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メンタル・ディスオーダー  作者: 毒の徒華
38/62

第37話 狂人-ルナティック-




葉太さんがいる場所へと足を運ぶと、相変わらず事務所に何人も女性をはべらして、女性に仕事をさせていた。

全員が身綺麗にしているお姉さんで、全員が胸元の開いている服を着て、短いスカートから艶めかしい脚をのぞかせている。


僕が訪れたことに対して、葉太さんは何を言わずともすべてを察したようだった。


「はぁ……やっぱりな。やっぱりお前が来るってわかってたぜ」


葉太さん本人はというと、一番奥の机でふんぞり返ってお茶を飲んでいた。

乱暴に書きなぐってある報告書が幾重にも重なっている。全く統一性のない机で、物が雑多に置かれている。

妃澄さんや達美さんの机とは大違いだ。達美さんがこの場にいたら発狂しているかもしれない。


「時計だろ?」

「そうです」


僕はポケットから取り出した高そうな時計を元の持ち主の葉太さんへと返した。

受け取ると「はぁ……」と葉太さんはため息をついた。


「僕でごめんなさい」

「別に。緋月が来るとは思ってなかったしな。光でも渉でもなく、絶対にお前が来ると思ってた。まぁ、座れよ。おい、茶でも出してやれ」

「はい、葉太様」


近場にいた女性にそう言うと、彼女は部屋から出て行った。僕は頭を軽く下げて椅子に座る。


「どうして僕が来ると思ってたんですか?」

「そりゃ、光と渉だと俺ともめるからな。ラファエルの連中も聖也ともめるし、かといってほかの女は俺のところに行かせられないってわけだ」


やけに得意げにそう言う葉太さんに呆れながらも「確かにそうかも」と僕は感心する。


「……それだけ解ってるのに、葉太さんはどうしてこんなことを?」

「そりゃ、隙あらば口説くのが男ってもんだろ? 口説く隙がないなら無理矢理にでも口実を作る。特に、あれだけガードの堅い緋月に首を縦に振らせてみたいわけよ」


――やっぱりどうしようもない理由だった……


こんな調子で緋月様を困らせ続ける葉太さんに、僕は少し引いてみるということを提案してみる。


「押してダメなら引いてみるっていうのはどうでしょう?」

「駄目駄目。引きの強さは緋月の方が上だね。一生それじゃ機会がこねぇよ」


確かに葉太さんが身を引いたとしても、緋月様がそれを「葉太、待って」とは言わないだろう。

そう考えるなら、葉太さんの攻めの姿勢は大切なのかもしれない。

けど、アプローチの仕方が間違っているような……。


「そういうお前はどうなんだよ? 緋月に惚れてるだろ?」

「…………」


聖也にも同じことを言い当てられた僕は、またしても黙り込んでしまうことになった。


「わかりやすい坊ちゃんだぜ。へへっ」


ニヒルに笑う葉太さんは、僕から見ても格好良かった。

端整な顔立ちをしているし、髭も蓄えていて大人の男性という感じだ。体つきも程よく筋肉がついていて、色気がかもし出されている。


そんなことを考えている間に、綺麗なお姉さんが僕にお茶を出してくれた。それを会釈して受け取ると、お姉さんは色っぽくウインクした。

どう応えていいかわからずに慌てていると「ふふふ」と笑って下がっていった。


「お前は緋月落とせんのか? 俺のやり方でダメなら、どんなやり方がいいと思う?」

「べ、別に僕は……そんなんじゃ……」

「なんだよ、照れるなよ。ていうかお前まだ童貞?」

「!!!」


驚きすぎたのもあるが、そんな質問をされると思わず目を見開いたまま僕は固まってしまう。


「え、マジ? もったいねぇ。人生全部損してるな」

「全部って……」


いくらなんでもそれは言い過ぎなのではないか。他に楽しいことなんていくらでもある。

と、ふがいない自分に僕は心の中で言い訳をする。


「まだ僕は未成年ですし……」

「お前なぁ、純朴すぎんだろ。俺なんか童貞8歳で捨てたぜ?」

「それは早すぎると思いますけど……」


8歳はいくらなんでも早すぎる。葉太さんの本能が性行為を求めているのだろうか。

そう考えると、葉太さんは生物学的に雄らしい雄だ。たくさんの子孫を残す選択ができるということは、かなり優秀だと言える。

しかし、葉太さんに子供はいない。あくまで遊び続けるつもりらしい。


「俺が言うのもなんだけどな、緋月ばっか追いかけてると人生めちゃくちゃになるぞ。他の女で妥協しておけ」

「…………」


僕は別に女性なら誰でもいいわけではない。

ただ、少し憧れがあって、緋月様の役に立ちたいと考えているだけ。

出されたお茶を僕は険しい表情をしながらすする。


「そんな険しい顔すんなよ。悔しかったら緋月に首を縦に振らせてみろ」

「相手にされないことは……理解してますよ」

「馬鹿だな。相手にされてないところから、相手にとってかけがえのない男になるんだよ。お前は根本的なトコ解ってねぇな。受け身じゃなくて、攻めるんだ」

「葉太さんと光さんは攻めるタイプですけど、全然相手にされてないじゃないですか」


大体いつも断られているように見える。特に葉太さんについては光さんよりも圧倒的に断られているはずだ。

それでも懲りずにそう攻めていくことができる姿勢に僕は尊敬の念すら感じる。


「緋月の性格からして、粘り続ければ50回に1回は誘いに乗ってくれると思うぜ」

「そんなに誘うんですか……そんな勇気僕にはありませんよ。先に心が折れます」

「ばーか。勇気とかそんな次元じゃねぇよ。息を吸うように自然にだ。自然に。“今日は天気いいですね”みたいな感じで“僕と食事に行きませんか?”っていうんだよ。なーんも難しくねぇだろ?」


そう聞いていると難しくなさそうに聞こえてくる。

けれど、そんなふうに僕は誘うことができるだろうか。


「試しに俺にやってみ? 俺のことを緋月だと思って」

「えっと……その……」

「何恥ずかしがってんだよ。俺にできなかったら緋月になんて永遠にできねぇぞ」


「ほら、やってみろよ」と口車に乗せられて、戸惑いながらも僕は葉太さんに向かって誘いの言葉を言ってみる。


「ぼ、僕と……食事に行きませんか?」


振り絞った僕の誘いの言葉に対して手をひらひらとはためかせながら、葉太さんは「全然駄目。20点」といつもの調子でバッサリ切り捨てられた。


「まぁ、せいぜい頑張れ、童貞君。緋月を誘えたら俺も呼べよ?」

「…………葉太さんは誘えたこと……あるんですか?」

「あぁ? あるに決まってるだろ。その後超絶嫌われたけどな。ははははは」


笑っている葉太さんを見て、緋月様に何をしたのか察しはつく。

さしずめ無理やりに迫って、嫌われたのだろう。手に取るように僕にはそれがわかった。


「嫌われてるって解っててもアプローチできるって凄いです」

「馬鹿だな。それだけ自分の女にするんだって気力が足りねぇんだよ。お前は」

「だから! そんなんじゃないですって……!」

「はいはい。うるせーな。野郎に用はねぇんだよ。帰った帰った。帰って玉砕されてこいってんだ」


出されたお茶を飲み干し、僕は席を立って一礼する。


――緋月様が来るのを嫌がるわけだ……


でも、葉太さんのことが好きな人はたくさんいる。

緋月様がそうではないというだけだ。

単にタイプじゃないだけなのだろうか?

葉太さんを見ていると、ぐいぐい行くタイプの男性の方がいいのかもしれないと考える。

葉太さんを見ていて、僕も誘ってもいいかなという気持ちになった。


――断られても、それが普通なんだろうし……


そう思って僕は深く息を吸って、そして吐き出して身体の酸素を入れ替える。


「よし」


意気込みなおし、僕は帰路へついた。




◆◆◆




僕が緋月様の部屋に戻る前に、僕は自分の部屋に戻って姿見を確認した。

いつ自分の顔を見ても、冴えている顔はしていない。

前髪が伸びてきたと感じる。髪の毛を整えてみるものの、なんだか僕には葉太さんのように決め手となるものがない。

顔を引っ張ってみるが、もちろん顔の造形が変わるわけがない。


「……顔は、関係ないよね?」


そう言いながら、服装を軽く整えて緋月様の部屋へと向かう。向かう道中にいろいろと殺し文句を考えてみるが、どれもこれもピンとこない。

葉太さんなら「俺のものになれよ」とか「俺を選べば後悔させないぜ?」とか言うのだろうが、自分が言うにはどうにもしっくりこない。

考えている最中なのに僕は緋月様の部屋へとついてしまう。時間的にはもう遅い時間だ。光さんや渉さんはもういないだろう。


コンコンコン……


「智春です。入ってよろしいですか?」

「いいよ」


ガチャリ……


「おかえり。聖也とは仲直りできた?」


緋月様はまだモニターを見ながら書類のチェックをしているようだった。

膨大な量の書類をいくつもいくつも目を通しながら監視カメラの映像をずっとチェックしている。

そのいつも通りの緋月様に、僕は歩み寄って行く。


「はい。友達になりました」

「へぇ? それはよかった。ラファエルは聖也以外全員女の子だからね。聖也も友達欲しかったかな」

「また遊びに行きます。あと、葉太さんに時計も返してきました」

「あぁ……ありがとう。本当に助かったよ。葉太に色々言われたんじゃない? 電話がなかったってことは、怒ってはいなかったようだね」

「えっと……息をするように食事に誘えって教えられました」

「ははは、またしょうもないことを……」


緋月様は呆れて笑っている。

そんな緋月様に向かって僕は姿勢を正しながら、軽く咳ばらいをしてから改めて名前を呼ぶ。


「あの……緋月様」

「なに?」

「仕事が終わったら……僕と一緒に食事でもどうですか?」

「あはは、ちょっと智春君……ふふふ……いいけどさ」


あっさりと緋月様は「いいよ」と言ってくれた。

緋月様は僕が誘ったのがおかしいらしく、口元を押さえて上品に笑っている。

そんなに笑われてしまうと、ただでさえ気恥ずかしいのにさらに恥ずかしくなってしまう。


「葉太に毒されすぎじゃない?」

「あぁいう生き方も、かっこいいなってちょっと思いました。女性とどうこうということではなくて……まっすぐにあきらめずに自分の目標に向かって突き進むところというか……」

「なるほど……言い方を変えるとかなり聞こえがいいね」


緋月様はその細い腕を組みながらうなずいている。


「じゃあ、お店予約しておきますね」

「完全個室のところならいいよ。私がいるってバレるとちょっとした騒ぎになっちゃうからね」

「わかりました」

「仕事が終わるのが……そうだな……厳密にいうと終わることはないんだけど、1時間もすれば目処が立つかな」

「はい。僕は着替えて準備しておきますね」

「うん。よろしく」


僕は浮足立って緋月様の部屋を出た。


――普通に断られるかと思った……何にもプランとか準備してないや


誘う文句はいくつも考えていたけれど、その後のことは全く考えていなかった。

どういうお店がいいのか考えをめぐらす。

緋月様としてはたくさん食べるだろうから、量が多いところがいいのかもしれない。

量が多くておいしいと評判のお店を調べていたら『ルナティック』というお店がヒットした。キャッチフレーズ的には「狂人の量、強靱なフライパン捌き、凶刃な味」と書かれている。

どうやらものすごい量が出てくるお店らしい。かといって写真を見ていてもまずそうではない。それに個室が完備されている様子だ。


――ここにしよう


予約するべく僕は電話をした。




◆◆◆




「『ルナティック』ね。何度か行ったことあるよ」


緋月様はフードを目深にかぶり、人目を避けた格好をしていた。パーカーにジーンズという緋月様にはなんとも似合わない格好だと僕は思う。

銀色の髪を隠すように後ろで縛って、髪を見せないようにしている。


「ごめんねこんな格好で。『クラクラ』とかせっかくだから着たいんだけど、あのブランド目立つから結局ばれちゃって大騒ぎになっちゃうんだよね」

「いえ、緋月様が誘いに乗ってくれただけでうれしいです」


『ルナティック』のお店の外観は何とも言えないずいぶん変わった様子だった。青い壁に黄色い三日月が大きく張り付いていて『狂人ルナティック』と看板が出ている。


「ここの店主、変り者なんだよね」


見るからに変り者だということだけは解る。どう考えても名前やら外観やらを考えると変り者だ。


「お知り合いなんですか?」

「そうだね。知り合いになってしまったというか……何度かここの大食いチャレンジやってるんだよね。食べきれたら無料になるっていう。私、食べ過ぎてここの大食いチャレンジは禁止にされてる。ははは。私が無尽蔵に食べるからチャレンジされると赤字になるとかなんとか言って怒ってたな」


笑いながらそう言っているけど、緋月様はどれくらい食べるつもりなのだろう。

一応、誘った側なんだから僕が払わないとという気持ちで来ている。……が、緋月様がどれほど食べるのかはわからない。


「いらっしゃいませ」


中に入ると「挑戦者求む!」と大きく胸の部分にプリントされたTシャツを着ている店員さんが迎え入れてくれた。


「予約をしている智春ですけど」

「はい。2名でご予約の智春様ですね。こちらへどうぞ」


店員さんの背中には「大食いチャレンジ!」とプリントされていた。

個室にしてほしいと予約のときにお願いした為、一番奥の個室に通される。

そう広くはない個室に、椅子と少し大きめのテーブルがある、外観はものすごく変わっていたけれど普通の飲食店だ。

少し変わっていると言えば、妙な置物がたくさん置いてあるくらい。

緋月様と向かい合って座ると、緊張した。緋月様は「ここの店長呼んでくれないかな」と言う。


「かしこまりました」


店員さんは一礼して下がっていった。

緋月様はフードを取って銀色の髪を出した。後ろの神は服の中にしまったままにしているため、正面から見ると髪が短くなったかのように見える。


「何を頼もうかな」


メニューを僕の分を目の前に置いてくれて、僕は「あっ……」と思った。

どうにもこういう場になれなくて、緋月様にリードさせてしまう。メニューを手に取りながら少しだけ落ち込んだ。


コンコン。ガチャ。


「はいはい、お呼びでしょうか……って! あなた! またうちの店つぶしに来たの!?」


まだ「入っていい」ともなんとも言っていないのに、扉が開いた。

緋月様を見るなり、驚いて声をあげたのはものすごく華奢な男性だった。緋月様もかなり痩身だが、彼は今にも倒れそうなほど細い。

目は細く、驚いて見開いているのだろうが全然目が開いていないように見える。


「ははは、違うって。普通に食事に来たの」

「そう? ならいいけど。たくさん食べて行ってね。今日は可愛い子連れてるじゃない。刺青のと、小食なのじゃないのね。よく食べる?」


おそらく、刺青のは光さんで小食なのは渉さんのことだろう。

僕はあまり普段食べる方ではないが、今日はたくさん食べたいと思う。


「今日はたくさん食べに来ました」

「そう。やっぱりたくさん食べてくれると私も嬉しいから。こっちのお客さんは私の店つぶそうとしたのよ。もう、お金持ってるくせに、無料チャレンジなんてやって。大赤字よ」

「そんなに食べてないよ。ほんの少しだって」

「あははははは、大したものよ。じゃあ今日は私、頑張って腕を振るうね。食材がなくなるまで食べて行っていいよ。赤字になった分、取り返さないとね」

「赤字だなんて言って、全然つぶれる気配ないじゃん。お客さんいっぱい入ってるし」


そう言っている緋月様の言葉に僕は「お金大丈夫かな……」と内心思っていた。


「あなたが来て宣伝してくれたおかげもあるよ。ありがとうね。それじゃ。とりあえずスペシャルコース作るよ。それでいい?」

「任せるよ。私の分の量は加減しなくてもいいけど、彼の分は加減してあげてね」

「はいよ。ごゆっくりしていくといいよ」


店主はバタリと扉を閉めていそいそと厨房へと戻っていった。


「……ずいぶん細身の方でしたね」

「彼は拒食症なんだよね」

「えっ?」

「こんな大食い御用達の店やってるけど、彼自身が拒食症に苦しんでいるからなんだよ。食べたいけど、食べられない欲求をこうして満たしてるのかもしれないね」

「食べても太らない類の人かと思いました」

「そうだね。一見するとそうだけど、人それぞれ、事情を抱えてるもんだから」


メニューを見ながら緋月様はそう話す。


「今日は僕がおごらせていただきます。お好きなだけ食べてください」

「それはさすがに悪いって。君の財布が赤字になっちゃうよ?」

「日頃使う場面もないですし、僕もたくさん食べますから。大丈夫です」

「そう? とは言っても、孝臣たかおみが勝手にどんどん出してくるから私は遠慮できないんだけど」


どうやらさっきの店主は孝臣というらしい。

緋月様は本当にいろいろな人と知り合いなんだなと感じる。どこにいっても知り合いがいる。


そこで僕はふと、どうして僕だけいつまでも“君”つけで呼ぶのだろうと疑問を浮かばせた。

そのことを言うべきかどうか迷ったが、僕は思い切って言ってみることにする。


「あの……緋月様……」

「ん?」

「僕のことも……あの……呼び捨てで呼んでくださいませんか? 他の方は全員呼び捨てにされてますし、同じように呼んでほしいです」


思い切ってそう言ってみたものの、言い終わった後に緊張が走る。


「あぁ、別にいいよ。智春」


緋月様に「智春」と、そう呼ばれたとき、僕は急激に恥ずかしくなって口元を押さえて顔を逸らした。

その僕の反応を見て緋月様は笑う。


「ははは、何照れてるの? 自分で言ったんじゃん」

「そうですけど……なんだか、急だったので……いえ、こういうのは急なんですけど。聖也にも“さん”はいらないって言われて、“聖也”って呼ぶように急になったんですけど、なんだか慣れなくて」


気恥ずかしさからか、まくしたてるように言葉が出てくる。


「あぁ、そうなんだ? でも、気持ちわかるよ。私も子供のときは親に対しても敬語で話してたからね。敬語辞めるきっかけがなかったら永遠に敬語使ってたかもしれない」


緋月様はとっくの昔に両親を亡くしている。やはり、気丈にふるまっているが寂しいと思う時はあるのだろうか。

僕はまだ母が亡くなったことに対して現実を受け入れ切れていない。

いったいいつになったら僕は立ち直るのだろう。


「緋月様は、どんなお子さんだったんですか?」

「私は……なんというか、そう今みたいな平穏で穏便な子供時代じゃなかったからさ。なんかいつもビクビクしてて、今の私と全然違うよ。ほんと。自分でも変わったなって思う」

「緋月様が子供のときって、悪魔たちとの戦争の時代が終った頃でしたよね?」

「そうそう。終わった頃っていうか、私は渦中にいたんだけどね」

「ご、ごめんなさい。勉強不足で」

「いいよいいよ。まぁ、ろくな子供時代じゃなかったからさ。今の子たちにはいい環境で生活してほしいんだよね」


コンコン。ガチャ。


「お待たせ~。まずはスープね。おいしいよ?」


また承諾もなしに入ってきた孝臣さんは、大きな鍋と、お皿を両手に持っていた。

鍋のほうを緋月様の方へ置いて、お皿の方を僕の前へと置く。


――え? 鍋?


「おぉ、今日の残りのスープ全部って感じ?」

「そうそう。よくわかってるね。もう鍋ごとあげちゃう。オタマ入ってるから。それで飲んで」


そう言ってまたいそいそと孝臣さんは忙しそうに出て行く。

大鍋の中の端にかけられていたオタマを取り出して、置いてあった取り皿に移していく。そこからスプーンを使って飲んでいくとしたら、スープだけでものすごい時間がかかりそうだ。


「鍋で出されると思わなかったね。いただこうか。智春」

「は、はい……」


再び名前を呼ばれて、僕は内心「やった」と顔がほころんだ。


その後もどんどん料理が運ばれてきて、予想以上にとんでもない量だった。いつも緋月様が食べている量よりもずっと多い。

孝臣さんは本当に店の食材を全部使いきるかの如く料理を出してくる。

緋月様はそれをものともせず、次々と料理を平らげていった。

話をする時間があまり取れないほどの量をどんどんと運ばれてきて、食べつくしている緋月様に孝臣さんは驚愕のリアクションを毎回やってくれる。


「わぁお。さすがあなた。いいね! よーし、デザートもすごいの出しちゃうよ」

「いいよーもってこーい」


緋月様は一つ一つの料理を着実に口に運び、そして食べつくしていった。

僕がついて行けたのは最初のスープと前菜くらいで、あとは雑多に出てくる様々な品目をいくつもいくつもを少ししか食べられなかった。

もう僕が動けないほどの大量の料理が運ばれきってきた後、食べ物に埋もれながら緋月様はひたすら平常心で平らげ続けた。本当にどこに食べ物が消えているのか不思議だ。


ついにデザートが運ばれてきた。

大きなパフェはカップルが使うようなハート型のストローがついていてお洒落だった。

しかし、僕はよもや動けないほどグロッキーになっており、お洒落がどうとかという次元ではなかった。


「これで最後よ。ほんと、大したものよ」

「僕はもう食べられません……無理です……」

「私が食べきるから問題ないよ」


結局、僕が残した分も緋月様が全部食べてしまった。なんだか全部において緋月様に対して申し訳なくなった。

エスコートもできなかったし、なんだかんだ胃袋に余裕がなくなってきたのと同時に、会話にも余裕がなくなってしまって楽しませることができなかった。

すぐに自分の中で反省会が始まってしまう。


そして、本日のお会計は…………

「18万円ね」と会計票を孝臣さんが出してくる。

18万で済んでよかったと思いながら、緋月様から見えない場所で僕は財布からお金を出して支払った。


「本当に食材なくなっちゃった。すごいね。また連れてきて。大儲けよ」

「ええ……僕ももっと食べられるようにしておきますね……」

「はははははは、あんまり食べると横にどんどん広くなっていって、仕事に支障がでるよ」


会計が終わって部屋に戻ると、最後のデザートを食べ終えた緋月様がクルクルとスプーンを回して遊んでいる。


「まいどあり。また来てねハニー」

「また来るよ、ダーリン」


孝臣は両腕を広げて緋月様とハグする。ポンポンと軽く抱き合った。その行動に一瞬ドキッとするが、こういう軽く抱き合うのを挨拶にしている習慣が昔あったことを思い出す。

こんなに食べてもたったこれだけですんでくれてよかった。


「まだ食べ足りない?」

「まぁ、まだ食べられるけど……」

「恐ろしい……! でも私の腕に応えられるの緋月だけ。これからも頑張ってね。ありがとうございました」


狂人ルナティック』から出た僕は、重い足取りだった。食べすぎて上手く歩けない。


「ありがとうね。あんまり食事を奢られることがないから、なんかすごく申し訳ない気持ちなんだけど……」

「それは大丈夫です……ただ……いまだかつてないくらい食べて……動きづらいです……」

「大丈夫? 抱えようか?」

「さすがにそれは申し訳ないです。歩きますから」


自分のお腹を抱えて歩いてみるのだが、やはり俊敏には動けそうもない。


「緋月様はどうしてあんなに食べられるんですか?」

「私は選択的に食べたものをエネルギーに即座に変換して身体の一部に溜められるんだよね。普通の消化工程と、エネルギーに変換する工程を別に設けてるんだけど、身体の再生とか変形にものすごいエネルギーを使うから溜めておかないとならないわけ」

「だからいつもたくさん食べてるんですね」

「そう。難儀な身体なもんでね」


緋月様は外に出るとき、再び髪の毛をフードの中にしまった。待ちゆく人々は誰も彼女を緋月様だと気づかないようだった。

他愛もない話をしながら歩き、赤紙の拠点へと近づくたびにもうこの時間が終わってしまうということに対して残念だという気持ちが強くなってくる。


そんなことを考えている間に思っていたよりも早く拠点について、僕はもう緋月様と別れる時間になってしまった。

僕の部屋と緋月様の部屋は別々の方向だ。


「今日は本当にありがとう。美味しかったよ」

「はい。僕も久々に沢山食べられて良かったです」

「そう。それじゃ、またね。智春」


軽く手を振って緋月様は僕の名前を呼んでくれた。


「は……はい。緋月様」


緋月様が見えなくなった頃、僕は「はぁ……」と息を大きく吐き出した。緋月様を誘うのは緊張した。

自分の名前を呼び捨てで呼んでもらえたことが無性に嬉しくて、僕は自然と顔がほころんでしまう。


――一歩前進……かな?


楽しかった時間の中で、僕は夢のような心地で自分の部屋に向かった。




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