第38話 どうして笑ったの?
「どうしても行きたい」
「どうしても行きたいの?」
「どうしても行きたい」
「本当に?」
れい華のいる暗い部屋で緋月は頭を抱えて困っていた。脚を組んでトントンと指を二度腕に軽くうちつける。
「黒旗の拠点へ行く」とれい華は言い出して聞かない。何度本当に行くのかと聞いても、その返事が変わることはなかった。
「……駄目と言っても乗り込むつもりだね?」
「当然そう」
緋月は頭を悩ませたが、言い出したら聞かない彼女を説得する術はなかった。
それに、一人の自由をそこまで拘束することに緋月も抵抗を感じている。
何よりも「死にたい」と言って何度も自殺未遂をするれい華をいつも無理やり止めているのは緋月だ。
無気力でいつもベッドでぐったりしているれい華が、そう強く要望するのなら、緋月としても無下にすることはできない。
「…………わかったよ。それじゃ智春と一緒に行ってきてくれる?」
「智春さんか……一人で行っちゃだめなの?」
「監視役をつけないと心配でね」
「監視役なんて意味ない。好き勝手にやらせてもらう」
「でも智春のこと、守ってくれるでしょ?」
「…………事のついででいいならね。まぁ、智春さんならいいよ。無害そうだし」
れい華は首を少し横に傾け、緋月の顔色を見た。相変わらず気乗りしない様子で見つめ返してくる。
「そんなに『黒の教典』が読みたいの?」
「読みたい。明日行くから。智春さんと今日話したい」
「智春を危ない目に合わせないでよね」
「……善処する。でも、もったいつけすぎなんじゃないの?」
「…………覚悟がまだできてなくてさ」
「覚悟決めるのにいつまでかかるつもり? シャーロットもメフィストもしびれ切らしてるよ。私だってそうなのに」
れい華は苛立った口調で緋月をそう責めた。それに対して緋月はバツの悪そうな顔をして目を泳がせる。
「長く生きてるとね、確信が持てないとやりたくないって気持ちが強くなるんだよ」
「問題を先延ばしにしているように聞こえるけど?」
「痛いところをついてくるね」
心底嫌そうにれい華はため息をつきながら、肩をわずかに上下させる。
「まぁ、私もカタを早くつけたいのよ。安心して眠りにつくためにね」
「言い方が不穏なんだけど。わかったよ。智春を呼んでくる。部屋で話すでしょ?」
「うん」
緋月はやれやれといった様子でれい華の部屋を後にした。
暗い部屋に一人残されたれい華は、暗い窓の方を眺める。そして積まれた本の中から『崇高なる理念』を開いてその開いたページを見てみる。
『麗様は死刑当日まで患っていた抑うつ病が悪化し、食事もろくにとられなくなっていたらしい。死刑執行に携わった刑務官の話によると「死刑執行と解った瞬間、笑った」という』
「…………結局、バッドエンドなのに、どうして笑ったの?」
パタリと本を閉じて、れい華はベッドに横になった。
◆◆◆
緋月様の部屋に朝出勤すると、緋月様はまたもや頭を抱えて悩ましそうにしていた。おはようございますと僕が挨拶すると、憂鬱そうに「おはよう」と言う。
「智春、レイと一緒に黒旗に行く予定だったろうけど、れい華と一緒に行ってくれないかな」
「えっと……日下部さんですか?」
「そう。これかられい華の部屋に行って話をしてあげてほしい」
「わかりました」
「れい華は『黒の教典』を読みたがってるから、教祖の部屋に一緒に入ってあげて」
聞きなれない言葉に僕は疑問符を頭の上に浮かべた。
「黒の教典?」
「そう。『黒の教典』には、水鳥麗が木村冬眞にあてた直筆の手紙が綴じられてる。閲覧には制限があるけどね。写真とかとったらいけないし」
「そんなに昔の紙が残ってるんですか?」
「残ってるよ。保存状態もそれなりにいいらしい」
「解りました。日下部さんの部屋ってどこですか?」
「013号室だよ。あの角にある狭い部屋。機嫌は悪くないようだけど、余計なことは言わないであげてね。気難しいからさ」
「……はい」
僕は「大丈夫かな……」と思いながらも、013号室へと向かうことにした。緋月様の部屋からそれほど遠くない。
それにしてもどうして突然光さんではなくて日下部さんになったのだろう。黒旗の偵察という名目でなくても、一般人として堂々と入ればいいのに。
――まぁ……色々、事情のありそうな人だけど
そうして歩いているうちに角の部屋についた。
特に表札などはなく、『013号室』とさびれたプレートがあるだけだ。
僕はコンコンコンと錆びれた扉をノックする。
「智春です。日下部さんのお部屋でよろしいですか?」
「はい。どうぞ」
部屋に入ると真っ暗だった。かろうじて何がどこにあるのか解る程度にしか光がない。
その部屋の中で日下部さんの華奢な身体がうっすら浮かんでいるのが見える。
「智春さん、明日、黒旗に一緒に行ってもらえますか」
「はい。そのように緋月様にうかがいました。よろしくお願いします。何かあれば必ず守ります」
「……私は大丈夫。でも……そう……行くからには覚悟しておいてほしい」
「覚悟……ですか?」
「今、黒旗と赤紙はかなりの緊張状態だから」
「そうですね……不安です。本当に僕なんかが行って良いのか……」
「…………ねぇ、智春さんは緋月のことどう思ってますか?」
「えっ」
急な質問に僕は声が上ずってしまう。目を左右に泳がせて、しどろもどろに「えっと」とか「あの……」などと言って口ごもってしまった。
「尊敬してますよ。いつも仕事と研究を熱心にしていますし」
「そういうことじゃなくて……好きかどうかってことですよ」
「それは…………」
「はっきり言っておきますけど、やめておいた方がいいですよ」
冷たい声で日下部さんはそう言った。その言葉に理解が追い付かず、僕は唖然として日下部さんの方を見つめ返した。
「緋月は……誰にも心を開かない。想い続けるだけ自分が傷つくだけ」
「…………」
「…………ごめんなさい。余計なことを言いましたね」
「いえ……でも、仮にそうでも、心を開いてくれるまで簡単に諦められませんよ。諦めたらいけないと思うんです。心を閉ざしているのなら、なおさら」
僕の言葉に日下部さんは顔を背け、少し沈黙する。左手の親指で、左手の薬指の腹の辺りをカリカリとひっかいているのが見えた。
「別に……いいけど。それじゃ、明日の8時くらいに緋月の部屋に集合でいいですか」
「はい。その時間で大丈夫です」
「では明日。失礼しました」
軽くお互いに会釈して、僕は日下部さんに背を向けて扉を開けた。日下部さんの部屋から出ると、廊下が眩しく感じて目を少し細める。
なんだか、少しの蟠りを残したままになってしまったことが後を引いたけれど、僕は緋月様の部屋へと戻った。
「ほんと、緋月って嫌な奴……」
日下部さんのその小さな独り言は、扉を出ていた僕には聞こえなかった。
◆◆◆
翌日、日下部さんは言っていた時間の15分前に現れた。
長い黒髪のウィッグを被り、マスクをつけている。そのせいでほとんど顔は見えない。初めに入ってきたときに、誰なのか解らなかったほどだった。
僕も以前光さんから借りた変装道具をつけて、準備を済ませる。緋月様は珍しく手が止まって、日下部さんの方を凝視していた。
「本当に大丈夫?」
「心配し過ぎだよ、緋月」
「でもさ……」
「あー、うるさいうるさい。行きましょう智春さん」
日下部さんは緋月様の言葉を振り切るように手を軽く振っていなす。戸惑いながらも僕は先に歩いて行ってしまう日下部さんの後を追った。
「……ほんと、無茶だけはしないでよね」
「緋月は少し無茶したらどう?」
ほんの少しだけ振り返り、日下部さんは緋月様にそう吐き捨てるように言った。そう言われたときの緋月様の悲し気な顔が僕の目に焼き付く。
僕はどう扱ったらいいか解らない日下部さんの後をついて行った。黒いパーカーのフードが裏返っていることに気づくが、それを指摘するべきかどうか僕は悩む。非常に話しかけづらいが、僕は恐る恐る口を開いた。
「あの……日下部さん」
「なんですか」
「パーカーのフード、裏返ってますよ」
「え? あぁ……本当ですね。ありがとうございます」
日下部さんは裏返っていたパーカーを正した。会話を続けるかどうかも悩んだけれど、僕は話を続ける。
「日下部さんは『黒の教典』を読みたいんですよね……?」
「……緋月、余計なこと言わなくていいのに…………そうですよ。私は『黒の教典』を読みたいんです」
棘のある言葉が先に聞こえたので、少し僕は委縮した。
歳は僕とそれほど変わらないように見えるのに、妙に日下部さんは落ち着いているように見える。
「水鳥麗が木村冬眞に宛てた手紙なんですよね?」
「そうらしいですね。本当に、そんなものを本にして趣味が悪いと思いませんか」
「確かに、宛てた本人以外が読むというのは、書いた本人からしたら穏やかではないかもしれないですね……とは言っても、何が書いてあるんでしょうか」
「気になりますか?」
「そうですね。最近、水鳥麗のことを本で読んで知りましたから」
「ふーん……」
日下部さんはそれ以上、何も言わなかった。
◆◆◆
黒旗の教会の中に入ると、僕は得も言われぬ嫌な感じがやはりした。
教祖の接見は混み合っているらしく何十分も待たされ、その間中ずっと赤紙の悪逆非道な行為についての演説を聞かされ続けた。
「あの化け物は容赦なく人を殺す。身内でもお構いなしだ。この恐怖政治から抜け出すべく、今こそ一致団結するべきとき!」
信者たちは両手を胸の前で組み、涙を流している人も何人もいた。それを見て僕は心が痛む。やはり、罪を犯したとはいえ容赦なく裁くその非情さに心傷つく人もいる。
――なんとか、和解することはできないのだろうか……
僕がそう考えている間、日下部さんは自分の番号札の18番を持ったまま、黒旗のパンフレットをずっと読んでいる様だった。
「はぁ……まだなのかな。早く帰りたいんだけど……」
隣に座っている僕にだけ聞こえるように、日下部さんはそう言った。
「さっき17番の人が呼ばれましたから、次ですよ」
「こんな朝からご苦労なことだね……教祖と話して何か得られるものがあるわけ?」
「僕は宗教はよく解らないですけど……心の安らぎというか、心のよりどころを得るというか……」
「…………わからないな」
日下部さんがそう言っている間に、17番に呼ばれた人達が教祖の部屋から出てくるのが見えた。
「番号札18番の方、中へどうぞ」
やっと僕たちは呼ばれ、僕たちは教祖の部屋へと通された。
相変わらず重々しい香が漂っていて、厳重な警備がされている。香と同じくらい重々しいカーテンの奥で教祖が見えた。
バタリ……と、重厚な扉は締められる。
「君は……この前の神童と……こちらの方は……お連れの方かな」
「この前は騒ぎを起こしてしまい、申し訳ございませんでした」
僕は教祖に向かって頭を深々と下げた。
「構わないよ……ごほっ……ごほっ……それで、君は私たちと共に赤紙と……戦ってくれる気になったのかい?」
「えっと……今日来たのはそれもありますけど、『黒の教典』を読ませていただきたくて」
「あぁ……構わない……そこにある……」
日下部さんは僕に目配せしてガラスケースに入れられている『黒の教典』の元へと向かう。
「読む前に手袋をつけてもらえますか。紙が脆いので、力加減を間違えないでくださいね」
「解りました」
幹部の人は日下部さんに対してポリエチレン製の手袋を手渡そうとした。しかし、日下部さんが手袋を受け取る前に、日下部さんは幹部の人に手首を掴まれた。
「な、なに?」
日下部さんはすぐさまその手を振り払った。しかし、押さえつけられるように2人がかりで日下部さんを拘束した。
華奢な体つきの彼女はあっという間に拘束され、身動きを封じられてしまった。
それでも、日下部さんは動揺することなくやけに落ち着いた様子だった。
「どういうつもり?」
「少し、おとなしくしてもらおうか。そこの坊ちゃんの尋問が終わるまでな」
突然後ろ手を取られ、僕も日下部さんと同様に拘束された。
「“どういうつもり?”とは、こちらのセリフだ」
「ノコノコよく我々の前に現れたな……!」
怒りに満ちた声が聞こえ、僕の腕はより強い力でねじ伏せられた。その痛みで僕は顔が歪む。
「うっ……」
「君は……赤紙だね? それも、緋月の側近の……」
「!」
教祖は震える声でそう言った。
僕はその言葉を聞くと同時にじっとりと汗がにじみ、心臓が激しく脈打ち始めたのが解った。
「わざわざここにくるなんて……争いを広げたくはないだろうに……」
「ま、待ってください! 僕は争いに来たわけじゃ……」
ギィ……
正面の扉が開き、一人誰かが入ってきた。
「雉夫様……これは……?」
その声は動揺していたけれど、聞きなれた声だった。その声を聴いて、僕は一層強く心臓が跳ねたのを感じる。
――雪尋……
「あんたはこの前の……」
「雪尋、よく見ておけ」
僕は雪尋の前で乱暴にウィッグとマスクをむしりとられた。
「あ……兄貴……?」
雪尋は僕の顔を見て、驚きと同時に憎しみを込めた表情になった。その激しい憎悪の感情は十分に表情からうかがえる。
組み伏せられた僕を見下ろす雪尋は、下唇を強く噛んだ。
「俺を騙してたのか……!?」
「違う。雪、僕は……!」
「何が違うんだよ……!? ふざけんな!」
――どうしよう……聞いてもらえない……
当然と言えば当然だ。こんな状況で冷静に話を聞いてもらえることなんてできるはずがない。意図せずに雪尋を騙す結果になってしまった。そこに弁解の余地はない。
「がはっ……!」
「ぐっ……」
立て続けにうめき声が聞こえた。その声のした方を見ると、日下部さんを押さえていた2人はうずくまっているのが見えた。
日下部さんは『黒の教典』の入っているガラスケースを肘で叩き割り、中から重そうな黒い本を軽々と持ち上げる。
「『黒の教典』を! 何をする!?」
取り押さえようとする幹部たちを日下部さんは華麗な身のこなしでかわす。
彼女の普段の様子はよく解らないけれど、今まで見てきたあのゆっくりとした動きからは想像できないような素早い身のこなしだった。
「日下部さん……っ」
彼女は片手で僕を拘束している人を素早く一発ずつ殴り、僕の拘束を無理やり外す。
「早く逃げるよ」
日下部さんは『黒の教典』と呼ばれたものをしっかり手にしたまま、僕の腕をつかんで走り出した。
僕は雪尋の方を振り返って見たけれど、振り返らなければよかったと思った。
それは、まったく僕を兄として見ていない目をしていたから。
ズキリ……
僕は胸が痛んだけれど、今は何の弁解も届かない。弁解をしている間すらない。
「『黒の教典』が盗まれた!!」
「あいつ、やはりあの化け物の回し者だ!!」
あわただしく、僕は日下部さんに引かれるまま走るしかなかった。
雪尋のあの冷たい目を何度も思い出しながら。




