに引き留められる。
「放してください! 緋月様が!!」
「落ち着いて! 我々が近寄ったら足手まといになりますから!」
「緋月様のために散るなら本望ですから!」
そうは言いながらも、薫さんは琉依さんの力には及ばずに引きずられて退場していく。
じりじりと緋月様の方へ近づくイヴも這いずるように近づいていった。脚が神経毒で上手く動かないのか、足を引きずりながら胴体から生やしたいくつもの手で動いているようだ。
僕は太ももを木片から無理やり抜こうとするが、やはり痛みが強く、抜くことができない。木を途中から折って取り出そうとするが、折るにしても力がかかると痛みが走り、容易にはできなかった。
僕はまず痛覚を遮断することにした。意識を集中させ、痛覚遮断を試みるがそう上手くはいかない。
――早く緋月様の元に行かなければ……!
焦るほどそれが困難になって、抜け出せない。もうイヴは緋月様の間近だ。
「死ね! 緋月!」
イヴは大きく腕を振りかぶった。
◆◆◆
【緋月】
私が感じていたのは、長い間感じることのなかった痛みに戸惑う感覚でもなく、茜を奪われた喪失感でもなく、自分がもうすぐ死ぬという安堵だった。
イヴに貫かれた部分からは意識が朦朧とするほど出血している上、左脚の骨は砕かれてもう歩くことは出来ない。身体中の骨にヒビが入ったり折れたりしているせいで、動くことすらままならなかった。
再生することはできなかったので、損傷していない自分の細胞を損傷した箇所に補填し、一時的に身体の機能を保つようにしているが、それをしているからなのか私の身体は俊敏には動かせない。
自分のろくに動かない身体を持て余している中、イヴは私の方へ向かってゆっくりと近づいてくる。
イヴの身体も満身創痍だ。
アダムのレーザーも撃てるにしてもあと1回。外したらもう持久戦での勝利は見込めない。
「アダム、もう一度……」
「もうこれがさいご……」
「解ってる」
私はアダムの変形した身体を支えた。このままの方向に撃つと、市街地を破壊してしまうかもしれないが、方向を合わせている余裕がない。
幸いにも区代表たちは私から左手の方向に待機している。智春も少し角度がずれて当たらないだろう。
イヴの脚を切断するべく狙い、アダムは発射した。
ガキンッ!
イヴに撃つ方向を変えられ、高出力レーザーは空に向けられ発射させられた。
撃った際の衝撃が身体に走ると、私は激痛に耐えかねて倒れ込んだ。
「これでお前も終わりだな」
アダムは武器形態からいつもの巨人に変化し、イヴを食べようとするが、イヴからの血の裁量を何度も何度も受け、動きを完封されてしまっていた。
やはりアダムは単体で戦うのは向いていない。
私はなんとか身体を起こしたが、動かない。
イヴの血の裁量がいくつも形成されているのが見えた。私も残った体力で血の裁量を形成するが対応しきれるだけの体力は私にはもうない。
――もうこれで……終わりなのか……
「死ね! 緋月!」
イヴが大きく振りかぶった時、私は死を覚悟した。
覚悟し、イヴの振りかぶった手を直視していたが、いつまでたっても腕が振り下ろされることはなかった。
イヴは腕を振り上げた状態から、腕をだらりと降ろして横向きに倒れ込んだ。
――なんで……?
倒れて動けなくなっているイヴの脇には、半分が短く、もう半分の髪が金色で肩程まである男性がいた。左腕にはトカゲと茨の刺青をしている。
息を切らしたその青年は、イヴに突き立てた注射器から手を放し、私の方へと駆け寄ってくる。
「何手こずってんだよ。ボロボロじゃねぇか」
そう言ってその青年――――レイは私の身体を抱きしめてきた。
「イタタタ……痛いよ、レイ……」
私が痛がると、レイは私の身体から放れた。
レイはずっと走ってきたのか、息が切れている。汗も相当にかいているようで、肌がしっとりとしていた。私を抱きしめたことで、レイの服に私の血が付着する。
「ちょっと待って……イヴにトドメを刺さないと」
私がふらふらと立ち上がると、レイは私の肩を支えてくれた。
「ありがとう、レイ。大丈夫だから……」
「どこがだよ……」
レイに支えられながら、私はイヴの胸に取り込まれている茜の元へと近づいた。四肢や胴体はイヴと同化がかなり進行している。頭部はかろうじてまだ分離可能なように見受けられた。
「こいつ……」
「アダム武器形態、剣」
アダムは私の手に収まる程の剣の姿になった。
これで茜の胸の部分を貫けば終わりだ。
イヴはおそらく私が茜の部分を攻撃しないと油断して、自分の“核”を茜の身体の内部に隠しただろう。私はそう予測していた。
茜の心臓部分に剣になっているアダムを突き立て、侵入したと同時にイヴの核を食べさせればイヴの身体の統率は崩れ去り、後は全て始末するだけだ。
と、頭では解っていても私は茜の胸に中々剣を突き立てることは出来なかった。
早くしなければと考えている私の姿を見て、レイは私からアダムの剣を取ろうとする。
「貸せよ、俺がやってやるから――――っ……!」
「!」
横にいたレイの身体が一瞬にして後方に貫き飛ばされたということを理解するには少し時間がかかった。1秒ほど私は何が起きたのか受け入れられずに硬直する。
まだイヴに動く力が残っているということを、私は計り誤っていたと瞬時に理解した。
レイの心臓部分にイヴの血の裁量が突き刺さっていた。
「レイ!」
その心臓に突き刺さった血の裁量を私は渾身の力で切断し、レイの身体を抱き留めた。
レイが取り込まれないように、すぐにイヴの身体の一部を抜き取るしかなかった。抜き取ってしまうと出血してしまうと解っていてもそれ以外の術がない。
レイの胸からは夥しい量の血液があふれ出し、レイは小刻みに痙攣している。
私は穴の開いた部分に血の裁量を入れ、一時的に悪魔細胞で心臓の代わりのものを形成するが、レイの心臓はもう機能しなくなり止まってしまっていた。
「レイ! レイ!!」
同時に心臓マッサージもするが、レイは動かない。
だらりと力なく腕が垂れ、私の腕の中でぐったりとしている。
「ははははははは……」
イヴは笑っていた。
そのときに私は自分の中で保っていた理性がブツリと切れる音が聞こえた。
私はレイの蘇生を途中でやめ、投げ出した剣のアダムを拾い上げて迷うことなく茜の心臓部分に突き刺した。
「ギャァアアアッ!!!」
イヴが悲鳴をあげるが、私はもう迷うことはなかった。
何度も何度もアダムの剣を突き刺し、ほぼ同化している茜の身体を無理やりに剣で抉り出した。その度にイヴは叫び声をあげて暴れまわるが私は怒りに我を忘れて、自分が貫かれる痛みも気にならなかった。
脇腹や脹脛、腕、肩など、私の傷を更に抉るように突き刺さった。
茜はまだ完全には同化しておらず、表皮は持っていかれていたが腕や脚はまだ形が残っていた。
「…………」
茜を引きずり出す際に、イヴは自分の核を茜から移動させたようだった。しかしもう核もボロボロに傷ついており、致命傷に違いはない。
「やめろ……!」
イヴは無残な肉塊になっている巨体の中から新たな身体を形成して内側から出てきた。
白髪で目の赤い、私に似ている顔。それは兄の姿だ。
裸の身体に細胞液が大量に付着して、ドロドロになっている。イヴ自身も自分の身体の形を保っていられない様だった。
必死に私から逃げようと這い蹲ってもがくが、毒の影響を受けていて身体が想う様に動かない。
「アダム」
イヴが逃げようとしていた道に、巨人の姿でアダムが立ちはだかった。いつもの肥満体系ではなく、やせ細っている姿のアダムは本当に語り継がれている神話の悪魔のようだった。
「やめろ……やめろ……!!」
イヴが声を振り絞って懇願する。
その言葉に私は激しい怨嗟と、冷たい憤怒と、深淵のような落胆を感じて顔を歪めた。
「お前はそう懇願する人たちに……慈悲を与えたのか?」
イヴは私の言葉を聞いているようには見えなかった。ただひたすらアダムから逃げまどうような動きをしている。
「私は……戻りたくない……私は……!」
イヴは私の足元に縋りついてきた。
いつも、罪人たちが私を前にしてそうしてくるように、みっともなく私の足元にひれ伏して許しを乞うその姿とイヴは完全に重なっていた。
そうされたときの結論はいつも同じだ。
「アダム……食べて」
アダムは大きな口を開け、イヴを片手でつまみ上げた。イヴはアダムの口の中に放り込まれる。
「嫌だ……私は……! 私はもう――――」
その言葉が最後まで言われることはなく、アダムはイヴをかみ砕いた。
ボキボキボキッ……グチャグチャ……
嫌な音を立て、200年戦い続けたイヴはアダムの中へと消えていった。残ったイヴの巨体の残骸が再び動き出そうとしているが、アダムはそちらも食べ始める。
細胞の一片とも残さないようにアダムは食い散らかすことなく、確実に食べ進めていた。
「はぁ……はぁ……」
――終わった……
もうろくに動かない身体を引きずってレイの倒れている方を向くと、既にわ子がいてレイの身体に対して止血や心臓マッサージなどを行っているようだった。
遠くから区代表たちやシャーロットが私の元へ走ってきているのがぼんやりと見える。優輝は両脚を負傷している様で、琉依に抱きかかえられていた。
ふらついている私の身体を妃澄と薫が走ってきて支えてくれた。妃澄も珍しく焦っているようだったが特に薫が焦っているようで、言葉のろれつが回っていない。
「ひ、緋月しゃま、手当……!」
「担架、救急車は手配しておりますのですぐに参りましょう」
そう言って私を担架の方へ連れていこうとする2人に対して、私は抵抗した。
「私は大丈夫だから」
「いつ死んでもおかしくない状態です」
「レイのところ行かせて……」
「……救急車が来るまでの間なら……」
私は妃澄と薫に肩を貸してもらい、レイの元へ向かった。やはりレイの心臓は完全に破損している。胸の傷の位置からしてそれは明白だ。
必死に救命活動を続けるわ子の肩をトン……と叩く。
「わ子……もう死んでるよ」
「そんなはずありません。光はふざけているだけです」
何度も心臓マッサージをしているが、レイはやはり動かなかった。
「起きてください! こんなときにふざけないで!」
わ子の手は、レイの血で真っ赤になってしまっていた。
そんなわ子のもう一方の肩に蓮一が手を置く。
「渉ちゃん……」
本当はわ子は解っているはずだ。誰よりも賢く、聡明で、冷静なわ子が解っていないはずがない。
それでもわ子は必死に蘇生を試みている。目には涙が浮かび、それが零れてレイの服に落ちる。
蘇生しようと動かしていた手は、やがてレイの胸を力なく殴る仕草に変わっていった。
「なんでですか……どうして……!」
血まみれの手で顔を覆い、わ子は泣いていた。
他の区代表たちも苦虫をかみつぶしたような顔をしている。
園と智春が少し遅れてレイの元へ到着したが、智春もレイの死体を見て言葉を失くしていた。いつもニヤニヤしている園も神妙な顔でレイのことを見ている。
遅れて到着したシャーロットはレイの身体の状態を確認していた。瞳孔の状態、脈、呼吸を確認していたが、シャーロットは首を横に振る。
「シャーロット……レイを生き返らせてもらえるかな」
「……生き返らせることができるんですよね……?」
わ子は血の付いた手で顔を押さえたので、顔も血まみれになってしまっていた。その血が涙に溶けて落ちていく。
私の言葉に、全員が期待を胸にシャーロットを見つめた。
「……良いのですね? 本当に」
「そうだね……うん」
「待ってください。今は緋月様を治し、光は後の方がいいのではないですか?」
妃澄が冷静にそう言う。
「……私は大丈夫……レイの脳にダメージが残る前なら生前のまま生き返らせられると思うんだ。だから今やってほしい」
「なら2回魔術を使えばいいだけだろう?」
「ごめんなさい。私はあと1回が限界です」
達美の反論にシャーロットは申し訳なさそうにそう答える。
「それでは、蘇生魔術に入ります」
シャーロットは智春の細胞を元に作られた悪魔細胞の液体をレイの傷口にかけてから、手をかざして魔術を発動させた。
不思議な柔らかい光に辺りが包まれ、かけた悪魔細胞がレイの中へ入っていく。
シャーロットが魔術を発動して10秒程経った頃だろうか、横たわっているレイの胸がかすかに上下に動き始めた。
魔術を解除してレイの状態を確かめると、破損した心臓が再生していて止まっていた呼吸もしていた。意識は戻らないようで気絶しているようだったが無事に生き返ってくれて良かったと私は安堵する。
「これでいいはずです……」
そう言い終わるとシャーロットは倒れた。シャーロットを蓮一が慌てて抱き起す。
「大丈夫ですか? しっかりしてください」
「もう……私の役目は終わりですね……」
「何を言ってる……?」
妃澄のその問いに答える前に、シャーロットは力尽きて事切れた。
「シャーロットさん? シャーロットさん!」
蓮一がシャーロットの身体をゆするが、目を覚まさない。呼吸を確認し脈を確認するが、もう呼吸も止まり、心臓も止まっていた。
蓮一は慌てて私とシャーロットの顔を交互に見つめて慌てふためいてた。
「命と引き換えだったんだよ。最期の魔術だったってこと」
「何……!?」
私はこうなると知っていた。
シャーロットが「魔術を使えてもあと1回」と言ったときから、その命と引き換えになるということは理解していた。
それでも私は茜を生き返らせるためにと彼女に頼んだ。1000年以上生きてきた彼女はそれが最後の大役だと覚悟をしていたからだ。
安らかな表情でシャーロットは永遠の眠りについたようだ。
「じゃあ……もう緋月様の恋人は……」
「そうだね……でも、もういいんだ」
私は自分の身体を支えるのが困難になり、その場に倒れ込んだ。
「緋月様!」
わ子はレイから放れて倒れた私の身体を抱き起した。すでにべったりとわ子の身体にはレイの血がついていたが、そこに私の血も加わってわ子の服は血まみれになって行った。
「もう……意識を保ってるのも限界なんだよね……」
「今担架に乗せますから……! 救急車ももうすぐ到着します!」
「レイの意識がなくてよかった……」
「緋月様、行きましょう」
「茜の側に行きたい……」
「なら、ご一緒にお連れしますから」
智春が茜の身体を運んでくる。
茜の身体はボロボロになっていた。骨も折れているし、肉も裂けている上に四肢の表皮は剥がれてしまっている。
そのあまりにも痛々しい姿に私は言葉を詰まらせた。
私はやっとの思いで手を伸ばし、茜の冷たい手を握った。
目を閉じて茜と一緒に過ごした出来事を思い出すと、やけに安らかな気持ちになってくる。
遠くでわ子や達美、妃澄たちの声が聞こえた。優輝も私の名前を呼んでいる。
――これで良かったよね……? 茜……
そうして私は意識を手放した。




