第41話 俺は運命の赤い糸で結ばれているんだ
僕は暗い気持ちのまま緋月様の部屋に戻った。もう夕方だ。廊下のボロボロのカーテンから西日が僅かに差し込んでいる。
ずっと緋月様に謝る言葉を探していた。
なんと謝れば許してもらえるのか考えていたけれど、事の重大さを考えれば許してはもらえないかもしれない。ただでさえピリピリとしていた黒旗との間で揉め事を起こしてしまった。
許してもらえずとも、誠意をもって謝罪する他ない。
――日下部さんはどうなるんだろう……処刑されちゃうのかな……
まさかあんなに大々的に盗むとは思わなかった。盗むというか、強奪だった。
今から謝って『黒の教典』を戻しても許してくれるわけもないだろう。
そう考えながら僕は緋月様の部屋へと到着する。
息を整えて扉を開こうと手を伸ばすと、僕が開くよりも早く扉が開いた。驚いて手を引くと、中から緋月様が出てくる。
「あ……智春」
「お、お疲れ様です」
咄嗟に僕は緋月様に会釈した。何と言おうか考えていたけれど、驚いてそれ以上何も言えない。
「れい華が大分やらかしたってね? 大変だったでしょ。もう大騒ぎになってるって報告が来てるからさ。ごめんね、私の友人がめちゃくちゃやって」
「……僕が、赤紙だってバレちゃって……それで日下部さんもきっと動揺してあんなことを――――」
「あはは、動揺したわけじゃないと思うよ。いいのいいの、そんな庇わなくて」
緋月様に肩を軽くポンポンと叩かれた。
「気にしないで」
「……日下部さんのこと……処刑してしまうんですか……?」
「あぁ……うーん……あれはね……なんて言ったらいいのかな……」
ぐしゃぐしゃと髪を片手で乱しながら、なんと言うべきか迷っているようで緋月様は言葉が濁っている。
――処刑するつもりはないのかな? でも、だったらどうしてだろう。明らかに強奪なのにも関わらず……
「ちょっとね、複雑な事情があってね。彼女は……」
「心神喪失で……とかですか?」
「まぁ…………とにかく、悪かったね。れい華のわがままにつき合わせて。私はちょっと行く場所があるから失礼するよ」
「いえ……」
緋月様は忙しそうに長い廊下を一人で歩いて消えて行った。足早に遠ざかる緋月様の後ろ姿を見送るしかなかった。
怒られるかと思っていたけれど、微塵もそんな様子はなかったことには驚きと安堵が入り混じる。
――緋月様も動揺してるのかな……
僕は仕事を終えて部屋に戻ってベッドに身体を投げ出すと、ドッと疲れが身体を襲った。
黒旗でのことや、7区での父さんのこと、雪尋のこと……考えることが沢山ありすぎて、頭の中の整理がつかない。
黒旗が大騒ぎになってると緋月様に聞いた言葉がずっと耳に残っている。
――食事はどうしよう……前買い物に行ったときの残りでいいか
いまいち食事が喉を通らない中、僕は食事を済ませて早々にベッドに身体を投げ出した。心配事がありすぎて、なかなか僕は寝付けなかった。
◆◆◆
【翌日】
観衆が大勢集まる中、緋月様はイライラしたような面持ちで立っていた。遠方の建物に立てこもって、がなりちらしている男を見てため息を漏らす。
「……エロトマニアだって?」
緋月様はとても渋い顔をしていた。眉間にはシワがより、長い銀色の睫毛を震わせる。
「ふふふ、緋月様にきてもらっちゃってごめんなさい。私の手に負えなかったから」
僕と緋月様は、精神疾患者が相手でどうにもできないと4区に呼ばれてきていた。
1区での統合失調症とはまた一つ症状が違うらしい。
園さんはこんな状況にも関わらず笑っていた。それが緋月様の癇に障るらしく、イライラさせているようだ。
「緋月はどこだ!? 緋月は俺の女だぞ! 早く連れてこい! じゃないとコイツを殺すぞ!!」
小太りで髪の毛がべったりと皮膚についているのが遠巻きでもわかった。入浴を明らかにしていない不潔な男性が刃物を持って人質をとって喚き散らしている。
「緋月様はあぁいう殿方が意外とお好みなのですか?」
園さんがふざけて緋月様にそう聞くと、緋月様は物凄く冷たい目で園さんを見た。
「そんなわけないでしょ……」
「ふふ、知ってますよ」
「こんなの、この前導入したSG使えばよかったじゃない」
「あぁ、その手もありましたね」
園さんがわざとらしく手をたたく。しかし、SGを使うにしてももう周りには人がたくさんいてできない。風向きからしてもこの周囲一帯の一般人も被害を被ってしまうのは明白だった。
「人が集まりすぎててSG使えないね」
「じゃあやっぱり緋月様の出番じゃないですか」
「こういう時のために体術は訓練してもらってると思うんだけど?」
「おやおや……手厳しいですね」
嬉しそうに園は緋月様の肩に手を振れる。それを鬱陶しそうに緋月様は振り払った。それを見て僕は驚く。
――こんなときでも園さんはマイペースというか……ぶれないというか……
「調子に乗らないでくれる? 私、まだレイのこと言ったの怒っているんだからね」
「緋月様、いい加減機嫌を直してくださいよ。ほら、1区で買ってきた美味しいお菓子を差し上げますから」
「…………………」
緋月様はあきれた様子で何も言わなかった。
それを見ていると園さんが僕の方を見て、ニッコリ微笑む。僕は園さんが怖くて目をそらしてしまった。
「ふふ、今日はアダムは連れてきていないのですか?」
「急いで出てきたから留守番させてる」
「そうですか」
「園が緊急事態だって言うから出てきたのに“そうですか”って、それだけ?」
緋月様は深いため息をついて、その男に向かって行った。堂々と長い髪とマントを揺らしながら歩くその姿に、周りにいた誰もが見とれる。
「私が緋月だけど? 人質を離して降伏して」
「緋月! 本当に来てくれた! 俺、ずっと会えなくて寂しかったんだぞ。早くこっちへ来て――――」
男がそう言い終わる前に緋月様は目にも留まらぬ速さで男の背後をとって、刃物を奪い取った。そして男を背中からの『血の裁量』で素早く掴み上げる。
一瞬出来事で、瞬きをしている間にすべてが終わっていたように見えた。
人質は何が起こったのか解らない様子で膝をついて緋月様を見上げたのち、慌ててその場から走って赤紙の陣営まで逃げていった。
「緋月! そんな情熱的に触手プレイだなんて!」
男は緋月様のその血の裁量をさすったり舌で舐めたりした。
緋月様は「うわっ……」と短い悲鳴をあげて咄嗟に男を投げ飛ばし、僕と園さんの前まで男は飛んできた。
――妄想性の障害があるのだろうか……
緋月様は舐められた部分の血の裁量を切り捨てた。舐められた部分を体内に戻すのが嫌だったのだろう。
「…………本当にエロトマニアか……早く取り押さえて5区に移動させる手続きをして」
園さんの周りにいた赤紙の人間が男の身柄を拘束した。男は相変わらず緋月様への愛を叫びながら抵抗している。
「流石緋月様。毎日お呼びしたいくらいです」
「精神管理はどうなってるの? 兆候があったらすぐに医師に見せるようにっていつも言ってるでしょ?」
「ふふふ……それはすみませんでした。見逃していた私の落ち度です。今度ゆっくりと……二人のときに丁寧に謝罪しますから……」
相変わらず緋月様に対してねっとりと絡もうとするけれど、緋月様に軽くあしらわれて遠ざけられる。それを見ていた周りの人がひそひそと話をしているが、まったく園さんは気にする様子もなかった。
――区代表なのに、本当にこんな調子でいいのだろうか
僕が組み伏せられて拘束されている男の様子を記録していると、何やら地響きがした。
それを感じたすぐ後に「ドォオオオオン!!」という爆音が響き、その場にいた全員がその爆発音のした方を向く。
いち早く反応したのは緋月様だった。
「園、智春も一緒に来て」
緋月様は矢継ぎ早にそうまくし立てると、背中から大きなコウモリの翼を広げる。
僕が同意するよりも早く、緋月様は血の裁量で僕と園さんを絡めとって一気に飛び上がった。勢いで僕は手に持っていた記録簿を落としてしまったけれど、急激に地面から遠ざかる中でそれを気にしている余裕はなかった。
空高く飛びあがると、1区の赤紙の拠点周辺で黒い煙が立ち上っているのが見えた。僕らが飛んでいる中、再び爆発音が何度かしてそこからまた黒い煙が立ち上る。
「これはまずいね……」
リリリリリリリリリ……
緋月様の携帯電話が鳴る。
僕からは緋月様の表情は見えないけれど、その声色と状況からは明るい話ではないことは明白だ。
「黒旗の暴動らしい。1区で相当な人数で乱闘になってるって」
その言葉を聞いて、僕は血の気がひいていったのを感じた。
――……僕のせいだ……黒旗内で赤紙だってバレたから……日下部さんが『黒の教典』を咄嗟に盗んでしまって……
僕はその考えに囚われて抜け出せなかった。
運ばれながら不安定に揺れる中、僕はその事だけがぐるぐると頭の中をめぐって真っ青になっていた。
「園、黒旗の鎮圧にこのまま行くよ。智春は赤紙の中の様子を――」
「僕も行きます」
咄嗟にそう返事した。
僕が引き金になってしまったという負い目がそう言わせた。
「でも……本当に危ないよ。守ってあげられないかも」
「弟が黒旗にいるんです。それに、僕が昨日黒旗の中で騒動を起こしてしまったせいです。責任を取らせてください」
僕はそう言って緋月様の目をまっすぐ見つめた。
「……解った。頼もしくなったね」
緋月様は園さんと僕を抱えて1区へと飛んだ。
煙が上がっている場所へと向かって降り立ち、僕と園さんをゆっくりと地上へ降ろした。園さんは緋月様の血の裁量から離れるのが名残惜しいらしく、手を滑らせて掴もうとしていた。
1区についたときには、すでに黒旗と赤紙が入り混じり乱闘になっていた。そこら中で怪我をしている者がたくさんいる。
「酷いな……」
緋月様が降り立った時に、標的は一途に緋月様へ向いた。緋月様は大きな声で黒旗の者全員に向かって言う。
「やめろ! いまならまだ引き返せる!」
「うるせえ化け物! 家族を返せ!」
聞く耳を持たず、次々と襲い掛かってくる黒旗の者たちを前に、緋月様はため息を吐いた。そうしている間にも僕と園さんにも凶器を持った人たちが襲い掛かってくる。
「はぁ……わかったよ」
緋月様は僕と園さんを抱えて再度飛んだ。
「SGやるぞ! 備えろ!」
大声で言うと、赤紙の人間たちは口と鼻にガスマスクを当てた。そして緋月様が腰につけていた鞄から、いくつかのSGを血の裁量で取り出して、安全装置を外して下に落とした。
地面にカンッと落ちたSGの球から白い煙が吹き出し、それを吸い込んだ黒旗の人たちは次々と倒れていく。
「……はぁ、導入して本当に良かった」
「一般市民も巻き添えですね」
「これは細かいこと言ってられないよ。眠るだけだから問題ない」
「先ほどは一般市民を巻き添えにしないように控えましたのに。ふふふ」
緋月様は問題ないと言いながら次々とSGを投げていった。大勢いた黒旗の人間たちはガスを吸い込んで眠ってしまった。
「黒旗の全員を一時拘束して! 腕章をつけているのが黒旗の人間だから」
その場にした赤紙員にそう指示して緋月様は黒旗の本部に向かう。僕と園さんは緋月様の腕に抱えられたまま飛んでいく。
「まったく……いつかこうなると思っていたけど、もう教祖を放っておくわけにはいかないね」
「もっと早くシメてさしあげたらよかったのに」
「意見が対立しているからと言って、シメてたらそれこそ独裁でしょう」
「実質独裁じゃないですか?」
園さんは緊張感がなく、緋月様に呑気にニコニコ笑いながら話しかけていた。
僕は雪尋を探した。絶対にこの作戦に参加しているはずだ。
――怪我をしていないといいんだけれど……
本部が見えてきたが、一向に僕は雪尋を見つけられずにいた。
「あ、弾切れしちゃった……これから本部乗り込むっていうのに……これが最後」
緋月様は人がたくさん待ち受けていた黒旗の本部の周りでそれを使う。
外にいた人たちはすっかり眠ってしまった。緋月様が羽ばたいてそのガスを散らし、黒旗の総本部の中に入ることになった。
「智春君、私の傍にいると危ないから、園の近くにいて」
僕は言われるがまま、嫌ではあったけど園さんから離れないようにした。
扉を開けると中にいた人たちがこちらを向いて、それが緋月様だと解った瞬間、襲い掛かってくる。緋月様は微動だにせず、向かってきた人たちの脚の骨を次々と折っていった。
「うわぁ……緋月様、容赦ないね」
園さんが呑気にそんな感想を言っていた。
僕たちの方に向かってくる人もいたが、園さんも向かってきた人の攻撃を受け流して、腕の骨を折って戦闘不能に追いやっていった。そこら中で人がのたうち回って痛がっている。
「智春君、骨の折り方教わってない? 今教えてあげようか?」
「い……いえ、だいじょうぶです……」
あっという間に緋月様は総本部の奥へと進んでいった。扉に鍵がかかっていても、無理やりに扉ごと掴んで壁から剥がしていた。緋月様が持った金属がまるで粘土かのように変形していた。やはり、圧倒的な力の差がある。黒旗は何をもってして勝機を見出したのか。それともただの暴動なのだろうか。
粉塵が舞う中、ついに一番奥の部屋までたどりつき、緋月様は普通に扉をあけ入室した。すると、中から叫び声が聞こえて、男たちが扉の外へ投げ出されてきた。全員どこかしらの骨が折れているようで立ち上がれないようだった。
僕はものすごく怖いと思いながらも、緋月様と園さんについて最後の扉をくぐった。
◆◆◆
【渉】
「緋月と俺は運命の赤い糸で結ばれているんだぞ! こんなことして、お前ら首が飛んでも知らないからな!」
私は頭が痛くなっていた。一体どうしたらこんな妄想が出来上がるのだろう。光ですらここまでは酷くない。
4区から男を5区に移動させろと、緋月様の命令が出たということで緋月様の代わりに手続きをしにきたが、本当に酷い。恋愛妄想というものらしい。緋月様に対して並々ならぬ勘違いをしているらしい。
「そんなこと、一体誰が信じるというのですか」
人物を特定し、書面をまとめていると、光が若干息を切らしながら後ろから走ってきた。
「おい、渉。黒旗が1区で暴れ始めたらしいぞ。緋月も向かってるし、俺らも行こうぜ」
「!」
黒旗が動いたという話を聞いて、私はすぐにでも向かいたかった。仕事を途中で放り出すわけにもいかない。すると、私の隣で同じく報告書をまとめていた第三者委員会の御剣が声をあげた。
「渉さん、ここは僕に任せて行ってください!」
熱のこもった言い方でそう言う。御剣の肩につくくらいの長い髪が動きに合わせて揺れていた。
「なんだよ、お前もいたのか。おい渉、こいつに任せていこうぜ」
光が御剣を見つけ、興味なさそうにそう口に出した。御剣は敵意むき出しの目で光を見る。
「僕は渉さんの為にしようとしているんですからね! あなたみたいな野蛮人の指図を受ける筋合いはありませんからね!」
この場を預かってくれるというのであれば、御剣に任せて私たちはすぐにでも緋月様の元へ行くべきなのだろう。
言い争いをしていることを他所に、捕まえた男はまた喚きだした。
「おい! 俺は緋月と付き合ってるんだぞ! さっきも緋月は俺の呼びかけで――――」
「あぁ? 何言ってんだこのクソデブが」
御剣と言い争いをしていた光の注意がその男に注がれた。
――まずい。光にこの手の挑発は効果覿面だ
光が男に対して対抗心をむき出しにしているのを見て私は顔をしかめた。
「お前みたいなガキを緋月が相手にするわけないだろ? あいつもそう言ってたんだから!」
「あぁん!?」
「待ってください。あいつとは誰のことですか?」
妙にひっかかる言葉を男が言ったので、私は怒号を飛ばす光を遮って即座に聞き返した。
「4区の園だよ! 緋月は俺のことが大好きだって! 前一回俺と目が合ったことがあったときに俺に、惚れたんだなって――――」
――園様が? 何故そんなことを?
「んなことあるかボケ!」
「今日だって俺があぁすれば緋月が俺に会いに来るきっかけになるって言ってた。あいつの言う通りにしたら本当にきた! やっぱり緋月は俺に会いたくて――――」
ガンッ!
光が男の下あごを思い切り蹴り上げ、男はそのまま気絶した。
その手荒さに御剣は驚いて目を見開き何度も光と男を交互に見る。
「うるせえんだよホラ吹き野郎が! おい、こんなやつ任せていくぞ。お前、コイツを5区に移動させておけ!」
光はその辺にいた赤紙の人間と、御剣に区間移動の手続きをするように言った。御剣は不満そうにしていたが、書面を私から受け取って手続きを始める。
――今、緋月様は……現場にいた園様と智春様と一緒に現場に向かっている……
――この事件、園様が裏で手引きしていた?
――緋月様が赤紙内から不在の時を狙って? 狙ったように起こった暴動……
私は自分の中で生まれた疑念を想像したけれど、それを否定したい気持ちでいっぱいだった。
――園様は黒旗のスパイ?
私は急いで1区に向かって走り出した。
「おい、渉! 急にどうしたんだよ!」
「光、急いでください。何かおかしい!」
――緋月様、嫌な予感がします。どうか、ご無事で……
そう祈りながら私は走った。




