第42話 大丈夫だよ、レイ
教祖の接見の間に入った瞬間に嗅いだことのないような匂いがして、僕は頭がクラクラした。
――なんだこの匂い……以前入ったときも独特の匂いがしたけど……
意識が朦朧としてくる。一番奥にカーテンで閉じられた中に人影が見えた。おそらく黒旗の教祖だろう。微動だにせず、そこに座っている。
「赤紙の緋月だ。随分派手なことしてくれたね。これは10区へ移動させる他ない。おとなしく連行され――――」
ガキンッ!
物陰から男が勢いよく緋月様へ向かって行ったが、緋月様の血の裁量にはじかれ倒れた。
「ちっ……!」
僕はその男を見て驚いた。長い髪をポニーテールでまとめた男は、僕の弟の雪尋だった。
雪尋が持っていたと思われる複数の注射器が床の上に散らばる。
「雪!」
弟はその散らばった注射器を必死に拾おうとするが、緋月様が弟を弾き飛ばした為にそれは叶わなかった。雪は壁に背中をうちつけ、うめき声を出す。
僕は駆け寄って雪を抱き起そうとしたが、緋月様の血の裁量に阻まれて止められた。
「ここは戦場だよ。自分の身のことを考えなさい」
緋月様が僕を血の裁量で動きを封じられている中、僕は緋月様の方を見た。離してくださいと抗議しようとした瞬間、そこで僕は目を疑った。
園さんが後ろから緋月様に向かって、散らばった注射器を拾い上げ、刺そうとしていたからだ。
「緋月様あぶな――――」
僕が言い終わる前に園さんが真っすぐにその腕を振り下ろした。
しかし園さんの手に持たれた注射器は、緋月様の首にあと一センチで到達するかしないかというところで止まった。
緋月様の血の裁量で園さんは腕を止められていたからだ。
「おや、あなたにしては珍しい。防御するなんて」
「園、どういうつもりか知らないけど、ふざけないで」
「ふふふ、ごめんなさい。興味本位でして」
緋月様は園さんから注射器を奪い取った。
――ふざけている? 緋月様を攻撃しようとして、ふざけているで済まされるのか?
尚も園さんは緋月様に対してねっとりと絡みつくように接触しようとする。
「ふざけないでって言ってるでしょ?」
「ふざけてませんよ。ただ、あなたに興味があるだけです」
不敵な笑みを浮かべて、緋月様の肩に手をかける。鬱陶しそうに緋月様は園さんから離れた。
――……やっぱりこの人……普通じゃない
「改めて教祖に告げる。おとなしく連行されなさい」
園さんの手を振りほどき、緋月様が教祖に一歩ずつ歩み寄って行く。
「雉夫……様……!」
雪尋は身体を起こそうとするが、痛みで動けない様子だった。それでも必死に身体を動かそうとしてもがいている。
そのとき「バァン!」と扉を開ける大きな音が、香がむせ返る部屋の中響いた。
「緋月! 無事か!?」
扉を蹴破るように入ってきたのは光さんだった。新手の黒旗かと思われたが、光さんだったので僕は心なしかホッとする。光さんは相当息が荒く、髪の毛もかなり乱れていた。
「大丈夫だよ、レイ」
緋月様は光さんの方を見ずに返事をした。
「どうなってんだ? なんだよその注射器」
光さんはおもむろに、落ちている注射器に近づいてそれを一本拾い上げた。
「恐らく黒旗が開発していた神経毒が入っているんじゃない? 智春君と来るときに報告書読んだでしょ?」
「あぁ、読んだ。『その液体らしきものを持ち帰り調べたところ、神経毒の一種であることが判明した。引き続き精査を進める』ってやつだろ? なんだってこんなもんを……」
そして、光さんは緋月様に近づいて抱きしめた。相当緋月様が心配だったのだろう。強く緋月様を抱きしめていた。
「そんなに心配してくれたんだ。レイ」
「当たり前だろ? こんな状況で心配しねぇわけがねぇだろ。お前が無事で本当によかっ――――」
教祖のいるカーテンの方から、突然鋭くとがった紫色の柱のようなものが飛んできて、光さんの身体を幾重にも貫いた。間髪入れずに緋月様は、光さんの身体に注射器を突き立てて中身の液体を注入する。
「光さんっ!」
僕は理解できずに呆然とした。緋月様の表情は髪の毛で隠れて見えない。
教祖のいる方向から何か大きなものが動く気配を感じた。僕が目をやると、出てきたのは教祖ではなくアダムだった。紫色の柱はアダムから出ていた。
「ひづき……おそい……」
「ごめんごめん、アダム。お待たせ」
――なんだ……どうなっているんだ……?
のんびりとした口調で話しているうちに、光さんは酷く苦しんでいた。
「ガハァッ……!」
光さんは苦しげにうめき声をあげる。貫かれている部分から血が噴き出していて、そのおぞましい様子からは助かる気配はなかった。
「緋月様!? どうして……! 光さんですよ!?」
僕が訪ねても緋月様はその問いに答えてくれない。黙ったままずっと光さんの苦しんでいる様子を見ている。
園さんもこれにはさすがに驚いたようで身構えていた。少し後ずさって緋月様から距離を取る。
「雉夫様……! お前! 雉夫様をどうしたんだよ!? まさか……食ったのか? ついに悪魔の本性を見せたのかよ!?」
雪尋がなんとか立ち上がり、緋月様に怒号を浴びせる。僕もそう思って震えすらした。あんなに仲が良かった光さんを無残に殺そうとしている。いや、もう致命傷だ。
――どうしてこんなこと……!
その問いに緋月様はできるだけ静かに、朗々と答えた。
「君たちはレイを知らな過ぎる」
「何を言ってるんですか緋月様!?」
僕も声を荒げると、緋月様は笑い出した。その笑い声は不気味なこの部屋にこだまして良く響いた。僕は恐れおののいて身じろぎする。
園さんは初めは驚いていたものの、この状況にすぐさま慣れたようでいつもの不敵な笑みを浮かべていた。
「はははははは……ふふ。くくく……」
緋月様は笑いを堪えるように口元を押さえた。
「ふふふ……レイはね」
その言葉に続いた言葉に、その場にいた全員が言葉を失った。
「難しい文字が読めないんだよ」
「え……?」
それが今、何の関係があるのだろうかと刹那思ったけれど、すぐに僕は先ほどの光さんと緋月様の会話を思い出した。
――あぁ、読んだ。『その液体らしきものを持ち帰り調べたところ、神経毒の一種であることが判明した。引き続き精査を進める』ってやつだろ? ――
「“精査を進める”なんてレイは読めないの。それに、そんな細かく内容を覚えてるわけない。《《コレ》》はレイじゃないの」
それと同時に、光さんの今までの会話を思い出した。
――かったるい。お前が簡単に俺に教えろ――
あれは難しい文字が読めないから僕に内容を教えるように言ったからだったのか。
園さんから3区で育ったと聞いた。保護されたのも最近だと。
僕の中でつじつまが合っていく。
だとしたら、今目の前にいる『文字の読める光さん』はいったい誰なのだろうか……。
「調査に行くときに智春君に読むようにすぐ押し付けたでしょ。それはレイが字が読めないって知られたくないからだよ。それに、この状況でレイは注射器なんか目に入らない。真っ先に私の方に走ってきて園を突き飛ばすはずなんだよ。だからこいつは……――――」
緋月様はその光さんではないと言った光さんの身体を、自身の血の裁量で何か所も何か所も貫いた。その度に鮮血が飛び散る。
「がぁああああああっ!!!」
「レイの姿やめてくれない? 不愉快だよ。イヴ」
――イヴ?
イヴと呼ばれたソレは、緋月様が突き刺すたびに徐々に身体が光さんから違う男性の姿になっていった。白髪で、目は緋月様と同じく赤く、そして顔が緋月様にどことなく似ている二十歳くらいの男性。
「探したよ。やっと見つけた。やっぱりお前は馬鹿な悪魔だ。私を怒らせたんだから」
――悪魔? アダムと同じってこと……?
緋月様は自分の血液を剣に替えて、イヴと呼ばれたそいつに突き立てて腕を切断した。
「あぁあああああああああああああああ!!!」
「楽には死なせない……」
緋月様が今まで見たこともないほどの険しい形相で次々にソレの四肢を切断していく。そのたびにソレは悲鳴をあげた。まるで断末魔のような耳をつんざく金切り声だった。
雪尋はよろよろと僕の元へ歩いてきて、僕と同じく剣を振るう緋月様を見ていた。
「兄貴……これ、どうなってんだよ……訳がわからねぇよ……」
「僕にもどうなっているのか解らない……」
雪尋は僕から離れてアダムに向かって行った。アダムの身体をバンバン叩きながら
「雉夫様はどこにやったんだよ!? 殺したのか!?」
とアダムに必死に訴えかける。
ゆっくりとアダムは雪尋の方を見た。
「じお……ぼくと……ひづき……だよ」
雪尋と僕はポカンとしてアダムの顔を見つめ返した。数秒経ち、何を言っているのか解らなかった僕と雪尋は頭の中が更に混乱していた。
「どういうことだよ……」
「こっきは……ひづきがつくった……あいつをつかまえるため……すがたをかえてた……」
突然の話で何の理解もできないまま、その残響する叫び声の中、緋月様がついにイヴの首元に剣を突き立てた。
「意外とあっけなかったね。自分で作った毒で死ぬなんて、間抜けな悪魔としてこの国全土に語り継いでやる!」
ドンッ……
緋月様の剣はイヴの首を切断した。赤い血が大量に流れ出て血だまりを作り、その血だまりの中にゴロリと生首が転がる。
「はぁ……終わった……かな……アダム」
「ひづき…………よかったね」
緋月様は自分の血液でできた剣を手から放して、アダムの方へ歩いて行った。そしてアダムを抱きしめる。
雪尋も僕も、園さんもその光景を唖然として見つめていた。
「つかれた……? かえる……?」
「うん……帰りたい」
緋月様は脱力しきったようで、アダムに深くもたれかかる。そんな緋月様をアダムは自分の身体から形成したいくつもの腕で緋月様を抱きしめた。
雪尋は納得できない様子で緋月様に向かっていった。そして緋月様の胸ぐらをつかみあげる。
「おい! 雉夫様はどこにやったんだよ!?」
「……雉夫は私だよ」
「はぁ!? 何訳わかんねぇ事言ってんだよ! ふざけんな!」
緋月様は、けだるげに雪尋の方を向いた。
「……雪尋……お前には荷が重いか?」
しわがれた男の声が緋月様の喉から響いてきた。雪尋は驚いた顔をして緋月様の服を掴んでいた手を離した。
「黒旗は私が雉夫として作った組織だよ」
現実が受け止められない雪尋は、首を横に小刻みに振りながら後ずさる。
「……君に、助けてあげられなかったことに対して謝ったのは、私の本心だよ。その赤紙の人間の対応はよくなかったと思う……言い訳されても、謝罪されても君は納得しないだろう。大事な人を失ったんだから。やり場のない怒りがあるのは解る」
「嘘だ……俺は……黒旗で……雉夫様は………」
「…………私は悪を積むのではなく、悪を生まない正義を目指している。君の父さんはいい例だ。食い止めることができなかった。本当に悪かったと思ったよ……。しかし、私が心を痛めても君は快く思わな――――」
モゾモゾ……
緋月様が背を向けて話しているイヴが動き出した。
緋月様は気づいておらず、僕以外誰も気づいていない。イヴが鋭く肉を硬化させているのが見えた僕は、咄嗟に緋月様と雪尋のところへ走って突き飛ばした。
「危ないっ!!」
二人を突き飛ばしたと同時に、僕は感じたこともないような激痛を胸の辺りに感じた。自分の胸が貫かれていることに気づくまでに時間がかかった。
「があっ……!」
「智春!!」
緋月様が僕を貫いた何かを切断し、僕の身体を抱きかかえた瞬間、緋月様も倒れ込む。僕は痛みと熱さと口いっぱいに血の味が広がるのを感じ、立っていられずに倒れた。
「うっ……! まだ……動けたなんて……化け物め……!」
緋月様の肩にはイヴが投げたと思われる注射器が刺さっていた。緋月様はそれを素早く抜き取る。しかし力が入らないようで立ち上がれない様子だった。
僕はもう意識が正常に保てなかった。
バタン!
と再び扉が開いた音と、光さんと渉さんのが聞こえた後、僕の意識は朦朧とし、そして遮断された。
◆◆◆
液体の中にいるような感覚がする。
これが母体の羊水の中の感覚なのだろうか。暖かく、全身が包まれているような感覚。
目が開かない。目をあけようとすると阻まれるような感覚だ。
でも僕の目にはそれが見えていた。綺麗な白い大理石と、壁に打ち付けられている宝石のちりばめられた人形。
身体がうまく動かない。前に進もうとするのに、全く身体が進んでいかない。どこかから叫び声と歌声が聞こえてくる。
「受け入れてはダメだ。悪魔が君の身体を狙っている」
目の前から浅葱さんが来る。
ぐにゃぐにゃ歪んで、父さんや、雪尋、知らない人、渉さん……そして緋月様の形に変わっていく。
誰か解らない。
「……起きろ……起きるんだ……」
「…………」
声が出ない。喉の傷が開いている。そこから赤いハンカチがとめどなくあふれ出してきて声が出せない。
「君が望むか、望まないかだよ」
緋月様の声を思い出していると、赤いハンカチが蝶になって飛んでいった。
――望むよ、僕は
僕の目が開いたとき、そこは緋月様のベッドだった。
あぁ、悪夢から覚めたんだ。そう思って僕は歩き出した。廊下に出ると自分の部屋だった。知らない人が座っている。
違う、これは夢だ。
僕はもう一度目を覚ました。そこは緋月様のベッドだった。今度こそ目が覚めた。部屋から出るとまた緋月様の部屋だった。誰もいない。何度扉を開けても緋月様の部屋だった。
違う、これは夢だ。
僕はまた目を覚ました。緋月様のベッドだ。部屋から出るのはやめようか。でも僕は望む。
望む先にたどり着かなければならない。
何度も何度も夢を覚めるが、僕はいつまでたっても夢から覚めることはなかった。




