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メンタル・ディスオーダー  作者: 毒の徒華
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第52話 初めて見る外の世界




【メフィスト】


彼の御方(緋月)を引き留められなかったことに、わたくしは酷くふがいなさを感じていた。

いくらシャーロット様の魔術で怪我を応急的に治癒したものの、傷痕が残ってしまった。傷痕から見てかなりの深手であったし、もう寿命の近いシャーロット様にはそれほどの力は残っていなかったと見える。


「詳しい話を聞かせてもらえないか」


達美様や妃澄様は冷静だった。私の制止も聞かずに飛び出してしまった彼の御方とは大違いだ。

しかし、薫様は目を血走らせて彼の御方を追おうとしているのを、琉依様に止められている。


「時間がありませんので、手短にお話いたしましょう」


この破壊された研究室の訳、シャーロット様と彼の御方がお怪我をされていた訳、これからの策……。




◆◆◆




【メフィスト 20分前】


不穏な音が研究室に向かって来ているのは解っていた。

シャーロット様も感じている“気”と、大きな衝撃音の連続に身構えていた。

わたくしはいくつか最悪のパターンを考えた。

我々全員が殺されるのが最悪だろう。しかし、彼の御方が殺されたら順当に人類全員が殺される。つまり、実質この戦いは彼の御方とイヴの一騎打ち。他に可能性があるとすれば実験体水鳥麗。

赤紙職員にも腕の立つ者がいると彼の御方に聞かされてはいるけれど、人間と悪魔細胞適合者の差は歴然だ。


「シャーロット様、お隠れを」

「しかし、メフィスト……あなたが……」

「構いません。さぁ、早く」


ここまで来たことを考えれば隠れるのも無駄かもしれないが、面と向かって対峙するよりもましだろう。

どんどんと音が大きくなりついに最後の一番分厚い扉が一部破られ、イヴらしき者が侵入してきた。鳥の姿をしていたがそこから変形し、白髪の幼児の姿になった。


――これが、彼の御方の兄君……


後ろから彼の御方が追いかけてきているのは理解していたが、そのほんの数秒の間にわたくしができる事は命を賭してイヴを足止めすることくらい。


「下賤の者よ、ここは貴様が立ち入っていい場所ではない」

「ほう……兄弟か……」

「兄弟などと気安く呼ぶな」


見たところ、彼の御方がかなり体力を削った模様。

神経毒の影響なのか、心なしか動きが鈍っている様子だ。神経毒の量が足りないのだろうと考えたわたくしは、素早く神経毒の入っている注射器をとった。

イヴもそれに応じてこちらへ飛び掛かってくる。

わたくしは鋭い爪を2度かわし、イヴの左肩に注射器を突き立てた。ほんの少し中の神経毒を注入することに成功するが、すぐにその箇所をイヴは切り離して無効化した。落ちた細胞は急激に腐り、灰と化す。

反射的に身体のバランスが崩れたイヴに、わたくしは隠し持っていた2本目の注射器を突き立て、一気に中の神経毒を注入する。

これは分離しきれなかったようで、イヴはガクリと身体を落とした。


「イヴ!」


扉をすべて破壊して彼の御方が無理やりに中に入ってきて、すぐにイヴを確認する。

研究室は最奥で逃げ場はない。彼の御方は研究室にあった神経毒を取ろうと手を伸ばしたが、イヴは室内にあった実験器具や試験管などを全てなぎ倒した。床に散らばった液剤などが混ざり、煙が出ているものも確認できる。

その勢いで延長線上にあった茜様の入っている水槽の布が外れた。

咄嗟のことだったのだろうが、彼の御方は水槽とイヴの間に即座に入って茜様を守る動きをしてしまった。

イヴはそれを見逃さなかった。

水槽に向かってすぐさま自分の身体を伸ばし水槽を壊そうとするが、彼の御方はそれを素早く阻止する。

イヴは彼の御方を見て笑った。


「ははは……驚いたな。未練がましく肉体を保存しているとは」


彼の御方は答えなかった。

答えずにイヴに向かって自身とアダム様の血の裁量を振るい抜き、わずかな隙をついて仕留めようとする。

イヴは身体を何か所も貫かれ、動きを一時的に止めた。アダム様の身体からいくつもの口が形成され、イヴに噛みつき、食いちぎった。


「アダム、残りも早く食べて」

「そう言うな。少し世間話でもしようじゃないか」


そう言って、イヴは彼の御方ではない方向に血の裁量を伸ばし、積み上げられていた段ボールをなぎ倒した。


「キャァッ!」


隠れていたシャーロット様の首を掴みあげて自分の元に引き寄せて人質にとる。

シャーロット様が隠れているとは知らなかった彼の御方は反応が遅れた。隠れることが裏目になってしまったとわたくしは自責の念にかられる。


「こいつを殺されたくなかったら、アダムを私から放せ」

「緋月、良いのです。私など――――」


言葉の途中でシャーロット様の太ももや肩にイヴの血の裁量が突き刺さる。悲鳴こそ上げなかったものの、かなり険しい表情をしたシャーロット様を見て、彼の御方は攻める手を躊躇する他なかった。


「……ッ!」

「お前は黙っていろ」

「……ちっ……」


彼の御方は血の裁量と武器形態になっていたアダムを引いた。ズルリとイヴから抜けて自らの身体に血の裁量を戻し、イヴとにらみ合いになる。


「この白髪の女を殺そうとすれば、私にはすぐにできるということは理解しているな?」

「…………時間を稼いでも、お前が不利だ。次期に仲間も入ってくる」

「久々に会ったというのに随分連れないな? 兄妹だろう? 抱き合って喜びを分かち合わないか?」

「もう兄は概念でしかない。兄の片鱗もその身には宿していないだろ」

「はははははははっ」


彼の御方の兄君の姿でイヴは笑っている。


「緋月、この際どうだ? 私の伴侶にならないか?」

「伴侶だと……ふざけるな! 命乞いのつもりか!?」

「そんな怖い顔をするな。長い間生きていれば考えが変わることもあるだろう? 私たちは殺し合うのではなく、共存したほうがいいと思わないか?」

「思うわけないだろ! いい加減にしろ!」


彼の御方はビキビキッ……と音を立てながら爪先や髪の先までもが鋭く変形していく。


「落ち着いてくださいませ。挑発に乗ってはいけません」


そう言ったところで、彼の御方は落ち着くことなく殺意をむき出しにしてイヴと向き合っていた。

そこに実験体水鳥麗が走って入ってきた。渉様と優輝様が後に続く。

状況を一瞬で把握した実験体水鳥麗が血の裁量をイヴに対して振りぬくが、容易によけられてしまいシャーロット様の身体にかすめた。


「やめろれい華!」


彼の御方が動揺したのと同時に、イヴはシャーロット様を手放し、水槽を一瞬のうちに破壊した。中から液体と茜様が共に流れ出る。


「茜!」


彼の御方は完全に冷静さを失って茜様に手を伸ばしたが、その手は届かなかった。

茜様の表面に張り付くようにイヴは身体を伸ばし、茜様の身体を取り込んでしまった。

彼の御方は、茜様の表面に張り付いているイヴに対して攻撃する術がなかった。

イヴは茜様の身体を動かし、近くにあった硝子片を掴んで彼の御方に突き立てた。左肩に刺さったその硝子片は勢いよく貫通し、彼の御方は後ろの壁に背中を打ち付けた。


「ぐっ……!」


彼の御方は苦痛に顔を歪め、力なく茜様の身体を押しのける。


「ははは、やはりな……」


左肩に突き刺さった硝子片を、彼の御方は無理やり引き抜いた。それと同時に鮮血が噴き出す。おそらく、動脈が切れてしまったのだろう。


「緋月様……!」

「渉、来るな!」


渉様は駆け寄ろうとしたが、彼の御方の牽制によって動きを止めた。その間も血は流れ続け、左肩を右手で押さえるが、彼の御方の白い肌に鮮やかな赤色がしたたり落ちる。

それをイヴは茜様の指ですくって舐めてみるが、すぐさま吐き出した。


「やはり混じり物はマズイな……」

「その身体に傷一つつけたら……もう泳がすなんて生ぬるい手は使わないからな……!」

「その前にお前がなす術なく死――――」


トスッ……


イヴの右腕に神経毒の塗ってある針が刺さった。すると、刺さった場所からドロリと茜様の身体からイヴが剥がれ落ちる。

優輝様が麻酔銃でイヴを撃ち、もう一度針をセットして構える。


「くっ……」


イヴは更に動きが鈍くなったが、力を振り絞り頑丈な壁を破壊して脱出した。

それを実験体水鳥麗が武器形態になっているアダム様を乱暴に掴み、追いかけ出て行った。

シャーロット様も最低限の止血は魔術で行ったもののぐったりとしている。

渉様は彼の御方に駆け寄った。


「どうしてこんなに血が……いますぐ止血しますから」

「私のことはいいから、シャーロットを頼む」

「しかし……」

「渉様、この御方はわたくしが止血いたします。二か所お怪我をされているシャーロット様の止血をお願いします」


躊躇っていた渉様はシャーロット様の方へ駆け寄っていった。

彼の御方は力が抜けたようにその場に座り込む。わたくしは彼の御方が押さえている左肩を確認したが、全く傷が塞がる様子はない。それどころが貫通している為に背中側からも出血している。


「これは縫わないといけません。横になってください」

「止血するだけでいい。針と糸も通るか解らないし」

「これは、茜様のお身体が関係しているのですよね」

「……そうだよ。してやられたね」


彼の御方は左の頬にある自身の傷痕を力なく撫でた。

わたくしは患部を確認しながら応急箱からガーゼと包帯を取り出し、止血を始めた。

かなりの出血量で、彼の御方は意識も絶え絶えだった。発汗もしているし、目もうつろだった。


「もう少しで止血ができます。お気を確かに」




◆◆◆




【メフィスト 現在】


「――……ということがありました。彼の御方が危険です。もう神経毒にストックがありません。あなた方がお持ちの神経毒で全てです」

「状況は解った。緋月の馬鹿……頭に血が上っているようだな」


達美様は頭を抱えてため息をついた。


「失礼ながら、彼の御方は一度冷静さは失うとなかなか冷静になれません。特に茜様のことになると、なおさらです」

「長い間思い続けている人ですもんね……」

「けっ……俺に全然なびかねぇと思ったら、本当にどうかしてるみてぇだな」


蓮一様と葉太様も不安そうにつぶやく。


「文句は終わってから緋月に直接言え。じゃあ俺たちは加勢しに行けばいいんだな」

「お願いします。イヴも随分神経毒で動きが鈍くなっています。しかし、茜様を人質にとられた今、彼の御方は防戦一方という形になるでしょう。それでは勝てません」

「茜はイヴから解放できるのか?」

「そうですね……アダム様の細胞が水槽に入れられていた茜様の表面を覆っておりますので、すぐには取り込めないでしょう……ですが、茜様が完全に取り込まれてしまうのは時間の問題です」


もし完全に茜様が取り込まれてしまえば、彼の御方は2度までも茜様を失わなければならない。そうなれば、彼の御方の精神状態が心配だ。

ただでさえ彼の御方の精神は茜様によって保たれていると言って過言ではない。


「俺たちはすぐに向かう。行くぞ」

「ええ」


区代表の方々は達美様を筆頭に、あわただしく出て行った。

残されたのは散らかされた研究室。資料の山もなぎ倒され、水槽の中の液体でほとんどが濡れてしまっている。高級な機材もなぎ倒された衝撃で壊れてしまっているものもある。


――派手にやってくれましたね……


わたくしは壊れた扉を辿って外に出た。

彼の御方の手当の際に着いた血液をふき取らないまま、とある場所を目指した。


――研究室から出たのは、初めてですね


わたくしは研究室で生まれ、研究室で長い時を過ごした。

外に出たいとは思ったことはなかった。

いつも彼の御方が本を読んでくれたり、研究をしたり、色々な話をしてくれたりした。

それだけでわたくしは退屈しなかったし、文句を言ったこともなかった。

彼の御方が話す内容からしても、外が楽しいものだとは思えなかった。管理職をしている彼の御方の立場から、悪いことに目に付きやすいのもあったのだろう。

しかし、彼の御方の口からはここ数年楽し気な話が多く語られた。

彼の御方もここ数年ばかりは茜様のことに囚われ過ぎずに幸福を感じているように見えた。

それは、間違いなく彼の御方の側近の方々のおかげと言える。

用心深い彼の御方は側近など取ろうとは思っていなかったが、実験体【LISA】や、渉様の件から変わられた。


――必ずご無事で


わたくしは赤紙内部を歩き、進んだ。

わたくしの存在は赤紙の中でも秘匿され続けた為、いざ、こうして外に出るとわたくしを見て叫び声をあげる者もいた。

どれだけ周りから奇異の目で見られようとも、私は進んだ。

構わない。

わたくしを見て、いつも柔らかい笑顔を向けてくれる彼の御方だけがあればいい。


それを取り戻すため、私はただ目的地へと歩いた。




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