第44話 恋人
【緋月】
イヴに注射器を刺されてから約5時間。
随分動けるようになって、私は誰も入れなかった研究室に全員連れてきた。そこにはメフィストとシャーロットがいる。
私にとってはいつもの研究室だ。一番奥の厳重に閉ざされた扉を開く。ここに人を入れたのは初めてだ。
「緋月……どうされたんですか? ここには誰も入れなかったのに……」
シャーロットが不思議そうに私に尋ねてくる。メフィストも少し驚いたようで大きな目を見開いて私の方を見ていた。というよりも、互いに驚いて見つめ合っていた。
「おいおい緋月、可愛い助手をなんで俺に紹介してくれねぇんだよ?」
葉太が皆を押しのけてシャーロットに近づくと、彼女は怯えたようにメフィストの後ろへ隠れた。メフィストを見た葉太は1歩後ずさる。
「うわっ、なんだこいつ……?」
「彼はメフィスト。彼女はシャーロット。2人とも私の研究助手」
「へぇ……もうアダムで見慣れてるけどな……そっちの可愛い子を俺に紹介しろよ」
こんなときでも余念しかない葉太には苦笑いをする他なかった。
「そうだな……ざっくり言うと、彼女は1000年以上生きている魔女なんだよ。すごいでしょ?」
「は? お前何言ってんの? 魔女? そんなのいるわけないだろ?」
「シャーロット、そこの顔が腫れている人の治癒をお願いしてもいいかな。園、前に出てきて」
「はい」
シャーロットは顔が腫れている園の顔に手を当て、魔術式を展開した。すると、園の腫れていた顔はみるみるうちに腫れが引き、元の顔に戻る。
「彼女は治癒魔術が得意な魔女なんだ。信じてくれたかな?」
全員が唖然としてシャーロットの方を見ていた。突然のことに状況を上手く呑み込めないのは当然だ。私も初めは信じられない気持ちだった。
「信じられない……1000年を生きる魔女……? こんなに若そうに見えるのに……」
「魔女はこちらの世界では私しかいないですけれど、別の世界にはいるんですよ」
「なんだか、ファンタジーな話すぎてついていけないですけど……」
佳佑や蓮一、妃澄、達美もいぶかし気な表情を浮かべていた。
「私は……シャーロットと言います。六翼の天使の教会をずっと守っている司祭なんですけど……今は訳があってここで研究のお手伝いをしています」
「こっちの粗暴な連中は区代表と王の者たち」
「お見知りおきを」
「“粗暴な”は余計だ」
互いにざっくりと自己紹介が終わった時点で、私は部屋の一番奥の台に乗せられている人物の元へ足を運んだ。
その台の上に横たえられていた人物を見て、全員が驚きの声をあげる。
「……智春さん……生きてるのですか……? あのとき亡くなったのでは……」
「彼は生きているよ」
「致命傷だったのに……とても助かるようには見えませんでしたけど……」
「そうだぜ。あのときもう死んだと思ったぜ。それもその……マジョがやったのか? すげーな。あんなにボロボロだったのに」
私は研究室の中の実験台の上に寝かせていた智春君の身体の状態を見た。
傷が完全に塞がっているし、呼吸なども安定している。
「安定しております緋月様。いかがでしょう? 起こしてみては」
「メフィスト、シャーロット、本当にありがとう」
横になって病衣を着ている智春を見つめた。私が連れていったからこんなことになってしまったと何度も後悔した。
――こんなことになってしまって……ごめん、智春
彼のまだあどけない顔を見つめながら、私は彼に呼びかけた。
「智春、起きて」
私が智春をゆすると、彼の指先が動いた。
智春は目を開けた。すると、ゆっくりと私の方を向いたが、目がうつろでどこを見ているのか解らない様子だった。
「……気分はどう?」
「信じられない……完全に心臓を貫かれていたのに生きているなんて……」
「…………渉さん……夢じゃない……?」
「何を寝ぼけてやがる? 夢じゃねえよクソガキ」
すると智春君は私の方を見て、目を大きく見開いた。
「あれ……僕、あの時死んだんじゃ……」
どうやら、自分の身に何が起こったのか覚えていないらしい。無理もない。本当に致命傷だったのだから。
超常的な何かがなければ助かる見込みはなかった。
「君は……生きているよ。ほら、胸の傷も綺麗に塞がってるでしょ?」
「あ……本当ですね……でも、何があったんですか?」
「……君は……すぐに治療をしても助からないほどの致命傷を受けていたんだ」
「じゃあ……ここは天国……ですか?」
「ははは、そうじゃないよ。君はね――――」
私は一瞬目を逸らしたが、すぐに智春の方を見た。
「悪魔細胞を取り込んでしまったんだ」
「……え……僕が……?」
この先の彼の苦難を考えると、私は胸が痛くなった。
◆◆◆
【智春 5時間前】
緋月様が必死に僕の血まみれの身体を抑えて、語りかけているけれど、その声はよく聞こえなかった。
よく聞こえないけれど、声だけはぼんやりと聞こえる。
「僕に適合を……」
声を振り絞り、僕は緋月様にそう言った。
「何言っ……――る……! 君は……解っ――……い!」
緋月様の声がよく聞こえない。
でもここで死んだら、緋月様に何の恩返しもできないままになってしまう。僕はこんなところで死にたくない。
「早く……」
僕の意識が遠ざかる。
――もう……駄目か……ここで死ぬのか……
僕にアダムが近づいてきたのがうっすら見えた。アダムに必死に手を伸ばし、あの空虚な目を見た。
――もう……目を開けていられない……
僕が目を閉じたあとに、手に冷たい感触がした。
「ともはる、いいの?」
――アダムの声……?
いつものアダムの口調よりもやけに流暢に聞こえた。
「ひづきとおなじになるよ。しねないくるしみはそうぞうよりずっとくるしいよ? それでもいいの?」
――構わない……僕は雪尋と緋月様を助けたい……
「……わかった」
そして僕は悪魔細胞と適合し、人間をやめた。
◆◆◆
【智春 現在】
「…………」
まだ実感はわかない。
ただ、以前よりも僕は落ち着いていた。何があっても死なない身体になったからだろうか。
小さい人間ではない者や、見たことのない髪の白い女性もいるけれど、僕は誰なのか解らなかったけれど、ここにいる区代表たちが何も言わないことを考えれば、部外者ではないのだろう。
「智春君が起きたところで、事のあらましを全部話すよ。私の身体がもう少し動くようになるまでの間……智春君は聞いていてよくわからない部分があると思うけど、あとで補填するからとりあえず聞いていて」
「はい、解りました」
緋月様は胸に手を当てて深呼吸し、そしてゆっくりと話し始めた。
「私が生まれてきてない時点から話すけど……私の祖父に当たる人物が、アダムの一族を見つけたんだ。アダムの一族はもっとたくさんいたんだよ」
そんな記録は歴史の教科書には残っていない。きっと秘密裏に管理されている記録なのだろう。
「そのアダムの一族の謎の生き物……今は『悪魔』って呼ばれてるけど、その住処は硬く閉ざされていたらしい。でも興味本位で人間が開けてしまったんだ。最初は悪魔を飼いならしたり、実験に使おうとか思っていたみたいだけど、悪魔は瞬く間に人間を食いつくし始めた。人間という生き物は昔、もっとたくさんいたみたいだけど、今ではこの国にいる人たちだけ……悪魔に喰われ、そして戦いの中で何億人も死んでいった」
突拍子もない話に、僕らは目を見開いてただ驚くことしかできなかった。
その中、白い髪の女性が口を開く。
「正確に言うのなら、彼らは『魔族』。今は異界に生きる者です。しかし、この者たちはその特有の凶暴性から魔女や他の魔族たちからも嫌厭され、大昔に封じられていました。ですが、時が立ち封印の魔術が衰えてついに消え、洞窟を塞いでいた岩を人間たちが壊し、彼らを解放してしまったのです」
――魔女? 魔族……?
突飛な言葉が出てきて怪訝に思うが、いつも強い口調で言う達美さんが何も言わないところを見ると、どうやら真面目な話らしい。
「……で、悪魔たちは個体を増やすでもなく、ただひたすらに食欲を満たすことしか考えていなかった。個体としては10にも満たなかったにも関わらず、人類を絶滅させるほどに捕食していった。食べる度に賢く、巨大な生き物になって、人類は滅びるかと思われた。でも人間は核爆弾や、ミサイルなどあらゆる武器を使ってやっとの思いで悪魔たちをついに討ち滅ぼした。しかしその弊害で大地、海、大気は汚れて人間が住める場所は狭くなって行った」
学校ではそんなことは教えてくれなかった。国の外に行くことは固く禁止されていたし、一度国の外に出たら二度と戻っては来られないようになっている。船を使って外に出た者は中に入れてもらえない。
だからときどき出て行く人もいたけれど、ほとんど出て行く人はいない。年に1人いるかいないか程度だ。
「皆殺しにしたってことか? でもアダムはいるじゃねぇか」
「そう、ここからが最大の過ちだったんだけど……」
緋月様はうつろな目でアダムを見る。
「私の祖父が、その生き物の細胞を研究用に持ち帰ったのが、この悲劇の始まりだった。祖父は研究に没頭したようで、祖父の記録を見ると膨大なデータが残っていた。どうやらその細胞を培養して色々な栄養を与えていたらしく、途中からその細胞が生き物の形となり、人間の言葉を話し始めたらしい」
僕らの何人かはアダムと、そしてそのとなりにいるもう一匹に視線を注いだ。
「自在にその姿を変える細胞を、祖父は『悪魔細胞』と名付けた。祖父は細胞を初期段階で二つに分離させた。母体核の名前が『アダム』、分離させた方が『イヴ』という名前で記録がついている」
「じゃあその『アダム』が、今のアダムだってのか?」
「そうだよ。アダムって名前は、その昔栄えていた『神』という概念を崇拝する為に作られていた『宗教』っていうものの中に出てくる神話で、最初の人間の名前がアダムって名前だったんだけど、そこからとっているみたい。イヴっていうのはアダムの伴侶であり、アダムの肋骨から作られた存在として神話に出てくる」
神話の内容は解らないけれど、大昔にそういう宗教があったのだろう。黒旗が水鳥麗を崇拝しているような感覚なのかもしれない。
「まぁ、神がどうとかって話はあとでしてあげるから、今は疑問に思わないで。それで……祖父は分離させたイヴを成長させた。イヴは日に日に賢くなり、人間の言葉が解るようになった。最終的な知能指数は人間の平均以上にまでなるようになったらしい。私の母がそれを見て危険を感じて中止するように言ったらしいけれど、聞く耳を持たなかった」
ほぼ全員がアダムを見るが、アダムは首をかしげている。
「動物を使った実験で、その悪魔細胞を培養して移植すると、たちまち組織の回復が見られたり、まれに一度死んだ動物も生き返ったりしたって記録も残ってる……。これが成功すれば不老不死という人間の悲願が叶うと祖父は意気込んでいたみたい。確かに不老不死は実現したよ。昔の人間が夢見たほどいいものではないけどね」
緋月様は暗い顔をした。下を向いて視線を泳がせる。
「そしてある日事件は起こった。祖父はイヴが強い力を持ってフラスコから出ない様に、最低限の栄養しか与えていなかったんだけど、まだ小さかった私の兄がイブがフラスコから出る力を得るのに相当するエサを与えてしまった。イヴはフラスコから出て私の兄を宿主として身体を乗っ取った」
――教会にいた時に見た緋月様に似ていると感じたあの男性……あれは緋月様のお兄さんだったのか……
今、現状がどうなっているのか詳細は解らないけれど、おそらく黒旗本拠地で見たあの得体のしれない者についての話だということだけは解る。
「それを見つけた私の母と祖父はイヴを殺せなかった。兄の姿をしたイヴに手が出せなかったのかもね。祖父はイヴのとりついた兄に殺され、母も重傷を負った。それからの数日、イヴに乗っ取られた兄は人間を食べ続けた。止めようとしたけれど、絶対的な力の前になす術もなく、毎日毎日イヴに食われた人間の死体が積み上げられていった」
母さんが読んでくれた絵本の悪魔を思い出した。
そんなグロテスクな描写はなかったが、現実と子供向けの絵本では全く違うのだろう。そして今聞いているのが現実だ。
緋月様は暗い顔をしたまま話を続ける。
「私の母は一命をとりとめたものの兄を失って正気を失い、生後半年程の私にアダムからとった悪魔細胞の適合実験を行った。イヴに勝つにはあれと同じものでないと対抗できないと思ったんだろうね。私は適合の素質はあったみたいだけど、中々適合しなかったみたいで、何度も拒否反応を示して死にかけたらしい。まぁ、実験用の小動物と人間じゃ、細胞の数が全然違うし、今ならわかるけど当然と言えば当然かな」
軽い感じで話す緋月様とは他所に、その場の空気は張りつめていた。薫さんですら笑っていない。唯一笑っているのは園さんだけだ。
「……そして繰り返し拒否反応を示しながらもようやく私は適合したらしい。それでも不安定で、暴走したりした。私の部屋付近のあの傷痕は私が暴れてついた傷だよ」
あのアダムが暴れた跡だと思っていたので、僕は驚いた。誰しもがアダムが暴れた跡だと思っていただろう。
「生後半年程度の赤ん坊だったはずなのに、身体は急成長して6歳程度になった。知能も格段に上がって、赤ん坊時代を飛び越えて成長したというか。当時の私は何が何だか解らなかったけれど、そのイヴを殺す様にあらゆる人間に命令されて戦った。何度も何度も致命傷の傷を負ったけど悪魔細胞は私を死なせなかった。怖かったし痛かったし苦しかったのは覚えているけど、私は戦うしかなかった」
時折、小さなため息を漏らしながら緋月様は話し続ける。
「その戦いが何度も何度も繰り返され、遂にイヴに動けなくなるほどの傷を負わせた。戦い始めて一か月くらいだったかな。私の身体は6歳程度から10歳程度まで成長していた。兄の方も私の2つ上だったのに私と同じで身体だけ20歳程度まで成長していた。その時はまだ兄の意識が残っていて、私は情からか、とどめをさせなかった」
辛そうな緋月様の表情を見て、僕は胸が締め付けられるようだった。僕だけじゃない、渉さんは口元をおさえて懸命に涙を堪えている。
「そんな兄を殺したらいけない気がしたんだ。私は兄を殺せなかった。だから取り逃がした。あの時殺しておけば良かったって今でも思うよ。そうすれば今こんなことになってないからさ」
渉さんは何か言いたげだったけれど、緋月様の話を遮らないように言葉を飲み込んでいた。
「それから……イヴは隠れ、全然見つからなくなってしまった。だから人が殺されたり、失踪したりした事件は徹底的に洗うことになったんだ。そうして母を筆頭に『赤紙』という組織が結成された。イヴが人間を襲い始めるまでは国の法律が生きていたんだけど、戦いの当初に国の中心人物はイヴに殺されて結構穴があいて、更に悪を取り締まる役割の人たちも、みんなイヴに向かって行って殺された。ただでさえ少なくなった人口がさらに減って行ったんだ」
――……もう二度と、過ちを犯すわけにはいかないんだ。1つでもミスをしたら今度こそ人類は滅びる
そう緋月様が言っていたのを思い出した。
いつも張りつめた気持ちで緋月様は生活していたのだろうと思うと、なんと声をかけていいのか解らなくなってしまう。
僕らが生まれていない昔から、人類の未来を背負って成長してきたその宿命を呪っただろう。
「母は完全に正気を失っていた。自分にも悪魔細胞を無理やりとりこんで、最前線で戦っていた。でも、適合者じゃなかった母は、悪魔細胞の拒否反応で身体と精神をむしばまれていったし、私みたいに傷の再生も完璧じゃなかった。どんどん母は人間の形ではなくなっていった。そしてその状態で20年戦って、そして遂に謎の生き物になり果てた」
「このメフィストが僭越ながら補足いたしますと、ラファエルの御仁たちは注射で悪魔細胞の制御を行っておりますので、安定しております」
渉さんはもう堪え切れなくなったのか、涙を懸命に拭いながら泣いていた。それを蓮一さんが肩を抱き、慰める。
「……ははは、この話だけでそんなに泣かれたら別の話できないじゃないか。泣くなって、わ子。ありがとう」
「な……なぜ笑っていられるんですか……なんでそんな……そんな……! あなたは……」
「私のことなのに、自分のことみたいに真剣になってくれてありがとう」
「あなたという人は……っ……」
渉さんの泣いている姿を見て、緋月様は微笑みながらも困っているような表情をした。
「でも……私が兄を……イヴを追いかけているのは、危険だからって理由だけじゃない。別の怨みがあるんだ」
緋月様は光さんから離れると、大きな布のかかっている水槽の布を掴んで、それを引っ張りバサリと外した。
「こ……これは……」
中には七色に色の変わる液体の中に、病人が着るような白い病衣を纏った男性が一人入っていた。歳は20歳前後だろうか。整った顔立ちでまるで人形のようにも見える。
肩まで程度の長い髪が液体の中で無作為に漂っている。肌は青白く、目を閉じてまるで眠っているかのように見えた。
腹部には大きな傷痕があり、綺麗に縫合されている。
「なんだよ……こいつ」
光さんの問いに対して、緋月様はかなり言うのを躊躇って、そして言った。
「…………私の恋人だよ」




