第七話
“28歳まで、残り最後の1年”
旅をはじめて30年強、俺はそろそろ還暦を迎えようとしていた。
この旅で、俺は失われた28年間を取り戻した気分だった。
ただ流されるのではなく、自分で考えて(ジルベールの提案はほどよく受け入れて)、自分で選び、自分で行動し、失敗し、成功し、泣きながら笑いながらすべての結果を受け止めて。
いやー、楽しい時間だった! って、まだまだ旅は続くんだけどな。
俺の記録日記も、なんと28冊目だ。
そしてたった30年で、ここ地球ではけっこうな地殻変動があちこちで起こっていた。新たに生まれた島、なくなった島。山の高さが変わり、いくつも半島が沈み、海岸線も、大陸さえ大きくその姿を変えている。
それに並行して、人々の意識もずいぶん変わった。
30年前を知らない若者に、あの時代の事を語っても、彼らにはまるでおとぎ話のように聞こえるらしかった。
そんなある日。
俺は30何年かぶりに、自分の屋敷の前に立っていた。
ふと、そろそろいいかな、と言う思いがわき上がってきたのを待っていたように、ジルベールが珍しく遠慮がちに提案してきたのだ。
「屋敷に戻りましょうか」
と。
「ああ、ここは変わってないな」
「すべて以前のままと言う訳では、ありませんよ。門扉、庭の植木、玄関横の柱なども・・・」
いちいち指さして言うジルベールの言葉を無視して、俺は開け放たれた門の中へとずんずん入って行った。
玄関前に、見知らぬ男が立っていた。
あれ、だけど俺、この人のこと、よく知っているような気がする。
「如月」
後ろからジルベールの声がした。ああ、この人が如月なんだ。
「お帰り、ジルベール。そして・・・」
なんだろう、俺はこの人の瞳に見つめられると、その懐に飛び込んでいきたい衝動に駆られる。かろうじてそれを抑え込んでくれたのは、彼の後ろからやってきた使用人の声だった。
「坊ちゃま」
「坊ちゃま! まあたくましくなられて・・・日にもずいぶん焼けて」
「真っ黒ですな」
見知った、と言うか、お互い様だがずいぶん老けた使用人たちが、俺の周りを取り囲んだ。おかしな言い方だが、皆、とても幸せそうだ。いや、幸せでいてくれなくちゃ困るんだが。
その後は、リュックを取り上げられて風呂に放り込まれ、ピカピカに磨き上げられて服を着替えさせられ、昼食の席にいた。
なんか既視感。
そしてそして、その後のことはめまぐるしすぎて良く覚えていないんだが、気がつけば俺はベッドの中にいた。
ああ、久しぶりの自分の部屋だ。けど、こんなだったかな・・・。
俺は、ほどなく眠りに落ちた。
唐突に目が覚める。
あれ?
あ、これは夢だ。久しぶりだな、この感じ。
ここ1年ほどは、全くあの夢を見ていなかったのに。
けれどいつもの夢と違う事にすぐ気がついた。
「・・・、・・・・」
なんだか無機質な声が聞こえる。
機械がしゃべっているような。
「・・・ガ、完了イタシマシタ。地球ハ、コレヨリ、新シイ時代ニ、ハイリマス」
「はあ? 地球が新しい時代に入るって?」
相手が機械だというのに、俺は思わず返事を返す。すると向こうも返事を返してくる。
「ソウデス。小サナ停止ト再起動ヲ繰リ返シ、サキホド、地球ハ、レベル10ノ、星ニ、バージョンアップ、イタシマシタ」
「レベル10の星・・・」
そうつぶやいた途端、ベッドが大きく揺れた。
「うおっ! なんだ?!」
地震か?! そう思ったとき、どこからかいつもの声が聞こえてくる。
「ガーッハハハ! 今日も豪快に行こうぜえ!」
「ジルベール! なんで俺ん家潰すんだよ! 俺も不合格なのかよ!」
不合格? え? じゃああの潰されたホテルは皆、不合格・・・レベル10の地球に?
「なーに言ってんだ! ミッション完了したんだ、戻るんだよ」
「戻る? 戻るって、どこへ? ・・・へ?」
間抜けな声が出てしまったのは。
なんと! 質問の途中で、ジルベールの風貌がどんどん変わって行ったからだ。背がグインと伸びて、ガタイもグンと良くなる。顔はあまり変わらないが、いつものようなポーカーフェイスではなくて、ものすごくいい笑顔だ。
「あの世とこの世の中間世界だ。あれ? お前なんで元に戻らねえんだ?」
「元にって・・・俺は俺だよ?」
不思議そうに言う俺に、ジルベールは、ははあ、と納得したように頷いた。
「ま、そのうち思い出すか。それにしてもお前、よっぽどこの設定が気に入ってるんだな」
「設定ってなんだよ、お前おかしいぞ、・・・うわっ!」
またぐわんと、今度は部屋ごと揺れ出す。
それどころか、天井が、床が、ゆがんでぐるぐると回り出す。
「さあーて、最後の仕上げだ。いっくぜえー!」
ジルベールは地面ではなく、部屋の壁に思い切りげんこつを突き立てる。
ごおーーん!
お寺の鐘のような荘厳な音がして、世界がバラバラになった。
崩れゆく屋敷の、様々なものが目の前を通り過ぎる。けれど不思議なことに、そのどれにもぶつかったりしないんだ。そのうち俺は、自分が宙に浮いてぐるぐる回りながらそれらを避けている事に気がついた。
「うわあー!」「ジルベール!」「なんだこれは!」「うぎゃあー!」
これは全部俺の叫びだ。
「おもしれえだろー! なんだあ、お前まだそのままの格好かあ、よう! シナリオ屋!」
シナリオ屋?
「なんだよそれは! それよりジルベール、なんとかしろお!」
「あれえ? この名で呼んでもそのまんまですかあ」
「くそお! 面白がってるん場合じゃ、ありやせんよ・・・、って、あれ?」
「おおーやっと思い出したか!」
「思い出してねえよ!」
と、漫才風のやりとりをしながらも、ぐるぐる回っている俺。
やがてそれが収まる気配を見せても、まだそのまんまの姿でいる俺に、ジルベールがあきれたように言った。
「お前なあ、よっぽどそのなりが気に入ったんだなあ、けどそれじゃ帰れねえよ。・・・あーあ、この手だけは使いたくなかったんだけど」
そう言うと、ニイーッと不敵に笑ったジルベールがふいとうつむいた。同時にその背がまたぐわんと伸びる。どころか、身体が倍ほどにふくれあがって、着ていた服が破れてはじけ飛んだ。
そして聞こえる不気味な笑い声。
「ふっふっふ、まだ、思い出さんかあ?」
顔を上げ、グワッと目を見開く。
「のう、シナリオ屋よ」
その姿は、悪魔ですら縮み上がり、ひれ伏すか、恐れてスタコラサッサと逃げ出すという、閻魔大王そのお方だった。
「ひ! ひえぇー! え・え・閻魔大王さま!」
・・・・・
あっしはおもわずその場にへなへなと座り込み、次の瞬間には、ババッと五体投地しておりました。
「ようやく思い出したか」
伏せるあっしの耳に、恐ろしくも優しげな声が聞こえて参ります。
「へへえー!」
しばらく沈黙があって。
「あー良かった。この手はよっぽどの事がない限り使うなって、言われてたんだよなー」
「へ?」
顔を上げると、そこにいらっしゃったのは、優しげな表情の地蔵菩薩さまでした。
「ま、今のは仕方がないけどね」
「へ?」
予想外の方角から聞こえてきた声に、振り向くと、そこにいらしたのは。
えもいわれぬ慈愛の微笑みをたたえた如来さまでした。
「わあ! 如来さまあ~」
あっしは自分の立場も忘れて、思わず如来さまに飛びついて行ったのでした。
「お帰り、ジルベール。早かったね」
「ただいま、如月。ああ、そいつのおかげだよ」
抱きついて泣き止まないあっしの頭をよしよししながら、おふたりは、ちょっと楽しそうに、そんな風に挨拶を交わすのでした。
地球では、32年の月日が過ぎておりました。




