第六話
俺たちの諸国漫遊も、世界に足を伸ばすようになった。
けど、内容は国内とほぼ変わらず。
リュック一つであちこちを見て回るだけだ。貧乏な所と金欲にまみれた所を順番に回るのも同じ。けど、金欲の方はガクッと数が減っていた(なんでだろ?)。
まあ、超豪華ホテルで、とっても疲れるがれき回収仕事の夢を見るのは同じだったが。
“28歳まで、残りは50年?”
国内を離れてしばらくすると、俺は2つの事に気がついた。
まずひとつ目は。
紙幣とコイン。総称は金。
今まではこのペラペラの紙と金属こそが一番だ! と思われてきた。皆、目の色を変えて金を集めることに躍起になった。だから当然金持ちは偉いとも思われてきた。けど、ここのところ、金というものから、どんどん価値がなくなりつつある。
それは、どっちかって言うと貧乏と呼ばれるあたりから始まり、どんどん世界に広がっていった。
金がなくては何も買えない?
いや、そもそも買うって言う概念が間違ってるんだ。
物々交換や、物がなければ自分の出来ることを差し出せばいいんだ。
あちこち渡り歩く間に、俺もそれを身につけていた。
畑の手伝い。簡単な工事の手伝い。掃除洗濯、家事手伝い。それから子守に至るまで、手助けを必要とする人はごまんといるんだ。で、俺が彼らを助ける代わりに、一宿一飯(その日の飯と寝るところ)を用意してもらうって寸法だ。
だから。
金をありがたがる風潮は、どんどん廃れていっていた。
もうひとつは。
なんか変ないい方なんだけどさ、俺の見る夢と現実が連動してるんじゃないかって思うんだ。
夢の中でジルベールが破壊する高級ホテルは、たいていなんとかグループって言う、でっかい企業の傘下にあるんだ。
で、夢でホテルが破壊されてからしばらくすると、グループのトップ企業が倒産してしまうんだ。どこからの助けも受けられないほど、あっという間にある日突然に。
それを受けて、傘下のグループ企業も次々につぶれていく。まるでドミノ倒しだな。
こういうとき、最高責任者とか周りの偉いさんは責任も取らずにどこかへ消えてしまうっていうのがこれまではよく見受けられた(今回のこの場合は本当に消えちまったんだと、俺は後で知ることになるんだが)
当然ながら、後に残された従業員は路頭に迷うのみ・・・、以前なら。
けどそうはならなかった。
世界に広がる金なしで生きる人々が、自然に手をさしのべてくれるからだ。
ある者は、ありがたくそれを受け入れ。
ある者は、どうしても金の幻想から抜け出せずに、去って行く。
けど、誰も強制はしない。
自分の人生なんだ、自分で考えて自分で選んで行動し、けれどその結果はすべて自分で受け入れるだけ。
またひとつ、でっかい企業が潰れたというニュースを見て、俺はちょっとだけ不安になる。
なぜって? いやあ、こう見えても俺だっていちおう会社のひとつやふたつは持っているはず、だったよな・・・・あれ? あんまり自信がないな。けど、もし会社が潰れてたりしたら、従業員やそのほか、屋敷の使用人にも多大な迷惑をかけることになる。
そこで俺は、旅に出てからはじめてジルベールに、残してきた屋敷と使用人たちのことを聞いてみた。
「なあ、ジルベール。最近でかい企業の倒産が相次いでるじゃないか。でさ、今更なんだけどさ、うちはどうよ? 屋敷も残してきちまったし、使用人たちが路頭に迷ったり、してないよな?」
するとジルベールは、「(今更それですか? 使用人のことはこれまで貴方の思考の中に上らなかったのですか?)」と、目だけで十分わかるほど語った後、ブリザードのような視線を送ってきた。
「わ、ごめん! いやだって、俺ってなんか不器用だから、その日の暮らしだけで精一杯だったし。覚えることもいっぱいあったし。その上、合間に記録もしなきゃならないし。ここ数年は変な夢見るから、そいつまで記録してるから、なんかさあ、忙しいし~」
「夢のことまで記録されているのですか?」
きっとお小言を食らうと思っていたのとは裏腹に、ジルベールは俺が夢の内容を記録している事に、興味を示したようだ。
「そうだよ。その夢に出てくるお前がもう、キャラが変でおかしくって、これは是非とも記録しなくては! って思っちまったんだよな~・・・あ、すまん」
気づくとジルベールの視線はまた氷のようになっていた。
「キャラが変で申し訳ありません。・・・・それで、申し上げますと、会社はこの旅をはじめるときに、すべて名義を信用できる部下に変更いたしました。ですので貴方の会社はもう、ひとつも残っておりません。お屋敷の方は、如月にすべて任せてありますのでご心配なく。ときおり連絡も取り合っておりますし」
「そ、そうかよ」
会社の方は、まあ、俺がきちんと経営出来るとは思えなかったので、誰かに譲ったのならそれはそれで良いことだ。
それにしても、ジルベールは如月と連絡を取りあっていたんだな。
「連絡取ってくれてたんだ、ありがとう。けど、如月ってそんなにすごい奴なのか?」
「私の知り合いです」
「ごもっともです、はい」
ジルベールの一言で、俺は絶大に納得してしまった。
その日の夜、ジルベールが「お屋敷からの写真です」と、何枚も送信されてきた写真を見せてくれる。使用人が楽しそうに仕事をしている風景だ。知らない顔も沢山いるが、見知った顔は皆、白髪交じりで顔には優しいしわが刻まれていた。
「ジルベールが連絡してくれたのか?」
「はい、ついでに貴方の老けたお顔も送信しておきました」
「! コノヤロウ!」
そんなこんなを繰り返しながら、世界は気づかぬうちに少しずつ変わっていった。
元妻が病に伏せっていると連絡が入ったとき、偶然にも俺たちは同じ国にいた。
「会いに行かれますか?」
ジルベールがそう聞いてきたとき、正直俺は行かなくてもいいんじゃない? と思った。
けれど連絡をくれた如月によると、あっちは会いたがっていると言うことだ。病気で気が弱っているのかな、それなら無碍に断るのもなんだか居心地が悪い感じがして、俺は行ってみる事にしたのだった。
その病院はまるで高級ホテルのようなたたずまいだった。
これまでなら、こういうたぐいの金持ち御用達の施設は、小汚いリュックを背負って、たっぷり日に焼けた白髪まじりのじじいなど、その場で追い返していただろう。
けれど元妻の差し金か、名前を名乗ると、皆、うわべだけの愛想笑いを浮かべて、俺たちを下へも置かない扱いをしてきた。気持ち悪いったらありゃしない。
未だにこんな時代錯誤なところがあるんだな。
案内された部屋のプレートには、「特別室」の文字がやけに堂々と光っている。
元妻は、扉をいくつか抜けた部屋の向こうの大きなベッドに、明るい日差しに照らされて半身を起こして待っていた。
けど、豊満だった胸のあたりはずいぶんやせて、一回り小さくなったような感じだ。そのせいか、以前のような傲慢さが少し抜けているようだ。
「年取ったな」
「第一声がそれ?」
「事実だろ、それにお互い様だ」
俺は自分の髪をかき上げながら言う。以前ならこんなセリフを言おうもんなら、ギャンギャンうるさく吠えていたのに、今は微笑みさえ浮かべてこっちへ来いと手をさしのべてくる。
俺は仕方なくベッドのそばへ歩み寄った。
突っ立っている俺の手を、半ば強引に取った元妻が、信じられないようなセリフを口にする。
「貴方には、悪いことをしたと思っているわ、ほんとうに。ごめんなさいね」
「ほわ?」
俺が目を丸くして、その上言葉も出せずに口をパクパクさせているのを見て、彼女は弱く笑う。
「そうよね、私が謝るなんて、以前なら天地がひっくり返ってもしなかったわね、でも」
と顔を伏せる。
「無制限の財産のおかげで、やりたい放題。けれど何をしていても心はちっとも満たされないの。挙げ句の果てに、人を人とも思わず機械のように扱ったわ。すべてにおいて貪るように贅沢の限りを尽くしたわ。そのツケがこれ。心はスカスカ、身体はボロボロ、今はこれのおかげで生きてるようなもの。まさしく自業自得ね」
と、反対側の腕に刺さった点滴を示す。今どき点滴で生き延びようとする奴なんて、ほとんどいないだろうに。
「ちょっと前から、どんなにお金を積んでも、だれもチヤホヤしてくれなくなった。ここ以外はね」
それはそうだろう。もう何年も前に、金銭世界が崩壊したんだ。
「ここが異常なんだ」
「そう、それがわかるのにずいぶんかかったわ。だけど私はもう、この世界から抜け出せないの。だからせめて最後に、貴方に謝っておきたかった。ひどい女だったわ、ひどい妻だったわ。でも、許してもらおうとは思っていないの」
そう言って見上げて来る目には、嘘はなかった。ただ、そのまなざしは、ひどく疲れているようだった。
そのやせた顔を見たら、受けたひどい仕打ちはもうどうでも良くなっていた。
気がつくと、優しく引き寄せてハグをしていた。
「俺だってそんなに良い夫じゃなかったぜ、マイハニー、○○○・・・」
すると、おかしそうな声で抱かれたまま妻が答える。
「まだ名前覚えてたのね」
「今、思い出した」
「ふふ、ありがとう。マイダーリン、○○○・・・」
「お前も俺の名前、覚えてるじゃないか」
「今、思い出した」
そのあと俺たちは、顔を見合わせて吹き出していた。
妻の訃報が届いたのは、それから数日後だった。
旅をはじめて、ほぼ30年が過ぎようとしていた。