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メンタル・ディスオーダー  作者: 毒の徒華
49/62

第48話 出会い




【光】


俺は自分のへやで、自分の左うでのイレズミを見つめていた。

緋月はオヤジに入れされられたこのイレズミのことについて、一度たりともふれたことはなかった。緋月は何もセンサクしてこない。ただ、俺にいばしょをくれた。


大事なさくせんかいぎだと渉に言われたが、俺は行けなかった。

緋月の顔を見るのがこわい。緋月は俺より大事なやつがいる。そんなこと、知りたくなかった。

かってな話だと思わないわけじゃない。

緋月のことぜんぶ知りたくていろいろ聞いていたのは俺なのに、緋月は俺を裏切ったりしないとかってにキタイをかけていたのかもしれない。

なのに……こんなふうになるなら知らなければよかった。


気づけは緋月に出会ってから2年だ。


――……緋月に会わなかったら……


そんなおぞましいことは考えたくない。

俺は昔のことを思い出した。




◆◆◆




【光 2年前】


そこはどこまでもインシツで、暗くて、冷たくて、うえていた。


「おい! いつまで寝てやがるんだ!」


俺は腹をけられたショウゲキで目を覚ました。目を覚ましたと同時にオエツする。冷たい石の床に俺のダエキがたれる。苦しくて息がいっしゅんできなくなっていた。


「なんだ? その目は? 俺に反抗する気なのか!?」


オヤジは俺のカミをつかんで顔を上げさせ、俺の顔をなぐった。にぶいいたみが俺の顔に走る。


「早く仕事に行け」


オヤジは俺をそう言って閉め出した。俺はていこうできなかった。いや、アレにていこうをするなんて考えすら持っていなかった。それが普通だと思っていたからだ。

オヤジは俺によくわからないことをやらせる。白いこなの入ったふくろを、それをほしがっている相手にわたすと大金をもらえるというものだ。

それがなにかわからなかったが、おそらくよくないものなのはわかっていた。それをほしがっている奴が、日に日にやせこけてビョウテキに白い粉をほしがるようになる。

俺はオヤジから渡されたそれを、いつも通りいつもの場所へ運んだ。


しかし、その日はいつもとはちがった。まち合わせ場所にはいつものやつと、マントをはおっている銀色の長いカミの女と、少し太っている男なのか女なのかわからないやつ、そしてむらさき色のからだをしたバケモノがいた。


「ん?」


銀色の女は俺に気づいてこっちを見た。赤い目が俺をイヌくようにするどく、俺は見たこともないその女とバケモノをコウゴに見た。


「あ、もしかして君が持っているのって」


銀色の女がこっちに近づいてくる。そして俺にふれようと手を伸ばしたしゅんかん、俺は良くないことをされると思い、その手をふり払った。


「さわるな!」


俺はへんな汗が出てきて、その上、息もあらくなっていた。


「……君の持っている袋、それ違法薬物だよね?」


――イホウヤクブツ?


俺は聞きなれない言葉にとまどった。


「なんだよ、それ」

「白を切るにはちょっと不利な状況だと思うんだけど。わ子、捕まえてどこの誰なのか調べてくれるかな」

「解りました」


太りギミの性別不明なやつは俺のハイゴにすばやく回り込んで、あっという間に俺のうでをひねりあげ、ひざまずかされた。


「なんだよ!? なにしやがるんだ!」


俺はあばれたが、いっこうにそれをふりほどくことはできなかった。そしてウデにチクリといういたみが走った。


「動くと針が血管を傷つけますよ」


俺の血をとって、何やら見たこともないキカイで何かをしていた。


「おい! てめぇ! なんなんだよ!?」

「何って……自覚ないの? 麻薬の売買は法律で禁止されてるって子供区にいた時に習ったでしょう?」


――マヤク? コドモク?


なんのことか俺にはわからなかった。こいつはいったい何なんだ。


「……緋月様、機械が壊れているのでしょうか……この者のデータが存在しません」

「えー? そんなわけないでしょ。じゃあこっちのやつで試してみ?」


俺から白いこなを買っていたやつからもけつえきをサイシュし、そのキカイで何かし始めた。


「こちらは1年前に1区から移動になっている、浩介こうすけさんですね。罪状は窃盗です」

「あれー? 機械壊れてないじゃん。ていうか、それ結構な額をつぎ込んでる精密機械だし壊れたら超大変だよ。じゃあ……もしかして。君、3区で生まれた子?」


なにを言っているのかわからなかった俺は、ただその女をにらみつけるしかできなかった。

銀色の女は自分のカミをぐしゃぐしゃとかき回した。


「はぁ……君のご両親はどこに住んでいるのかな? ちょっとお話しないといけないみたいだから案内してほしい」


銀色の女がめくばせすると、女男は俺からはなれてコウソクをといた。


――ふざけたまねしやがって!


俺は銀色の女に向かってなぐりかかった。


「おっと……」


女はそれをかるくよけた。

俺はなんとか当てようとするが一向に俺のコブシが当たるけはいがない。


「緋月様、拘束いたしましょうか」


『ひづき』と呼ばれた銀色の女は俺のウデをとって、そのまま自分の方へ引っぱった。顔がやけに近い。横のカミが風にゆれると、左がわのほおの部分に4本のなまなましいキズがあるのがわかった。


「おちついて。危害を加えようとしているわけじゃない」


俺はこんらんして、じょうきょうがリカイできずにいた。

考えても考えてもサイアクのけつまつしかソウゾウできない。

銀色の女は俺から手をはなして俺の顔にふれた。俺のじっとりとした汗のカンカクをかんじ取ったことだろう。俺は《《アレ》》をされると思って目をかたくとじた。

そのままジッと俺はふるえてまっていたが、その女は俺にいっこうに何もしてこない。それでも俺はおそろしくてうごけなかった。


「……もしかして……心的外傷ストレス障害(PTSD)?」


聞いたこともない言葉をその女は言った。俺には意味がわからなかった。


「…………大丈夫。怖がらないで。大丈夫だから……落ち着いて」

「はぁ……はぁ……」


俺は女の手を振り払って頭をおさえてうずくまった。


――なぐらないで、なぐらないで。いたいのはいやだ。気持ちわるいのはいやだ。いやだいやだいやだ……


「わ子、そっちの人の区間移動の手続きをお願い。アダム連れて行っていいから。私はこの子と、親の事情聴取する」

「……かしこまりました」


バケモノと2人は俺たちをのこしてどこかへ行った。その女と俺の2人きりになる。


「落ち着いて、ほら、水飲んで。大丈夫だから」


女が差し出してきた水を、俺はうばいとってのみ干した。

こんなにうまい水なんてはじめてのんだと、俺はそのとき思った。いつもにごっている水や、床にとびちった水しかのめない。腹を何度もこわしたが、それ以外にオヤジは俺に水をあたえない。


「君、顔色もすごく悪いし、怪我してる……誰にされたの?」

「うるせぇ……お前にはカンケイないだろ」

「関係なくないよ。君のこと助けたいんだ」


そんなこと、俺ははじめて言われたのであっけにとられた。

今日は初めてのことばかりだ。いつも俺を助けてくれるような人なんていなかった。いつも、いつも俺は……。


「私の事わかる? 私は『赤紙』の『緋月』。君、名前は?」


やわらかい声だった。いつも聞いているバトウするような声じゃない。


「光……」


女はやさしい笑顔を俺に向けた。


「光君、親御さんのところに連れて行ってくれない?」

「オヤゴサンってなんだ?」

「あ……えーとね、君の親のところっていえば解るかな?」

「……オヤジのことか?」

「あぁ、うん。『親父』さんのところ」

「会わねぇほうがいい……お前もなぐられるぞ」

「私は平気だよ」


女は俺に手をさしのべた。


「なんだよ……ものごいか? 俺は見たとおり何も持ってないぞ……」


女はそれを聞くと、とつぜん笑い出した。なぜか笑い出した女に俺はむしょうにむかついた。


「なに笑ってんだよ!」

「あはははは、ごめんごめん。違うよ、私の手を取って立ち上がってほしかったの。物乞いだなんて言われたの初めてだったから、ちょっと面白くて」


俺ははずかしくて顔をそむけた。

俺は外のセカイのことは何も知らない。この女がなんなのかもわからない。それでも俺に手をさしのべつづける手をとらず、俺は立ち上がった。


「ふふ、ごめんね。行こうか」


女はそう言って俺といっしょに歩き出した。




◆◆◆




俺の家に帰ってきた。

家を前にするとふるえが止まらない。


――オヤジはいまごろ……


それ以上俺は何も考えたくもなかった。


「おい……本当に入るのか?」

「親御さんいるんでしょう?」

「いるから……本当に入るのかよ……」


俺は腹のあたりをおさえた。けられた辺りだ。ほぼ毎日腹をけられる。その苦しみを思い出すと俺は吐きそうになった。


「おじゃましまーす」


女は俺が吐きそうになっていることなど意にかいしていないようで、とびらをあけて入って行ってしまった。

うすぐらいへや、へんなにおい、それをからだで感じるとますますふるえが俺をおそってくる。


「二階かな? おーい、いるんでしょう?」


女はどんどんおくへ入って行く。

俺はそのあとをついて行きたくなかった。


――この女、オヤジにひどい目にあわされる……この女はわかっていないんだ。オヤジのこわさが……


「なんだようるせぇぞ!! 誰だ!?」


オヤジははだかで出てきた。俺はそのすがたを見てきょうふで動けなくなっていた。


――ダメだ……この女も俺も殺される……


「あ……お……おまえ……は……」

「なぁに~? どうしたのぉ?」


中からはだかの女も出てきた。

俺はそれを見て気分がわるくなり、口をおさえて目をそらした。


「ひ……ひづき……さま……!?」


はだかの女はあわててへやの中に走って行った。中からはさけび声が聞こえてくる。


――なんだ? どうなってる? この女を知っているのか?


「光君、さっきの女の人は君のお母さん?」

「そんなわけねぇだろ……」

「そう」

「光ぃ!! てめぇ、どういうことだ!?」


オヤジは俺をつかもうとウデをのばした。

俺はまたかたく目を閉じる。

しかし、いつまでたってもオヤジは俺をつかまない。カミをつかまれ、引きずり回され、からだのいたるところをなぐられると思っていた俺は何がおきたのかわからなかった。

俺が目をうっすらとあけたら、女がオヤジの手をつかみあげていた。


「ねぇ、この子さぁ……国に申告してないんじゃない? よくこんな大きくなるまでかくまっていられたね」

「お、俺はしらねぇよ……俺は……そいつを拾っただけだ……」

「本当なの? 光君」

「…………わからねぇ。よく覚えてねぇよ……」

「覚えていないほど前なら、最近じゃないってことだよね? 拾ったの? それとも君の子供?」

「俺はしらねぇ! そいつが勝手に家に居ついているだけだ!」


ボキッ……


にぶい音と共にオヤジはさけびながら床にころげまわった。オヤジのヒメイを聞いた女もへやの中からけたたましい声でさけぶ。


「君も大人なら、子供ができたら国に申告しないといけないって、知らない訳じゃないよね? それにPTSDになるほど虐待をしているようだけど、そっちは言い逃れできるのかな?」


女は先ほどまで俺に向けていたやわらかい声ではなく、するどくつきささるような冷たい声だった。

俺はさむけがした。

オヤジがおびえているところなんて初めて見た。それに、オヤジのウデをかんたんに折ってしまうこの女のエタイの知れなさがおそろしかった。


「殺さないでくれ……殺さないでくれ……頼む……!!」


オヤジが女の足元にすがりつく。そのみにくさに俺はひどいケンオカンをおぼえる。


「殺しはしないけど、まぁ……妥当なところで9区へ移動かな」

「嫌だ! 9区なんて! 嫌だ!」

「……光君もそうやって嫌がったこと、あるんじゃない? ねぇ。そんなときに君はやめてあげたことがあるの?」


女は俺の方を見た。その赤い目を見て、俺はビクリとからだをふるわせた。

なんだかかなしげな顔をしているようにも見えた。


「光君、身体中傷や痣だらけだし、かなり痩せてる。食事もろくに与えてない上に、暴力をふるって、それに……この部屋の匂い、違法薬物の売買人として、何も知らない光君を使っていたんでしょう?」

「違う! 違うよな? 光……俺はそんなひどいことしてないよな?」


オヤジが急に俺にねこなで声でそう言ってくる。

俺の身体にすがるように触れてくる。

オヤジは俺にすがるような目をしていると同時に、俺をにらみ付けてもいた。この目で見た後はいつも、オヤジは俺にボウリョクをふるう。


「なぁ、光。俺は何もしてないよな? いつもいいオヤジだろ?」


今までのきおくが頭をぐちゃぐちゃにかき回す。いたみ、くるしみ、かわき、うえのすべて。


――またなぐられる……ここでオヤジのいいように言わないと、俺はまたさんざんなぐられたあと、アレをされるんだ……


俺は、キョウフにしはいされてへんじができなかった。


「光、返事をしろ! 光!!」


足首をつかむオヤジの手の力がつよくなり、俺はいたみをかんじはじめた。


「光君から手を放して」

「へへへ……緋月様……コイツ、人見知りなんですよ……」

「話は赤紙で聞くよ。この子は私が預かるから」

「そんな……俺は何もしてねぇよ!!」


オヤジは女に向かってコブシをふりあげ、おそいかかった。


「これで、公務執行妨害もつくのかな?」


ボキボキッ……


「ぎゃあああああああああっ!!!」


オヤジのもう片方の折れていないウデも折れた。

もう二度と、オヤジは俺にボウリョクをふるうことはなかった。




◆◆◆




何が何だかわからないまま、俺の家にカタクソウサクとかいうのが入って、白いこなは全部もっていかれた。

俺はどうしていいのかわからず、うろたえていた。何がおこったのかわからない。ただ、オヤジと、オヤジの女は連れていかれたということだけはわかる。

赤いふくを着たやつらにいろいろしつもんされたけど、何を言ってるのか半分もわからなかった。

俺がその場からにげようとしていたところ、銀色の女が俺に丸いものが先についてるぼうをわたしてきた。


「食べる?」

「……なんだよ、これ?」

「棒付き飴。食べたことない?」

「これ、食い物なのか?」

「あぁ……そう。食べてみて。美味しいよ」

「俺はものごいじゃねぇよ……」

「あははは、プライド高いんだね、君」


銀色の女は自分のそのアメを口にふくんで食べ始めた。よこから甘いにおいがしてきて、俺はごういんにわたされたそのアメを見つめる。

思い切ってそれを口にいれたら、今まで食ったことのないそのうまいものにおどろいた。女が持っていたのこりのアメもぜんぶ俺はうばいとる。


「おぉ……気に入った?」

「お前が返せって言っても、返さないからな」

「そのときは光君に物乞いするかな。あと“お前”じゃなくて、私は緋月。ほら、言ってみ?」


そう言って女は笑っていた。


「いいづれぇ名前……」


俺がアメをほおばっている中、初めに見た女男が戻ってきた。あのむらさき色のバケモノもいっしょだ。


「緋月様、手続きは終わりました。……その者はどうされるのですか?」

「そうだね……」


これから俺はどうなってしまうのか考えると、俺はむいしきに下を向いた。

俺はまただれかにひろわれて、またあんなことをさせられるのか。


「うーん……」


女はうつむいている俺のかおを、しゃがんでのぞき込んできた。


「ねぇ、君……良かったら私のところに来ない?」

「緋月様……?」


俺は、何を言われたのかわからなかった。ただ銀色の女は俺の方を見てほほえんでいた。

女男はその銀髪の女を心配そうな目で見ている。


「どう? 私のところで良ければ、人生やり直してみない?」




◆◆◆




【光 現在】


その時のことは今でもよく覚えている。みょうにあんしんした気持ちだった。

俺は何も知らなかった。

この国のジョウシキも、セイドも、読み書きも、人との付き合い方も。全部緋月が教えてくれた。

俺のことを大事にしてくれた初めての人だった。

だからか、何度も何度も俺がムチャクチャなことを言っては緋月を困らせ、ケンカした。でもいつも俺を許してくれた。かばってくれた。あいしてくれた。

緋月にもらった首かざりをにぎりしめ、過去にすがって自室に閉じこもっていた。

何も変わらなければいい。

ずっとこのまま続いていけばいい……。




◆◆◆




【渉】


私は緋月様と出逢って、救われた。

苦しみ続けていた私を緋月様は救ってくれた。あの優しさに、何度救われただろう。あの深い慈愛の心で、何人の人の命が救われたのだろうか。

でなければ、私も今の立場にはいられなかっただろう。

私の性同一性障害を病気としてではなく、個性として見てくれる。

両親からつけられた『渉』という名前も、別に嫌いなわけじゃない。でも、緋月様はあえて『わ子』と呼んでくれる。ちょっとおかしな呼び方だと思うことはあるけれど、それでも緋月様の気遣いを考えれば嬉しかった。

私はアダムの背中に乗って現場に向かう中、緋月様に出会った時のことを思い出した。




◆◆◆




【渉 3年前】


暗がりで男が一人、一心不乱に走っていた。

私はそれを悟られないように追いかけた。足音をなるべく消して、そして右手にはよく切れるナイフを持って。

男が脚を止めて周りの気配を探っていた時、私はその男の背後に降り立った。

その男がその音に気付いて振り返った時には、もう彼の首は深く深く切れて血の噴水を作り上げていた。

自分に返り血がつかないように素早く男から離れ、血の勢いが止まるまで少し待ち、その男の首を手際よく切断し、私は持って帰った。


「…………」


私は、無感情だった。

感情を持っていてはこんなことを続けていられない。




◆◆◆




「やっぱり君は仕事が早いし正確だね」


赤紙の制服を着た男は私に向かってそう言った。

そして私に《《相応の報酬》》である金を渡してきた。

10万円だ。


――1人の命がたったこれだけか


「また頼むよ。渉君」

「…………」

「ところで、知ってるかな? 男性っていうのは死ぬ間際に勃起したり射精したりするらしいよ?」

「だから、なんだと言うのですか」

「君も、そうなる。《《男だから》》ね」

「!」


赤紙の男は金を私に投げるように渡すと、暗闇に消えていった。私はその金を握りしめてその男の背中を睨んだ。

「殺したい」とはっきりとそう殺意を抱く。

私なら殺せる。


――しかし……


私の命をしてまで殺す価値のある人間だろうか?


私は10万円の束を強く握った。


――こんなお金……別にほしくない。私は……静かに暮らしたいだけなのに……


ジャリ……


背後から物音が聞こえた。何の気配もなかったのに、急に音が聞こえて私は驚き、勢いよく振り返った。

すると、月明かりに照らされた長い銀髪の顔に傷がある女性が立っていた。


「見つかっちゃった」


私は息をするのも忘れて彼女を見た。

この国で知らない者などおそらくいないだろう。

赤紙の最高指揮官――――緋月様だ。


「ねぇ、君。ゆうに弱みとか握られているんじゃない? 渉君でしょう?」


私は驚いた。

問われている内容にも、彼女が私の名前を知っているということも。


「そ……それは……」

「あぁ、やっぱりね。はぁ……」


緋月様は髪の毛をかき上げて視線をそらした。暗い中、赤い瞳が怪しく光る。


「最近、悠の動きが怪しいって思って監視してたんだよね。赤紙ともあろうものが嘱託殺人なんて……許されない。君、それとも喜んで協力してる?」


緋月様はそう、真面目な顔をして言った。

私は言いたくなかった。「気持ち悪い」って言われるから。


「こんなこと、もうしたくないです……」

「そう。それで、どんな弱みを握られてるのかな?」


私が言うのを渋っていると、それでも彼女は急かしたりせずに待っていた。しばらく待っていたけれど、私が言い出せずにいると緋月様は手を軽く左右に手を振りながら言う。


「ごめんね、話したくないこともあるよね。いいよ、無理しなくて」


その優しい言葉に、なんとか答えようと私は声を絞り出した。


「…………私……男なのに……男じゃないというか……」

「うん」


無償の優しい声。

けして私を卑下したりしていない自然な声だった。


「男であることに違和感があって……女の子の服を着てみたところを……運悪く写真にとられて……“俺のいう事を聞かないと、この写真をばらまくぞ”って……」


たったそれだけのことだ。

だけど、そのたったそれだけのことが私の一生を左右するほどの問題だった。

私はおかしいんだ。私は普通じゃない。


――私は、私は……――


「そうなんだね。君は女の子だったんだ。渉君というか……渉ちゃん? んー『わ子』っていうのはどう? ちょっと変かな? 古い?」


緋月様はそういって笑顔を向けてくれた。

突飛な話だったので、私は唖然とする。


「え……?」

「もう大丈夫。私が悠に償わせるから」


そう言って彼女は悠の後を追おうとした。


「ちょ……ちょっと待ってください!」

「なに?」

「なにって……私のこと、殺さないんですか? それに、私……女の子じゃ……」

「あぁ、だって悠に脅されていたんでしょ。もし、わ子がね、お金欲しさとか、殺すことへの快楽を求めてやっているんだとしたら、そうすべきかもしれない。でも、君は違う。それに……殺す相手が苦しまないように考えてナイフを振るっているでしょう」


国の最上位者なのになんて甘い人なんだろう。

私はそう思った。


「それに、男であることに違和感があるっていうのなら、君は女の子なんだと思うよ。それに赤紙の区代表には君と同じ感覚を持った人がいる。別におかしいとは思わないけどな」


私はその時、初めて自分の中でずっと胸をひっかいていた感情が消えた。許された気がした。

受け入れてくれる人がいるなんて、私は知らなかった。


「君、子供01区の最優秀者だった子でしょう。頭脳明晰で、尚且つ武道の感覚も素晴らしいし。殺人に目覚めたんじゃなくてよかった」


緋月様はマントの下から漆黒の翼を広げた。


「一緒に来る? 悠を捕まえるんだけど」

「え……でも、私……」


私はどうやってついていけばいいのか解らなかった。


「あぁ、私が抱えるからいいよ」


拒否をする間もなく、緋月様は私の身体を片手で軽々と抱き上げた。


「お、重いですから!」

「え? そう? 私にはあんまりそう感じないけど」


そして私を抱きかかえて緋月様は飛んだ。

あの時のことは今でも鮮明に覚えている。初めて空を飛んだ日。夜空の星が近く感じた。空の寒さを知った。雲に手が届きそうだった。

月明かりに照らされた緋月様の長い銀色の髪が美しく、光を反射してまぶしいほどだった。

そんな夢のような時間はすぐに終わり、緋月様は地上に降りた。

そう、悠の前に。


「ひ……緋月様!」


悠はわざとらしく敬礼して見せる。私と緋月様を交互にちらちら見て、明らかに動揺しているのが解った。


「悠、この子に自分が何をしたのか、解るよね?」

「さ……さぁ、一体何のことでしょうか?」

「とぼけないでいいよ。この子に殺しの依頼をするところから全部見てたから」


悠は途端に口を閉ざして焦りだした。震えながら自分のズボンをギュッと握りしめている。


「赤紙が法に抵触することをしたら……どうなるか、入るときにしっかり勉強したから覚えているよね?」


緋月様の身体から赤く、先端の鋭い触手が伸びる。


――これが『血の裁量』……


「ひっ……緋月様……! どうかお慈悲を! 私が悪かったですから!!」


悠は緋月様に土下座して謝った。

なんて吐き気のする光景だろう。私を散々脅していた男がこうも簡単にひれ伏す姿は醜悪以外の何物でもなかった。


「聞くところによると、この子の写真を撮ってそれをネタに脅していたとか?」

「申し訳ございません! 緋月様! どうか! どうか命だけは!」

「あぁ、そう」


緋月様は悠の胸ぐらをつかみあげて無理やり立たせた。


「ねぇ、この子が『やめて』って言ったとき、君はそれに応えてあげたの?」


悠は絶望した顔をしていた。そして緋月様の持っている剣の煌めきを目で追う。


「自分がされて嫌なことは、人にしたらいけないって教わったよね?」

「緋月様……! 許してください……!」

「第三者委員会との協議の上決めるけど……おそらく処刑だね」

「そんな……!」

「それに、許しを乞う相手を間違えてるんじゃない?」


悠は緋月様を凝視していたが、私の方に視線をうつした。

涙を流して顔をぐしゃぐしゃにしながら私の方へ這いずってやってくる。完全に腰が抜けてしまっているらしい。


「渉……許してくれ……写真も処分するし、言った酷いことも撤回する……だから処刑だけは……」


あまりの醜さに、私は堪え切れずに視線を逸らした。


「………………」


黙って私は後ずさった。


「渉……」

「悠、一緒に来てもらうよ」


緋月様は血の裁量で悠の身体を巻き取った。喚き散らしているけれど、緋月様は全く意に介していない様子だった。

私の方に緋月様は改めて向き直る。


「君のことは殺さないよ。ただ、今回は赤紙の落ち度だったとはいえ、君は人殺しに手を染めた。だから――――」


区間移動だろうか。

私はどこの区へ行くのだろう。8区か。それとも地獄と謳われる9区か。

あるいは処刑待ちの10区か……。


「私のところで働かない?」


予想外の返答に私は目を見開いて緋月様を見た。


「私がですか……? でも……」


人殺しは極刑のはず……いくら私が強いられていたからとはいえ……。


「あぁ、まぁ……じゃあ、あれだよ。保護観察的な? そんな名目なら納得してくれるかな?」


緋月様は笑って私の方を見た。

その笑顔は他の何にも代えられない、かけがえのない大切な私の思い出だ。




◆◆◆




【渉 現在】


私は自分の性別が男であることに酷く違和感を覚えていた。

しかし周りはそれを解ってはくれない。気味悪がられるだけだ。

だからずっとずっと隠してきた。知られたら、私はもう死ぬというほどの覚悟すらあった。でも、緋月様は私のことをいとも簡単に受け入れてくれた。

気持ち悪くないのか、本当は軽蔑しているのではないか。そう尋ねたこともあった。

そのとき、私はこう言われた。


「なんで? 別に病気だって私は思わないよ。そんなの一人ひとりの個性みたいなものでしょ?」


まるで、私が今まで気にしていたことすら、何もかもあっさりと覆された気分だった。そんなことを気にしていた私が馬鹿みたいだとすら思った。


「私なんか病気っていうかもう、人間じゃないからね。自分がこういう立場にいるからか、よほどのことでも何も思わないけれど」


誰よりも優しくて、誰よりも人のために尽くしているのに。

私は彼女の言う理想の国を作りたい。

優しい者が平和に暮らせる国。

争いなど起きない国。

だから私は緋月様に仕えることにした。私は緋月様の期待に応えられるように努力した。


――それを脅かす悪魔なんて排除してやる……


私は前を飛ぶ緋月様を見て、夕日の光を受けながら、決意を抱いた。




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