4(俺視点) その向こうには
甘い香りがして目の前が真っ白になったが、すぐに気を取り直し、そっと抱きかかえる。
細い体はさらに締め上げられていて、内臓が消えてしまったのではと思う。
これ以上彼女に何かあってはいけないと、優しく包むように抱いて運ぶと、急に彼女が身を寄せた。
思わず、目の前の細い首や開けた胸を口付けそうになり息を飲む。
初めて顔をはっきり見た時からずっと美しいと思いつづけ、振る舞いや心の強さに見惚れもした。
彼女の笑顔が脳裏から離れず苦しい時間を過ごす夜も何度もあった。
外見だけの話ではない。
幾分強情に感じるけれど、彼女は彼女の信念に従っているだけなのだとも思う。
何にでも頑固というわけでもない。基本的にとても素直だ。
教えてほしい、手助けしてほしい、と願うことに躊躇をせず、自らの間違いに気づくとすぐ謝り、知らないことは知らないと言える。
何度考えても彼女が聖女なのではと思うほど、美しく賢く綺麗な人だ。
そんな人が自分の腕の中で、しなだれかかるように体を預けてきたら。
俺じゃなくてもこんな気持ちになるはずだ。
この魅力に抗える人間がいるのか?
誰だって同じように・・・
だからといって、誰かにこの役を任せたくはない。
俺以外に抱き上げられ、運ばれる姿など見たくはない。
体を支えられ微笑みを向ける相手が俺以外などと想像することさえ苦痛だ。
でも、そんな俺の想いを知ってか知らずか、いずれにせよ彼女は決して俺の言葉に頷かない。
一生守らせてほしい。
何度言っても、何度願っても。
頷くことはない。
馬車にそっと座らせる時、顔が近くなる。
このまま食べ尽くしてしまえばいい、と頭の中で俺が笑う。
だめだ、といつまで自分を律していられるか。
限界などとうに越した気がしている。
お茶会など無意味なものだと思っていたが、彼女にとってはこの国のことを実感を持って学べるいい機会にはなっているらしい。
専ら相手は王妃殿下や姫殿下で、貴族女性のあり方や心構え、どんな流行りがあるのか、趣味や遊びは、などを話して和やかに時間が過ぎていく。価値観や世界観を知るのにちょうどいいのだと言っていた。
それだけでなくマナーなども教わり続けていて、身についてきているのがよくわかる。
遠目でみてもお茶を飲む姿は優雅そのもの。
貴族の令嬢として長く大切に育てられてきたと言われても申し分ない。
だからこそ、非常に心苦しい。
聖女と共に来たこともあり、丁重に迎えたいけれど彼女の返事がもらえず、今後の処遇は決まっていない。そうでなくても扱いの難しい立場にいる。
聖女がせめて彼女に好意的であればまだしも、どうにも2人は折り合いが悪い。
このまま他国に逃げられでもしたら、聖女を召喚し守ることで加護を得ているこの国を揺るがす原因になりかねない。
彼女は紛れもなく聖女と同じ場所からきている。聖女の力があるのではと感じる輩もいるだろう。
聖女でなくても招かれ人と言って異世界からきた者を崇める国もある。
そんな人物を無下にしたとでも言われたら。
戦争の火種にすら、なる。
絶対にそうならぬよう陛下からは早急に娶るように打診されている。婚約だけでもすぐにしろと。
もしもの場合は無理矢理にでも孕ませるか?などともいわれた。
彼女はかごの中の鳥以下の扱いになる可能性をはらんでいる。
彼女のその心根ゆえに。
せめて、俺が斬っていなければ。戦場と同じ行動をとって燃やしたりしなければ。
異世界にいた頃と同じように、美しさを武器に狭い鳥かごの中でだけでも飛びまわる力を得たかもしれないのに。
体の欠損はこの国であまり好意的には受け入れられない。
もし切断事故などがあっても多くの場合治癒魔法で繋ぎ合わせることが可能だ。片足丸々1本失う、などは殆ど起こり得ない。
あるとしたらよほど貧しい環境か、戦場にいたか、犯罪者で罰として落とされたか。
どれに見られたとしても、あまり表立って動かない方が良いと言われるだろう。
好奇の目で晒され続ける、女性であればなおさら。
だから彼女が仕事をしたいと言っても何もないのだとしか言えなかった。
「あれ〜?騎士様こんなところにいるの珍しい〜!アヤカに会いに来てくれたの?」
今日のお茶会は彼女と王妃殿下、それと珍しく陛下が参加されていて、3人だけと聞いていたはず。
なのに城から庭園へと続く廊下を、聖女がドタドタと走ってきた。
「聖女様!お待ち下さい、どうかお走りになられませんよう、どうか、」見れば後ろから侍女たちが早足で追いかけてきている。
ここは陛下と陛下が許したものしか入れず、ゆっくり過ごしたい時に近しいものだけを呼びお茶をしたり会話するための静かな場所だ。大声だけでなく走るなども言語道断。
聖女はその性格から、庭園の存在すら教えていなかったはず。
今はもう陛下にとって戦争回避の道具でしかないはずの聖女をわざわざ今日呼んでいた、とは思えない。
陛下を見ると暗い顔で首を小さく振った。が、ここまで来たらもうどうしようもないだろう。
侍女たちが咎められるだろうが酷くはならないだろう。どうせこいつの暴走だ。
「あっれ〜?へーかとおーひさまもいる〜!お茶会ですかぁ?アヤカもお茶したいな〜!」
そう言いながら陛下たちのテーブルではなく、なぜか俺に近寄り、腕を無理矢理絡ませ胸と腰をぐいと押しつけてくる。
気持ち悪い。吐き気がした。
聖女でなければ、斬り捨てる…ことは我慢したとして、寄る前に一言でも二言でも言って遠ざけるが、それは出来ない。
聖女がもたらす祝福にて、この地は他国からも魔物からも守られ平和なのだから。
民の命と俺の不快感。秤にかける重さが違いすぎる。
我慢しろ、我慢。我慢我慢。
これは、動物か何かだ。我慢だ。
吐き気を抑えようとあれこれ思考を巡らすが、気持ち悪さを感じた体は自然と聖女から離れようとする。
が、追いかけるようにさらに密着され、殴りそうになる腕を動かぬよう力を込めて固定する。
「もしかして、騎士様緊張してる?アヤカの体にドキドキしちゃった?」
いつも阿呆のような声のデカさで喋っている癖に、何故かこういう時に囁くように耳元に息をかけながら喋る。
聖女じゃなければ。
聖女でさえなければ。
「護衛中です。離れていただけますか。」
「えぇ〜!冷たい!アヤカ聖女だよ?優しくしないとダメなんだよ?いいの?アヤカが怒っちゃったら大変でしょ~?」
脅しているつもりか。
お前が軽く脅しているものは、何十万の命そのものだとわかっているのか。
「聖女様。その者は今護衛の任に当たらせている。こちらに来て話しませんか?」
席の用意が素早く終えられ、陛下自ら聖女をエスコートしに歩いてきた。
王妃殿下と彼女はかなり緊張感のある面持ちで、この状況の不味さを物語っている。
彼女もそれがわかるくらいにこの国のことをよく学んだのだとわかり、なんとなしに嬉しくなるが、今は喜んでいられない。
「やだぁ〜。騎士様と一緒がいいな。席がないならぁ、あ、あの人と変わったらいいでしょ?ね?」
聖女は彼女を指してそう言った。
続きは18時くらいに上がります。