第50話 ふざけんじゃないわよ
僕はれい華さんと一緒にコンテナの外で待っていた。
緋月様が内部へ向かう途中、その武骨で凶悪な装いの背中を見守っている。
「緋月から聞いたけど……完全適合したんですね」
緊張していた僕は、日下部さんが話しかけてきたその声に驚いてビクリと身体を震わせた。
中のイヴに聞こえないように、極力小声で日下部さんは言った。
「とんでもないことになっちゃいましたね」
「……そうですね……僕も、日下部さんが部分適合者だと聞いて驚きました。あと10区代表だってことも」
「緋月は色々隠してるから。全部を開示したわけじゃない」
こんなときにも緊張感のない様子の日下部さんを見て、僕も少し緊張が解けたその瞬間、コンテナの方から「バンッ!」という大きな音が聞こえた。
その直後にコンテナから金属音が何度も何度も響く。
緋月様がコンテナ内部に入って行ったのが見えた直後も、絶え間なく金属音が聞こえた。
なかなかそれが止まない。
「なんだか……長くないですか?」
「……交戦している可能性がありますね」
日下部さんは麻酔銃を構える。僕も恐る恐る麻酔銃を構えた。
しかし手が震えて照準がぶれる。それを見ていた日下部さんはちらりと僕の方を見た。
「震えてますよ」
「怖いですから……」
「……何が怖いんですか?」
「逃してしまうのが怖いんです」
コンテナが「ボゴン!」と何度も音を立て、歪む。何か所も連続して歪む様子を見ていて、尚更僕は手が震えた。
「落ち着いてください。これは確実に交戦してます。麻酔銃は効かないかもしれない……緋月が麻酔銃を外すとは思えない」
「麻酔銃が効かない……ですか? なら、区代表の人たちに連絡したほうがいいですよね」
僕が無線のボタンを押したとき、日下部さんはそれを抑制した。
「“かも”ですよ。量が足りないだけの可能性もあります」
また大きな音がしたのちに、血の裁量が僕の方に向かって飛んできた。あまりにそれは早く、僕はなす術もなかった。
心臓の手前、もう10センチの距離――――
ガンッ!
横から日下部さんがそれを蹴り、軌道が変わった。
とはいえ、僕の脇腹をそれはかすった。かすっただけなのに酷い痛みが走り、僕は無様に転がった。傷口を抑えるとぬるりとした感触があり、それが血だということは見なくても容易に想像できた。
「智春!」
直後に緋月様の声が聞こえた。
「意識を集中して。細胞を再構築するんだ」
言われたように意識を集中すると、ようやく痛みが引き始めた。しかし、緋月様のように早くは修復できない。
「れい華! 麻酔銃!」
緋月様は僕が落とした麻酔銃を拾い上げ、イヴに向かって真っすぐ向かって行く。
鋭い血の裁量がいくら飛んで来ようと、彼女は一切ひるむことなく目にも留まらぬ速さで向かって行った。
イヴの攻撃がまったく当たらない訳ではなかった。
アダムが最大限いなしているとはいえ、緋月様の身体には何度もかすっていた。それでも緋月様は走る速度を緩めることはない。
辺りが暗闇に包まれている中、僕にはハッキリ見えた。
イヴはこんな状況なのに笑っていた。
「早く死んでよ」
緋月様がギリギリまで近づいて撃った麻酔銃はイヴの腹部に当たった。
けれど、イヴは表面を硬質化させて麻酔針を弾いてしまう。
緋月様とアダムの血の裁量とイヴとが同時に攻撃し、互いの首元をかすめたと同時に互いに距離をとった。
緋月様の服はボロボロになっていた。それはイヴも同じだ。イヴの方が若干程度が酷いように感じる。食いちぎられたように衣服が大部分欠落していた。
「久々の再会なのに、連れないな」
緋月様と日下部さんは素早く左右に回り込んでイヴを挟み撃ちにした。
イヴの身体は全身硬化していて麻酔針が刺さる隙間がない。血の裁量もかすり傷程度はつくものの、弾かれてしまっていた。
「アダム!」
緋月様がアダムを呼ぶと、一本の鋭い大鎌になった。それを緋月様が掴み、イヴの腕の関節部分を思い切り突き刺した。それを思い切り振るとイヴの腕が切り落とされる。
切り落とされた部位を鎌の一部はアダムの頭部になり、素早くその腕を噛み砕き、捕食していた。
傷口が再生する前に、そこに日下部さんが麻酔針を打ち込む。
「くっ……」
イヴは数秒後にガクリと膝をついた。
「神経毒も随分効いてきたんじゃない?」
緋月様はそう言いながら血の裁量をイヴの首に突き立てた。しかし、首は硬化していて刃が通らない。
「全身硬化したまま、解毒の時間を稼ぐつもり?」
「…………」
「だんまりか……いいよ。別に」
バシャリ……と緋月様はポーチに入れていた何かの液体をイヴにかけた。
それと同時にマッチを点火して放り投げると、イヴの身体があっという間に燃え上がった。
火が付くとイヴは硬化していた身体の表面を脱ぎ捨て、慌てたように外へ出た。すぐに外皮を再形成しようとするが、麻酔で動きが鈍っているのか再生が遅い。
飛び出たところを狙う様に緋月様は血の裁量を振るい、イヴの身体をコンテナに縫い付けることに成功した。
「考えが甘いんじゃない?」
「…………ははははは……」
イヴは笑い出した。
笑っているイヴを何度も何度も緋月様は切りつけるが、イヴは笑うのをやめない。
「くくく……ははははは……」
「何が可笑しいの……死ぬ恐怖で気でもふれたか」
イヴは緋月様の頭を狙い、自らの血の裁量で反撃した。緋月様は避けたが、左頬をそれはかすめてしまう。その傷もすぐに塞がった。
「その頬の傷痕……――――」
アダムはイヴの身体に食らいついた。ボキボキという音を立ててイヴを捕食し続ける。
「もう喋らなくていいよ。早く死んでくれない?」
「知っているぞ……」
「…………」
「その傷痕がどうしてついたのか……」
イヴの頭部がゴロリと下に転がった。
――やった……!
そう思った刹那、イヴは頭が変形して鳥の姿になって素早く飛び上がった。
緋月様が切り落としたわけではないらしい。自ら縫い付けられた身体を捨てたようだ。緋月様が追おうとするが、アダムがまだイヴの身体を食べているため動けない。
「アダム! 早く!」
武器形態から一部変形している姿だったアダムは、元の巨人の姿に戻って一口でイヴを食べた。
まだ咀嚼中のアダムを引っ張りながら緋月様は飛んでイヴを追いかけた。
アダムの巨体を片手で引っ張るその腕力はすさまじい。
「緋月を追いますよ」
日下部さんは背中に翼を形成し、僕を抱えて飛んだ。
「区代表全員、聞こえてますね。緋月がイヴを追いかけて1区上空を飛行中です。方向は、赤紙本部」
僕を片手で掴みあげた状態で日下部さんは無線でそう全員に通達した。
「こちら妃澄。仕留め損ねたのか?」
「端的に言うと、そう。でもかなり追い詰めてる。神経毒もかなり効いているみたいだけど、量が足りない」
「葉太だ。じゃあ俺らが持ってる分全部ぶちこめばいいってことか?」
「渉です。では私たちも赤紙本部に向かいます」
「全員が一気に向かうのは得策ではありません。私は渉と優輝さんを先に運びます」
「あ、あたし?」
「狙撃能力の高い人を連れていきたい。今のイヴの大きさは野鳥程度の大きさです。優輝さんは弓が得意だと緋月から聞いています」
そう言って日下部さんは急降下し、渉さんと優輝さんを乱暴に抱きかかえる代わりに僕を手放した。
「智春さん、自分で飛んでください。3人も担げません」
かなり重そうではあったけれど、日下部さんは緋月様を追って再び飛び去った。
優輝さんはかなり戸惑っている顔をしていたけれど、日下部さんに連れられて行った。
「おい、緋月のところの! 俺たちも連れていけ!」
「解りました。やってみます」
そう言いながら僕は翼を形成してみた。動かし方は解る。何度か羽ばたくと身体が浮き上がるのを感じた。
「よし、俺と妃澄を運べ」
「何を言います達美殿。そこは私と妃澄殿でしょう」
「私が行きます」
「緋月様の元へ行くのならこの私が行きましょう!」
言い争いが始まる中、僕は2回名前の出た妃澄さんを片手で抱えてみた。しかし、バランスが保てずに、羽ばたくと同時に体勢を崩して僕と妃澄さんは地べたに転んだ。
「何をしている、智春」
「すみません、飛ぶ感覚がまだ掴めなくて」
「…………おい、皆。智春に運ばせるのは無理だ。走って向かうぞ。智春、お前は1人で飛んで行け。1人ならなんとかなるだろう。行くぞ」
そう言って妃澄さんを筆頭に、区代表たちは走って赤紙本部へと向かって行った。
残された僕は情けない気持ちになったけれど、凹んでいる場合ではない。つい数分前に「逃すのが怖い」と言った矢先に逃げられている。
――よし……僕だって飛べる……
翼に意識を集中し、羽ばたかせて浮かんでみるが、バランスを取るのが難しかった。
――緋月様はいつもこの状態で人を抱えているのか……
そう思いながらも、僕はなんとかふらつきながらもイヴや緋月様を追いかけて赤紙本部へと向かった。
◆◆◆
【緋月】
イヴに向かって血の裁量を振るうが、飛んでいる中では容易には当てることは出来ない。
まして今のイヴの大きさは鳩程度の大きさだ。
的が小さなくなったせいで狙いにくい。
「いつまで逃げ隠れるつもりだ!?」
このままではまずい。このまま仕留められずに逃げ続けられたら赤紙本部に侵入してしまうことになる。
もっとまずいのは一般市民に被害が及ぶことだ。
「逃げられないぞイヴ! 待て!」
飛行速度はこちらが遅い。追い付くのは無理だ。なら、飛んでいった先で確実に仕留めるしかない。
研究室に行けばまだ予備の神経毒がある。
「れい華、頼みがある」
後ろから私を追いかけてきているであろう彼女に、私は無線で話しかけた。
「日下部さんは両手が塞がっているので、渉が代わりにお聞きします」
「……私があいつを食い止めている間、研究室から神経毒を持ってきて。もっと大量に必要だ」
「解りました。カードキーはどちらに?」
「れい華がスペアキーを持ってる」
「……日下部さんから伝言です」
「何?」
「“早く始末して”……だ、そうです」
「ふっ………言われなくても」
イヴは赤紙本部にたどり着き、鳥の姿のまま硝子を破って中に入って行ったのが見えた。
私も同じ場所へ思い切り飛び込み、硝子を大きく蹴り破った。
その後にれい華たちが続く。
私はイヴを追いかけ、通路の左へ走った。
――研究室もこの方角だ……
嫌な予感を感じながら、私はイヴを追いかけ続けて走り続けた。
イヴが何枚もある扉を無理やりこじ開けて進んで行く。力が弱まっているのか、そう簡単にはこじ開けられない様子だ。
「このっ……!」
私が力任せに腕を振るうと、イヴはそれを素早い身のこなしで避け、私が開けてしまった穴から中へを入って行ってしまった。
「ちっ……」
私は扉を無理やり引きはがし、追いかけ続ける。
やはりイヴの進む道は分岐がいくつもあるにも関わらずに、シャーロットやメフィストがいる研究室の方向だと私は途中で悟る。
――シャーロットの匂いを追っているのか……? だとしたらまずい……
私は疲れを感じる間もなく、必死にイヴを追いかけた。
◆◆◆
【智春】
僕が赤紙本部についたとき、イヴと緋月様たちが通った形跡が解るほどに内部は荒れていた。
硝子を突き破った後に、扉を無理やり壊して進んだ跡が生々しく残ってる。
僕もその跡を追いかけて走った。
――飛ぶのに手こずって時間かかっちゃったな……
緋月様の研究室へまっすぐ進むその壊された跡は、徐々に酷くなっていった。
血もそこら中に飛び散っているし、そこかしこに殴ったような跡や、血の裁量によると思われる亀裂が多くあった。
「キャァアアアッ!」
僕が叫び声を聞いたのは、もうすぐ研究室へたどり着くというところでだった。
急いで僕は壊された扉の隙間をかいくぐり、先を急ぐ。急いでる最中に大きな音が何度も響いた。
ねじ切れるように壊された扉をいくつも通り緋月様の研究室にたどり着くと、僕は驚いて声を失った。
「もう少しで止血ができます。お気を確かに」
血まみれの緋月様が台にもたれかかるように倒れていた。それをメフィストが手際よく止血している。
辺りは薬品の割れた入れ物がそこかしこに散らばり、硝子の破片が散乱していた。
それに、辺り一面が水浸しになってしまっている。
シャーロットという女性も血まみれで倒れているが、渉さんと優輝さんが治療に当たっていた。
「緋月様、大丈夫ですか」
僕は緋月様に駆け寄って声をかける。左肩を背中まで貫通している大きな傷から、かなりの量の出血をしていた。
――どうして……? 傷を塞がないんだろう
疑問が浮かぶけれど、状況から見て塞がないのではなく、塞げない何かしらの理由があると考えるのが自然だ。
しかし、それがなぜなのか解らない。
「……行かなきゃ……」
緋月様は痛みを感じているのか、顔を歪めながらよろよろと立ち上がって歩き始めた。
「緋月様、恐れ多くも申し上げますが、今の状態では明らかに劣勢。そのお怪我ではもう戦えないかと」
「いや……私が行かないといけない……」
「自殺行為です」
メフィストさんが説得しようとするけれど、緋月様は静止する手を逃れるように立ち上がった。
シャーロットさんの止血をしていた優輝さんが緋月様の前に出て、彼女を止めようと立ちはだかる。
「……あんた……酷い傷じゃないの」
「大丈夫だよ……」
両手を広げて行かせまいとする優輝さんの肩に緋月様は手を置いて、丁寧に自分の前からどかす。
触られた箇所にべったりと緋月様の血がついたのを見て、優輝さんはその血と緋月様を交互に見て、怪我をしていない方の腕を掴んだ。
「馬鹿なの!? あんた、本当に死ぬわよ!?」
「……じゃあ、死ぬ前に仕留めないとね」
「っ……!」
優輝さんは緋月様を強引に向き直させ、そして勢いよく平手打ちをした。
「パンッ」という乾いた音がする。
「ふざけんじゃないわよ」
「…………心配してくれてるんだね。ありがとう」
「はぁ!? 心配なんかしてないわよ!」
「こんなときに、お2人ともおやめください。緋月様もこんな状態で行くのは危険です」
渉さんは二人の間に入って抑制した。
「……私と優輝様が行きますので。どうかここでシャーロット様とお休みになってください」
「そうよ。今のあんたが行っても足手まといよ」
「ははは……手厳しいな」
懸命の説得に、緋月様は折れたようだった。台の上にふらりと身体を預けて、左肩の傷を押さえる。
「智春、悪いけど先にれい華とアダムを追ってくれないかな。私ももう少しきちんと止血したら行くから…………」
「はい。解りました。無理はなさらないでください」
「優輝様、私たちも参りましょう」
「解ったわ。いい? あんたはここにいるのよ?」
後ろ髪引かれながらも、大穴が空いている方へと渉さんと優輝さんと一緒に走ってアダムたちを追いかけた。
何が起こったのか渉さんと優輝さんに聞きたかったけれど、何やら思いつめたような表情をしている優輝さんたちに聞くことは出来なかった。




